声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第三章

五十二話 人の視線

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「――で、あいつは弓月を置いてどこに行ったの?」

 赤くなった顔を隠すようにフードの端をきゅっと軽く引っ張っていると、不意に律樹さんがそんな質問をしてきた。律樹さんの言う『あいつ』が六花さんのことなのか、それとも壱弦のことなのか、どちらを差しているのかはわからない。
 あいつって?と首を傾げながら、目深に被ったフードの下から視線を覗かせてみる。すると丁度こちらを見ていたらしい彼の瞳と視線がぱちりとあった。まさか合うとは思っていなくて、まるで準備の出来ていなかった心臓が一際大きく跳ね上がる。

「……っ」

 反射的に顔と共に視線を逸らした。けれど跳ね上がった心臓はおさまることなく、どっくんどっくんとけたたましくなり響いている。それどころか心音を中心に火傷しそうなほどの熱が湧き上がっていき、全身に熱が広がっていくようだった。
 瞼を閉じ、どくどくと跳ねる胸の辺りを鷲掴みにしながら静かに深呼吸をする。落ち着け、落ち着けと念じながら吸って吐いてを何度か繰り返すうちに少しずつ落ち着きを取り戻していくようで、俺はほっと息を吐き出した。

「弓月、教えて?」

 言葉にコマンドを乗せてしまえば何でも俺に答えさせることが出来るというのに、それでも彼は決してそれをしない。それが嬉しいと思う反面、律樹さんならしてくれても良いのにと思う自分がいた。

 いつまでも黙ったままではいられない。会話をするため、手に持ったままだった律樹さんのスマホにそっと指を滑らせた。少しは治まったとはいえ普段よりもまだまだ大きい鼓動は指先を震わせてしまい、うまく狙いが定まらない。震えてしまう指先をゆっくりと画面に這わせていき、なんとか一文字ずつ時間をかけて打ち込んでいった。

『それはいづるのこと?それともりっかさん?』

 辛うじて文字の入力は出来たものの変換は出来ず、全て平仮名のままになってしまった。伝われば良いのだから別にそれでも良いのだが、やっぱり少し読みにくいだろうか。話せない俺にとってスマホへの文字入力は、今この場所においては唯一とも言える会話手段である。だから読みにくいのはどうだろうと眉間に皺を寄せながら考えていると、律樹さんがどれどれと画面を覗き込んできた。そんな彼の姿に、俺は見やすいようにそっとスマホの画面を傾ける。すると律樹さんがくすりと笑った。

「ありがとう」

 柔らかな声音が感謝の言葉を紡ぐ。じんわりと温かくなる胸に、口元が緩むのがわかった。

「じゃあ……どっちも」

 どっちもとは、六花さんと壱弦の両方ということか。
 自分で言っておいてなんだが、俺は壱弦の場所は知っているが六花さんの居場所はわからない。そもそも誰からチケットを貰って、どんな人と知り合いなのか、会っているのかすらもわからないのだ。
 俺はわからないというように、『りっかさん』という文字を人差し指の先でなぞりながらふるふると頭を横に振った。律樹さんの方を向いてわずかに目を伏せると、彼はその答えを想定していたかのようにふっと笑みを浮かべた。

「まあ……姉さんの居場所はあそこだろうな」
「……?」

 どこか思い当たるところがあるらしい。
 それなら俺に聞かなくてもよかったのでは、と思いながら目を合わせるとにっこりと笑われた。

「じゃあ……刈谷は?」
 
 律樹さんの細くて長い指がスマホを持つ俺の親指に触れる。滑るようにするりと撫でられる感触に、ぞくぞくとしたものが背筋を走った。その感覚に耐えるように目を閉じる。
 指先に触れていたものが徐々に移動し、手の甲が少し冷たくて骨張った大きな手に包まれたのがわかった。重なり合った手の中、俺は人差し指を僅かに動かして屋台のある方向を指差す。隣に座る律樹さんが小さく身じろぎをしたのを合図に、俺はそっと目を開けた。
 
「……ああ、あそこか」

 その声に顔を上げ、俺も同じ方向に視線を向ける。暗い髪色ばかりの集団の中、一際目立つ明るい髪色が見えた。

「あの髪色はやっぱり目立つな」

 そうだね、と苦い笑みを浮かべながら律樹さんを見ると、同じように彼も俺を見て困ったように笑った。

「――あれ、瀬名先生じゃない?」

 不意に聞こえたその声にひくりと喉が鳴る。さっきまで聞こえなかった喧騒が一気に耳に入り、心臓が握られたような圧迫感を覚えた。
 
 一人の女子生徒が発した声が瞬く間に広がっていき、向けられる視線の数が徐々に増えていく。探るような、見定めるような視線が突き刺さり、胸が痛みを訴えている。
 そうだ、ここは家の中ではなくて外だったのだと思い出した時にはもう遅かった。全身の毛穴という毛穴からじっとりとした汗が滲み出ていくような不快感が襲い、スマホを持った手が小刻みに震え出す。さっきまで全く気にならなかったというのに、自分に向けられる多くの視線に一度でも気がついて終えばもう無理だった。

「弓月、大丈夫?」

 俺を案じるように重なり合った手に力が込められる。
 俺は大丈夫だというように笑みを浮かべながら小さく頷くが、手は震えたままだった。

「隣に座ってる子、誰?」
「うちの生徒……じゃないよね?」
「えっ、もしかして彼女とか?」
「えぇ……流石にそれはないでしょ」

 やけにはっきりと聞こえてくる悪意のない声たちに、身体が益々強張っていく。まるで口々に発せられる言葉たちが針となって次々と突き刺さっていくようだ。自然と視線が落ちていく。胸にちくりとした痛みが走り、俺はぎゅっとスマホを握りしめた。

「……ここから離れようか」

 俺を支えようとしてくれているのか、背中に腕が回った。その瞬間にざわめきが大きくなったような気がして、びくっと身体が跳ねる。
 律樹さんの口から発せられた声色には若干の怒気が含まれているように感じられ、どうしてか身体が動かなくなった。今すぐ離れないと律樹さんに迷惑がかかるんじゃないか、来たのが間違いだったんじゃないかなんて考えが頭の中でぐるぐると回る。やっぱり俺に人混みなんて無理だったんだと後悔してももう遅い。

「あ、いた!弓月!……と、瀬名先生?」
「……刈谷?」

 冷や汗が吹き出し、頭がぐらぐらと揺れる。
 気持ちの悪さに目をぎゅっと閉じた時、一際明るい声が耳に届いた。
 
 
 
 
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