声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第三章

六十話 文化祭デート 後編

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 律樹さんに手を引かれてやって来たのは焼きそばの屋台だった。もうすぐお昼ということもあって模擬店はどこもかしこも人がいっぱいなのだが、特に人気なのはたこ焼きや焼きそばといった主食となる食べ物のようだ。
 やっぱりソースのいい香りに食欲がそそられるからだろうか。斯くいう俺もそんなに空いていたわけではなかったのに、この香ばしいソースの匂いにつられてしまう。

「食べられそう?」

 多分と心の中で呟きながらこくりと頷くと、本当かなぁと苦笑いを含んだ呟きが降ってきた。

「まあ残ったら俺が食べるからいいんだけど」
『大丈夫。食べられる』
「……弓月って変なところで頑固だよね」

 そうだろうかと首を傾げると、そうだよと苦笑が返って来た。なんだろう、なんだか胸が擽ったい。俺のことをよく見てくれているんだという嬉しい気持ちと、自分でも気が付かなかった自分自身のことを知られているという恥ずかしい気持ちが胸の中で混ざり合っている。

「でも、それも可愛い」
「……!」

 この人はまた惜しげもなくそういう事を言う。
 見上げた先にある律樹さんの横顔がこちらを向き、蕩けるような笑みをこぼした。

 本当は男に可愛いなんてだとか、男同士で付き合っていることが知られたら大変なのではとか色々思うことはあったはずなのに、その柔らかな優しい笑みを見た瞬間にそれらのことが一気にどうでも良くなる。
 その代わりに湧き上がってくるのは、俺が律樹さんのことを好きだと思う気持ち。俺は繋いでいる方の手とは反対側の手でどきどきと高鳴っている胸の辺りを鷲掴みにし、赤くなっているであろう顔を隠すように俯いた。

「焼きそばを二つ」

 列は順調に進み、律樹さんの番になった。
 注文をする律樹さんの声を聞きながら俺は辺りをゆっくりと見回してみる。黒い鉄板の上では焼きそばがジュージューと音を立てながら焼かれており、白くていい香りのする煙がもわもわと立ち昇っていた。
 
 透明のプラスチック容器に焼きそばを詰めていく様子を眺めながら、今度家で律樹さんと一緒に作ってみたいなぁなんて思う。たこ焼きパーティーはする予定だけど、焼きそばパーティーというのもいいかもしれない。
 そんなことを考えていると、いつの間にか焼きそばを受け取っていた律樹さんが再び俺の手を引いて歩き出した。

 途中律樹さんの飲み物を買ったり、食べ物を買い足しながら辿り着いたのは、飲食スペースになっているという空き教室だった。二つの机を合わせた上にテーブルクロスをかけ、それぞれに椅子を配置したセットがいくつも設置されている。昼時だし、ここも混雑しているかとも思っていたのだが、意外にも人はまばらだった。

「ここ、結構穴場らしいんだよね」

 驚いたように辺りを見回す俺の様子に気がついたのか、椅子に座った律樹さんが話し始めた。

「他にもこういった場所は用意されてるんだけど、ここは奥まった場所にあるから常に人が少ないんだってさ。ここなら弓月も少しは落ち着けそう?」

 なんとなくわかってはいたけれど、やっぱり俺のためだったようだ。そんな律樹さんの気遣いに胸がじんわりと温かくなる。俺がこくりと頷くと、彼はほっとしたような笑みを浮かべた。
 
 白いビニール袋から焼きそばやフライドポテトを取り出し、机の上に並べていく。差し出された割り箸を受け取り、二人揃っていただきますと手を合わせた。
 焼きそばを一口口に入れると、ソースの甘味とスパイシーな香りが口の中に広がった。具材はキャベツや人参、玉ねぎなどの野菜と豚肉やいかが入っている。移動で少し冷めてしまってはいたが、それでも美味しかった。

「今度焼きそばも一緒に作ってみようか。ホットプレートなら弓月にも手伝ってもらえそうだし」
「……!」
「弓月、たこ焼きとか焼きそば大好きだもんね。……じゃあ、たこ焼きパーティーの次は焼きそばパーティーだね」

 律樹さんの提案に首がもげんばかりに大きく頷くと、彼はにこにこと嬉しそうに笑った。

 窓の外からは相変わらず沢山の賑やかな声が聞こえてくるけれど、この中の音はそんなに多くない。俺たち以外にも人はいるけれど、彼らも俺たちのように和やかな会話を楽しんでいるのか、この教室内にはゆったりとした空気が流れていた。

「弓月、こっち向いて」
「……?」

 呼ばれて顔を上げると同時に律樹さんの腕が伸びて来た。少し冷たい指先が頬に触れ、口元を撫でるように動く。

「ちょっと顔赤い……?体調はどう?」
「……っ」

 ……ああ、心臓がうるさい。
 律樹さんが触れたところから熱が広がっていくようだ。

『大丈夫だから』

 慌ててスマホにそう打ち込んで見せると、眉尻を下げた律樹さんが「本当に?」と首を傾げた。それにこくこくと首を縦に振ると、渋々といった様子で手が離れていく。

「……ならいいんだけど」
『むしろりつきさんの方は大丈夫?目の下にうっすらと隈があるみたいに見えるけど』
「ん?……ああ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

 机から身を乗り出し、律樹さんの目元に親指を這わせる。光の辺り加減の可能性もあるが、そこには本当にうっすらと隈のようなものが出来ていた。
 ここ最近ずっとお仕事が忙しそうだったし、昨日なんていつもよりも長い時間プレイをしてもらったから、もしかしたら疲れが取れていないのかもしれない。
 今日は律樹さんが帰って来たら、プレイをせずに早く布団に入って一緒に寝ようと密かに決意をする。

「弓月はどう?疲れてない?」

 そう聞かれ、俺は言葉に詰まった。
 正直、疲れていないと言えば嘘になる。けれど律樹さんと一緒にいる時間は俺にとってはかけがえのない大切な時間だから、こうしていると不思議なことに疲れなんて感じないくらい満たされているんだ。
 けれどその想いを素直に伝えるのがどこか気恥ずかしくて、俺はただ一言「大丈夫」とだけ文字で綴って笑った。

「……そう、無理はしないでね」

 律樹さんがそう言って優しく微笑む。ほんの少し寂しそうなその表情に、ちょうど視線を落としていた俺が気づくことはなかった。


 
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