声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第三章

五十九話 文化祭デート 前編

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 文化祭最終日――一般開放二日目の今日、俺は昨日同様六花さんと一緒に高校へとやって来た。
 今朝律樹さんを見送る際に貰ったチケットを手に、六花さんと共に受付の列へと並ぶ。今日は休日ということもあり昨日よりも人が多く、列が長い。人混みが苦手な俺は早速気分が悪くなりそうだったが、律樹さんが出勤前に貸してくれたキャップ帽を目深に被って深呼吸をすると、ほんの少しだけましになったような気がした。

「弓月くん、はいこれ」

 そう言って手渡されたのは天然水と大きく書かれたペットポトルだった。ペットポトルの表面には梅雨が付いており、触れてみると想像以上に冷たくて驚いた。

「これよかったらどうぞ。気分が優れない時は冷たい飲み物を飲むと良いらしいわ。あ、未開封だから安心してね」

 にっこりと笑う彼女に、俺はありがとうございますと頭を下げる。お言葉に甘えて、と蓋を開けて中身を煽れば、確かに少しすっきりとしたような気がした。
 こくこくと喉を鳴らしながら二口、三口と飲んでいく。胸の辺りでむかむかとしていたものが水と一緒に流れていくようで心地よかった。

 そうこうしているうちに十時になり、受付が始まった。今日は律樹さんと回る時間以外は六花さんが一緒にいてくれるらしい。昨日会っていた人とは今日は会わないのかと聞いたところ、俺が律樹さんといる時間だけ会う約束をしていると言う。俺のことなんて気にしなくても良いのにと言ったのだが、弓月くんと一緒にいたいからという言葉が返って来てちょっと顔が熱くなった。

 今日ここに来るにあたって、律樹さんといくつか約束をした。その約束が守れない場合は、今後こういったイベントがあってもお出かけを制限すると言われてしまったので今日はできるだけ大人しくしていようと思う。
 約束一つ目は、昨日のように体調が悪くなればすぐに帰ること。俺の身体はまだまだ本調子ではないため、少しでも異変があれば大事をとって家に帰って休んでほしいとのことだ。
 約束二つ目は、貸してもらったこのキャップ帽を被っていることだ。日差しにやられるのを防ぐためらしい。ずっと目深に被っているように言われたが、そうすると前が見えなくなってしまうのでそれは却下した。
 それ以外にも約束はあるが、主なものはこの二つだろう。正直この二つに関してはまあわからなくもないのでその通りにするつもりだけど、他は適宜といった感じだ。

「今日はあのお友達は一緒に回らないの?ええと、確か……刈谷くん、だったかしら?」
『なんか午前中はクラスの出し物の手伝いがあるらしいです。午後からなら一緒に回れるって言ってました』
「そうなのね。昨日頂いたたこ焼きも美味しかったし、あとで買いに行ってみましょうか」

 俺の中学からの友人だという壱弦は、昨日とは違い今日は忙しいらしい。裏方だから当日はあまりやることがないのだと言っていたが、昨日の様子を見る限りでは本当は忙しいのかもしれない。多分、俺に気を遣って暇だ何だと言ってくれていただけだ。
 昨日寝る前に届いていたメッセージには、午後からは一緒に回ろうってお誘いが書かれていた。俺なんかに時間や体力を使うくらいなら休憩したりと自分のことに使えばいいのに、気のいい優しい壱弦は壱弦しか友達のいない俺のことを気にしてくれているのか声をかけてくれる。無理はしないでねと返したが、結局その後に返事は来なかった。

「そう言えば弓月くん、今日はスマホを首からかけてるのね。似合ってる」
『この方がすぐ使えるだろうってりつきさんがくれました』
「あー……なるほど?」

 俺の言葉に、六花さんが俺の首元を見つめながら曖昧に笑う。彼女の視線の先にあるのは首掛け型のグレーのスマホストラップだ。これは今朝、出勤前にチケットと共に律樹さんがくれたものである。
 スマホとスマホカバーの間に透明なシートを差し込み、突起部分にあるハトメにストラップの金具部分を取り付けて紐部分をショルダーバッグのように首や肩に掛けてスマホを持ち歩くというものなのだが、正直もっと早く知りたかったと思う。
 スマホを連絡手段としてだけではなく、主に会話ツールとして使用している俺にとって、スマホを使いたい時に使えるのでまた一時間も経っていないのにもう重宝していた。

 律樹さんの休憩は十一時半から十二時半までの一時間。待ち合わせの時間までまだ一時間以上もあるというのに、もう恋しく思っている自分がいた。
 貰ったキャップ帽からふわりと香る彼の香りに胸がドキドキとする。早く会いたいなぁなんて思いながら、受付で貰ったパンフレットを見ながら歩いていく六花さんの後を追った。

 昨日は回れなかったところを六花さんと二人でゆっくりと見て回る。執事喫茶でのんびりとお茶をしてみたり、展示を見てみたり、占いの館に行ってみたりとしているうちにいつの間にか時間が経っていた。
 律樹さんとの待ち合わせ場所である数学準備室に向かう途中、一瞬だけだったが強い視線を感じた気がして勢いよく後ろを振り返った。きょろきょろと見回してみるが、それらしき人は見当たらない。内心首を傾げつつも気のせいかと顔を戻して、前を歩く六花さんの背を追いかける。

 数学準備室の前に着くと同時に律樹さんが部屋の扉から姿を現した。俺と目があった瞬間、律樹さんの目が優しげに細まる。俺も俺で多分顔が緩んでいることだろう。

「お待たせ。行こうか」
「じゃあ私は時間まで色々見て回っているわ。合流時間になったら一応連絡お願いね。あんまり弓月くんに無理させたら駄目よ?律樹」
「わかってるから早く行けって」
「はいはい。じゃあ弓月くん、また後でね」

 ひらひらと笑顔で手を振る六花さんにこくりと頷き、手を振った。振りながら、遠ざかっていく背中を見つめる。人混みに紛れて見えなくなるまで見送った後、俺は少し高い位置にある律樹さんの顔を見上げた。

「ふふっ、約束守ってくれてありがとう」

 こくりと頷くと、律樹さんは帽子の上から優しく俺の頭をぽんぽんと撫でた。帽子がずれて視界が悪くなる。

「……うん、これなら大丈夫かな」
「……?」

 ぽつりと呟かれた言葉の意味がいまいちわからず、帽子の鍔であるバイザーを指先で摘んで少し上げながら律樹さんを見上げる。しかし彼はにこにこと優しく笑うだけだった。
 
「お腹はどう?空いてる?」
『飲み物と甘いものは食べたよ』
「……それご飯食べられないやつでは?」
『多分大丈夫』

 俺だって少しは食べる量増えてるんだから大丈夫と親指を立てて見せると、律樹さんは大きくため息をついて苦笑した。どうせ食べられないと思ってるんだろう。前に比べたら食べられるようにもなったし、甘いものだってそんなに食べてないんだからと思いながらもう一度『大丈夫だよ』とスマホに打ち込んで見せた。

「はぁ……じゃあ一緒に食べようか。確か和泉いずみ先生のクラスが焼きそばだとか言ってたっけ……弓月、焼きそば食べる?」

 食べる、と口を動かすと、律樹さんがわかったと頷いた。はいと差し出された手に迷わず手を重ねる。人混みで逸れないようにという律樹さんの気遣いだとわかっているから重ねることに躊躇いはなかったのだが、指が絡まった瞬間に昨日のことを思い出して顔が熱くなった。
 この手が俺のアレに触れたんだよなぁ、なんてぼんやりと思う。この手が触れて、動いて――ってこんな所で何を思い出しているんだろう。
 
 無意識に下がっていた頭を上げると、そこには整った彼の横顔があった。昨日何度も重ねた薄く色づいた形のいい唇に自然と目がいってしまう。どくどくと心臓が大きく速く音を立てていき、俺はバッと顔を逸らした。

 なんで律樹さんが隣にいるだけでこんなにもドキドキするんだろう。やっぱり恋人だから……なのかな。好きだからドキドキしたり、触って欲しくなったりするんだろうか。

「弓月?」
「……っ」
「大丈夫だよ、俺がいるから。何かあったらちゃんと言ってね」

 俺は赤くなっているであろう顔を隠すように俯きながら、こくりと小さく頷いた。
 
 
 
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