113 / 210
第四章
閑話 瀬名律樹は決意する 後編②
しおりを挟むほっと息を吐き出しながら擦り寄ってくる弓月の背を優しく撫でる。僅かに手が震えているのはさっき弓月の血を見たからか、それともこれからすることに対する緊張か。
俺は背を撫でていた手を止めた。震えを抑えるようにぎゅっと握りしめた手を見つめ、軽く深呼吸をするように息を吸い込む。そして息を吐き出すと同時に言葉を紡いだ。
「弓月は……俺のプロポーズ、受け入れてくれたんだよね?」
それは不安から来た確認だった。あれが夢だったなんて思わないし、思いたくはない。けれどもしかしたら、あの場の雰囲気で断りきれなかったのかもしれないなんて不安がずっと消えなかった。
俺は元来臆病な性格でも心配性でもない。だがこと弓月に関してだけは、たとえ小さなことだったとしても不安だったり心配だったりをすぐに抱えてしまう。それがいいのか悪いのかはわからないが、俺の心臓は相変わらずうるさく鳴り響いていた。
腕の中、弓月の頭が小さく上下した。誤差にも見えたそれが肯定であってほしいと願いながら、腕の中で小さく動く形の良い頭を見つめる。ゆっくりと顔を上げた弓月の黒い瞳が俺を捉えた。吸い込まれそうなほどに綺麗で大きな瞳に映るのは不安そうな表情をしている俺の姿。
弓月がぱちりと瞬きをする。不安げな俺の姿が色素の薄い瞼の裏に隠れた。弓月、そう名前を呼ぼうとした時、今度はしっかりと弓月の頭が上下に動いた。
それは肯定だった。紛れもない、肯定。
俺のプロポーズを弓月が彼の意思で受けてくれたのだという事実に、足元から言いようのない感情が湧き上がってくる。
「なら……だから、その……」
言葉が続かない。無意識に弓月を抱きしめる腕に力が入る。耳のすぐ近くに心臓があるんじゃないかと錯覚するくらい、鼓動が大きく感じた。
声は微かに震え、頭の中には絶えずたくさんの言葉が浮かび上がってくる。本当は言いたい言葉がたくさんあるのに、喉の奥で詰まって声がすらすらと出てこない。
弓月の頭に自分の顔を寄せ、強く抱きしめる。うるさい鼓動を落ち着かせるように深呼吸を繰り返すと、弓月の甘い香りが鼻腔をくすぐった。その香りを肺いっぱいに吸い込むと、不思議なことにバクバクとうるさかった鼓動がとくとくと落ち着いていく。
今だ、今しかないと頭の中で声が聞こえた。
「っ、婚約指輪と……首輪を……贈りたい、んだけど……」
時折詰まらせながらも発した言葉。やっと言えたと思いながら、弓月の頭が僅かに動いたので身体を少し離して顔を上げた。彼の傾いた頭と不思議そうな瞳に一瞬息が詰まったが、そう言えばそうだったとほっと息が出る。
弓月の第二性に関する知識は一般的な中学生ーー下手をすれば小学生よりも少ない。なのにいきなりカラーだなんだって言われてもわからないだろう。緩んだ頬もそのままに、俺は弓月の細い首筋に手を添えてするりと撫でた。触り心地の良いきめ細やかで白い肌の上を指先が滑っていく。
「カラーっていうのは、Domが大事なSubに送る婚約指輪や結婚指輪みたいなもので……ほら、ここ」
「……っ」
首輪をつける場所――つまり首筋に再び軽く手を添えた。そして弓月のあまり目立たない喉仏を親指で優しく撫でた。指先に伝わるとくとくという脈が彼は生きていて、今確かにここにいるのだと思わせてくれる。
「ここに着ける、俺の大事な人だっていう証」
ゆっくりと首から手を離す。
自分でも驚くくらい穏やかな心地だった。
俺の大事な人だという証、つまりは誰にも手を出させない、何があっても必ず守って幸せにするんだという俺の決意の表れ。
投与できる抑制剤がないとわかってからの弓月は見るからに元気をなくしていた。その不安を少しでもなくせたら良いなと思っていたというのもある。けれどそれ以上に俺は弓月を大事にしたい、幸せにしたいんだという想いで動いていた。
居間を出て、台所の入り口手前の床に置いたまま放置していた紙袋のうち、大きい方を手に再び弓月の前に跪く。金色のロゴが刻まれた黒い紙袋の中から紺色の箱を取り出し、その上部と下部それぞれに手を添えて顔を上げた。
弓月の夜空のような瞳が俺を不思議そうに見つめている。その瞳を見つめ返しながら、俺は引き結んでいた唇をそっと開いた。
「弓月と、これから先……ずっと一緒にいたい。だから……」
「……!」
ああ、やっぱり声が震えてしまう。すらすらと澱みなく言葉を紡げればそれなりに格好はついただろうが、生憎俺の喉も口も緊張でからからだった。
両手の指先に力を込め、ゆっくりと箱を開けていく。隙間が大きくなっていくのに比例して、夜空のような瞳もその輝きを増していくのが見えた。
「俺と、結婚してください」
それは二度目のプロポーズだった。
本来なら婚約指輪を渡しながらするのだろうが、俺の場合は弓月のために誂えたチョーカーだ。黒色を基調とした細やかな装飾がされた小さな金色の飾りのついたシンプルなもの。弓月の髪や瞳をイメージして作った、世界に一つだけの首輪。
一度肯定を貰っているというのに、再び心臓の鼓動がうるさくなる。
弓月がこれを気に入ってくれるかはわからない。けれどこれが今の俺が弓月に与えられる唯一の証だった。
弓月が下を向く。やっぱり気に入らなかったのだろうか、それとも俺の気持ちが重かったのだろうか。そんな不安が湧き起こるが、今の俺には弓月の答えをじっと待つことしかできない。それがもどかしかった。
大きく深呼吸をしたらしい弓月が顔を上げた。黒色の瞳が俺を射抜き、そして小さく頭が上下に動いた。
――肯定だ。これは紛れもない、肯定。
思わず大きく開いていく瞼。きらきらとした瞳と笑顔を前に、二度目だと言うのに俺の胸は大きく高鳴る。
「……俺がつけてもいい?」
その問いに、弓月が小さく頷いた。
俺は手に持っていた紺色の箱から黒色のカラーを取り出し、弓月の首元に手を伸ばした。向かい合わせの状態で首の後ろに両腕を回し、かちりと金具を留める。
なんとも言えない高揚感と多幸感が一気に全身を襲う。頬が緩むのを止められない。
「キス、してもいい?」
「……っ」
気付けばそう口にしていた。
弓月の頬に手を伸ばそうとするよりも早く、彼の手が俺の頬を優しく包み込む。そしてぐっと引き寄せられると同時に柔らかな唇が深く重なりあった。
285
あなたにおすすめの小説
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま
中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。
両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。
故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!!
様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材!
僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX!
ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。
うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか!
僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。
そうしてニ年後。
領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。
え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。
関係ここからやり直し?できる?
Rには*ついてます。
後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。
ムーンライトにも同時投稿中
隠れSubは大好きなDomに跪きたい
みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。
更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる