声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

文字の大きさ
120 / 210
第五章

九十二話 誘った理由 前編(律樹視点)

しおりを挟む
※このお話は本編ですが、律樹視点のお話です。



 今日は同僚であり友人でもある慶士を家に呼んで、弓月を労う会――少し豪華な夕飯を食べたり遊んだりするだけだ――をした。たった三人での開催だったが、なんだかんだ楽しい時間を過ごすことが出来てよかったと思う。
 明日は仕事が休みのため、慶士は今日この家に泊まることになっている。順番にシャワーを浴びた後、居間で久々の酒を慶士と飲みながら三人で色々と話していた。そう長く話していたつもりはなかったが、気付けば時刻は十一時を回っていた。

 ソファーに座りながらガラスのコップで麦茶を飲んでいた弓月の頭が小さく船を漕ぎ始めた。目がとろんと下がり、時折あくびをもらしている。眠いんだろうと一目でわかるのに、もう少し俺たちと一緒にいたいらしい弓月は俺の隣から動こうとはしなかった。
 まあ、わからないでもない。この家に誰かが泊まりにくること自体が珍しいから興奮するのもわからなくもなかった。だがそれでも彼の体調を考えると、なんだかそわそわとしてしまう。

「……弓月?」
「……」

 さっきまで小さく漕いでいた船が止まり、代わりに規則正しい呼吸音が耳に入ってきた。声をかけても返事はない。どうやら完全に寝入ってしまったようだ。
 俺は慶士に断りを入れ、俺に凭れ掛かるようにして眠る弓月を抱き上げて寝室のベッドまで運んだ。ゆっくりと丁寧にマットレスの上に横たわらせると、その振動で弓月の眉間に僅かに皺が寄る。しかし起きる気配はない。
 風邪を引かないように布団をふわりと掛ける。風圧でふわりと浮き上がる前髪。俺はそんな細くて柔らかな黒髪を指ですくようにさらりと撫でた。

「……おやすみ」

 柔らかな前髪を手のひらで優しくかき上げ、露わになった白くてまろい額に唇を落とす。そしてもう一度ぽんぽんと軽く髪を撫でてから、俺は寝室を出て居間に戻った。

「寝たのか?」
「ああ」

 テーブルの上に置いていた本日一本目の飲み掛けのハイボール缶を手に取り、飲み口に口を当ててぐいっと一気に煽る。芳醇な香りが一気に広がり、俺は息を吐いた。
 弓月の前では酒を飲まないようにしていたが、今日ぐらいはいいだろうとテーブルの端に置いていた未開封の缶チューハイを手に取り、本日二個目となるプルタブに指をかける。カシュッと音が鳴り、俺は再び飲み口から一気に中身を煽った。

「……で、今日俺を呼んだ理由は?」
「それは弓月のお疲れ様会を……」
「それだけじゃないんだろ?」

 何かを確信しているような慶士の言葉に、俺はふっと口元を緩めながら息を吐き出した。鼻から抜けていくレモンの香りと僅かに残った芳醇な香り。手に持った缶チューハイを一口飲んた後、俺はテーブルの上に缶を置いた。

「……坂薙のことか?」

 俺が相談するなんてあいつのことくらいしかないだろうと、向けられる瞳がそう言っている。
 それに反論する気はない。だって実際そうなんだから。

「さっき見る限りでは元気そうだったが……」
「本当に、そう見えたか?」
「……は?」

 俺はじっと慶士の目を見た。
 本当にそうだったか?
 そう再度問いかける俺の目に、慶士は戸惑いながらも肯定を示す。

「……何か気になることでもあるのか?」

 慶士が僅かに視線を落とした俺を心配そうに見ている。俺は言葉を発しようとして口を開いたが、そのまま何も発することなくそっと閉じた。

 気になることはいくつかある。
 弓月の担当医である竹中先生にも相談はしてみたが、薬も飲めない今の状態ではどうすることもできないようだった。
 けれどこのまま放っておくこともできない。だからと言って一人で考えていても、解決策も対策もなにも思い浮かばない。俺自身がどうしたらいいのか、弓月に対してどうしてあげればいいのかわからなくて、誰かに聞いて答えて欲しかった。

 何から話せばいいのか、どのように話せば伝わるのか、
 頭の中でぐるぐると幾つもの言葉が巡る。だがそのどれもが声にならないまま俺の中でふわりと消えていった。

「……首」

 そうして辛うじて出てきた言葉が、これだった。
 絞り出したような、それでいてぽつりと呟くような声が俺の口からこぼれた。慶士はその言葉に一瞬怪訝な表情をしたが、何か思い当たるところがあったのか、ああと静かに頷いた。

「あの首輪カラー……ついにClaimクレームしたんだな。おめでとう」

 Claimクレームとは、DomがSubに首輪カラーを贈ることをいう。今回俺が弓月に贈った行為がこのClaimに当たる。
 俺が弓月にClaimしていたことに驚いているのか、それとも喜んでいるのか、慶士は不思議な表情だった。

「まあ……な」

 Domにとって、ClaimというのはパートナーであるSubのことを大事に思っている証という意味の他に、自身の所有欲だったり支配欲を満たすという意味合いもある。俺の場合は弓月を少しでも安心させたかったという気持ちもあったが、今考えてみれば弓月を誰にも取られたくないという独占欲の表れだったのかもしれない。

 あまり反応の良くない俺に、慶士が首を傾げる。
 他に何かあったかと首を捻らせている友人の姿に、どうしてか口元が僅かに緩んだ。それを誤魔化すように缶チューハイを一口口に含んでごくりと飲みこむ。渇いた口や喉がほんの少し潤いを取り戻した。
 
「弓月の首元……首輪に隠れて見えづらいんだが、傷があるんだ」
「傷……? なんでまたそんなところに……」
「夢を、見るらしいんだ。どんな夢なのか、何の夢なのかも本人にもわからないらしい。……ただ、夜中に魘されて、苦しそうに何度も何度も首を引っ掻いてる。最近はあれをつけているからか、前のように大きな引っ掻き傷は増えていないが……それでも毎日小さな傷が所々に出来ているんだ」

 苦しそうに、もがくように首を何度も何度も掻き毟る。俺にはまるで誰かに首を絞められているかのような行動に見えた。もし本当に夢の内容がそれだったとして、唯一の救いは弓月が夢の内容を覚えていないことだろうか。

「お前は……眠れているのか?」
「……俺は大丈夫」

 俺は大丈夫だ。俺自身が夢を見るわけでも苦しいわけでもない。けれど、弓月は違う。起きた時には何も覚えておらず、けれど日に日に首の傷は増えている。今は首輪のおかげでそんなに気にならないようが、それでも鏡を前にした弓月の表情はいつも優れない。

「俺はまだ……弓月を助けられていない」
「律樹、お前……」

 それはずっと思っていたことだった。
 あの家から、あの家族の元から引き離すことができたとはいえ、本当の意味ではまだ弓月のことを救えていないんだろう。

 これ以上俺に何が出来るんだろう。
 弓月が苦しんでいる姿を見ているだけ?
 隣にいて頭を撫でてやるだけ?
 
 俺は弓月を幸せにしたい。本当の意味で、あの家から助けたい。出来るなら声も取り戻してやりたい。
 そう思っているのに――俺が出来ることが何か、わからなかった。
 
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ 平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、 どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。 数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。 きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、 生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。 「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」 それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

どうせ全部、知ってるくせに。

楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】 親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。 飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。 ※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。 更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

処理中です...