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第五章
百二十五話 胸が痛い
しおりを挟む少しのお菓子を手に戻ってきた壱弦が向かいの席に座った。さっきまでよりもずっと神妙な顔つきの彼に、何かあったのだろうかと首を傾げる。テーブルの上に置いたトレーの上に持ってきたお菓子を乗せた壱弦は、俺を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
「あのさ、言うかどうか迷ってたんだけど、どうせこの後話すんだから先に話しておこうと思って……」
「……?」
「俺……さっき桃矢から、その……告白、された」
「……!」
真剣な顔で何を言い出すかと思えば、さっき二人が話していた内容のことだった。壱弦が桃矢くんから告白されたことは知っている。けれどまさか今突然その話をされるとは思っていなくて驚いてしまった。
「びっくり、するよな……俺も……驚いた」
「……」
俺の驚きはそっちではなかったのだが、さっき誤魔化してしまった手前否定もできない。俺は何も反応を示さず、黙って壱弦を見つめた。
「俺には好きな奴がいる、けど……それは、あいつじゃない。桃矢のことは……その、別に嫌いとかじゃ……ないん、だけど……仮にも幼馴染、だし」
いつものようなすらすらとした話し方ではなく、歯切れの悪い話し方だった。言葉を選んで喋っているのか、時折言葉を詰まらせながら壱弦は話していく。俺も俺で壱弦の好きな人が誰かを知ってしまった今、彼の言葉にどう反応をすればいいのかわからなかった。
テーブルの上に置かれた彼の手がきつく握り締められている。血の気を失ったように白くなっていく手。俺が何も知らなかったのならその手に自分の手を重ねていただろうが、今の俺にはどうすることもできない。
「部屋に戻ったら……先に桃矢と、話をさせてくれないか?……弓月の為に呼んだってのに、何してんだって話だよな」
自嘲気味に放たれたその言葉に、俺はゆっくりと頭を横に振った。……こんな時、そんなことないよって言葉で伝えられたらいいのに、なんで俺はまだ話せないんだろうな。
「……ん、ありがと。……はは、なんて顔してんだよ」
「……っ」
眉尻を下げ、俺に向かって優しく笑う壱弦に胸が痛む。俺よりも少し大きくて大人になりかけの手が俺の頬を優しく挟みこんだ。室内だから外よりもまだ暖かいとはいえ、さっきまでパントリーにいた壱弦の手は少し冷たい。……いや、この冷たさはもしかすると緊張、なのかもしれない。その証拠に彼の手は微かに震えていた。
俺は壱弦の手に頬を挟まれたまま彼を見つめる。それは「大丈夫?」という意味を込めてだったのだが、壱弦は違う意味に受け取ったようだ。ゆっくりと俺の頬から手を下ろし、再びテーブルの上で握り拳を作りながら、壱弦は眉尻を下げたままふっと笑った。
「俺の気持ち、ちゃんとあいつに伝えるよ」
わかってもらえなくても、わかってもらえるまで何度でも伝えていくよと言う彼の目が一瞬律樹さんの目と重なって見えた。俺が大事だと言ってくれた、琥珀色のあの瞳だ。強い光を帯び、キラキラと輝く意志の強いそれに胸がとくんと高鳴る。
「……じゃあ、そろそろ行くか」
「……っ」
全く姿形は似ていないはずなのに、どうして俺に向かって手を差し出す壱弦の姿に律樹さんの姿を重ねてしまうんだろう。髪色も目の色も体格だって違うのに――そう戸惑いながら考えていた時、ふと「ああそうか」と思った。目の色は確かに違うかもしれないが、律樹さんが俺を見る目や表情と今の壱弦のそれらが同じなのだと気がついた。
優しく穏やかでありながら、強く光を帯びたような感情の籠った目。俺を想ってくれている時の律樹さんと同じなんだとわかった時、それまでは半信半疑だったが、本当に壱弦の好きな人が俺だったのだとようやく理解出来たような気がする。
俺は差し出された手に手を重ねようとして、止めた。今ここで重ねることは果たして正しいのだろうか。わからない。しかしそんな俺の内心を知らない壱弦は僅かに首を傾げた後、ふっと笑って宙で不自然に止まったままの俺の手を取った。
「ほら、行こう」
俺の手を掴んでいない方の手でテーブルの上のトレーを持ち、俺を引っ張っていく。未だどうしたらいいのかわからずに戸惑ったままの俺はそれについていくしかなかった。
部屋に戻ると、読み終えたらしい桃矢くんが抱えた膝に顔を埋めた状態でいた。時折聞こえてくる鼻を啜る音が、彼が泣いていることを示している。
俺は気まずさを感じながら、まずは壱弦が持っていたトレーを受け取ってテーブルの上に置いた。カチャンッとグラス同士が当たる音が静寂に包まれた室内に虚しく響く。
壱弦が桃矢くんの傍へと歩いていくのを横目で確認しながら、俺は彼らがいる場所の向かい側に腰を下ろした。
壱弦が桃矢くんの名前を呼ぶ。淡々とした声色ではあったが、やはり多少なりとも心配しているようにも聞こえる。桃矢くんはというと、急に名前を呼ばれたことに驚いたようだ。身体がびくっと一度だけ跳ねたのが見えた。
それからしばらく待ってみるも中々頭を上げない桃矢くんに壱弦が溜息を溢した。眉尻を下げた壱弦が俺の方に視線を向け、困ったように小さく苦笑う。
桃矢くんと壱弦は幼馴染だから、彼らにはお互いのことが手に取るようにわかるのかもしれない。膝に顔を埋めている桃矢くんを見下ろしながら、まるで仕方ないなぁとでも言うような顔をした壱弦が口を開いた。
「……そのままでいいから、まずは俺の話を聞いてくれ。その後で弓月とも……話して欲しい」
確かに桃矢くんと話がしたいとは思う。昔の俺がどう思っているかじゃなくて、今の俺が思っていることや感じていることを伝えたいって思っている。
けれど今は壱弦の言う通り、まずは壱弦と桃矢くんが話すべきだと思う。だって桃矢くんはさっき壱弦に告白したんだから。もし……もしだよ?俺が告白した側だったら結果が良いにしろそうじゃないにしろ、返事が決まっているのならすぐに答えて欲しいと思うからさ。
壱弦が桃矢くんのすぐ傍のベッドに腰を下ろした。ぎしっとベッドの軋む音が室内に響く。緊張しているのか、僅かに伏せられた目は不安げに揺れ、表情もさっきよりもずっと固くなっている。壱弦はそのまま瞬きをするようにゆっくりと目を閉じ、そして心を落ち着かせるかのように深く呼吸をした。
「ここで、それもこのタイミングで言うのもどうなんだって話なんだけど……俺は、お前の気持ちには答えられない……ごめん」
さっきダイニングテーブルのところで話はしていたが、実際に相手に向かって答えているのを聞くと胸を裂くような痛みが襲う。桃矢くんの肩が僅かに震えているのが見えるのが余計にそうさせるのだろうか。
「桃矢が弓月にしたことがどんなことなのか、俺は知らない。お前が酷いことって言うんだからそうなんだろうとは思うけど、正直俺はそのことを踏まえなくても桃矢のことを好きになることはないよ。……だって俺にとってお前は、今も昔もただの幼馴染みでしかないから」
「……っ」
「これから先、何があったとしてもお前を好きになることはないし……幼馴染み以上の関係になることも、ない」
横で聞いている俺でさえ胸が苦しくなるのだから、当事者である桃矢くんの痛みや苦しみは計り知れない。かつて仕方のなかったこととはいえ俺を苦しめた人ではあるが、やっぱり俺の中では桃矢くんは少し怖いけれど友達という認識のようだ。
……だからきっと、こんなにも痛いんだろう。
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