声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第五章

百二十七話 タイムリミット

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 結局、俺と桃矢くんの関係はよくわからないままに解散となってしまった。本当はもっと話したかったけれど、残念ながら時間がそれを許さなかった。
 
 俺と壱弦が駅に着いた時、駅のロータリーには既に律樹さんの車があった。時計を見れば、時刻は午後六時ちょうど。俺たちがロータリーに着いたことに気がついたのか、車から降りてきた律樹さんは俺の顔を見て「おかえり」と微笑んだ。それに口角を緩めながらこくりと頷くと、和やかな目元がより一層甘く蕩けたように見えた。
 ついいつもの癖で助手席の扉に手をかけようとして、あれ?と動きを止めた。首を傾げながらちらりと視線だけで車内を覗き込む。すると今まさに開けようとしていた扉の向こうにはすでに先客がいた。

(そういえば帰りは保科さんも一緒なんだっけ……?)

 助手席には律樹さんの同僚である保科さんが座っていた。色々あったから忘れてしまっていたのかもしれないと思いながら自嘲にも似た苦笑いを浮かべ、後部座席の扉の前に移動する。気を取り直して今度は後部座席のドアに手をかけようと手を伸ばした時だった。

「そっちじゃない」

 不意にそんな声とともに腕を掴まれた。突然のことにビクッと全身が跳ね上がる。そっと掴まれた腕から視線を辿っていくと、それは保科さんだった。
 保科さんであったことにほっとするのと同時に、掛けられた言葉に首を傾げる。そっちじゃない、とはどういう意味だろうか。言葉の意味を捉えかねて固まる俺に、保科さんはさも当然とでも言うようについ数秒前まで座っていた助手席を指差した。え、でもそこは保科さんが座るんじゃ……?と困惑していると、彼は僅かに苦笑を浮かべながら今度は車とは反対の方向を指差す。

「俺は今から駅側あっちに用があるんだ。だから坂薙は助手席こっちに座れ」

 保科さんはそう言ってふっと微笑んだ。そして掴んだ俺の腕を優しく引き、開いたままのドアから助手席へと俺を押し込む。あっと言う間もなく、気付けば俺の身体は座席に収まっていた。それに満足したらしい保科さんは「またな」とでも言うように俺の頭をぽんぽんと優しく撫で、ドアを閉めた。

「じゃあ……また」

 開いた窓を覗き込むように、壱弦がそう言って笑う。俺はこくりと頷いた後、互いにひらひらと手を振って別れを告げた。窓が閉じ、ウインカーのカチカチという音と共に車がゆっくりと動き出す。ロータリーを進む車内から見えたのは、遠ざかっていく駅と横並びになった大きさの違う二つの背中。いつの間に仲良くなったのか、二人の背中はとても楽しそうだった。
 
 やがてロータリーを抜けて一般道路に入ったのか音は止み、車は徐々に速度を上げていく。俺は流れていく景色をぼんやりと眺めながらそっと息を吐き出した。

「……どうだった?話は出来た?」

 運転する律樹さんが沈黙を破るようにそう口を開いた。俺は窓の外を眺めていた視線もそのままに「ん」とだけ返事をする。まだまともに話せもしない俺の場合、本当は仕草で表すべきなのだろう。けれどとてもそんな気分にはなれず、辛うじて出来たのは僅かでも出るようになった声で答えることだけだった。
 しかし返事のために出した声は、俺が想像していたよりも遥かに小さくてか細かった。ともすれば静かなはずの車の走行音に掻き消されてしまうような微かな声だった。……にも関わらず不思議なことに律樹さんの耳には届いていたようで、彼は良かったねと俺の頭を撫でながら優しく笑う。

(本当に……よかった、のかな……)
 
 俺は僅かに目を伏せた。律樹さんには何があったのか、本当のことをまだ話していない。きっと俺が謝って仲直り出来たのだと思っていることだろう。俺だって会うまではこんなに複雑になると思っていなかった。
 
 たった数時間のことだったのに、なんだかとても疲れた。行く時には満タンだった体力ゲージが、今はもう底が見えるほどになっている。ふう、と深く息を吐き出せば、律樹さんがくすりと笑った。

「……疲れた?」

 信号が赤になり、車が静かに停止する。律樹さんの穏やかな声に視線を移せば、ちょうどこちらを向いた彼と目があった。数時間ぶりに見る律樹さんはいつも通り穏やかで優しい表情かおだ。なのに、その目や表情を見ていると胸の奥から何かが込み上げてくるようで、じんわりと目頭が熱くなっていく。

「……二年、だもんね」

 僅かに下を向いていた視線を上にあげ、律樹さんの琥珀色の瞳を見上げた。向けられる眼差しがあまりに優しくて、胸がきゅうっと締め付けられたように苦しくなる。
 あたたかな手が再び俺の頭に乗った時、琥珀色の瞳はもう俺を見てはいなかった。けれど信号を見るようにまっすぐ前を見つめるその横顔、そしてまるで壊れものを扱うかの如く優しく繊細に動く手にとくんとくんと鼓動が大きくなっていく。

「緊張した?」
「……」

 ……緊張、した。二年も開いたということもあってとても緊張したし、本音を言えば少し怖かった。
 俺が何も言わずに小さく頷くと、律樹さんはくすくすと笑いながら「そうだよね」と言う。
 
「期間が開くとどうしても、ね」
「……ん」
「でも、会えて……話せて良かったね」
「……っ」

 気付けば俺は泣いていた。
 目頭が熱くなって視界が滲んだと思った時には、もうぽろぽろと涙をこぼしながら静かに号泣していた。

 会えて良かった、話せて良かったとは思うけれど、結局元の関係には戻ることは出来なかった。二年前のことを考えれば当たり前のことなのかもしれない。けれど謝って終わりでは済まないことをしたのだから許さないでほしいと言う桃矢くんに、俺は何も言えなかった。……なにも、答えたくなかった。

 すん、と鼻を啜る音だけが車内に響いている。俺が泣いていることに気づいているだろうに、律樹さんは何も言わずにただただ俺の頭を優しく撫で続けた。
 やがて信号が青に変わり、車が動き出すと同時にあたたかな手が離れていく。ぽろぽろと溢れ続ける涙もそのままに、俺はそっと窓の外へと視線を向けた。
 
 
 
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