声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第五章

百三十一話 初めての里帰り 後編

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 玄関が開き、笑顔の六花さんが姿を現した。未だインターホン前にいる俺たちに向かって手招きをする彼女に、律樹さんは静かに溜息を吐き、そして歩き出した。
 律樹さんが俺を見る。ほら行こうと促すように繋いだままだった手に力が入れられ、俺はこくりと頷いた。前に向き直った律樹さんが足を踏み出すのを見て、俺もおそるおそる一歩を踏み出した。

 外から見た時は大きい家だなぁ、なんて思っていたけれど、それは中に入ってからも同じだった。一見普通そうに見える玄関だが、その広さは一般的だっただろう坂薙の家なんかよりも広く感じるし、心なしか天井も高いような気がする。
 なんだか俺がここにいることが場違いなような気がして、俺は繋いだままの律樹さんの手を強く握りしめた。

「……弓月、先に俺の部屋に行かない?」

 俺がまだ緊張していることに気付いたらしい律樹さんが俺を振り返りながらそう言った。優しげな双眸だ。緊張で僅かに震える俺の手の甲をなぞる様に、彼の指がするりと優しく撫でる。それはまるで俺を落ち着かせようとしているような動きだった。
 俺は行きたいと小さく頷いた。すると靴を脱いだ律樹さんが嬉しそうに微笑みながら、俺の手をくいっと軽く引く。別に急かされたわけでもないのに、俺は慌てて靴を脱いで上り框に足を掛けた。そして後ろを振り返り、僅かにずれた靴を揃えてから立ち上がる。
 その一連の流れを見ていた律樹さんの表情は穏やかで、そして嬉しそうだった。でも俺の方は全部見られていたことがなんとなく恥ずかしくて、そっと顔を俯かせた。

 律樹さんに手を引かれながら、俺は玄関を上がってすぐのところにある木製の階段を登っていった。トントンと二人分の足音と共に二階へと上がっていくと、横長の廊下に面した同じ様な扉が五つ。そのうちの一つの前で足を止めた律樹さんは、ここだよと言いながらドアノブに手をかけ、扉を開けた。

 中に入っていく律樹さんに続いて俺もゆっくりと室内に足を踏み入れていく。この家を出て俺と二人で暮らしている今、この部屋を使う頻度もほとんどないだろう。だが不思議なことにこの部屋の中には律樹さんの香りに満たされている様だった。
 見慣れない、けれど大好きな人の香りで満たされた室内に胸を高鳴る。物珍しさにきょろきょろと室内を見回していると、不意に名前を呼ばれたかと思えば次の瞬間にはぐっと手を引かれていた。

「……っ」

 気づいた時にはベッドに腰掛けた律樹さんの膝の上に座っていた。慌てて立ちあがろうとするも、腰に腕を回されているため降りることは叶わない。律樹さん、そう呼ぼうとした時、彼の額が俺の肩口に当たった。

「はぁ……夢、みたいだ……」
「……?」

 そんな呟きが耳に入った。その声は微かに震えており、俺の身体は動きを止める。それ幸いというように今度は首筋に律樹さんの顔が埋められた。熱い吐息が首筋にかかり、ぴくんっと身体が跳ねる。背筋がぞくぞくとし、俺はきゅっと唇を引き結んで目を瞑った。擽ったいのと恥ずかしいのとで身体が熱を帯びていく。俺はなんだか堪らなくなって、彼の肩を軽く掴んだ。

「ん、ごめん……ちょっと、嬉しくて……」

 この部屋に俺がいることが嬉しいのだと言う。どうして、なんてことは聞かない。だってずっと俺のことを探してくれていたんだって知ってるから。学生時代の律樹さんが何を思いながらこの部屋で過ごしていたのかを想像すると、さっきまでとくんとくんと高鳴っていた胸が、今度はきゅうっと締め付けられる思いがした。

 律樹さんが顔を上げる。身体を引き寄せるようにぐっと腰に回った腕に力が入れられた。さらに密着する身体に心臓が一気に鼓動を早めていく。律樹さんのもう片方の手が俺の頬に添えられ、俺をじっと見つめる琥珀色からは熱い眼差しが降り注いでいた。
 ……抱きしめられて、目を合わせているだけなのになんだかとてもどきどきした。俺は律樹さんの肩に手を添えたあと、僅かに首を傾げながら徐々に距離を縮めていく。軽く触れ合う瞬間、俺はそっと目を閉じた。
 それはただ軽く触れ合うだけの口付けだった。普段自分からはあまりすることはないからか、触れ合った瞬間全身が沸騰するように熱くなる。……恥ずかしい。
 俺は赤くなっているだろう顔を隠すように俯き、震える手に力を込めながら身体を離した。

「…………え……いま……」
「……っ」

 律樹さんの呆然とした呟きに自分が何をしたのかを再確認させられ、さらに恥ずかしくなって慌てて彼の膝の上から降りた。しかし緊張や羞恥で震えている手足がそう簡単に上手く動くわけもなく、床に立った瞬間かくんと足が折れる。

「あ……」

 綺麗に整えられた部屋の床には何もない。だからこのまま何もしなかったとしても床にぺたりと座り込むだけだというのに、俺の小さな声に反応した律樹さんは俺の腕をぐっと引っ張った。だが彼も彼で焦っていたのだろうか、勢いよく引っ張り過ぎたせいで律樹さんごとベッドへとぼすんと音を立てて倒れ込んだ。

「……っ」

 衝撃に備えて咄嗟に閉じた目をおそるおそる開いていくと、目の前には律樹さんの驚いた表情があった。

 大きく鳴り響く心臓の鼓動が身体を微かに揺らす。その鼓動は俺のものなのか律樹さんのものなのか、それとも両方なのか、胸と胸が重なり合っている今はどれが正解なのかわからなかった。

「弓月……俺、」

 律樹さんが熱の籠った視線を俺に注ぎながら、低く甘い声で俺を呼んだ。そのとろけるような琥珀色から目が離せない。そうして律樹さんが再び俺の頬を撫で、何かを言おうと口を開いた時だった。

「――そろそろ食べま……あら?もしかしてお邪魔しちゃったかしら?」
「……姉さん」

 控えめなノックと同時に開いた扉から六花さんがひょっこりと顔を覗かせる。突然の六花さんの登場に、俺の体も律樹さんの体もビクッと大きく跳ね上がったのがわかった。呆然とする俺をよそに、いち早く我に帰った律樹さんが今までに聞いたことのないような低い声で六花さんを呼ぶ。それに危機感を覚えたのか、六花さんが冷や汗を流しながら、ごめんごめんと言いながら扉をガチャンと閉めて部屋を出ていった。
 六花さんが階段を降りていく音を遠くに聞きながら、俺と律樹さんはお互いに顔を見合わせる。そしてどちらからともなくぷはっと吹き出した。

「邪魔も入ったし……そろそろ行こうか」
「ん」

 律樹さんが身体を起こし、俺も同じように起き上がる。俺よりも早く立ち上がった律樹さんが未だ座ったままの俺に手を差し出してくれた。俺はその手に自分の手を重ねながら、律樹さんの顔を見上げては微笑んだのだった。



「ほら弓月もたくさん食べなさい」
「弓月くん、こっちも美味しいわよ!」
「ごめんね、弓月くん。二人とも、弓月くんが来るのをずっと楽しみにしていたから……」

 目の前に広がるのはテーブルに所狭しと並べられたたくさんの色とりどりの食事とそれを囲む楽しそうな笑顔。俺が覚えている限りでこんなにも賑やかな食事はこれが初めてだった。だから嬉しいや楽しいと思うのと同時に、どうしたらいいのか戸惑ってしまう自分がいた。
 次々に小皿へと盛られていく様々なおかずたちを見ながら、どうしようと斜め向かいに座る律樹さんを見る。すると俺の思いが通じたのか、彼は俺に向かって苦い笑みを浮かべた後、テーブルを囲む家族を見回しながら大きく溜息を吐き出した。

「……母さん、姉さん、弓月が困ってるからそれくらいにしてやってくれ」

 その呆れたような声色で発せられた言葉に、二人ははっとした様子で俺を見た。いきなり注目を浴びたことで身体がびくりと反応する。そんな俺の様子に、二人は少し申し訳なさそうな表情で静かに席に着いた。

 それからも時々二人からおかずを勧められることはあったが、その度に律樹さんと律樹さんのお父さんである柊一さんが止めてくれ、俺は初めての瀬名家での食事を楽しむことができたのだった。

 
 
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