声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第六章

百五十一話 応答不可(壱弦視点)

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 瀬名先生に何があったのかはわからない。けれど和泉先生からの連絡通り、何度連絡しても瀬名先生からの反応はなかった。何かあったのかそうでないのか、それがわかるだけでも良いんだけどと言う保科先生の顔には不安の色が浮かんでいる。
 なにか力になれたらとは思うけど、具体的に何をしたらいいのかがわからない。考えている様子の先生を横目に、俺は濃紺の夜空を見上げた。

 ここは俺が住んでいる場所よりもずっと明かりが少ない。周囲に民家はあれど、その灯りや街灯がぽつぽつとあるくらいだ。今いる駅のホームはそれなりに明るいため星は見えづらいが、きっとホームを離れれば満点の星空が眺められたことだろう。

 限りなく黒い濃紺の空に浮かぶ無数の星々。しかも今は冬だから空気も澄んでいてきっと綺麗に見えるはずだ。
 今は見えないそんな空に思いを馳せていると、ふと一人の顔が脳裏に浮かび上がった。

「あ……弓月」

 無意識に口に出した名前に、隣でスマホ片手に悩んでいた保科先生が俺を見た。俺も先生の方へ視線を向ける。僅かに見開かれた瞳と目が合った。

 ――そうだ、なんで今まで気付かなかったんだろう。
 弓月は今、従兄である瀬名先生と一緒に住んでいる。もし先生が無事に帰宅しているのならば状況を聞いたり、連絡がつくかもしれない。何もないのだと分かれば保科先生の不安も拭えるはずだ。

 きっと先生も同じことを考えていたんだろう。不安げだった表情に希望の光が浮かんでいた。

「弓月の連絡先って……」
「……残念ながら知らないな」

 まあそうだろうなと思う。
 保科先生と瀬名先生は友人らしいが、弓月と保科先生は友人の従弟、従兄の友人という関係性でしかない。

「俺、連絡してみます」
「……は」

 先生は俺と弓月に何があったのかを知っている。経緯も結果も、全部。だからなんだろう、俺が弓月に連絡をすると言えば驚いたような気の抜けたような声が彼の口からこぼれ出た。

 実を言えば俺も、自分自身の発言に少なからず驚いていた。だって数時間前に告白し、見事玉砕した相手だ。これが気まずいと思わずにいられるだろうか。

 下手くそな苦笑いを浮かべながら、先生から手元にあるスマホの画面に視線を落とす。黒い画面に軽く指を触れさせると、ロック画面に設定している画像が表示されて明るくなった。
 
 ロックを解除し、弓月の連絡先を表示する。無機質な文字と数字の羅列なはずなのに、『弓月』という文字列を視界に入れるだけで胸が苦しくなったような気がした。それにも構わずに連絡するための操作をしようとした俺の指がふと動きを止めた。見れば動かなくなった俺の手にはごつごつとした冷えた手が添えられている。

「無理しなくていい」

 そう言われて初めて自分の手が震えていることに気がついた。振られたことによるダメージはまだ残っていたらしい。振られてもなお名前を見るだけで愛おしいという気持ちが湧き上がり、胸をぎゅっと締め付けてくる。

 重なった手に力が込めた先生はもう一度同じ言葉を放った。それにやっぱりという気持ちが湧き上がる。
 先生は俺が弓月に振られたことに気付いている。……でもまあ、そうだよなとは思う。冷静になって考えてみれば当然のことだとわかる。だって今日告白するって息巻いていた人間が、その当日に駅のホームで一人項垂れている姿を見れば誰だって成功したとは思わないだろうさ。

 俺はゆっくりと顔を上げ、隣に座る先生の顔を見た。髪が短く整えられ、無精髭と言っても過言ではなかった髭がなくなってすっきりとした綺麗な顔がしかめられている。なんだかその表情かおを見ているだけであんなにも苦しかった胸が楽になるのを感じた。

 無意識に強張っていた顔の力を抜いた。重ねられた手の上に反対側の手をそっと添え、僅かに揺れる先生の瞳を見ながらゆるゆると頭を横に振った。

「……俺は、大丈夫ですから」
「……っ」

 保科先生の口が何か言いたげに開き、閉じた。
 先生が俺を心配してくれていることに少しの嬉しさを感じながら、俺はまた手元に視線を落とした。

「それより、弓月なら瀬名先生のことを何か知っていると思うんです。……先生が家にいたら、の話ですけど」
「……ああ、そうだな」

 本当に手掛かりになるかどうかもわからない。けれど瀬名先生に一切の連絡がつかない今、頼れるのは一緒に住んでいる弓月だけだ。

 先生もそう思っているからか、不安げな表情はそのままに今度は何も言わなかった。もしかしたら言えなかっただけかもしれない。……先生は、優しいから。

 スマホを持ち直し、画面に指を滑らせる。滑らかにとはいかないながらも、さっきのように途中で震えたり止まったりすることはなかった。流れるように操作をした後、耳にスマホを近付ける。無機質な呼び出し音が二度、三度と鳴ったが、やがてぷつりと音が切れた。

「あ……」

 耳から離したスマホの画面を見てみれば、そこに書かれているのは『応答不可』の文字。大分早い時間ではあるがやっぱり二人揃ってもう眠っているのかもしれないなんてほっと息を吐き出した時、手の中でスマホが震え始めた。

「っ……?」

 黒い背景に浮かび上がるのは白い見慣れた文字の羅列。
 まさかすぐに折り返しの連絡が来るとは思わなくて思わず体の動きが止まった。緊張に、喉がごくりと動く。

 画面下部に表示されている応答の文字とマークに触れ、そっと耳に当てた。かさかさと何かが擦れるような音はするが、声のようなものは聞こえない。

「……弓月?あ、っと……急に連絡して、ごめん。……もしかして、寝てた?」

 そう話すと同時に、ざりざりと音がした。
 その音に、弓月がまだ話せないことを思い出す。

「あー……ええと……合ってたら一回、違えば二回、叩いてもらえると助かる、んだけど……」

 その言葉の数秒後、通話口でコツコツと連続して軽い音が鳴った。どうやら寝ていたわけではないらしい。俺の電話が起こしたわけじゃないとわかり、ほっと息を吐く。

「……そっか、よかった」

 そこから少しの間お互いの間に沈黙が降りる。
 まあそれはそうなるよなと思わなくもない。正直な話、気まずい。俺が気まずいんだ。弓月の性格上、俺以上に気まずい思いをしているかもしれない。

 やっぱり電話をかけたのは失敗だったかと苦笑をこぼしながら、電話を掛けるに至った事情を簡単に説明をする。瀬名先生に連絡を取りたいんだという話の後、先生は今家にいるのかと聞いたところ、こつんという音が一度耳に入った。

「え……あ、じゃあ代わってくれると……助かるんだけど……」
『……っ』

 そう願いを口にした瞬間、電話の向こう側で鼻を啜るような音がした。今朝会った時は風邪をひいているようには見えなかったのだが、この数時間で体調が悪くなったのだろうか。
 
 ……いや、違う。ありえない話ではないんだろうけれど、今回に限ってはそうじゃないような気がした。

「弓月……?」

 俺が聞くのもあれなんだが、どうかしたのかという意味を込めながら名前を呼んでみる。しかし返事は返ってこない。肯定や否定を表すこつこつという叩く音さえ聞こえてこない。

 もう一度名前を呼ぼうとした時、不意に電話口から何かが落ちるようなとてつもなく大きな音が聞こえ――切れた。いくら呼びかけたところで、スマホから聞こえてくるのはツーツーという無機質な音のみ。

 背筋に嫌な汗がたらりと流れていく。
 ただ落としただけだ。……そう、ただ落としただけ。そう思いたいのに、無情にも電話の向こうから聞こえてくるのは無機質な応答不可の音だけ。何度電話を掛け直そうが再び弓月が出ることはなく、ツーツーという音が虚しく響くだけだった。

 
 
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