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第8章 乙女ゲームが始まる

旅立ちの時が来る、ソルにちょっと噛まれた?

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「オレにもかまってよ。……かまってくれないと、嚙んじゃうよ?」

先ほどとは打って変わって、耳元で囁く甘えるような優しい声に、なんという魔性だと内心で舌を巻く。首筋にソルの吐息が当たって、あと少しで肌に歯を立てられてしまいそうだと喉が鳴った。

甘える可愛い声を出しているのに、本当に食べられてしまいそうで、獲物にされた俺はぞくっと肌が粟立った。


ソルは恋人になって以来、寮室に一歩入ったその瞬間に、俺を砂糖漬けにでもする気なのかというほど甘く翻弄してくるのだ。

学園内でのスキンシップを程々にして欲しいとお願いした俺に、『じゃあ、寮室だったら遠慮しなくて良いよね?』と言い切った、有無を言わせないソルの笑顔を今でも覚えている。

その無言の圧力に頷いてしまった俺だが、こんなにもソルが恋愛上級者だと思ってもいなかったんだ……。部屋に帰ったときには必ずハグをされて、約束事のように唇を奪われる。寛いでいると後ろから抱き込まれるか、膝の上にお姫様抱っこで乗せられる。


しまいには、年上のはずの俺が頭を『よしよし』とナデナデされるのだ!精神年齢が19歳の俺としては、嬉しいような、恥ずかしいようなで落ち着かない。

俺のほうが、ソルよりお兄ちゃんなはずなのに……!


それに今までは、ソルに戯れに頬や額にキスされても全く緊張していなかったのに、恋人同士になると途端に変に意識して、どうすれば良いか、あたふたしてしまうのだ。

こんなことなら、前世で恋愛テクニックを磨いておけば良かった。練習相手もいなかったけどな……。


「あっ……!」

つらつらと考え事に沈んでいた俺は、突然首筋にチクリっとした痛みを感じて、身体を反射的に仰け反らせた。薄い皮膚越しに、柔らかな感触の余韻が残ってわななく。

自分の口から、あまりにも甘く甲高い声が出たことに驚いて、思わず両手で口を塞いだ。こんな女の子みたいな声、恥ずかしくて堪らないのに。ソルに身体を触られると、どこもかしこも敏感になって甘い悲鳴が漏れ出てくる。


「こらっ……、ソル……!」

「噛んじゃうよって言ったのに……。相手にしてくれないんだもん」

ソルが拗ねたように文句を言いながら、少しひりついた痛みがする首筋に、柔らかな感触を押し当ててくる。何度もチュッと吸い付く軽い音を聞く度に、ぞくっと粟立つ熱が背中から駆け上る。


ソルは俺が初めての恋人だと言っていたけど、本当にそうなのかと疑いたくなるくらい、行動がスマートで……。俺よりも背が低かったはずの美青年は、今や俺を逃げられないように囲いながら、妖艶な色香で惑わせてくる。


「……皆が居なくなって、寂しくなっちゃったの?それなら、今日はオレと一緒に寝ようよ?」

しばらく俺の首筋を堪能して満足したのか、ソルがぎゅっと後ろから抱きしめて俺の顔を覗いた。蜂蜜のように甘い色の瞳が、ほんの少しだけ心配げな色を称える。


「……ソルには、なんでもお見通しか……。去年よりも寮内が静かで、落ち着かなくてな……」

雪の降る寒くて静かな夜は、感傷に浸りやすい。ましてや、人の気配が少なくなってしまった寮内では、なんとも言えない仄暗さと薄ら寒さを感じてしまうものだ。俺が紅茶を飲み干したところを見計らって、そっと俺の手を引いてソルの部屋へと導かれた。

少し戸惑いながらベッドの脇で突っ立っていると、先にベッドに横になったソルにクスっと微笑まれた。


「……おいで、ヒズミ」

布団を捲ってぽんぽんっと自分の左隣を叩くソルに、なんでそんな余裕なんだよっと、心なしかむっとする。でも、ソルが添い寝してくれるという誘惑にはどうしても抗えなくて、素直に俺はソルの隣に寝っ転がった。


「はあ、もう可愛いな……」

俺の額にキスをしながら、ソルが吐息混じりに呟く。そのまま、流れるように唇に触れるだけの口付けをされて、その優しく啄むようなキスに酔いしれた。唇が離れると、愛しそうに蜜色の瞳が俺を見つめて胸に抱き込まれる。

背中を優しくトントンっと叩かれて、まるで子供を寝かしつけるような仕草に、早鐘を打っていた俺の心臓が安心したと素直にトクトクと落ち着いた。


「好きだよ、ヒズミ。……ヒズミが眠れるまで、こうして抱きしめているから」

ゆっくりおやすみ、とソルの優しい声音が上から聞こえた。

ソルのしなやかな指先が、俺の前髪をそっと上へ撫でつけると、壊れ物でも扱うように額に優しく口付けられる。ソルのさり気ない仕草一つをとっても、俺への愛情が溢れていることが本当に堪らなくて。

心ごとソルにぎゅっと抱きしめられているような、陽だまりの温かさと溢れる優しさが、俺の全てを満たして幸せにしてくれる。


「……俺も、ソルが好きだ。すごく好きなんだ……」

愛しさが伝わるように、ソルにくっついて呟いた。こんなにも真綿に包むように、大事にしてくれるソルへ、俺も出来うる限りで精一杯応えたい。


恋愛偏差値の低い俺のペースに、ソルは文句を言う事も無く合わせてくれている。妹であるアヤハの腐教によって、俺も男同士の交わり方とか、そういうのは基礎的な知識として知ってはいるんだがな……。

いかんせん、自分がその対象になると思うと怖じ気づいてしまっていた。


恋愛に意気地なしの俺の心中など、ソルは最初から分かっていたらしく、『ヒズミのことを大切にしたい。……それに、ゆっくりと贈り物を開けているようで、待ち遠しくて凄く愛しいんだ』と語っていたのには、嬉しいと思う反面、我慢させててしまっていると申し訳なくなった。


今だってソルの早い鼓動が聞こえるのに、ソルは俺を抱きしめたまま、何もしてこない。俺から、歩み寄らないとな……。


「ソル……」

俺はソルの胸に顔をうずめたまま、ソルの名前を呼んだ。


「うん?」

ソルが低く甘い声で問い返す。恐る恐る顔をあげて、蜜色の宝石と視線があった途端、その瞳に吸い込まれそうになる。優しげに目を細めた美青年の微笑みが、穏やかなランプに灯されて美しい。


「その……。魔王討伐とか、色々と片付いたらさ……。」


いざ言うとなると、めちゃくちゃ恥ずかしい。

ぎゅっと、ソルが着ているパジャマの胸元に、両手が勝手にしがみついた。もしもソルに言って、気持ち悪がられたり、引かれたりしたらどうしようと、今になって弱気になる。


怖じ気づくな、俺。
俺だって欲しいものがある。言葉にしないと手に入らないとうことも、俺は散々学んだ。


熱の上がる顔を俯かせて隠したいけど、必死に耐えて。心からの懇願を口から紡いだ。


「……俺の心も、身体も、全部ソルにあげるから……。だからソルの全てを、俺にもちょうだい……?」


蜜色の瞳が、これでもかと見開かれる。驚きのあまりの声が出ないのか、ソルが息を飲んだのがありありと分かった。固まったまま動かなくなったソルに、俺は一気不安に駆られて、ソルの胸元にしがみつく手に力が籠もった。


「はぁーー……」

ソルは右手のひらで両目を隠して上を向いたかと思うと、深呼吸したかのように声を出して、大きく溜息を吐いた。不安になって、ビクッと身体が強ばる。


もしかして、気持ち悪がられたかな……。自分から誘う、淫乱なやつだと思われた……??


無言が続くのが気まずくなって、ソルから離れようと胸元から顔を僅かに離した、その時だ。

俺の背中に、ソルの両腕がガバっと回されたかと思うと、きついくらいの強い力で抱きしめられた。俺とソルの身体に、隙間がなくなるほど力が込められる。ソルの逞しい胸で視界が埋め尽くされる中、頭上からは苦しげな唸り声が聞こえた。


「……こんなベッドで2人きりのときに、そんないじらしいことを言うなんて……。ヒズミの小悪魔。オレじゃなかったら、今頃美味しく頂かれてたんだからね?」

ほんの少しだけ、俺を抱きしめる腕の力が緩んだかと思うと、右頬を優しく手で包まれて上向かされた。


「すごく嬉しい、ヒズミ……。本当に、どうしてこんなに愛しいんだ……。もちろん、オレの全てはヒズミのものだよ」

目を閉じたソルが、顔を寄せる。俺も自然と目を閉じて、甘く優しい口づけを享受する。何度も角度を変えて、お互いから欲しがって。甘い魔力という蜜をとろりと味わう。今のソルの魔力は、蜂蜜のようにトロリと甘美だ。

ソルの唇が離れていくのを、俺は名残惜しく感じつつ目を開けた。形の良いソルの唇が、どちらとも付かない蜜に塗れてらりと艶めく。くすぶる熱を帯びた琥珀と相まって、なんて扇情的なんだろうか。


「ヒズミという至極の宝石が手に入るなら、オレはどんな敵でも倒してみせる。……今なら、なんでも倒せそうだ」

煽情的な熱を帯びていた青年が、嬉しさを溢れさせ年相応に破顔する姿は、陽の光のように眩しかった。


頭の上では、いつの間にかソルの部屋に忍び込んだ、小さくて白いもふもふが、規則正しく膨らんだり縮んだりしている。


目の前には愛しい人がいて、小さな家族もいて。
こんなにも、穏やかで幸せな日々がずっと続いてほしい。温かい体温に包まれながら、俺はそんな小さな祈りを捧げながら眠りに付いた。


雪解けが始まって間もない、まだ地面に茶色と白が入り混じっている中で、俺たちは学園を旅立った。


そして、約束の日がやってくる。



   
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