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本編

11.人狼の系図

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  ──あっ、ちょっと待って! あんたに話があるの!

 自分は何を期待していたのだろうな、と思う。
 帰らないで。朝まで一緒にいて……あたりだろうか。
 彼女がそんなことを言ってくれるわけがないのに。

 翌日、フレッドは詰所の資料室で未解決事件のファイルを漁っていた。
 今回の連続殺人事件は、公園で娼婦が切り裂かれたことからはじまったと思われているが、そうではないかもしれない。過去の似たような事件を調べ、タイラー・マーカムにも犯行が可能だったかどうかを確認しようと思った。

「いや……」

 フレッドは呟く。
 そもそもなぜマーカムはこの捜査に加わることになったのだろう。初対面の挨拶のとき、彼は「自分から団長に頼み込んだ」というようなことを言っていた気がする。やっぱり、自分が犯人だから捜査を撹乱するためだろうか……?
 事の次第をパーシヴァルに訊ねてみたほうがいいかもしれない。
 それからこの捜査に加わる前のマーカムが何をしていたのか。それも調べておいたほうがいいだろう。
 資料室で考え込んでいると、なにか嫌な感じがして、首の後ろの毛がぞわっと逆立った。

「ここにいらっしゃいましたか。いやあ~、探しましたよ」

 その後でマーカムの声がし、彼が姿を現す。相変わらず獣の死臭をぷんぷん漂わせている。彼は生きた狼よりも死体に触れることのほうが多いのではないだろうか。死体を調べるのではなく、調べるために死体にする……そういうことをしているように思えた。
 犬や狼に特別な仲間意識を抱いたことはないし、エミリアのフェロモンのことが無かったとしても、マーカムとはとても仲良くできそうにない。
 フレッドは顔をあげ、マーカムを睨みつける。「探しましたよ」なんて白々しいと思った。マーカムが人狼ならば、自分を探すまでもなく匂いでわかるはずだ。
 そしてマーカムが人狼だとしても……匂いや直感で互いが人狼だと認識はできないのだな、とフレッドは思った。人狼と寝た女性が発するフェロモンを介して「あいつは人狼かもしれない」と、見当をつけるしかない。そういうことらしい。

 マーカムは戸口に寄りかかり、腕を組んだ。

「君、エミリアさんとペアを組んでいるんですってね。彼女と寝ているのは君ですか?」
「…………」

 マーカムは自力でここまで辿り着いたようだ。まあ、エミリアと一緒にいる時間が長い相手を調べていけば、すぐにそれはわかってしまうだろう。
 フレッドは答えなかったが、彼はその沈黙を肯定と受け止めたらしく会話を続ける。

「あんなに香るものなんですね……知りませんでしたよ」
「…………」

 フレッドはマーカムの言葉の意味を考える。
 マーカムはフェロモンを発する女性に会ったことがなかったのだろうか? 女性と寝たことがないのだろうか……? だが彼はエミリアに「誰と寝たのか」をしつこく訊ねたという。つまり、人狼と関係した女性がフェロモンを発する……それは知っていたはずなのだ。
 しかし自分だって童貞だったが、フェロモンのことは曽祖父の手記で知っていた。すべての細胞に訴えかけてくるような抗い難い香りだとまでは想像していなかったが。
 できることなら、いますぐエミリアのもとに走って、またあの香りを嗅ぎたい。思い切り吸い込みたい。それくらい中毒性のある香りだ。

「ところで、今日はエミリアさんの姿を見かけませんが……お休みですか?」

 団長あたりに訊ねれば、休暇を取っていると容易にわかることだが、フレッドは自分の口から答えてやることはしなかった。

「エミリアさんの居場所、君なら知っていますよね? どこかに隠してしまったんですか?」
「……諦めてください。彼女は、俺のです」

 そして釘を刺した。
 マーカムが「自分は人狼だ」と名乗ってフレッドの目の前で姿を変えてみせない限り、確証は持てないし、持ってもいけない。だからフレッドも自分のことは何も言わず、ただただ彼女は自分のものだと宣言した。エミリアに異議を唱えられそうな言葉であるが、でも彼女はここにはいない。

「諦めて、ほかをあたってください」

 マーカムは片方の眉を上げた。

「なるほど……ずいぶんとご執心のようですね。でも、安心してください。彼女を君から奪うような真似はしませんので」
「…………」

 あなたの言葉は信用できない。そう言いそうになったが、マーカムとこれ以上同じ空間にいるのも耐え難い。

「彼女は俺のです」

 もう一度宣言して、フレッドは資料室を後にした。
 まずはマーカムが本当に人狼なのかどうか、できる範囲で調べてみようと考えながら。

 *

 日付が変わった後になって、エミリアのところにフレッドが現れた。

「遅くにすみません」

 彼はこんな時間になったことを詫びたが、エミリアは首を振る。今日──もう今日ではないが──は会えないのではないかと思っていたからホッとした。
 だがこれは、フレッドに会いたかったわけではなく……きっと、慣れない場所にずっと一人でいたからだと考えることにした。

「今日って忙しかったの?」
「ええ、まあ」

 彼はそう言いながらエミリアを抱きしめると、いつものように首筋に鼻を埋めた。

「ああ……ずっと嗅ぎたくて仕方がなかった……」
「あ、ちょっと……」

 フレッドはエミリアの香りを嗅ぎながら着ているものを脱がせていく。

「やば……エミリアさん……めちゃくちゃいい匂い……」
「んっ……」

 フレッドは性急にエミリアを求めたが、性急なりにもどこにどう触れたらエミリアが悦ぶのかを、覚えてきているようだ。彼はエミリアをベッドに運ぶと、焦らし、喘がせながら巧みに絶頂まで導いた。

 フレッドが果てたあと、エミリアは複雑な気分に陥った。
 今夜ってヤりに来ただけってこと……? と。
 いや、たしかにフレッドの身体に変化を呼び起こしたのは自分だし、ペアを組む代わりに「鎮める」という約束だが。
 ぼんやりと天井を見上げているエミリアの横でフレッドは身体を起こし、荷物をごそごそとやっている。
 たぶん、服を着たらすぐに帰るのだろうなと思った。なんだかむなしい。

 しかしフレッドは鞄の中から紙を取り出し、それをエミリアの前に広げてみせた。

「これ、うちの系図です」
「……系図?」
「はい」

 件の連続殺人事件は人狼の仕業かもしれない……そう考えたフレッドは実家に手紙を書いていたという。

「父に系図の写しを送ってもらったんですよ。過去にアンブローズ家から枝分かれしていった人たちを、辿れるだけ辿ってみようと思いまして」

 もちろん人狼が現れるのはアンブローズ家だけに限らないのかもしれない。けれども、わかる範囲で調べておきたかったと、彼は言った。
 エミリアは寝巻を羽織り、ランプの灯りを大きくすると系図のいちばん下に目をやった。そこにフレッドの名前がある。そして彼の父親と、母親。フレッドの両親は離縁しているという話だったが、彼らが婚姻関係を結んでいたのは七年間で、フレッドが五歳のころにそれを解消しているようだ。
 何があったのか不思議に思うものの、触れてはいけないことなのかもしれない……そう考えたが、エミリアがずっとその一点を見つめていたから、彼にはわかってしまったのだろう。

「俺の人狼の能力は、五歳のころに発現しました。突然、自分の意志をよそに姿が変わったんです。そして父は、アンブローズ家にときおり人狼が現れることを、母には話していませんでした」
「え。そ、それって……」

 フレッドの姿が獣に変わったから、だから離縁したというのだろうか。
 彼は悲しそうに微笑んだ。

「母は、化け物を生んでしまったと考えたようですね。父はそこでアンブローズ家の秘密を白状したようですが……母は重大な秘密を抱えたまま結婚した父を責めて、出ていったそうです。離縁した後は修道院に入ったと聞いていますが、詳しくは知りません」
「ああ、フレッド……なんて言っていいのか……辛いこと思い出させちゃって、ごめん……」
「いえ、いいんです。俺、父の気持ちもわかるんですよね」

 アンブローズ家の男性は年齢の釣り合う女性がいた場合は、親族間で結婚することもあった。そのほうが事情を理解してもらえ、秘密を守ってもらえるからだ。だがそうではない場合、自分で伴侶を見つけなくてはいけない。
 いつ獣人が生まれるとも知れない家に嫁いでくれる女性はいるのだろうか? 正直に告げて、それで拒絶されてしまったら?

「そんな風に考えたんじゃないでしょうか。それに、人狼は稀にしか誕生しません。父は自分の子が『普通の人間』であることに賭けたのでしょうけれど……でも、違いました。ですからエミリアさんが俺を化け物扱いしないでくれて……ほんとうに有難かったです」
「……あんたを化け物だなんて、思ったことないけど」
「エミリアさん……」

 系図におけるフレッドの隣──妻となる女性の名前が入る場所──はまだ空白だ。ここはこれから、どうなるのだろう。彼はどう考えているのだろう……。
 知りたかったが「エミリアさんが孕むまで閉じ込めて抱きますよ」と言われるのも怖かったし「孕むまで閉じ込められてもいいと言ってくれるほかの女性を探します」と言われるのも怖かった。結局そこには触れられず、エミリアは話を元に戻す。

「それで、系図を辿ってわかったことはあった?」
「ええ」

 フレッドは曽祖父エドワード・アンブローズのところを指さした。

「曽祖父には弟が二人、妹が二人いますよね」
「うん」
「この末の妹……サラ・アンブローズ。彼女の嫁ぎ先も追ってみました」

 基本的にこの系図は男子の血統が記録されていて、嫁いでしまった女性については「××年、〇〇家の誰それと結婚」と記されるのみで、没年すら不明になっていることがほとんどのようだ。
 フレッドは他家に嫁いだ女性を中心に調べることにしたらしい。自分に近いところから調査をはじめたので、サラ・アンブローズには比較的すぐに辿り着いたという。

「サラ・アンブローズはカヴァナー家に嫁いでいますよね」
「うん、うん」
「そこで図書館と市庁舎へ行って、カヴァナー家のことをできる限り調べました」

 フレッドはそこで別の資料を広げる。

「サラ・アンブローズの孫リリアン・カヴァナーは……ほら、マーカム家に嫁いでいます」
「あっ」

 そのリリアンの息子が、タイラー・マーカムである。
 つまりフレッドの曽祖父とマーカムの曾祖母は、兄妹だったのだ。サラ・アンブローズが人狼だったという記録は無いが、彼女を介してカヴァナー家、そしてマーカム家に人狼の血が分かれていったのかもしれないと、フレッドは言う。

「人狼は男子の血統からのみ誕生する……と、これまで思っていたんですけど、間違いだったのかもしれません」

 フレッドは「考えが甘かった」「思い込みは怖い」というようなことをぶつぶつ呟いているが、エミリアとしてはそれどころではない。

「あんた、一日でここまで調べたわけ?」
「はい」
「すごくない!?」
「そうですか?」
「そうよ!!」

 彼が優秀なのは人狼の追跡能力があるせいだとばかり思っていた。しかしやるべきことを素早く把握、そして実行し、成果を出す……というのは、人狼だからではない。フレッドのもともとの能力が高いのだ。
 これでは彼が人狼でなくても敵わないはずだ。
 でも、彼がペアだと思うと頼もしくもある。

「これでマーカム博士が人狼なのはほぼ確定じゃない? 彼のルーツはアンブローズ家なんだもの」
「博士が人狼である可能性は非常に高いと思います。でも気になることもあって……彼、エミリアさんのフェロモンにめちゃくちゃ反応していたじゃないですか」
「うん」
「で、今日、エミリアさんの相手は俺なんじゃないかって博士に問われました。俺は否定も肯定もしませんでしたが、彼はもうわかっているみたいでした」

 つまり「フレッド・アンブローズは人狼かもしれない」と、マーカム側も認識していることになる。
 フレッドは軽く唸りながら続ける。

「エミリアさんが今日出勤していないことについて、俺があなたを隠したんだって、見当もついているようでした。だから博士は俺の後をつけるんじゃないかと思ったんですよね。エミリアさん、あなたの香りを思う存分嗅ぐために。あわよくば、自分のものにしてしまうために」

 だからフレッドはエミリアのもとにマーカムを案内してしまわないよう、ずっと気を付けていたらしい。
 しかしマーカムがフレッドの後をつけるそぶりはなかった。フレッドが詰所を出るころにはマーカムの姿もなく、どこかに隠れている様子も窺えなかったという。

「なので、明日はマーカム博士についてもう少し調べてみようと思います。彼は人狼かもしれませんが……俺と同等の能力があるのかどうかも謎ですし。連続殺人事件のほうは、エミリアさん。あなたが復帰してからじっくり一緒に調べましょう」

 彼はそう言って宿から出て行った。



 次に彼が持ってきた情報は、マーカムの研究所についてだった。
 大学校にはマーカムの研究室があるらしいが、それはほかの研究生たちと共同で使っており、部屋の中には机と本棚くらいしか置いていないという。
 そこで、フレッドはマーカムの自宅について調査した。

「今日は博士の自宅の住所を調べて、その物件を所有している不動産屋まで行って来ました」

 それは住宅街のはずれにある一軒家だった。賃貸だがかなり古い家なので、安く借りられる物件だという。
 フレッドは説明しながら一枚の図面をエミリアに差し出す。

「これが博士の家の間取り図です」

 二階建ての普通の住宅だ。変わったところと言えば……。

「……ん? 地下室があるわね」
「ええ。それに、一人で住むにはじゅうぶんすぎる広さです。彼はここを自宅兼研究所にしているんじゃないでしょうか」
「ここで……捕まえた狼に何か……してるってこと?」

 フレッドによるとマーカムからは獣の死臭が漂っているらしい。ここで狼の骨格標本をつくったり、解剖をしたりしているのかもしれないと、エミリアは思った。
 やっていることは薄気味悪いが、狼の死体を扱っているからといって連続殺人を犯していることにはならない。
 そんなことを呟くと、フレッドは頷いた。

「はい。博士のことと連続殺人のことは別々に追っていきましょう。そのうち、なにかの共通点がみつかるかもしれませんし」
「うん! そうだ。私の匂いってどうなってるの? 明日から仕事に出ても問題無さそう?」

 そう訊ねると、フレッドはエミリアを抱き寄せ、いつものように首筋に顔を近づける。くんくんと鼻を小さく鳴らし、次に耳の後ろに鼻をくっつけてまた嗅いだ。それから腕をあげさせ、衣服越しにだが脇の匂いを嗅ごうとしてくる。ここでさすがに異議を唱えた。

「ちょ、ちょっと……なにしてんのよー!」
「いえ……微かに香ってる気がするんですけど、嗅いでいるうちに……」

 どんどん香りが薄くなっていくので、次の満月までにたくさん嗅いでおきたいと彼は言った。

「ああ、もうほとんど香らない……」

 フレッドはエミリアの着ていたシャツのボタンを外し、今度は鎖骨の下に鼻をくっつける。まるで空っぽになったお皿をいつまでも舐め続けている犬の如く、未練たっぷりの行動だ。
 彼はエミリアの肌に舌を這わせながら、硬くなったものを押し付けてきた。ほとんど香らないらしいのに、欲情はしているようだ。

「エミリアさん……」
「ん、うん……」

 ベッドに押し倒されながら、エミリアは考える。
 人狼とヒトの繁殖は容易ではないらしい。だから人狼に抱かれた女性はフェロモンを発するようになり、情交を盛りあげる──ただし、満月の前後だけ。繁殖を盛りあげる期間が、ひと月の間のたった数日。それが不思議だった。
 四六時中フェロモンを発して交わるようになってしまうと、互いの身体が持たないからだろうか? と、エミリアなりに考えてもいた。それも間違いではないのだろうが、新しい説に思い当たる。
 いまのフレッドがしているみたいに香りを名残惜しんだり、あるいは「今日は満月じゃないけど、ひょっとしたら香っているんじゃないか」と確かめたりする行為は、じゅうぶんに情交の下準備になるのだ。少なくとも人狼にとっては。


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