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第一話
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『エアル王子率いるアルデラ王国軍は、隣国ヴィリジアの軍を撃破、その王都にてヴィリジア王家を滅ぼした』
早馬の報告が、瞬く間にアルデラ王城内で歓喜とともに広まる。
しかし、ロザリアはただ独り、王城であてがわれた四階の部屋の窓から外を見つめる。
アルデラ王都は広大で、栄えている。大国の名に恥じぬ見事な都は、大陸一と言っていいだろう。
対して、ヴィリジア——ロザリアの故郷である——の王都は、どこかもの寂しく、年中北風に悩まされる場所だった。もみの木でできた教会や市場を中心とした家々が並び、王城というよりも砦が王族の住まいだったことを、ロザリアはよく憶えている。
ロザリアは十歳のときにエアル王子の婚約者として、また人質としてアルデラ王国へ送られてきてから、もう五年にもなる。ヴィリジア王家は王女ロザリアを献上することで、アルデラ王国に恭順の意思を示したはずだった。
だが、エアル王子はロザリアをことあるごとに粗略に扱った。
初めてロザリアと王城の広間で会ったとき、若獅子のたてがみのような鮮やかな金髪と、明るい栗色の目をしたエアル王子はこう言い放った。
「何だ、この田舎娘は。これがロザリア姫? もういい、俺の前に出すな!」
そう言うとあっさりと踵を返し、エアル王子は去っていってしまった。辱めを受けたロザリアはうつむいて黙るほかなく、そばにいた大臣や使用人たちさえもどうすべきか困惑していたほどだ。
『我らの戴くエアル王子が、ロザリア姫を嫌っている。誰からも愛される好青年であり、文武の才に恵まれるエアル王子が嫌うなど、よほどのことに違いない』
それはアルデラ王城で共通の認識となり、メイドたちもロザリアとあまり仲良くならないよう、距離を取りはじめた。
その後も、ロザリアは滅多にエアル王子と顔を合わせることはなく、会うとすればせいぜいが新年の挨拶くらいだった。
それも、国王夫妻と大勢の家臣たちが見ている中、新年を祝う謁見の大広間で、エアル王子はロザリアへ嫌味を言うことが通例となっていた。
「まだいたのか。いつまで経っても我が国に馴染まないんだな、お前は。その髪も服も、一体誰が選んだ? 使用人もまともに選べないのか? もういい」
「新年早々、ただ黙ってじっとしていて恥ずかしくないのか? お前は本当に何もしないのだな。もういい」
「去年は一度も、ドレスを仕立てなかったそうだな。我が国が貧しいとでも思っているのか? 我がアルデラ王家に泥を塗るつもりか? それとも、みっともなく反抗しているつもりか? もういい」
「ああ、お前か。今年はもうお前の顔を見ずに済むと思うと、気楽でいい。何だ? 不服か? ふん、もういい」
毎回、エアル王子はロザリアへ一方的に声をかけ、去っていく。そして、ロザリアはそれ以上大広間の空気が悪くならないよう、退出する。毎年のルーティンのように、見せ物のように繰り返される行事だった。
ロザリアはエアル王子に気に入られるよう、努力しなかったわけではない。少しでもアルデラの魅力的とされる女性像に近づくよう懸命に黒髪を茶色に染め、服の色も明るめの赤やピンク、オレンジといった故郷ではまず見ない色彩をドレスに取り入れた。
しかし、それでもエアル王子はまったくと言っていいほど褒めることはなく、ついには一瞥して言及さえしない、という状況が続いたため、次第にロザリアはエアル王子の前に出ることを控えるようになった。
いっそ咎められたほうがまだいいほど無視を繰り返されると、ロザリアも努力の方向を変えようとアルデラの作法を習うようになった。テーブルマナーなどは習得しているが、話術や文章となるとまだ難しく、ロザリアは勉強に打ち込むようになる。
ところが、そうするとエアル王子は周囲に、「またあれは引きこもっているのか」と漏らし、やはり気に入らないようだった。
何をやっても、エアル王子はロザリアのもとへ会いに来ることはない。ロザリアが努力を諦めはじめると、必然人付き合いも減っていった。王侯貴族の集まりに顔を出す機会も減り、衣服や装飾品を新しく買うこともなくなり、人質の名目のとおり、ただ部屋で無為に過ごす日々が続く。
そしてついに、今回の知らせだ。
エアル王子は、旗頭とはいえ弱冠十八歳でアルデラ王国軍を任され、周辺国との戦いを次々と制し、ついにはロザリアの故郷ヴィリジアを滅ぼした。
そこに、ロザリアの意思は微塵も含まれていない。今回の侵略も、ロザリアは一言も伝えられていなかったのだ。
わずかに隙間を開けた部屋の扉の向こう、廊下でメイドや侍従たちが噂話をしている。当然、ロザリアの耳にもその声は届いていた。
「エアル王子殿下は……いや、帰国次第、王太子となられるか。あの方は本当に才気煥発で、我が国をさらなる繁栄へと導いてくださるだろう」
「でも、お妃様はどうなさるのです? まさか、あの陰気なロザリア様は選ばれないでしょう?」
「そうだな、王子とあの方は、現状ただ婚約しているに過ぎない。しかも、ヴィリジア王家がなくなったのならその婚約も無効だろう」
「ならよかった。五年も放ったらかしで、今更結婚なんてありえませんね」
周囲から、同意の声が挙がる。
はあ、とロザリアはため息を吐いた。
ロザリアは、これからの己の運命を理解している。
元々、ヴィリジア王家との縁組に否定的なエアル王子は、今回の侵攻で婚約者ロザリアとの破談を決定的にした。では、アルデラ王国に居場所のないロザリアは、もはや滅亡した国元に戻ることはできず、どこかに嫁がなくては生きていけないが、アルデラ王国内や周辺友好国に亡国の王女を迎えようとする王侯貴族はいないだろう。アルデラ王国からヴィリジアの復活を企むなどと因縁をつけられてはたまらない、それよりエアル王子のご機嫌を取るほうがよっぽど実利に適い、有意義だ。
ロザリアの帰る場所はもうなく、この大国のどこにも居場所はない。
ならば、どうすればいいのか。その答えは、ロザリアの中ではとうに出ている。
早馬の報告が、瞬く間にアルデラ王城内で歓喜とともに広まる。
しかし、ロザリアはただ独り、王城であてがわれた四階の部屋の窓から外を見つめる。
アルデラ王都は広大で、栄えている。大国の名に恥じぬ見事な都は、大陸一と言っていいだろう。
対して、ヴィリジア——ロザリアの故郷である——の王都は、どこかもの寂しく、年中北風に悩まされる場所だった。もみの木でできた教会や市場を中心とした家々が並び、王城というよりも砦が王族の住まいだったことを、ロザリアはよく憶えている。
ロザリアは十歳のときにエアル王子の婚約者として、また人質としてアルデラ王国へ送られてきてから、もう五年にもなる。ヴィリジア王家は王女ロザリアを献上することで、アルデラ王国に恭順の意思を示したはずだった。
だが、エアル王子はロザリアをことあるごとに粗略に扱った。
初めてロザリアと王城の広間で会ったとき、若獅子のたてがみのような鮮やかな金髪と、明るい栗色の目をしたエアル王子はこう言い放った。
「何だ、この田舎娘は。これがロザリア姫? もういい、俺の前に出すな!」
そう言うとあっさりと踵を返し、エアル王子は去っていってしまった。辱めを受けたロザリアはうつむいて黙るほかなく、そばにいた大臣や使用人たちさえもどうすべきか困惑していたほどだ。
『我らの戴くエアル王子が、ロザリア姫を嫌っている。誰からも愛される好青年であり、文武の才に恵まれるエアル王子が嫌うなど、よほどのことに違いない』
それはアルデラ王城で共通の認識となり、メイドたちもロザリアとあまり仲良くならないよう、距離を取りはじめた。
その後も、ロザリアは滅多にエアル王子と顔を合わせることはなく、会うとすればせいぜいが新年の挨拶くらいだった。
それも、国王夫妻と大勢の家臣たちが見ている中、新年を祝う謁見の大広間で、エアル王子はロザリアへ嫌味を言うことが通例となっていた。
「まだいたのか。いつまで経っても我が国に馴染まないんだな、お前は。その髪も服も、一体誰が選んだ? 使用人もまともに選べないのか? もういい」
「新年早々、ただ黙ってじっとしていて恥ずかしくないのか? お前は本当に何もしないのだな。もういい」
「去年は一度も、ドレスを仕立てなかったそうだな。我が国が貧しいとでも思っているのか? 我がアルデラ王家に泥を塗るつもりか? それとも、みっともなく反抗しているつもりか? もういい」
「ああ、お前か。今年はもうお前の顔を見ずに済むと思うと、気楽でいい。何だ? 不服か? ふん、もういい」
毎回、エアル王子はロザリアへ一方的に声をかけ、去っていく。そして、ロザリアはそれ以上大広間の空気が悪くならないよう、退出する。毎年のルーティンのように、見せ物のように繰り返される行事だった。
ロザリアはエアル王子に気に入られるよう、努力しなかったわけではない。少しでもアルデラの魅力的とされる女性像に近づくよう懸命に黒髪を茶色に染め、服の色も明るめの赤やピンク、オレンジといった故郷ではまず見ない色彩をドレスに取り入れた。
しかし、それでもエアル王子はまったくと言っていいほど褒めることはなく、ついには一瞥して言及さえしない、という状況が続いたため、次第にロザリアはエアル王子の前に出ることを控えるようになった。
いっそ咎められたほうがまだいいほど無視を繰り返されると、ロザリアも努力の方向を変えようとアルデラの作法を習うようになった。テーブルマナーなどは習得しているが、話術や文章となるとまだ難しく、ロザリアは勉強に打ち込むようになる。
ところが、そうするとエアル王子は周囲に、「またあれは引きこもっているのか」と漏らし、やはり気に入らないようだった。
何をやっても、エアル王子はロザリアのもとへ会いに来ることはない。ロザリアが努力を諦めはじめると、必然人付き合いも減っていった。王侯貴族の集まりに顔を出す機会も減り、衣服や装飾品を新しく買うこともなくなり、人質の名目のとおり、ただ部屋で無為に過ごす日々が続く。
そしてついに、今回の知らせだ。
エアル王子は、旗頭とはいえ弱冠十八歳でアルデラ王国軍を任され、周辺国との戦いを次々と制し、ついにはロザリアの故郷ヴィリジアを滅ぼした。
そこに、ロザリアの意思は微塵も含まれていない。今回の侵略も、ロザリアは一言も伝えられていなかったのだ。
わずかに隙間を開けた部屋の扉の向こう、廊下でメイドや侍従たちが噂話をしている。当然、ロザリアの耳にもその声は届いていた。
「エアル王子殿下は……いや、帰国次第、王太子となられるか。あの方は本当に才気煥発で、我が国をさらなる繁栄へと導いてくださるだろう」
「でも、お妃様はどうなさるのです? まさか、あの陰気なロザリア様は選ばれないでしょう?」
「そうだな、王子とあの方は、現状ただ婚約しているに過ぎない。しかも、ヴィリジア王家がなくなったのならその婚約も無効だろう」
「ならよかった。五年も放ったらかしで、今更結婚なんてありえませんね」
周囲から、同意の声が挙がる。
はあ、とロザリアはため息を吐いた。
ロザリアは、これからの己の運命を理解している。
元々、ヴィリジア王家との縁組に否定的なエアル王子は、今回の侵攻で婚約者ロザリアとの破談を決定的にした。では、アルデラ王国に居場所のないロザリアは、もはや滅亡した国元に戻ることはできず、どこかに嫁がなくては生きていけないが、アルデラ王国内や周辺友好国に亡国の王女を迎えようとする王侯貴族はいないだろう。アルデラ王国からヴィリジアの復活を企むなどと因縁をつけられてはたまらない、それよりエアル王子のご機嫌を取るほうがよっぽど実利に適い、有意義だ。
ロザリアの帰る場所はもうなく、この大国のどこにも居場所はない。
ならば、どうすればいいのか。その答えは、ロザリアの中ではとうに出ている。
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