8 / 8
最終話
しおりを挟む
初夏の快晴の下、戴冠式の会場であるアルデラ王国王城前広場には大勢の国民が詰めかけ、新たな国王誕生を我先に祝福しようといつになく活気に溢れていた。
一方で、王城の控室からは外の喧騒は遠く、わずかに耳に届くだけだ。
国王しか身に付けられない黄金の王冠、大鷲の羽と獅子の毛皮を備えたマント、真新しい礼服はしわひとつなく、分厚いソファに背をもたせかけた新国王エアル本人の容姿もまたそれらの輝きに勝るとも劣らぬ端正さと美麗さを讃えている。
控室にやってきたリーガン卿も、国王の筆頭騎士らしく金銀の軽鎧と長剣を携え、新国王の戴冠式をより盛り上げるための最上の花を添えている。
「エアル様、どうかなさいましたか。もうじき、戴冠式が始まりますが」
ふいとエアルは顔を背け、リーガン卿へ指図する。
「リーガン、少し一人にしてくれ。時間になったら知らせろ」
「承知いたしました。では」
リーガン卿は異論を唱えず、速やかに控室を出ていった。
控室にはただ一人、エアル以外には誰もいない。
だが、エアルは誰もいない空間へと語りかけた。
「なぜそこにいる、ロザリア。俺を恨んでいるのか? はっ、当然だな。俺は、お前に嫌われることしかしていなかった」
憎々しいとばかりの口調に、一抹の寂しさが混ざっている。
かつての婚約者はもう死んだ。エアルもそんなことは重々承知している。
その上で、そこにいるのだと確信もしていた。
エアルはその気配を感じるたび、誰かに語りかけるようにつぶやく。
「恨め、恨んでいてくれ。そうすればいつまでもお前は俺のそばにいる。お前がそこにいるかぎり、俺は正気でいられるんだ」
エアルは、死んだ婚約者の気配を感じることは、誰にも言っていない。
言ってしまえば狂人のように扱われ、ここまでの経歴も権力も何もかもが水泡に帰す。そうなると、この愛しい気配さえも失われるような気がしてならなかったのだ。
「お前を捨てたヴィリジアも、お前に嫉妬した王城の連中も、恨まなくていい。そいつらから守れなかった俺だけを恨んでいろ。ずっと無様な俺を見ていれば、お前だって気が済むだろう? 頼む、そうであってくれ」
その気配がエアルへと返事をしたことは一度もない。これからも答えは得られないだろう。時折何かを櫛で梳く音がする、そのたび振り返っては肩を落とす。
だが、エアルはそのたび気配を感じられる。
もしかすると、死んだ婚約者は自分のまだそばにいるのかもしれない。
なら、それは、今まで秘めていた願いが叶ったようなものではないか。
恨まれていても、何でもいい。
そこにいてくれ、ロザリア。
エアルはことあるごとに、そうつぶやく。
☆
控室を追い出されたリーガン卿は、廊下の衛兵たちに指示を出し、戴冠式の手順をもう一度確認しようと宰相の補佐役を呼んで話を聞いていた。
その際、宰相の補佐役は軽い気持ちだったのだろう、こんな話題を口にした。
「リーガン卿、殿下……いや、陛下はまだ配偶者を選ばぬおつもりですか? 周辺国からいくらでも申し出があるでしょうに」
リーガン卿は宰相の補佐役を睨みつける。
「それは、モノのように娘を差し出す親の行いを肯定する、ということですか?」
「そんな、人聞きの悪い。数十年後、いずれ陛下の後継者が必要となるなら、お相手がいなくてはならぬだけで」
宰相の補佐役は笑って誤魔化そうとしたが、リーガン卿は冷たくあしらう。
「ご心配なく。エアル様は必ず、正しい選択をなさることでしょう。我々の浅慮は、それこそ必要ないかと」
宰相の補佐役へ短く礼を言って、リーガン卿はその場をあとにした。
エアルの変調を、リーガン卿は察している。独り言のようだが、エアルが一人きりでいるときだけ何かが見えるのか、感じるのか、それは定かではないものの、何者かへ語りかけているのだ。
しかし、リーガン卿は見て見ぬふりをするしかない。その原因はおおよそ分かっていても、どうにもならないからだ。
エアルはアルデラ王国の国王となり、人々に望まれるように繁栄をもたらし、様々な改革を行うだろう。それさえつつがなく行われるならば、リーガン卿が何かを言う筋合いにはない。
それは、エアルとロザリアが結ばれなかったのは自分のせいでもある、と心に深く後悔の棘が刺さっているからでもあった。
リーガン卿とて、できることなら望まれる未来にロザリアがいてほしかったが、それはもう叶わない。
(エアル様は必ずや偉業を成し遂げるでしょう。その影に、ロザリア様がいたことは……誰も、記憶しなかったとしても)
リーガン卿が歩み、その背に繋がっていた蜘蛛の糸のような極細の因果の糸が、ぷつりと切れた。
やがて、アルデラ王国は空前の隆盛を誇り、名実ともに大国の座を確実なものとしていく。
しかし、四十を前にして国王エアルは病に倒れた。酒色に溺れたとも、過労だとも言われているが、原因は定かではない。
遺言によりエアルの遺体はどこかへと運ばれ、秘密裏に葬られたという。
ある翼蛇は二つの魂を前に、こう慰めた。
「魂が澱み、濁りつづけたとしても、そこには愛があるのさ。それでいいじゃないか」
(了)
一方で、王城の控室からは外の喧騒は遠く、わずかに耳に届くだけだ。
国王しか身に付けられない黄金の王冠、大鷲の羽と獅子の毛皮を備えたマント、真新しい礼服はしわひとつなく、分厚いソファに背をもたせかけた新国王エアル本人の容姿もまたそれらの輝きに勝るとも劣らぬ端正さと美麗さを讃えている。
控室にやってきたリーガン卿も、国王の筆頭騎士らしく金銀の軽鎧と長剣を携え、新国王の戴冠式をより盛り上げるための最上の花を添えている。
「エアル様、どうかなさいましたか。もうじき、戴冠式が始まりますが」
ふいとエアルは顔を背け、リーガン卿へ指図する。
「リーガン、少し一人にしてくれ。時間になったら知らせろ」
「承知いたしました。では」
リーガン卿は異論を唱えず、速やかに控室を出ていった。
控室にはただ一人、エアル以外には誰もいない。
だが、エアルは誰もいない空間へと語りかけた。
「なぜそこにいる、ロザリア。俺を恨んでいるのか? はっ、当然だな。俺は、お前に嫌われることしかしていなかった」
憎々しいとばかりの口調に、一抹の寂しさが混ざっている。
かつての婚約者はもう死んだ。エアルもそんなことは重々承知している。
その上で、そこにいるのだと確信もしていた。
エアルはその気配を感じるたび、誰かに語りかけるようにつぶやく。
「恨め、恨んでいてくれ。そうすればいつまでもお前は俺のそばにいる。お前がそこにいるかぎり、俺は正気でいられるんだ」
エアルは、死んだ婚約者の気配を感じることは、誰にも言っていない。
言ってしまえば狂人のように扱われ、ここまでの経歴も権力も何もかもが水泡に帰す。そうなると、この愛しい気配さえも失われるような気がしてならなかったのだ。
「お前を捨てたヴィリジアも、お前に嫉妬した王城の連中も、恨まなくていい。そいつらから守れなかった俺だけを恨んでいろ。ずっと無様な俺を見ていれば、お前だって気が済むだろう? 頼む、そうであってくれ」
その気配がエアルへと返事をしたことは一度もない。これからも答えは得られないだろう。時折何かを櫛で梳く音がする、そのたび振り返っては肩を落とす。
だが、エアルはそのたび気配を感じられる。
もしかすると、死んだ婚約者は自分のまだそばにいるのかもしれない。
なら、それは、今まで秘めていた願いが叶ったようなものではないか。
恨まれていても、何でもいい。
そこにいてくれ、ロザリア。
エアルはことあるごとに、そうつぶやく。
☆
控室を追い出されたリーガン卿は、廊下の衛兵たちに指示を出し、戴冠式の手順をもう一度確認しようと宰相の補佐役を呼んで話を聞いていた。
その際、宰相の補佐役は軽い気持ちだったのだろう、こんな話題を口にした。
「リーガン卿、殿下……いや、陛下はまだ配偶者を選ばぬおつもりですか? 周辺国からいくらでも申し出があるでしょうに」
リーガン卿は宰相の補佐役を睨みつける。
「それは、モノのように娘を差し出す親の行いを肯定する、ということですか?」
「そんな、人聞きの悪い。数十年後、いずれ陛下の後継者が必要となるなら、お相手がいなくてはならぬだけで」
宰相の補佐役は笑って誤魔化そうとしたが、リーガン卿は冷たくあしらう。
「ご心配なく。エアル様は必ず、正しい選択をなさることでしょう。我々の浅慮は、それこそ必要ないかと」
宰相の補佐役へ短く礼を言って、リーガン卿はその場をあとにした。
エアルの変調を、リーガン卿は察している。独り言のようだが、エアルが一人きりでいるときだけ何かが見えるのか、感じるのか、それは定かではないものの、何者かへ語りかけているのだ。
しかし、リーガン卿は見て見ぬふりをするしかない。その原因はおおよそ分かっていても、どうにもならないからだ。
エアルはアルデラ王国の国王となり、人々に望まれるように繁栄をもたらし、様々な改革を行うだろう。それさえつつがなく行われるならば、リーガン卿が何かを言う筋合いにはない。
それは、エアルとロザリアが結ばれなかったのは自分のせいでもある、と心に深く後悔の棘が刺さっているからでもあった。
リーガン卿とて、できることなら望まれる未来にロザリアがいてほしかったが、それはもう叶わない。
(エアル様は必ずや偉業を成し遂げるでしょう。その影に、ロザリア様がいたことは……誰も、記憶しなかったとしても)
リーガン卿が歩み、その背に繋がっていた蜘蛛の糸のような極細の因果の糸が、ぷつりと切れた。
やがて、アルデラ王国は空前の隆盛を誇り、名実ともに大国の座を確実なものとしていく。
しかし、四十を前にして国王エアルは病に倒れた。酒色に溺れたとも、過労だとも言われているが、原因は定かではない。
遺言によりエアルの遺体はどこかへと運ばれ、秘密裏に葬られたという。
ある翼蛇は二つの魂を前に、こう慰めた。
「魂が澱み、濁りつづけたとしても、そこには愛があるのさ。それでいいじゃないか」
(了)
716
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
元婚約者のあなたへ どうか幸せに
石里 唯
恋愛
公爵令嬢ローラは王太子ケネスの婚約者だったが、家が困窮したことから、婚約破棄をされることになる。破棄だけでなく、相愛と信じていたケネスの冷酷な態度に傷つき、最後の挨拶もできず別れる。失意を抱いたローラは、国を出て隣国の大学の奨学生となることを決意する。
隣国は3年前、疫病が広がり大打撃を受け、国全体が復興への熱意に満ち、ローラもその熱意に染まり勉学に勤しむ日々を送っていたところ、ある日、一人の「学生」がローラに声をかけてきて―――。
不器量令嬢は、婚約破棄の断罪が面倒くさい
あんど もあ
ファンタジー
不器量なマルグリットは、婚約者の美しい第一王子からずっと容姿を貶められる日々。とうとう王立学園の卒業パーティーで王子に婚約破棄を宣言され、「王子から解放される! それいいかも!」となったが、続く断罪が面倒くさくて他の人に丸投げする事にする。
このわたくしが、婚約者になるはずでしょう!?
碧井 汐桜香
恋愛
先々代の王女が降嫁したほどの筆頭公爵家に産まれた、ルティアヌール公爵家の唯一の姫、メリアッセンヌ。
産まれた時から当然に王子と結婚すると本人も思っていたし、周囲も期待していた。
それは、身内のみと言っても、王宮で行われる王妃主催のお茶会で、本人が公言しても不敬とされないほどの。
そのためにメリアッセンヌ自身も大変努力し、勉学に励み、健康と美容のために毎日屋敷の敷地内をランニングし、外国語も複数扱えるようになった。
ただし、実際の内定発表は王子が成年を迎えた時に行うのが慣習だった。
第一王子を“ルーおにいさま”と慕う彼女に、第一王子は婚約内定発表の数日前、呼び出しをかける。
別の女性を隣に立たせ、「君とは結婚できない」と告げる王子の真意とは?
7話完結です
眠り姫は十年後、元婚約者の隣に別の令嬢を見つけました
鍛高譚
恋愛
幼い頃、事故に遭い10年間も眠り続けていた伯爵令嬢アーシア。目を覚ますと、そこは見知らぬ大人の世界。成長した自分の身体に戸惑い、周囲の変化に困惑する日々が始まる。
そんな彼女を支えるのは、10年前に婚約していた幼馴染のレオン。しかし、目覚めたアーシアに突きつけられたのは、彼がすでに新しい婚約者・リリアナと共に未来を築こうとしている現実だった――。
「本当に彼なの?」
目の前のレオンは、あの頃の優しい少年ではなく、立派な青年へと成長していた。
彼の隣には、才色兼備で知的な令嬢リリアナが寄り添い、二人の関係は既に「当然のもの」となっている。
アーシアは過去の婚約に縋るべきではないと分かりつつも、彼の姿を目にするたびに心がざわめく。
一方でレオンもまた、アーシアへの想いを完全に断ち切れてはいなかった。
幼い頃の約束と、10年間支え続けてくれたリリアナへの誠意――揺れ動く気持ちの狭間で、彼はどんな未来を選ぶのか。
「私の婚約者は、もう私のものではないの?」
「それでも私は……まだ、あなたを――」
10年間の空白が引き裂いた二人の関係。
心は10歳のまま、だけど身体は大人になったアーシアが、新たな愛を見つけるまでの物語。
運命の婚約者との再会は、果たして幸福をもたらすのか――?
涙と葛藤の三角関係ラブストーリー、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
うーん?賛否が別れそうなお話でしたね。主人公は王子を好きだったのか、王子は何を目指して主人公を助けようとしたのか、このあたりの描写がうっすらとしかないので、なかなかに悩ましい。王子の死ぬ間際主人公はどう思ったんでしょうね?そんな、考えさせられるいい作品でした。ありがとうございます。