死んで初めて分かったこと

ルーシャオ

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第七話

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 喧嘩腰のエアル王子へ、リーガン卿は努めて諭そうと必死だった。

「殿下がロザリア様を愛するがゆえに遠ざけたことが間違いであったとしても、他に手はありませんでした。私から見てもロザリア様をここまで——暗殺を阻止しながら、政治的利用を断じて避けながら、あの日まで無事生存させることは難しかったと思うのです。あなたは失敗したとはいえ、ロザリア様を守ろうとした意思と感情は確かに存在した。それは、事実です」
「だからと言って——!」

 エアル王子とリーガン卿の言い争いから少し離れた場所で、サリーは納得したように頷いていた。

「ふむふむ。『死者の帳尻合わせ』だね」
「それは、一体?」
「本来、生者の寿命は生まれたそのときにある程度決まっている。偶然の出来事も含め、多少は伸び縮みするけど、大して変わるわけじゃないのさ。でも、他の生者が——多くの生者や強大な願いのもとに、ある生者がもっと長く生きることを望むなら、例外的に年単位で寿命が増えることもある。逆も然りだけどね」

 まだロザリアにはピンと来ない。初めて聞くことばかりで、いささか理解が追いついていなかった。

「しかし、それでも決定的な死は避けられず、運命が劇的に変わるわけじゃない。いつかどこかで帳尻を合わせなければならなくなる。さらには、無理を願ったのなら願った生者はその対価を払わなくてはならない」

 死、という単語に、今この場で一番親しんでいるのはロザリア自身だ。

 ロザリアの死は、エアル王子をここまで追い詰め、取り乱させた。リーガン卿曰く、エアル王子とともにロザリアを守ろうとした結果失敗に終わったらしいが、そんなことはロザリアもまったく知らなかった。知らされなかった。

 本来ならロザリアは、もっと早く死んでいたのかもしれない。

(——だから?)

 暗殺や政治的利用でロザリアの命が絶たれる運命は、エアル王子によって避けられたのかもしれない。

(——だとしても)

 未練の感情は王城教会の床中にばら撒かれ、それらはエアル王子に端を発するものばかりだ。偽りない本心だとすれば、だが。

 しかし、それよりも、『死者の帳尻合わせ』としてロザリアをさせた『対価』の話だ。

 無意識のうちに、ロザリアは声を震わせていた。

「……まさか。エアル王子は何を差し出すのですか? サリー、あの方から何を奪うと言うのです?」
「落ち着いて、ロザリア。何も、寿命の対価に寿命をもらう、なんてことはしないよ。冥府にだって情はある、もっともそれは運命を滞りなく巡らせるための方便だけどね」

 まんまるの赤い蛇は、そのつぶらな瞳をまだ大声で怒鳴りあっているエアル王子へと向けた。

「彼は一生、君を失ったことを後悔して生きていくのさ。彼の高潔なる魂の最大の汚濁となって、死ぬまで苦しみとともに抱えつづける。君を想わなければそんなことはしなくて済んだだろうけど——。それは履き違えちゃいけないよ、ロザリア」

 さらりと、サリーは言ってのける。ロザリアの心中を慮ってのことか、それとも職責を果たしただけなのかは分からない。

 ロザリアの死を後悔するのは、エアル王子だけではない。ロザリア自身も、リーガン卿もそうだ。どうして生きているうちに話してくれなかったといくらわめいても後の祭りで、彼らがロザリアを生かすために最善を尽くした結果だと分かっていても納得がいかない。

 ロザリアの故郷ヴィリジアが、アルデラ王国に反抗的だったことは事実だ。他の周辺国が服従を選択する中、関係改善のためにロザリアをエアル王子のもとへ嫁がせただけで、結局両国は戦争になってしまった。

 ならば、アルデラ王国側でももっと早くロザリアとの婚約を破棄して、送り返すなり見せしめの処刑をするなりといった手段を取るよう意見が出たはずだ。それらをエアル王子は退け、ヴィリジアという懸案自体を消し去るしかない状況でそれを達成し——大事なことをロザリアへ何も言わなかった。どこに耳があるか分からないから、真意を言えなかったのだ。

 そうして残ったのが棺の上のウェディングドレスだけだとすれば、運命とはあんまりではないか。

「君は彼を恨むかと思ったけど」
「……恨む? それこそ筋違いです。私は彼の重荷でしかなかったのに、死んでもなお互いに自由になれないのですから、私はその運命をこそ恨みます」

 最初から、ロザリアはエアル王子を恨んだりしていない。エアル王子に憐れみを抱くことはあっても、罵倒されて悲しくなったとしても、エアル王子も決して自由ではないと知っていたからだ。

 あれほどの才能を持つ青年であっても自由に動くことはできず、好きなように物事を決めることはできない。その苛立ちはいかほどか。それに、次第にロザリアは何もかもを諦め、激しい感情を抱くことは一切なくなっていったから、余計にエアル王子へ負の感情を持つことはなかった。

 気の毒に。それが、ロザリアの持つ、エアル王子への嘘偽りない本心だ。

 とはいえ、ロザリアもいつまでもこうしてはいられない。

「ねえ、サリー。エアル王子の未練は、一生晴れないくらい深く大きなもの、なのかしら。だとしても、その未練が晴れないかぎり私はあの世に行けないのでしょう? どうすれば」
「うん、どうすれば、という言葉の意味を、正確に捉えなくちゃね。君は冥府へ行きたい、彼は君を離したくない。これは正しい?」
「ええ、もちろん」
「だけど、彼は君に大きすぎるほどの未練を抱いている。そのせいで君は冥府へ向かえず、その未練をすっかり晴らさせないといけない。愛する君をあらゆるものから守れなかったという未練が、どうすれば晴れるだろうか……こういう理解でいいね?」

 サリーの指摘と総括に、ロザリアは頷く。

 ただ、一点だけ、まだ信じがたいことも含まれていた。

「実感が湧かないのです。彼は本当に、私のことを愛していたのでしょうか。目の前で私の死を嘆いていても、まったく信じられないのです」
「嘘じゃないか、あるいは、感傷に浸っているだけじゃないか、そんなふうに?」
「……はい」

 ロザリアは可哀想な気もするが、エアル王子のすべてを信じることはできない。今までの仕打ちもあるし、一度でも優しくしてくれたなら話は違っていただろうが——。

 ならば、とサリーは虚空から一本の金の裁ち鋏を取り出した。蛇の口にくわえたその切先は、ロザリアの棺からエアル王子へ繋がる糸へと向けられている。

「もしこの因果の糸を僕が断てば、君を縛る未練はなくなり、君は冥府へ行くことができる。その代わり、未練を残しすぎているエアル王子はその精神的反動に耐えられず廃人になるだろうね」

 ロザリアは、サリーの残酷な宣言にショックを受ける。

 素直に頷けるようなことではない。晴らす恨みもなければ、そこまでする気概もないロザリアにとって、論外の選択だ。

 ところが、サリーはロザリアの反応を意外そうに見ていた。

「それは嫌なのかい?」
「と……当然です。私のせいで、エアル王子が廃人になるなんて許されません。私よりもずっと人々に愛されて、必要とされている人なのですから」
「だからさ、その考えはおかしくないかい? 役に立つ人は残さないといけないの? 役に立たない人は死んでもいいの?」

 一瞬、ロザリアの口から反論が出そうになったが、何とか飲み込んだ。

 サリーへ、はいと答えても、いいえと答えても、ロザリアには納得できない。

 エアル王子は生きるべきだ、そのほうが世の中のためだ。

 ロザリアは死ぬべきだ。もう死んでしまっているし、自ら選んだことだ。

 それらの考えは、間違っていることなのだろうか。

 間違っているとは言い切れなくても、ロザリアは死にたかったわけではなく解放されたかっただけだ。エアル王子は未練と後悔で生きる気力を無くしたとしても、生きて力を尽くす義務がある。

(……私たちは、生きても死んでも縛られたままなのね。ならば、いっそ)

 サリーの弁舌が、心の中から本当の感情を探そうとしているロザリアの背中を押す。

「君は、君という一個の人間であり、尊い命を持ち、懸命に生きたんだ。それは価値がないの? 役に立たなかったから、誰かの重荷になったから、君は死ぬべきだったの? 違うだろう、それはさ。君はどうして欲しかった? 今更と思うだろうけれど、言ってみなよ。後悔はしちゃいけないと、分かっただろう?」

 ぐっと押し込めてきていた感情を、心の奥底から探し出すのは容易ではない。

 ロザリアがそれを口にできたころには、エアル王子とリーガン卿の言い争いも沈静化して、王城教会が元どおりの静寂を取り戻していた。

 無音のその一幕に、ロザリアは高らかに本心を口にする。

「……愛してほしかった。でも、もう遅いの」

 愛してほしい、もう遅い、それらは事実だ。どうしようもない。

 だが、サリーはそれで終わらせなかった。

「だったらどうする? 言ってごらん。ロザリア、君はどうしたい? このまま冥府へ向かうか、エアル王子の未練を最後まで取り除くか、それとも——」

 ロザリアは、首を横に振った。

 何を選んでも、最悪からは逃れられない。いや、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、ロザリアがどうしたいかだ。

 今までこのアルデラ王国で一度たりとも言い出せなかったことを、ロザリアはようやく言葉にした。

「あの方に、寄り添っていたいの」

 ロザリアは静かに、つぶやく。

 サリーは金の裁ち鋏を消して、糸紡ぎ櫛コームを出す。それをロザリアに渡して、こう言った。

「分かった。じゃあ、僕は一旦帰るね。またね、ロザリア」

 冥府からの使者サリーは、最初からいなかったかのように消え失せた。

 残された因果の糸は、まだ淡く光っている。

 ロザリアは糸紡ぎ櫛コームを手に、ふっと笑った。
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