死んで初めて分かったこと

ルーシャオ

文字の大きさ
7 / 8

第七話

しおりを挟む
 喧嘩腰のエアル王子へ、リーガン卿は努めて諭そうと必死だった。

「殿下がロザリア様を愛するがゆえに遠ざけたことが間違いであったとしても、他に手はありませんでした。私から見てもロザリア様をここまで——暗殺を阻止しながら、政治的利用を断じて避けながら、あの日まで無事生存させることは難しかったと思うのです。あなたは失敗したとはいえ、ロザリア様を守ろうとした意思と感情は確かに存在した。それは、事実です」
「だからと言って——!」

 エアル王子とリーガン卿の言い争いから少し離れた場所で、サリーは納得したように頷いていた。

「ふむふむ。『死者の帳尻合わせ』だね」
「それは、一体?」
「本来、生者の寿命は生まれたそのときにある程度決まっている。偶然の出来事も含め、多少は伸び縮みするけど、大して変わるわけじゃないのさ。でも、他の生者が——多くの生者や強大な願いのもとに、ある生者がもっと長く生きることを望むなら、例外的に年単位で寿命が増えることもある。逆も然りだけどね」

 まだロザリアにはピンと来ない。初めて聞くことばかりで、いささか理解が追いついていなかった。

「しかし、それでも決定的な死は避けられず、運命が劇的に変わるわけじゃない。いつかどこかで帳尻を合わせなければならなくなる。さらには、無理を願ったのなら願った生者はその対価を払わなくてはならない」

 死、という単語に、今この場で一番親しんでいるのはロザリア自身だ。

 ロザリアの死は、エアル王子をここまで追い詰め、取り乱させた。リーガン卿曰く、エアル王子とともにロザリアを守ろうとした結果失敗に終わったらしいが、そんなことはロザリアもまったく知らなかった。知らされなかった。

 本来ならロザリアは、もっと早く死んでいたのかもしれない。

(——だから?)

 暗殺や政治的利用でロザリアの命が絶たれる運命は、エアル王子によって避けられたのかもしれない。

(——だとしても)

 未練の感情は王城教会の床中にばら撒かれ、それらはエアル王子に端を発するものばかりだ。偽りない本心だとすれば、だが。

 しかし、それよりも、『死者の帳尻合わせ』としてロザリアをさせた『対価』の話だ。

 無意識のうちに、ロザリアは声を震わせていた。

「……まさか。エアル王子は何を差し出すのですか? サリー、あの方から何を奪うと言うのです?」
「落ち着いて、ロザリア。何も、寿命の対価に寿命をもらう、なんてことはしないよ。冥府にだって情はある、もっともそれは運命を滞りなく巡らせるための方便だけどね」

 まんまるの赤い蛇は、そのつぶらな瞳をまだ大声で怒鳴りあっているエアル王子へと向けた。

「彼は一生、君を失ったことを後悔して生きていくのさ。彼の高潔なる魂の最大の汚濁となって、死ぬまで苦しみとともに抱えつづける。君を想わなければそんなことはしなくて済んだだろうけど——。それは履き違えちゃいけないよ、ロザリア」

 さらりと、サリーは言ってのける。ロザリアの心中を慮ってのことか、それとも職責を果たしただけなのかは分からない。

 ロザリアの死を後悔するのは、エアル王子だけではない。ロザリア自身も、リーガン卿もそうだ。どうして生きているうちに話してくれなかったといくらわめいても後の祭りで、彼らがロザリアを生かすために最善を尽くした結果だと分かっていても納得がいかない。

 ロザリアの故郷ヴィリジアが、アルデラ王国に反抗的だったことは事実だ。他の周辺国が服従を選択する中、関係改善のためにロザリアをエアル王子のもとへ嫁がせただけで、結局両国は戦争になってしまった。

 ならば、アルデラ王国側でももっと早くロザリアとの婚約を破棄して、送り返すなり見せしめの処刑をするなりといった手段を取るよう意見が出たはずだ。それらをエアル王子は退け、ヴィリジアという懸案自体を消し去るしかない状況でそれを達成し——大事なことをロザリアへ何も言わなかった。どこに耳があるか分からないから、真意を言えなかったのだ。

 そうして残ったのが棺の上のウェディングドレスだけだとすれば、運命とはあんまりではないか。

「君は彼を恨むかと思ったけど」
「……恨む? それこそ筋違いです。私は彼の重荷でしかなかったのに、死んでもなお互いに自由になれないのですから、私はその運命をこそ恨みます」

 最初から、ロザリアはエアル王子を恨んだりしていない。エアル王子に憐れみを抱くことはあっても、罵倒されて悲しくなったとしても、エアル王子も決して自由ではないと知っていたからだ。

 あれほどの才能を持つ青年であっても自由に動くことはできず、好きなように物事を決めることはできない。その苛立ちはいかほどか。それに、次第にロザリアは何もかもを諦め、激しい感情を抱くことは一切なくなっていったから、余計にエアル王子へ負の感情を持つことはなかった。

 気の毒に。それが、ロザリアの持つ、エアル王子への嘘偽りない本心だ。

 とはいえ、ロザリアもいつまでもこうしてはいられない。

「ねえ、サリー。エアル王子の未練は、一生晴れないくらい深く大きなもの、なのかしら。だとしても、その未練が晴れないかぎり私はあの世に行けないのでしょう? どうすれば」
「うん、どうすれば、という言葉の意味を、正確に捉えなくちゃね。君は冥府へ行きたい、彼は君を離したくない。これは正しい?」
「ええ、もちろん」
「だけど、彼は君に大きすぎるほどの未練を抱いている。そのせいで君は冥府へ向かえず、その未練をすっかり晴らさせないといけない。愛する君をあらゆるものから守れなかったという未練が、どうすれば晴れるだろうか……こういう理解でいいね?」

 サリーの指摘と総括に、ロザリアは頷く。

 ただ、一点だけ、まだ信じがたいことも含まれていた。

「実感が湧かないのです。彼は本当に、私のことを愛していたのでしょうか。目の前で私の死を嘆いていても、まったく信じられないのです」
「嘘じゃないか、あるいは、感傷に浸っているだけじゃないか、そんなふうに?」
「……はい」

 ロザリアは可哀想な気もするが、エアル王子のすべてを信じることはできない。今までの仕打ちもあるし、一度でも優しくしてくれたなら話は違っていただろうが——。

 ならば、とサリーは虚空から一本の金の裁ち鋏を取り出した。蛇の口にくわえたその切先は、ロザリアの棺からエアル王子へ繋がる糸へと向けられている。

「もしこの因果の糸を僕が断てば、君を縛る未練はなくなり、君は冥府へ行くことができる。その代わり、未練を残しすぎているエアル王子はその精神的反動に耐えられず廃人になるだろうね」

 ロザリアは、サリーの残酷な宣言にショックを受ける。

 素直に頷けるようなことではない。晴らす恨みもなければ、そこまでする気概もないロザリアにとって、論外の選択だ。

 ところが、サリーはロザリアの反応を意外そうに見ていた。

「それは嫌なのかい?」
「と……当然です。私のせいで、エアル王子が廃人になるなんて許されません。私よりもずっと人々に愛されて、必要とされている人なのですから」
「だからさ、その考えはおかしくないかい? 役に立つ人は残さないといけないの? 役に立たない人は死んでもいいの?」

 一瞬、ロザリアの口から反論が出そうになったが、何とか飲み込んだ。

 サリーへ、はいと答えても、いいえと答えても、ロザリアには納得できない。

 エアル王子は生きるべきだ、そのほうが世の中のためだ。

 ロザリアは死ぬべきだ。もう死んでしまっているし、自ら選んだことだ。

 それらの考えは、間違っていることなのだろうか。

 間違っているとは言い切れなくても、ロザリアは死にたかったわけではなく解放されたかっただけだ。エアル王子は未練と後悔で生きる気力を無くしたとしても、生きて力を尽くす義務がある。

(……私たちは、生きても死んでも縛られたままなのね。ならば、いっそ)

 サリーの弁舌が、心の中から本当の感情を探そうとしているロザリアの背中を押す。

「君は、君という一個の人間であり、尊い命を持ち、懸命に生きたんだ。それは価値がないの? 役に立たなかったから、誰かの重荷になったから、君は死ぬべきだったの? 違うだろう、それはさ。君はどうして欲しかった? 今更と思うだろうけれど、言ってみなよ。後悔はしちゃいけないと、分かっただろう?」

 ぐっと押し込めてきていた感情を、心の奥底から探し出すのは容易ではない。

 ロザリアがそれを口にできたころには、エアル王子とリーガン卿の言い争いも沈静化して、王城教会が元どおりの静寂を取り戻していた。

 無音のその一幕に、ロザリアは高らかに本心を口にする。

「……愛してほしかった。でも、もう遅いの」

 愛してほしい、もう遅い、それらは事実だ。どうしようもない。

 だが、サリーはそれで終わらせなかった。

「だったらどうする? 言ってごらん。ロザリア、君はどうしたい? このまま冥府へ向かうか、エアル王子の未練を最後まで取り除くか、それとも——」

 ロザリアは、首を横に振った。

 何を選んでも、最悪からは逃れられない。いや、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、ロザリアがどうしたいかだ。

 今までこのアルデラ王国で一度たりとも言い出せなかったことを、ロザリアはようやく言葉にした。

「あの方に、寄り添っていたいの」

 ロザリアは静かに、つぶやく。

 サリーは金の裁ち鋏を消して、糸紡ぎ櫛コームを出す。それをロザリアに渡して、こう言った。

「分かった。じゃあ、僕は一旦帰るね。またね、ロザリア」

 冥府からの使者サリーは、最初からいなかったかのように消え失せた。

 残された因果の糸は、まだ淡く光っている。

 ロザリアは糸紡ぎ櫛コームを手に、ふっと笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私を捨てた元旦那様へ。私が第一王子様から求婚されたことを知って、今どんな気分ですか??

睡蓮
恋愛
リナレーはフォルン第二王子との婚約関係を結んでいた。しかしフォルンはある日、リナレーの事を一方的に婚約破棄することを決定する。その裏にあったのはシュヴァル第一王子への妬みであり、フォルンは婚約破棄をすることでシュバルの心を傷つけようと考えていた。しかし、リナレーはその後そのシュバル第一王子と良い雰囲気に包まれはじめ、一方のフォルンは次第に孤立していき、二人の事を妬まずにはいられない日々が続いていくことになるのだった…。

陶器の人形は夢を見る

透明
恋愛
愛人に夢中な王子に愛想をつかして婚約者の侯爵令嬢ソフィアは逃げ出すことを決めた。 王子と愛人はまだ知らない。 自分達に地獄が待っていることを・・・ あなたは私を『陶器の人形』と言うけど陶器の人形にだって感情はあるのよ。

マリアの幸せな結婚

月樹《つき》
恋愛
花屋の一人娘マリアとパン屋の次男のサルバトーレは子供の頃から仲良しの幼馴染で、将来はマリアの家にサルバトーレが婿に入ると思われていた。 週末は花屋『マルゲリータ』でマリアの父の手伝いをしていたサルバトーレは、お見舞いの花を届けに行った先で、男爵家の娘アンジェラに出会う。 病気がちであまり外出のできないアンジェラは、頻繁に花の注文をし、サルバトーレを呼び寄せた。 そのうちアンジェラはサルバトーレとの結婚を夢見るようになって…。 この作品は他サイトにも投稿しております。

選ばれなかった令嬢は、何も選ばずにすべてを手に入れる

ふわふわ
恋愛
婚約破棄された令嬢は、泣き叫ぶことも、復讐を誓うこともなかった。 ただ――何も選ばないことを選んだだけ。 王太子の婚約者という立場。 期待される役割。 戻るべき場所と、果たすべき義務。 そのすべてから静かに距離を置いた彼女は、 誰にも縋らず、誰も恨まず、 「選ばれない」まま生きる道を歩き始める。 すると不思議なことに、 彼女が手放した席は流れ始め、 戻らなかった場所は道となり、 選ばなかった未来は、彼女の背中を押していく――。 これは、 誰かに選ばれることで価値を証明しない、 静かで、確かな“ざまぁ”の物語。 何も選ばなかった令嬢が、 いつの間にかすべてを手に入れていた理由を、 あなたは最後まで見届けることになる。 ――選ばないことで、生きている。

『彼を解放して!』とおっしゃいましたが、何から解放されたいのですか?

シエル
恋愛
「彼を解放してください!」 友人たちと教室に戻ろうとしていると、突如、知らない令嬢に呼び止められました。 「どなたかしら?」 なぜ、先ほどから私が問いかける度に驚いているのでしょう? まるで「え!?私のこと知らないの!?」と言わんばかりですけれど、知りませんよ? どうやら、『彼』とは私の婚約者のことのようです。 「解放して」とおっしゃっいましたが、私の目には何かに囚われているようには見えないのですが? ※ 中世ヨーロッパモデルの架空の世界 ※ ご都合主義です。 ※ 誤字、脱字、文章がおかしい箇所は気付いた際に修正しております。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

双子の姉がなりすまして婚約者の寝てる部屋に忍び込んだ

海林檎
恋愛
昔から人のものを欲しがる癖のある双子姉が私の婚約者が寝泊まりしている部屋に忍びこんだらしい。 あぁ、大丈夫よ。 だって彼私の部屋にいるもん。 部屋からしばらくすると妹の叫び声が聞こえてきた。

処理中です...