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第六話 私は新天地で……(中)
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まっすぐ進んでトランクの取っ手に手をかけて、赤い明滅する光を掴むように一歩を踏み出す。
踏み出した私のブーツの底が、広場の石畳ではなく土の地面を圧した瞬間。私の視界には、もう王城も『千年樹』も、父も母もいません。
嗅いだことのないような澄んだ空気が胸へ充満し、足元から立ち昇ってくるような湯気にも似た魔力の暖気が手足を包みます。
夕暮れの紅葉彩る見事な庭園に、私はいました。
「ここが、ドラゴニア?」
無意識に出た問いに、誰かが答えてくれました。
「はい。ここはドラゴニア九子連合国が一つ、『第九竜頭領』」でございます」
ハッとして、真正面へと顔を向けると、六人のメイドたちが横一列に並んでいました。そのうちの一人——ヘアバンドのように鈍色の角が銀髪の頭に巻き付いている、竜生人の妙齢の女性です——が歩み出て、恭しく一礼します。
「お荷物をお持ちいたします」
「は、はい。あなたは?」
「オルトリンデ・リューグと申します。エルミーヌ様お付きのメイドを拝命いたしました。よろしくお願いいたします」
礼儀正しく、聞き取りやすい声をした彼女は、もう一度深くお辞儀をします。私の両脇にあった大きなトランク二つの取っ手を軽々と両手で運び、後ろにいた人間のメイドへ渡しつつ、庭園から伸びる道の先へと招き入れます。
「どうぞ、こちらへ。イオニス様がお待ちです」
黙って頷き、私はオルトリンデの後ろについていきます。
チラリと見た残りのメイドたちは、人間ばかりのようですが、どこか違う気もします。今は詮索するときではない、そう思って私は緊張しながらも、オルトリンデを追いかけました。
整備された土道は埃一つ立たず、美しい紅葉した落ち葉もまた道の隅に寄せられて、丁寧に管理されていることがよく分かる庭園の道を少し歩くと、三階建ての石造りの屋敷が見えてきました。と言っても、見えている部分はほんの一部でしょう。歩きながら、オルトリンデが案内をしてくれました。
「こちらは主屋に当たる紅玉館です。さらに奥には旦那様が執務をなさる城塞があり、周囲は城壁代わりの魔導炎壁が囲んでおります。目には見えませんが、外敵の侵入を阻む最高レベルの防壁がございますので、ご安心くださいませ」
はあ、と私が感嘆のため息を漏らしている間に、屋敷の玄関口であろう豪奢な観音扉が竜生人の使用人の青年によって開かれていました。あまりにも自然かつ静かな動作すぎて、まったく存在すら感じさせないほど、何もかもの出来事がスムーズに流れていきます。
その流れで、緊張をほぐす暇もなく、私はいつの間にかイオニス様がいらっしゃるという応接間の前にやってきていました。
驚く私をよそに、オルトリンデは応接間の扉を開き、私を中へと導いていました。まずい、まだ心の準備ができていない、と思うと同時に、心のどこかに嬉しさもあり、薄ぼんやりとしかまだ覚えられていない旦那様ことイオニス様がここにいらっしゃるのだと胸が高鳴ります。
第一印象はとにかく立派な竜生人の殿方だった、としか覚えていませんが、無理もありません。実は私、魔力が有り余りすぎて、何でもかんでも魔力の感覚で物事を覚える癖が付いてしまっています。姿形よりもどんな魔力を纏っているのか、という情報が先立ち、そのせいで——竜生人という強大な存在は、その魔力にばかり目がいって、他のことを覚えられなかったのです。
確か昨日会ったイオニス様は、立派な竜生人で真っ赤なお方だった、とは思うのですが、それだけです。だから、もっとよく見て、しっかりと知らなければ、と緊張を飲み下して、私は応接間へと足を踏み出します。
シャンデリアのある高い天井、開かれた採光用の三面もあるガラス窓、厚いクッションのあるソファが円形に並び、ルビー細工のローテーブルの向こうには誰かが立っています。
(イオニス様……かしら?)
竜生人の魔力は、本当に膨大なものです。応接間に入った瞬間、その空気にさえイオニス様のものであろう魔力が漂っていました。ただそこにいるだけで魔力を持つ生物として最高峰の存在がいる、と感じさせるには十分な、それでいてプレッシャーを感じません。
だって、私が目を見開いて捉えたその方は、ほんの少しですが微笑んでいました。
このドラゴニアを統べる九人の君主の一人。『竜爵』の称号を持つ竜生人、見目麗しいその角持つ男性は、私へ穏やかに呼びかけます。
「よく来たな、エルミーヌ」
昨日とは随分と印象が異なりますが、間違いありません。魔力ではなく、この目でしかと捉えたイオニス様が、そこにいらっしゃいました。
呆けている場合ではありません。私はすみやかに右手をお腹の前に、左手を背にして頭を下げ、略式ながら敬礼をします。
そして、一世一代の口上を述べるのです。
「改めまして、エルミーヌ・サフィールと申します。このたびは、イオニス・ハイドロス・ナインス竜爵閣下へ嫁ぐよう王命を受け、拝命いたしましてございます」
踏み出した私のブーツの底が、広場の石畳ではなく土の地面を圧した瞬間。私の視界には、もう王城も『千年樹』も、父も母もいません。
嗅いだことのないような澄んだ空気が胸へ充満し、足元から立ち昇ってくるような湯気にも似た魔力の暖気が手足を包みます。
夕暮れの紅葉彩る見事な庭園に、私はいました。
「ここが、ドラゴニア?」
無意識に出た問いに、誰かが答えてくれました。
「はい。ここはドラゴニア九子連合国が一つ、『第九竜頭領』」でございます」
ハッとして、真正面へと顔を向けると、六人のメイドたちが横一列に並んでいました。そのうちの一人——ヘアバンドのように鈍色の角が銀髪の頭に巻き付いている、竜生人の妙齢の女性です——が歩み出て、恭しく一礼します。
「お荷物をお持ちいたします」
「は、はい。あなたは?」
「オルトリンデ・リューグと申します。エルミーヌ様お付きのメイドを拝命いたしました。よろしくお願いいたします」
礼儀正しく、聞き取りやすい声をした彼女は、もう一度深くお辞儀をします。私の両脇にあった大きなトランク二つの取っ手を軽々と両手で運び、後ろにいた人間のメイドへ渡しつつ、庭園から伸びる道の先へと招き入れます。
「どうぞ、こちらへ。イオニス様がお待ちです」
黙って頷き、私はオルトリンデの後ろについていきます。
チラリと見た残りのメイドたちは、人間ばかりのようですが、どこか違う気もします。今は詮索するときではない、そう思って私は緊張しながらも、オルトリンデを追いかけました。
整備された土道は埃一つ立たず、美しい紅葉した落ち葉もまた道の隅に寄せられて、丁寧に管理されていることがよく分かる庭園の道を少し歩くと、三階建ての石造りの屋敷が見えてきました。と言っても、見えている部分はほんの一部でしょう。歩きながら、オルトリンデが案内をしてくれました。
「こちらは主屋に当たる紅玉館です。さらに奥には旦那様が執務をなさる城塞があり、周囲は城壁代わりの魔導炎壁が囲んでおります。目には見えませんが、外敵の侵入を阻む最高レベルの防壁がございますので、ご安心くださいませ」
はあ、と私が感嘆のため息を漏らしている間に、屋敷の玄関口であろう豪奢な観音扉が竜生人の使用人の青年によって開かれていました。あまりにも自然かつ静かな動作すぎて、まったく存在すら感じさせないほど、何もかもの出来事がスムーズに流れていきます。
その流れで、緊張をほぐす暇もなく、私はいつの間にかイオニス様がいらっしゃるという応接間の前にやってきていました。
驚く私をよそに、オルトリンデは応接間の扉を開き、私を中へと導いていました。まずい、まだ心の準備ができていない、と思うと同時に、心のどこかに嬉しさもあり、薄ぼんやりとしかまだ覚えられていない旦那様ことイオニス様がここにいらっしゃるのだと胸が高鳴ります。
第一印象はとにかく立派な竜生人の殿方だった、としか覚えていませんが、無理もありません。実は私、魔力が有り余りすぎて、何でもかんでも魔力の感覚で物事を覚える癖が付いてしまっています。姿形よりもどんな魔力を纏っているのか、という情報が先立ち、そのせいで——竜生人という強大な存在は、その魔力にばかり目がいって、他のことを覚えられなかったのです。
確か昨日会ったイオニス様は、立派な竜生人で真っ赤なお方だった、とは思うのですが、それだけです。だから、もっとよく見て、しっかりと知らなければ、と緊張を飲み下して、私は応接間へと足を踏み出します。
シャンデリアのある高い天井、開かれた採光用の三面もあるガラス窓、厚いクッションのあるソファが円形に並び、ルビー細工のローテーブルの向こうには誰かが立っています。
(イオニス様……かしら?)
竜生人の魔力は、本当に膨大なものです。応接間に入った瞬間、その空気にさえイオニス様のものであろう魔力が漂っていました。ただそこにいるだけで魔力を持つ生物として最高峰の存在がいる、と感じさせるには十分な、それでいてプレッシャーを感じません。
だって、私が目を見開いて捉えたその方は、ほんの少しですが微笑んでいました。
このドラゴニアを統べる九人の君主の一人。『竜爵』の称号を持つ竜生人、見目麗しいその角持つ男性は、私へ穏やかに呼びかけます。
「よく来たな、エルミーヌ」
昨日とは随分と印象が異なりますが、間違いありません。魔力ではなく、この目でしかと捉えたイオニス様が、そこにいらっしゃいました。
呆けている場合ではありません。私はすみやかに右手をお腹の前に、左手を背にして頭を下げ、略式ながら敬礼をします。
そして、一世一代の口上を述べるのです。
「改めまして、エルミーヌ・サフィールと申します。このたびは、イオニス・ハイドロス・ナインス竜爵閣下へ嫁ぐよう王命を受け、拝命いたしましてございます」
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