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第六十八話
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私は王城の廊下で、サナシスとすれ違った。
「エレーニ、帰ってきて……どこへ行く?」
「申し訳ございません、急いでいるので!」
私は駆け足で風呂へ向かう。やっと慣れてきたお風呂、今はそれどころではない。ざかざか洗ってドバーッとお湯をかぶって、湯船に浸かって十秒数えればもう終わりだ。私があまりにも早く出てきたものだから、タオルを持って待ち構えているはずのメイドたちはまだ揃っていなかった。そのあたりに置かれていたタオルを引っ掴み、自分で乾かす。途中からメイドたちが手伝ってくれた。
差し当たって用意された白い長袖のワンピースを着て、生乾きの髪を一つに結んで、私は風呂を飛び出す。神域アルケ・ト・アペイロンを目指し、しかし思い出した。
私はまだあの黄金のステュクスの印を持っていないから、一人では神域アルケ・ト・アペイロンへ行けない。
どうしよう、とあの浮遊する広い石の階段の麓で、私は慌てた。サナシスを巻き込みたくはない、だけど他にどうやって行けばいい。
そこで思いついたのが、ニキータだ。というよりも、今遠目でニキータがいることを確認した。私の視力は人並み以上だから分かる、急いで走って捕まえに行く。
「ニキータ様!」
「おや、これは……どうされましたか」
「あの、ステュクスの印はお持ちではありませんか? 急いで神殿へ向かわなくてはならないのです!」
すると、ニキータは首を横に振った。
「残念ながら、私は主神ステュクスの信徒ではないので」
「そ、そういえば、そうでした」
だめだったか——私がそう思ったとき、ニキータは一転、笑った。
「ははは、今持っていないだけですよ。部屋はすぐそこです、持ってきましょう」
そうして、私は黄金のステュクスの印を手に入れた。ニキータは「私には必要のないものですから、差し上げます。お好きにどうぞ」と気前よく、私にくれた。いい人だ、ニキータ。それともサナシスのためになることだ、と直感的に察してくれたのかもしれない。
私は黄金のステュクスの印を持って、階段に戻る。一段、二段と踏み出し、そして風景ががらりと変わるまで、あっという間だった。
中空に浮かぶ白い小さな太陽、球状の芝生の地面、幾筋もの空を流れる小川。私が現れたことで、神官や巫女たちが何事かという顔をして見ていた。
私は近くを通った神官を捕まえて、案内を頼む。
「お願いします、ステュクス神殿に行かなければならないのです! 連れていってください!」
よほど、私は鬼気迫った表情を浮かべていたのだろう。神官はこくこく頷き、急ぎ足で私をステュクス神殿へと招き入れた。置かれている小さな壺を受け取り、水を汲んで、私はステュクス神殿の最奥、簡素な祭壇に捧げる。
私は跪き、指を交互に組み、うなだれて目を閉じた。どうすればきちんと祈れるかなんて分からない、でもヨルギアがこうやって祈っているところを見たことがある。そのとおりにすれば、普段の目を瞑るだけのどうでもよさよりはマシなはずだ。
私は祈る。誰かのために祈ることなど、初めてだ。サナシスのため、ヘリオスのため、どうか応えてください。ただそれだけを思い、主神ステュクスへ届くことを願う。
よくよく考えれば、それは誰もが祈り、願うことだ。誰かのために、自分のために、神々へ思いを伝えようとする。善意であれ、悪意であれ、さまざまな境遇のもとに行われる行為だ。
それを、神々はどうやって峻別する——?
私の思考は、そこで一旦途切れた。
「エレーニ、帰ってきて……どこへ行く?」
「申し訳ございません、急いでいるので!」
私は駆け足で風呂へ向かう。やっと慣れてきたお風呂、今はそれどころではない。ざかざか洗ってドバーッとお湯をかぶって、湯船に浸かって十秒数えればもう終わりだ。私があまりにも早く出てきたものだから、タオルを持って待ち構えているはずのメイドたちはまだ揃っていなかった。そのあたりに置かれていたタオルを引っ掴み、自分で乾かす。途中からメイドたちが手伝ってくれた。
差し当たって用意された白い長袖のワンピースを着て、生乾きの髪を一つに結んで、私は風呂を飛び出す。神域アルケ・ト・アペイロンを目指し、しかし思い出した。
私はまだあの黄金のステュクスの印を持っていないから、一人では神域アルケ・ト・アペイロンへ行けない。
どうしよう、とあの浮遊する広い石の階段の麓で、私は慌てた。サナシスを巻き込みたくはない、だけど他にどうやって行けばいい。
そこで思いついたのが、ニキータだ。というよりも、今遠目でニキータがいることを確認した。私の視力は人並み以上だから分かる、急いで走って捕まえに行く。
「ニキータ様!」
「おや、これは……どうされましたか」
「あの、ステュクスの印はお持ちではありませんか? 急いで神殿へ向かわなくてはならないのです!」
すると、ニキータは首を横に振った。
「残念ながら、私は主神ステュクスの信徒ではないので」
「そ、そういえば、そうでした」
だめだったか——私がそう思ったとき、ニキータは一転、笑った。
「ははは、今持っていないだけですよ。部屋はすぐそこです、持ってきましょう」
そうして、私は黄金のステュクスの印を手に入れた。ニキータは「私には必要のないものですから、差し上げます。お好きにどうぞ」と気前よく、私にくれた。いい人だ、ニキータ。それともサナシスのためになることだ、と直感的に察してくれたのかもしれない。
私は黄金のステュクスの印を持って、階段に戻る。一段、二段と踏み出し、そして風景ががらりと変わるまで、あっという間だった。
中空に浮かぶ白い小さな太陽、球状の芝生の地面、幾筋もの空を流れる小川。私が現れたことで、神官や巫女たちが何事かという顔をして見ていた。
私は近くを通った神官を捕まえて、案内を頼む。
「お願いします、ステュクス神殿に行かなければならないのです! 連れていってください!」
よほど、私は鬼気迫った表情を浮かべていたのだろう。神官はこくこく頷き、急ぎ足で私をステュクス神殿へと招き入れた。置かれている小さな壺を受け取り、水を汲んで、私はステュクス神殿の最奥、簡素な祭壇に捧げる。
私は跪き、指を交互に組み、うなだれて目を閉じた。どうすればきちんと祈れるかなんて分からない、でもヨルギアがこうやって祈っているところを見たことがある。そのとおりにすれば、普段の目を瞑るだけのどうでもよさよりはマシなはずだ。
私は祈る。誰かのために祈ることなど、初めてだ。サナシスのため、ヘリオスのため、どうか応えてください。ただそれだけを思い、主神ステュクスへ届くことを願う。
よくよく考えれば、それは誰もが祈り、願うことだ。誰かのために、自分のために、神々へ思いを伝えようとする。善意であれ、悪意であれ、さまざまな境遇のもとに行われる行為だ。
それを、神々はどうやって峻別する——?
私の思考は、そこで一旦途切れた。
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