最期の閨

荷区翼

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 陽はとうに沈み、黒地の空にに雲の紺青をまぶしたその上に丸い月が微かに姿を現そうとしていた。輪郭のにじんだ円形は陽光にはない艶美な色合いでほの白く竹林を照らし出す。そしてそれは一軒の隠れ家へも差し込んでいった。
「……ん、あ……あいさまぁ」
 暗闇に浮かぶ白い肌。水浴びをしたばかりの奈津のかみを愛でながら、藍太郎あいたろうは名を呼ぶ赤い舌へと口元を寄せた。彼の口吸いにこたえるように絡み合う熱とまじりあう唾液。嚥下ままならぬまま、若い喉元へと垂れていく。
「あ、あの……生臭くないですか」
「生臭い? お前がか?」
「血のような匂いがするんです、私。いくら洗おうと消えない……」
「ふふ、おかしなことを言うやつめ。むしろ、私には花に思える。奈津なつ、お前からは花の香りが」
「藍さま……」
「奈津、自分で開いて見せろ。お前から私を許してみせろ」
 耳元にぞわぞわと感覚が走る。彼の吐く言葉と吐息が奈津の鼓動をはやめる。
 羞恥など、とうに失っていたはずだ。
 殺師として仕込まれたのは殺法体術のみならず。閨事ならいとして毎夜、里のおとこ衆にねぶられ、まわされた身体に、そんなもの微塵も残っていないはずだった。
 里に出て受ける命は、暗殺ひところし
 ときに自分から相手を閨に誘惑してみせて腹の上に乗り、殺したこともあった。男とも女とも相手をした。
 人並みならぬ美貌も色気もすべてが奈津の武器だ。
 だが、この若旦那に出会ってから、奈津の一律も狂わぬ心に狂いが生じ始める。
 密偵として藩邸にもぐりこんだ際、しくじって姿を見られてしまったことが、ふたりの出会いであり、奈津の堕落の始まりだった。
 それからどう転がったものか。
 殺し屋と次期当主の男。
 身分も生まれも違う二人に共通点などどこにもない。互いに報われそうにない恋心を隠し抱いていることだけは。
 ひそかに逢瀬を繰り返しているうち、重なる回数、縮まる距離。
 だが、それももうすぐ終わりの足音がゆっくりと近づいてきている。それはまだ奈津しか知らない。
「や、嫌です。灯りを消してください」
 奈津の視線の先をたどって藍太郎は、蝋燭の火を見つけた。
「何故? 暗くてはお前の姿が見えない」
「わ、私もです。明るくてはつらい」
 はは、と藍太郎は笑った。ふっと息を吹き掛けて灯火ともしびを消すと微かに差し込む月の光それのみだけが頼りとなる。
「奈津は光が苦手であったな」
「ええ。ありがとうございます」
「だが夜目はたんと効く。おかしなものだ。私は昼までなければ物を見るのがつらい」
 だがそれは奈津だけではない。
 彼の出身地である小さな隠れ里の者すべてが光を忌む目を持っていた。夜中のかすかな光の中で活発に動ける。大半の人間と真逆の生態は、暗殺という家業を生んだ。闇に潜むことでしか生きられない一族にとってそれを糧として今まで生きてきたのだ。
「ふふ、それでは今は私しか貴方のお姿を見ることはできませんね」
「ちと恥ずかしいな。だがお前を抱けるのは私だけだ」
 彼の唇が再び落ちてきた。場所は先ほどと寸部も変わらず。体温と触れ合う肌と音と――視覚以外の全てで愛でてくれるこの男へいじらしさが奈津の胸を痛めるばかりに広がっていく。
 奈津は仲間の気配を察知して身を固めた。ゆっくりと隠れ家を取り囲むように息を潜めた彼らの気配が配置されていく。
 いざとなれば私もろともか。
 そう思うと口元からにやけてきてしまう。こういう終わりもなかなかいい。
「どうした? 奈津」
 不思議そうに見つめてくる男の瞳に欲情と興奮に彩られた自分の姿を認め、それにすら興奮する。
「藍さま、今宵は私を殺すおつもりで犯してください」
「な、お前」
「乱暴にしてくださって構いません」
 奈津はそっと脚を左右に裂いた。その衣擦れの音に反応して、藍太郎の腕が伸びる。
「ああっ」
「すごいな。濡れてる」
「じゅ、準備はしてきましたので」
「……いいのか?」
「ええ」


 暗闇の中、奈津は藍太郎の身体の上に乗って喘いでいた。
 すでに放たれたものか結合部から泡立ち、中からの絶頂を味わった奈津に体力は残されていない。
 それでも張り裂けそうにまで奈津の体内で膨らむ男の動きを受けてかすれた悲鳴を上げた。
「藍さまっ……」
 最奥に叩き込まれた熱に、指先をかすかに震わせながら奈津は藍太郎の身体の上に落ちてきた。
 荒い息の男の耳元で尋ねる。
「藍さま、その……お命、私にいただけないでしょうか……」
 途端に藍太郎の瞳がカッと見開いたのを奈津は見た。その驚きは次第に溶けてゆき、どこか恍惚とした表情で、藍太郎は答えた。
「お前の命、俺にくれたらな」
 それが全てだった。
 今この瞬間、この幸福のみを抱いて逝けたら。奈津は奥歯に隠しておいた毒を飲んだ。
 急にむせる奈津の音、様子の異変に藍太郎は身を固くした。
「どうした? 奈津?」
「藍さま、ごめんなさい。私は貴方を殺さなくてはならない……」
「奈津?」
「聞いたことあるでしょう。こういう裏方をひとえに引き受ける一族があると……」
「まさか……。おい、奈津」
「すみません、藍さま……私、ずっとこのままだからと一度も……」
 次第にか細くなってゆく声を絞り出すようにして奈津は伝えた。
「一度も考えたこと……なかっ……た……誰かの温もりのこと……殺さず……共に生き……ること……」
 しんと静寂のうち、小さく生暖かい風が吹いた。
「奈津? おい、返事を……返事をしてくれ」
 藍太郎は暗中でさぐりあてた奈津の頬を叩いた。それでも彼は目を開けようとはしない。
 ガクンとまるで物が壊れていくかのように、上体から倒れるようにして奈津の身体が床に伏した。
「奈津、奈津!」
 叫んでも無駄だ。ほの白い肌は生気なく、揺り動かす藍太郎の手に弄ばれるただの物体と化していた。
 急にバタバタと足音が聞こえてくる。
 馬鹿な。ここは人気ひとけ無き――。
 くらりと眩暈がするような心地がした。
 それでも藍太郎は、動かなくなった奈津の身体を左肩で担ぐと、部屋の隅に鎮座している太刀一振りを握りしめた。
 そのまま彼は障子を蹴破る。途端にヒュと音立てて、一つ矢尻が藍太郎の頬を撫でた。
 流石、奈津の同胞らだ。暗闇でも目が使えると見える。
 だが、こちらも負けるつもりはない。
 最後まであがくつもりだ。

(了)
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