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4話

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 レグルスはティーセットを片付けながら、今は2階で眠っているだろうニクスのことに思いを馳せていた。色々なことがあって疲れてしまったし、しばらくはのんびり過ごそうと思っていたのに、まさかこんなに早くパーティーを組むことになるとはレグルスも予想していなかった。しかし、病室で熱にうなされながら変わりたいと訴えるニクスを放っておくことなど、お人好しなレグルスにできるはずもない。それに、ニクスの態度はレグルスにとって新鮮なものだった。ニクスはレグルスを「強く勇敢な冒険者」として扱わない。外見ではなく、内面を見てくれている感じがした。きっと、最初に姿を見ないまま会話したので、外見に第一印象が引きずられることがなかったのだろう。

 体格もよく、たてがみのような赤い髪と獅子の特徴を持つレグルスを、大抵の人は豪快で胆力のある強い男と認識する。紅蓮の獅子のリーダーとしてそういう男を演じていたので、ある意味当然だ。しかし、実際のレグルスはのんびりおっとりしていて、人の上に立つタイプではなく、むしろ後ろで控えめに支える副官タイプだ。それでもレグルスは周りの人の期待に応えようと無理をして、外見に似合った豪胆な男になろうとした。しかし、正直もう疲れ果てていた。決断を下すことにも、人を率いることにも。紅蓮の獅子の解散を機に、これからはもう自分を偽らずに慎ましく生きよう、と入院中に決心したのだが、そこで出会ったのがニクスだ。

 それまで人が寝ているとも知らなかった隣のベッドからすすり泣きが聞こえてきたときは、レグルスは思わず幽霊かと思ってビビリにビビった。しかし聞こえる泣き声は恨めしそうな女の声ではなく、男の声だった。しかも若そうだったので、もしかしたら冒険者になりたての新人が怪我をして落ち込んでいるのかもしれないとレグルスは思い、気が付いたら声をかけていた。しばらく驚いたように黙り込んでいたが、鼻声の返事が聞こえてきたのでレグルスはホッとしたものだ。それで会話が始まり、男はなんとニクスと名乗った。中級冒険者の中では有名な、吹雪のニクス。魔術師なのに単身で討伐を行い、とびきりプライドも高く誰とも馴れ合わない美しいユキヒョウの獣人。レグルスは一人で何でもできて格好いいなぁと、密かに憧れていた。仲間の補助なしではリーダーの仕事もこなせないし、戦術も任せっぱなしの自分とは違い、彼はたった一人で上級冒険者になろうとしている。上級冒険者に認定されるには多くの経験と実績、依頼主からの信頼が必要なので、まだ若いニクスは中級冒険者だ。しかし、単純な戦闘能力を見ればニクスは上級冒険者と遜色ない実力を備えている。そうでなければ、単身で森の奥まで入り込んで生還するなんてことはできないだろう。そんな印象があったので、レグルスはニクスの話に大いに驚いた。曰く、好き好んで一人でいたわけではなく、人付き合いが下手で孤立してしまったそうなのだ。もう意地張って一人でいるのは嫌だ、と呟いた声はひどく弱々しく、とても噂に聞く吹雪のニクスと同一人物だとは思えなかった。レグルスはパーティーを組もうという誘いを受けたものの、妙な詐欺に巻き込まれてるんじゃないだろうかと不安になって、退院する前にニクスの姿を確認した。そこに寝ていたのは、間違いなく吹雪のニクスだった。白と灰色が入り交じる不思議な髪の色、端正な顔立ちと白い肌。熱が高いのか、おでこや頬が真っ赤になっているのが可哀想だった。耳は大型の猫科獣人に共通の丸っこい形をしていて、ベッドからは縞模様の尻尾がはみ出してだらんと垂れていた。ここまで特徴が一致すれば疑いようがない。あの吹雪のニクスも、外見と内面の乖離で悩む若者の一人だったのだ。レグルスは急いで荷物から手帳を取り出してページをむしり、そこに伝言を書き付けた。ニクスとなら本来の自分らしく冒険者をやっていけるかもしれない。はっきりとした根拠はないが、そう思ったのだ。ニクスがパーティーを組もうと言ったとき、かなり朦朧としていたみたいだし、やっぱりあれは世迷い事だから無かったことにしてくれと言うならばそれでもいい。レグルスは伝言と決意を看護師に託して退院した。

 退院したその日にもう一度アンタレスとスピカに会い、正式にパーティーを解散する手続きを行った。事情を知らない仲間たちは混乱したが、諸々の説明はアンタレスとスピカが請け負うことになる。一晩経って頭が冷えたアンタレスとスピカは、この騒動の責任は自分たちにあるとして、レグルスを責めることはなかった。仲間に迷惑をかけて申し訳ないと思いつつも、レグルスは心底ほっとして、後のことはアンタレスとスピカに任せることにした。解散の手続きの後、レグルスはそのまま自宅の片付けに取り掛かった。紅蓮の獅子の拠点として使っていた自宅だが、アンタレスとスピカが度々喧嘩をするようになってからは他の仲間もアンタレス派とスピカ派に分かれ、最近はレグルスの自宅で集まることは少なくなっていた。それでも仲間の私物が残っていたりしたので、レグルスはそれをアンタレスとスピカに引き渡し、保管していた財産などもそれぞれに分配した。夕方にはそれらも綺麗に片付き、レグルスはようやく一息ついた。広くなった家の中は静かすぎて落ち着かないが、爽快でもあった。もうこの家には誰も居ないのだから自分の好きなことをしようと、レグルスは丁寧に掃除を続け、お菓子を焼いた。レグルスは一人でのんびりと取り組める家事全般が好きだったが、流石にリーダーが床を雑巾がけしたりケーキを焼いたりするのは印象的によろしくないということで、今まで自重していたのだ。久々に好き勝手に家事をできたレグルスは満足し、穏やかな気持ちで眠りについたのである。

 そして翌日、解散に伴う手続きのため、レグルスはギルドを訪れた。今まで紅蓮の獅子を名指しで依頼してくれていた顧客に、解散したこととアンタレスとスピカのパーティーが仕事を引き継ぐことを伝える手紙を何通か送る。ニクスに渡した伝言のこともあり、レグルスはそわそわしていたがなかなかニクスは現れない。まだ退院していないかもしれない、と諦めて一度は家に帰ったのだが、夕方頃にもう一度ギルドを覗いてみたところ、ニクスが居た。話をしたいが場所が思いつかないと言うので家に誘い、現在に至る。お互いの事情を打ち明けた今、レグルスの心は軽い。久々に気を張らずに人をもてなせたので、充実した気分だ。今までせっかく作ったお菓子も自分で食べるしかなかったが、今日はニクスも美味しそうに食べてくれていた。しかもレグルスのような厳つい男が細々と世話を焼くことに、意外だとも似合わないだとも言わず、ちょっと慣れない様子でお礼を言うだけだった。ニクスはまだ情緒がフワフワしていて、泣いたり嬉しそうにしたり落ち着きがなかったが、むしろ本来の人格がそうなのだろう。孤高の魔術師の仮面を取れば、ニクスもただの青年だったというだけだ。しかし、まだ本調子ではないのに長々と話をさせてしまったことを、レグルスはちょっと後悔していた。外はもう真っ暗になっている。疲れた顔をしたニクスを一人で帰す気になれなかったので、つい泊まっていけと引き留めてしまった。ニクスがその好意を素直に受け取ってくれたので良かったものの、出会ったその日に泊まっていけなんて怪しかったかな、とレグルスはちょっと心配になる。何しろニクスはあの容姿だ。きっと女からも男からもモテるに違いない。魔術師にしてはしっかり背丈もあるし、貧弱な感じはしないが、馬鹿なことを考える奴も居るだろう。下心があるって思われてなければいいなぁ、とレグルスは小さくため息をついた。しかし、下心を完全に否定できるわけでもない。実は、レグルスは男女問わずに恋愛ができる両性愛者だ。アンタレスとスピカにそのことを打ち明けたときには、男か女かも選べないなんて優柔不断にも程がある、と呆れ半分に言われたものだった。レグルスとしては見境なしに恋をしているわけではなく、ちゃんと好みがあるのだが、二人にうまく説明する言葉は見つからなかった。レグルスは、繊細で儚げな容姿を持つ人に惹かれることが多い。自分の容姿が厳つく男らしいので、自分にない美しさを持つ人に弱いのだ。しかしその恋が上手く行くことは今までなかった。そもそも、レグルスは告白する勇気を育てるまでかなり時間がかかる方だったし、逆に告白されても、お付き合いしている間に相手がレグルスの外見にそぐわない控えめさや弱腰な態度に幻滅してしまい、自然と疎遠になってしまう。そういうわけで、ここ1年くらいは全く恋とは無縁で過ごしてきた。しかし、その点ニクスはストライクゾーンど真ん中だ。澄んだ水色の瞳にのぞき込まれたときは、レグルスもつい赤面するくらいには魅了された。しかもニクスは最初からレグルスの気弱な部分を見ている。もしかしたら、とどこかで期待しているから、わざわざ引き留めて家に泊めたんだと言われてしまったら、レグルスは否定することはできない。

 レグルスはそこまで考えて、ティーカップを洗う手が止まっていたことにはっと気付いた。頭をぶんぶん横に振って、邪な考えを追い出す。まだ出会ったばかりだし、パーティーを組むと言ってもどれくらい長続きするかはわからない。ニクスは仲間に憧れているようだが、思ってたものと違ったり、満足してしまったらさっさとパーティーを解散して、したまたソロの冒険者に戻るかもしれないのだ。あまり期待し過ぎるのはやめよう、とりあえず今はニクスの体調が良くなるようにそっとしておこう、とレグルスは一人で頷いた。ニクスは夕食も食べずに寝てしまったので、夜中にお腹が空くかもしれない。レグルスは食材庫をのぞき、使えそうなものを台所に並べていく。自分の夕食のついでに、食べやすい夜食も作っておこう、そのくらいの世話なら下心って思われないよな、とレグルスは言い訳して料理を始めた。




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