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8話

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 おやつを食べ終わった二人は、休暇が明けたあとの仕事の予定などを話し合いながら時間を過ごした。休暇はあと4日残っているが、その後はまたヘレントスの南にあるドルトス鉄道周辺の在来生物を討伐することになっている。何日か野宿してひたすら在来生物の数を減らす仕事なのでかなり大変だ。しかも報酬は在来生物の討伐数に左右されるので、運悪く獲物に出会えなければ時間の無駄になる。確実に在来生物を見つけるにはどこを拠点にして動くかが重要なので、二人は地図を指差しながらああでもないこうでもないと相談し合った。その話がようやくまとまった頃には日が暮れ始めていたので、一旦仕事の話は終わりにして、夕食の準備に取り掛かることにした。休暇三日目の晩餐も和やかに終わらせた二人は、買ってきたばかりのグラスに今度は酒を注いで楽しむ。
普段ほとんど酒を飲まない二人だったが、休みの日にはこうしてささやかに晩酌をすることもある。レグルスはザルと言っていいほど酒には強いのだが、酒の味自体がそんなに好きではないので甘めの果実酒をちびちび飲んでいた。ニクスはそんなに酒に強くないのでいつもなら一杯程度で終わりにするのだが、なにやら今日は据わった目で二杯三杯と飲み続けている。明日も休みだし、特に用事もないので止める必要はないのだが、レグルスはちょっと心配になってニクスの様子をチラチラ見ていた。ニクスはしばらく上機嫌で新しく注文した外套のことを話したかと思うと、急に静かになってレグルスの顔をじっと見つめる。

「どうした?もう眠くなった?」

レグルスが普段とは違うニクスの態度にドギマギしながら尋ねると、ニクスは黙って首を横に振る。そして更にレグルスの顔に射殺さんばかりの視線を注ぎ、急にがっくりと項垂れて大きなため息を吐いた。レグルスにはそれが何を意味するのかわからない。急に抱擁してきたあの日からニクスの挙動には落ち着きがなかったが、今日の態度は一際変だ。嫌われているわけではなさそうだが、だからといって恋愛的な意味も含んだ好意を持ってくれていると確信するにはまだ弱い。レグルスがそっと息を潜めてニクスの動向を窺っていると、ニクスはがばりと勢いよく顔をあげた。

「レグルス、明日と明後日、暇か?」

レグルスはその勢いに押されるようにちょっと頷く。

「え、う、うん。ああでも、食材が少なくなってきたから、買い物には行こうと思ってる……」

「その買い物、後回しにできない?」

「できないことはないけど……」

「じゃあ、明日、おれと湯治に行こう。泊まりで。乗合馬車に乗って、西のケーロンの湯治場まで」

「えっ」

「嫌?」

「いやじゃないけど、急にどうして?」

「……言ってなかったけど、前から気になってたんだ。温泉に入ってみたい。けどケーロンは結構遠いし、行くなら連休が必要だから、ずっと機会を待ってた」

「そっか、わかった……じゃあ明日行こうか」

レグルスが返事をすると、ニクスは緊張したような強張った顔を一変させて満面の笑顔になった。ここに住むようになってから風呂に入るの好きになったって言ってたし、それで興味が湧いたんだろう、とレグルスはとりあえず納得する。ヘレントスの南にはベルグム火山という大きな活火山があり、その裾野には所々温泉が湧いている地帯がある。ケーロンはその中にある温泉地の一つだ。ヘレントスから見て南西に位置していて、温泉地の中では最もヘレントスに近く、街道もつながっているので旅行先として人気がある。しかし街道と言ってもよく在来生物が出没するので、向かうにはそれなりの準備と護衛が必要だ。幸いニクスもレグルスも護衛が必要ないくらい強いので、準備するのはお金ぐらいだ。今月は大きな収入があったしちょっとくらい散財しても問題ないか、とレグルスは脳内で勘定を終わらせる。

「何時頃出発する?朝一番の乗合馬車に間に合えば、夕方には着くと思うけど……」

「がんばって早起きする」

「じゃあお酒はそのぐらいにしておいたほうが良いかもね」

レグルスが笑いかけると、ニクスは素直にグラスに残っていた酒を飲み干して、ちょっとフラフラしながら立ち上がる。

「うん。今日は早めに寝る。レグルスも夜更しして寝坊すんなよ」

ニクスはグラスを厨房に持っていき、レグルスの横に戻ってくると少しかがんだ。椅子に座ったままのレグルスにここ数日で習慣になってしまったおやすみのキスを頬にちゅっとして、ご機嫌な様子でふにゃふにゃ笑う。

「じゃあ、早いけどおやすみ」

「う、うん、おやすみ」

レグルスが曖昧に笑いながら返事をしても、ニクスは何かを待っているかのように動かない。レグルスはしばらくキョトンとしていたが、やがてニクスがキス待ちしていることに気付いて大いに動揺した。これは挨拶、これはただの挨拶、と何度も言い聞かせながらニクスに合わせて立ち上がり、軽く頬をくっつけてキスをする。んふふ、と満足そうな声を漏らしたニクスはようやくレグルスに背を向けると、2階の自室に引っ込んでいった。レグルスは今更熱くなってきた頬を手のひらで包み、静かになった部屋で一人悶絶した。あんな可愛いことを恋心もなく無自覚でやっているとしたらたちが悪すぎる。かといって恋心があったとしてもそれはそれで信じられない。レグルスは自問自答をしばし繰り返し、それから諦めたように息を吐き出すと寝るための支度を始めた。

 翌朝、ニクスは宣言通り夜明け前に目を覚まし、気合の入った顔で起き上がった。きゅっと唇を引き結んでまだ暗い窓の外を睨むさまは、起き抜けであっても凛々しい。ニクスはいつもの寝起きの悪さはどこへやら、テキパキと着替えを済ませて荷物をまとめ始める。昨夜はしっかり酔っ払っていたが、ニクスは記憶をなくすタイプではない。酒の力を借りて取り付けた約束を無駄にしてなるものかと、決意を新たにしていた。

 衝動に任せてレグルスを抱きしめたあの日から、ニクスの脳内はレグルスのことでいっぱいだ。出会ったときから感じていた、可愛いなあという思いはそのまま好きだなあに変換され、甘えたいし甘やかしたいという思いは友人同士の好意では収まらない所まで大きく膨らんでいる。抱きしめた後に慌てて逃げ出したニクスだったが、その後一人で朝食を求めてうろつく間にしっかり自分と向き合い、自覚した。レグルスに恋をしていることを。行き過ぎた友情ではなく、ちゃんと肉欲も伴った恋であることもニクスは確認した夜、自分の部屋で試してみたのだ。レグルスをおかずにヌけるかどうかを。結果はすぐに出た。レグルスが股間に優しく触れる想像をした途端、ニクスの欲望はいつになくいきり立ち、さほど時間もかからずに射精してしまった。自慰なんて久々だったし、と言い訳したいことは色々あったが、流石に正直に認めざるを得ない。いつの間にか、ニクスはレグルスを性的な対象としても見てしまっていたのだ。もともとニクスの性嗜好は至って普通なはずである。美人が苦手という変わった特性があるものの、その他の嗜好はごく一般的な異性愛者で、男性と恋愛するなんて想像したこともなかった。だが、レグルスと出会ってその価値観は覆されてしまったようだ。レグルスは外見こそ逞しい男前だが、その内面は穏やかで優しく気遣いもできて、まさにニクスが思い描く理想の恋人と合致している。こんな恋人が居たら幸せだろうなあ、というぼんやりした思いは、いつの間にかレグルスの外見に対する認識も変えてしまっていた。切れ長の金色の瞳を蜂蜜みたいにとろんと優しく細めて見つめてくれるのがたまらなく嬉しい。がっちりした筋肉質な体躯を丸めて料理をしているところが可愛い。戦いになれば頼もしく攻撃を受け止めて、反撃は任せたぞと深い信頼とともに頷く姿に勇気づけられる。性別が男だとか自分よりも逞しくて大きな体をしているだとか、そんなことどうでもよくないか?とニクスが悟るまで時間はかからなかった。そもそもニクスは美人に散々イジられて育ったせいで、特に外見への執着がないまま大人になってしまったのだ。流石に自覚した初日は自分が男にも恋ができる人間だったなんて、と衝撃を受けたものの、相手はレグルスなんだから惚れても仕方ないだろ、と開き直るのも早かった。

 そこからのニクスの方向転換は素早かった。今まで通り相棒として過ごすのも幸せだろうが、欲を言うならばもっと色んなことをしてみたい。恋人になって、もっと親密になって、恋人ならではの行為もしてみたい。ニクスは人見知りの影響で今までまともに人とお付き合いをしたことがなく、何をすれば恋人になれるのかよくわかっていなかったが、ぼんやりとした知識はあった。恋人になるにはまず、相手からの好意を得ないといけない。友人としての好意ならすでに得ていると思われるので、次は恋愛対象として意識してもらわなければいけない。意識させるには、まずは軽めのボディタッチ、それからプレゼント攻撃、更に二人きりで過ごすロマンチックな時間。ニクスはその手法を冒険者の立ち話や、たまたま食事をしている時に隣に座っていた女の子同士の世間話から学んだので、段階を踏むということを知らない。はっきりした確証がないまま、これでいいだろうと突っ走ってしまえるニクスの無鉄砲さが遺憾なく発揮され、ニクスはレグルスを温泉旅行に誘ったのだ。レグルスが恋愛を意識しているかどうかはニクスにはわからなかったが、なかなか好感触だったように思う。レグルスはおやすみのキスと称したボディタッチにも抵抗を示さなかったし、グラスをプレゼントしたときも喜んでうっとりしていた。急に湯治に行こうと誘ったときも、レグルスは驚きながらも最終的には了承してくれたのである。恋をしたことで舞い上がっているニクスは、ケーロンで無事に宿が取れたらそこでロマンチックな時間を過ごし、そして恋人になってくれと告白するつもりだった。冷静になってみれば失敗する可能性は大いにある。そもそもニクスは、レグルスが男と恋愛ができる人間かどうかも確かめていないのだ。しかしニクスはその失敗を恐れて立ち止まるほど慎重な男ではない。断られたらその時はその時だ、とニクスは男らしく決断していた。恋破れた後の片思いを続けることの辛さを知らないニクスだからこそ、ここまで突っ走れるのかもしれなかった。

 ニクスが旅行に必要な最低限の荷物をまとめて部屋を出ると、ちょうどレグルスも廊下に出てきたところだった。すでに旅装を整えているニクスとは違い、まだちょっと寝ぼけ眼でしょぼしょぼしている。

「わ、早いね。もう準備できたの?」

レグルスはまだ寝間着姿で、ずり上がったシャツの隙間から引き締まった腹筋をのぞかせている。ニクスはその無防備さにドキリとしながらも、ひとまず平静な顔で頷いた。

「湯治って言っても一泊だけだし。いつもの遠征と用意するものは変わらないよ」

「そうだね。ごめん、ちょっと待っててくれる?朝一番の乗合馬車までには間に合うから」

レグルスは珍しく眠そうにあくびを繰り返し、顔を洗うために洗面所に入っていった。実は昨夜、よく眠れなかったのだ。ニクスはどういうつもりで旅行に誘ったんだろう、と考えていると眠れなくなって、結構長い時間ベッドの中でごろごろしながら悩んでいた。ニクスはレグルスを急かさないように、あえてのんびりと階段を下りて、一人で適当にお茶を淹れて飲み始めた。その間にレグルスは手早く身なりを整えて、寝癖だらけだった髪も後ろで一つ結びにして居間に現れた。その肩には革の鞄が一つ。冒険者をしていると家に帰らずに野宿することも多いので、一泊分の荷物くらいはすぐに用意できる。レグルスもニクスも、服装はいつもの討伐に向かう格好と同じだ。乗合馬車に乗っていても、在来生物に襲われることはままある。その時に他の乗客を守って戦えば、運賃がタダになることもある。移動中は半分仕事みたいなものなので、わざわざおめかししても役に立たない。まだ馬車の出発まで時間があるので、レグルスは昨日の残りのパンを使って簡単なサンドイッチを拵えた。今日の昼食にするため、果物と一緒に丁寧に籠に詰め込む。サンドイッチを作る時に余った食材で簡単に朝食をとった二人は、朝日とともに家を出て短い温泉旅行に出かけたのだった。





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