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第二話 ループする世界
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目を開けると見覚えのある天井だった。
「は?」
俺、学院にいたよな。なんで屋敷のベッドにいるんだ。金髪イケメンに挨拶したら怖い顔した先生に指導室に連れていかれて、そして——
え、嘘。そこから何も思い出せない。何がどうなっているのか。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
呆然としていると、メイソン君が部屋に入ってきた。
「メイソン君!」
「なぜ僕の名前をご存知なのですか?」
「だってさっき聞いたから」
「名乗った覚えはありませんが……」
「えっ!」
「あ、あのっ、僕の思い違いかも。申し訳ございません」
メイソン君が何度も何度も頭を下げる。様子がおかしい。まるで俺が意味不明なことを言っているような空気だ。
「メイソン君。今日の俺の予定を聞いてもいい?」
「は、はいっ! 本日は王立学院の入学式に出席される予定です」
「は!?」
メイソン君がビクッと肩を弾ませたが、それどころではない。
あの時俺は確実に学院にいた。金髪イケメンに挨拶して、そしたら怖い先生に首根っこを掴まれて、長々と説教されて——そこで記憶が途切れてる。
夢? でもあんなリアルな感覚、夢で済むはずがない。じゃあ、これは……何なんだ?
「キース様、いつもとご様子が、少し」
「ねえ、メイソン君」
「はっ、はい!」
記憶あったものとは違う、怯えたような声に胸が痛む。
「記憶喪失になったって言ったらどうする?」
「ええっ! でも、僕の名前を覚えているのに」
「自分の名前も、年齢も、家名も思い出せないって言ったら?」
言葉を失ったメイソン君は、しばらくして我に返り「家令に相談します!」と慌てた様子で部屋を出ていった。
それから屋敷は大騒ぎだった。いくつかの問答で記憶喪失が事実だとわかったのか、メイドは目を丸くして大げさに驚き、執事は慌てすぎて転びそうになりながら医者を呼びに部屋を飛び出した。
一人きりになった部屋で医者を待っていると、メイソン君がやってきた。
「あの、お医者様がすぐに来られるので……力になれないかもしれませんが、何でも聞いてくださいね」
「ありがとう」
「この紅茶、気持ちを落ち着ける効果があるみたいですよ」
「沁みる……」
いい子だな。紅茶だけじゃなくてメイソン君の存在にも癒される。
メイソン君が淹れてくれた紅茶は高級って感じの味がした。ペットボトルの紅茶とは全然違う。
「失礼いたします。キース様のお部屋で間違いありませんか? すぐに診察を」
老紳士といった見た目の医者が俺に声をかける。
「はい。お願いします」
これから診察か、と身構えたその時——
また見覚えのある天井だ。わけがわからない。いったい何が起きているのか。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
メイソン君が記憶にあるのと全く同じ声かけをしている。どうしたらいいんだ。下手に動いて前みたいな気まずい空気になるのはいやだ。
「頭痛い」
「お医者様を呼んできます。何かありましたらお声がけください。一度失礼いたします」
このまま何もしなかったらどうなるのだろう。肌触りのいい毛布を頭からかぶる。この不可解な現象から抜け出せるように祈りながら目を閉じ、そして――
目を開けると見覚えしかない天井が目に飛び込んだ。記憶喪失したばかりの頭で同じ日を繰り返すって……拷問か? もうループ三回目だぞ。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
話す気力が湧かず黙って頷くと、メイソン君はほっとした顔をして俺の着替えを手伝い、メイドに朝食の運搬を任せて部屋を出ていった。
基本的に変化はなかったが、俺の世話をしている時のメイソン君は心なしかイキイキしてた気がする。
動くのも億劫だが、現状を打破するため馬車に乗り込んだ。出発は予定より一時間以上遅れ、そのせいで渋滞に巻き込まれてしまった。馬車から降りて歩いて行ったほうが早く着きそうだと思い、運転手に声をかけようと腰を上げた瞬間――
またまたまた見覚えのある天井だ。同じ部屋、同じベッド……マジでなんなの!? 叫びだしそうになるのをなんとかこらえる。
これはもっと積極的に動かないと、いつまでも同じ時間に閉じ込められるかもしれない。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
記憶と寸分も違わないセリフ、表情のメイソン君が部屋に入ってくる。
「メ……」
だめだ。ここで彼の名前を呼んだら、また同じ展開を繰り返すかもしれない。
「め?」
何も知らないメイソン君が、きょとんと首を傾げる。
「め、飯はまだかなー? お腹すいちゃったー」
「えっ!? キース様が僕に声がけを……あ、ごめんなさい。すぐにお持ちいたします!」
俺の発言を真面目に受け止めたメイソン君は、急いで部屋を飛び出した。なんとかごまかせたな。
ベッドから立ち上がり、クローゼットの扉を開ける。鏡に映るのは、死んだ目をしたピンク髪の美少年だ。
すぐそこに掛けてあるシャツを手に取る。袖口のヒラヒラが邪魔だ。制服なのにボタンが留めにくいのは不便すぎる。
「お待たせしました! あの、お着替え手伝いましょうか?」
「一人で着るの難しそうだからお願いしていい?」
「もちろんでございます!」
ちょっと嬉しそうなメイソン君がかわいい。お小遣いあげたくなる。
おそらく彼は頼られたら張り切ってしまうタイプなのだろう。
「君の名前は?」
「メイソンと申します」
「メイソン君、ね。よろしく」
「はい!」
「今日から入学だから人と話す練習がしたくて。付き合ってもらっていい?」
「喜んでお相手させていただきます」
今までにない好感触だ。メイソン君は遠慮せずに頼ったほうがいい方向に転がるっぽいな。
メイソン君は着替えを手伝ったあと、朝食を取りに行くと言って部屋を出た。
メイソン君が配膳してくれた朝食は、記憶にあるものより量が増えていた。俺がお腹すいたと言ったから気を利かせてくれたのだろう。
「うん、美味しい」
正直、何がなんだかわからない。もう全て投げ出して引きこもりたい気持ちでいっぱいだ。だが、それはできない。
すでに同じ朝を五回目過ごしている。四回ループしただけで心がこれだけ消耗しているのに、百回とか続いたら俺は俺でなくなってしまうかもしれない。
朝食を終え、準備のついでにメイソン君と話をする。新しい情報がいくつか増えた。
一番の収穫は、俺の年齢が十五歳だとわかったことだ。メイソン君も俺と同い年らしい。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃいませ」
なんと、メイソン君が馬車に乗る俺を見送ってくれた。これはもう親友になったといっても過言ではない。過去一仲良くなれて嬉しい。
でも、この一日もリセットされるかもしれない。そうなったらしばらく立ち直れないと思う。どうしたらいいかわからないが、絶対に乗り越えたい。
着替えに苦戦しなかったおかげか、一回目より早い時間に学院に到着した。
早すぎるせいか人もまばらだ。あの嘲笑うような、気持ち悪い視線が少なくなったおかげで快適に歩ける。
一回目ではわからなかったけど入学式会場の案内が至る所にあった。これなら余裕で会場に行けそうだ。入学式が始まるまで校内を散策することにした。
人が集まる場所を避けたら薄暗い場所にたどり着いた。
校舎裏の庭は不気味なくらい人がいない。古いベンチがあったので、慎重に腰掛ける。肌寒いくらいだが、煮詰まった頭にはちょうどいい。
いったい何が起こっているのか。ループに気づいているのは世界で俺だけなのか。凄まじい孤独感に押し潰されそうになる。
「げ、先客かよ」
明らかに嫌そうな声。顔を上げて声の正体を確認すると、疲れ切った顔の男が立っていた。背が高い男で、手には火がついた煙草を持っている。あの形状は紙巻き煙草かな。けっこう近代的だ。
黒目黒髪が前世のサラリーマンを思わせるが、鋭い視線と無造作に緩んだネクタイが妙に目を引く。
「座ります?」
「……座る」
「ここ吸っていいんですか?」
「禁止はされてない。だが生徒の前で吸うと怒られる」
おそらく教師であろうその男は、ベンチに腰掛けると断りもなく煙草を吸い始めた。吸うのかよ。これは令和で生き残れないタイプの人間だ。
「ここって人来ないんですか?」
「そう。ここが俺の定位置。言いふらすなよ?」
「知り合いすらいないから大丈夫です」
あの感じだと友達もできる気がしない。せっかくもう一度学生時代を過ごせるというのに味気ない。
「ああ、そうか。お前ネーグルント伯爵家の……」
「え、今何と?」
「悪い。忘れてくれ」
「違います、違います。そういう大人な対応ではなくて、さっきの言葉をもう一回言ってください」
「ネーグルント伯爵家?」
「それです! よっしゃ、情報コンプ!」
よかったー。名前、家名、年齢がわかれば最低限の自己紹介ができる。これで迷子になっても安心だ。
「家名も覚えてないのか」
気の抜けた顔から一変、男が険しい顔になった。急な変化に驚いて声が出せなかった。
「最低限の教育すら受けさせず学院に入学させたか。まったく、反吐が出るね。ネーグルント伯爵閣下は何を考えていらっしゃるのか」
嫌悪を通り越して軽蔑したような、怒りのこもった声だ。
「庶子を入学させたって噂を聞いた時点でろくでもないことは想像できたが、これはちょっと……」
「違う! 違います!」
まさか俺のアホみたいな発言が、伯爵批判に繋がるなんて。これが上流階級の社会ってやつなのか。
「別に俺はお前に怒っているわけじゃない。悪かったな、怖がらせて」
「本当に違くて、伯爵は悪くないんです!」
「そんな必死に庇わなくていい。誰かに言うつもりもないし」
「俺が記憶喪失なだけで、たぶん最低限の礼儀作法は習ってます! うん、さすがにそうだと思います!」
「は? 記憶喪失??」
あ、煙草が地面に落ちた。半分以上残ってたのに、もったいない。
「それ伯爵家の人間に報告したのか?」
「してないです。今日の朝起きたら記憶がなくなってた感じで」
「馬鹿! すぐしろ、医者行け、帰れ!」
「厳しい」
「これでも優しく言ってるわ。感謝しろ」
男が落ちた吸い殻を拾い、携帯灰皿のようなものに突っ込む。
「帰ったほうがいいですかね? これから入学式なんですけど」
「入学式より医者を優先してくれ」
「では失礼します。あ、俺はキース・ネーグルントっていいます。先生の名前を聞いてもいいですか?」
覚えたてのフルネームを名乗ってみる。男は戸惑ったような顔をして、それから「オリヴァー」とだけ答えた。
「家名がオリヴァーなんですか?」
「いや、ただのオリヴァーだよ」
「貴族じゃないってことですか?」
「……まあ、そういうこと」
含みがある間だった。貴族が通う学院の教師だし、いろいろ事情があるのかもしれない。
「また来ますね、オリヴァー先生」
「俺は静かに過ごしたいんだが。気をつけて帰れよ」
早く行けというように手を振られてしまった。負けじと手を振り返して裏庭から脱出する。
なんか、嬉しかった。俺のことを本気で気にかけてくれたことが伝わったから。
それにオリヴァー先生からは嫌な視線が感じられなかった。あの裏庭にいた時、俺は自然に息ができた気がした。
もうすぐあの大きな門に着く。帰りたいけど伯爵家の馬車ってどうやって呼び出せばいいんだろう。最悪歩いて帰るか。
「あの、どこに行くんですか?」
いきなり手首を掴まれた。振り返ると同学年だろうか。俺と同じくらいの身長で、糸目が可愛らしい、癒し系の見た目の男の子がいた。茶色の髪の毛はふわふわのパーマを当てたような感じだ。
「えっと、帰ろうかと思って」
「なぜ?」
「なぜって……それより君、名前は?」
「キース・ネーグルント――あなたは」
そこでなぜ俺の名前? 質問がスルーされて悲しい。
謎の男の子が俺の手首をさらに強い力で掴む。さすがにちょっと痛い。
「あなたは転生者ですか?」
「え……ということは君も」
「やっぱり」
男の子が急に手を離した。彼は緊張した様子で深呼吸を繰り返している。その息が震えているような気がして、こちらにまで緊張が伝わってしまいそうだ。
まさか俺の他に転生者がいたとは。どうしよう。話したいことがたくさんありすぎて考えがまとまらない。
味方かもしれない人物の登場に浮かれていると、男の子がいきなり泣き始めた。
「え? どうした?」
「お願いします!! いい加減、入学式に出てください! もう限界なんです!」
「わかった! わかったから落ち着いて! 目立ってるから、ねっ! ゆっくり呼吸しよ!」
俺たちを中心にして騒ぎが大きくなっていく。必死に彼をなだめるが、ざわめきは収まりそうにない。
俺が入学式に出たら彼は泣き止むのだろうか。頭の中が疑問でいっぱいだ。でもまずは彼を落ち着かせないと。
これ以上騒動を起こさないため、俺は男の子の手を掴んでまた裏庭に戻ることにした。
「は?」
俺、学院にいたよな。なんで屋敷のベッドにいるんだ。金髪イケメンに挨拶したら怖い顔した先生に指導室に連れていかれて、そして——
え、嘘。そこから何も思い出せない。何がどうなっているのか。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
呆然としていると、メイソン君が部屋に入ってきた。
「メイソン君!」
「なぜ僕の名前をご存知なのですか?」
「だってさっき聞いたから」
「名乗った覚えはありませんが……」
「えっ!」
「あ、あのっ、僕の思い違いかも。申し訳ございません」
メイソン君が何度も何度も頭を下げる。様子がおかしい。まるで俺が意味不明なことを言っているような空気だ。
「メイソン君。今日の俺の予定を聞いてもいい?」
「は、はいっ! 本日は王立学院の入学式に出席される予定です」
「は!?」
メイソン君がビクッと肩を弾ませたが、それどころではない。
あの時俺は確実に学院にいた。金髪イケメンに挨拶して、そしたら怖い先生に首根っこを掴まれて、長々と説教されて——そこで記憶が途切れてる。
夢? でもあんなリアルな感覚、夢で済むはずがない。じゃあ、これは……何なんだ?
「キース様、いつもとご様子が、少し」
「ねえ、メイソン君」
「はっ、はい!」
記憶あったものとは違う、怯えたような声に胸が痛む。
「記憶喪失になったって言ったらどうする?」
「ええっ! でも、僕の名前を覚えているのに」
「自分の名前も、年齢も、家名も思い出せないって言ったら?」
言葉を失ったメイソン君は、しばらくして我に返り「家令に相談します!」と慌てた様子で部屋を出ていった。
それから屋敷は大騒ぎだった。いくつかの問答で記憶喪失が事実だとわかったのか、メイドは目を丸くして大げさに驚き、執事は慌てすぎて転びそうになりながら医者を呼びに部屋を飛び出した。
一人きりになった部屋で医者を待っていると、メイソン君がやってきた。
「あの、お医者様がすぐに来られるので……力になれないかもしれませんが、何でも聞いてくださいね」
「ありがとう」
「この紅茶、気持ちを落ち着ける効果があるみたいですよ」
「沁みる……」
いい子だな。紅茶だけじゃなくてメイソン君の存在にも癒される。
メイソン君が淹れてくれた紅茶は高級って感じの味がした。ペットボトルの紅茶とは全然違う。
「失礼いたします。キース様のお部屋で間違いありませんか? すぐに診察を」
老紳士といった見た目の医者が俺に声をかける。
「はい。お願いします」
これから診察か、と身構えたその時——
また見覚えのある天井だ。わけがわからない。いったい何が起きているのか。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
メイソン君が記憶にあるのと全く同じ声かけをしている。どうしたらいいんだ。下手に動いて前みたいな気まずい空気になるのはいやだ。
「頭痛い」
「お医者様を呼んできます。何かありましたらお声がけください。一度失礼いたします」
このまま何もしなかったらどうなるのだろう。肌触りのいい毛布を頭からかぶる。この不可解な現象から抜け出せるように祈りながら目を閉じ、そして――
目を開けると見覚えしかない天井が目に飛び込んだ。記憶喪失したばかりの頭で同じ日を繰り返すって……拷問か? もうループ三回目だぞ。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
話す気力が湧かず黙って頷くと、メイソン君はほっとした顔をして俺の着替えを手伝い、メイドに朝食の運搬を任せて部屋を出ていった。
基本的に変化はなかったが、俺の世話をしている時のメイソン君は心なしかイキイキしてた気がする。
動くのも億劫だが、現状を打破するため馬車に乗り込んだ。出発は予定より一時間以上遅れ、そのせいで渋滞に巻き込まれてしまった。馬車から降りて歩いて行ったほうが早く着きそうだと思い、運転手に声をかけようと腰を上げた瞬間――
またまたまた見覚えのある天井だ。同じ部屋、同じベッド……マジでなんなの!? 叫びだしそうになるのをなんとかこらえる。
これはもっと積極的に動かないと、いつまでも同じ時間に閉じ込められるかもしれない。
「失礼いたします。キース様、お目覚めでしょうか?」
記憶と寸分も違わないセリフ、表情のメイソン君が部屋に入ってくる。
「メ……」
だめだ。ここで彼の名前を呼んだら、また同じ展開を繰り返すかもしれない。
「め?」
何も知らないメイソン君が、きょとんと首を傾げる。
「め、飯はまだかなー? お腹すいちゃったー」
「えっ!? キース様が僕に声がけを……あ、ごめんなさい。すぐにお持ちいたします!」
俺の発言を真面目に受け止めたメイソン君は、急いで部屋を飛び出した。なんとかごまかせたな。
ベッドから立ち上がり、クローゼットの扉を開ける。鏡に映るのは、死んだ目をしたピンク髪の美少年だ。
すぐそこに掛けてあるシャツを手に取る。袖口のヒラヒラが邪魔だ。制服なのにボタンが留めにくいのは不便すぎる。
「お待たせしました! あの、お着替え手伝いましょうか?」
「一人で着るの難しそうだからお願いしていい?」
「もちろんでございます!」
ちょっと嬉しそうなメイソン君がかわいい。お小遣いあげたくなる。
おそらく彼は頼られたら張り切ってしまうタイプなのだろう。
「君の名前は?」
「メイソンと申します」
「メイソン君、ね。よろしく」
「はい!」
「今日から入学だから人と話す練習がしたくて。付き合ってもらっていい?」
「喜んでお相手させていただきます」
今までにない好感触だ。メイソン君は遠慮せずに頼ったほうがいい方向に転がるっぽいな。
メイソン君は着替えを手伝ったあと、朝食を取りに行くと言って部屋を出た。
メイソン君が配膳してくれた朝食は、記憶にあるものより量が増えていた。俺がお腹すいたと言ったから気を利かせてくれたのだろう。
「うん、美味しい」
正直、何がなんだかわからない。もう全て投げ出して引きこもりたい気持ちでいっぱいだ。だが、それはできない。
すでに同じ朝を五回目過ごしている。四回ループしただけで心がこれだけ消耗しているのに、百回とか続いたら俺は俺でなくなってしまうかもしれない。
朝食を終え、準備のついでにメイソン君と話をする。新しい情報がいくつか増えた。
一番の収穫は、俺の年齢が十五歳だとわかったことだ。メイソン君も俺と同い年らしい。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃいませ」
なんと、メイソン君が馬車に乗る俺を見送ってくれた。これはもう親友になったといっても過言ではない。過去一仲良くなれて嬉しい。
でも、この一日もリセットされるかもしれない。そうなったらしばらく立ち直れないと思う。どうしたらいいかわからないが、絶対に乗り越えたい。
着替えに苦戦しなかったおかげか、一回目より早い時間に学院に到着した。
早すぎるせいか人もまばらだ。あの嘲笑うような、気持ち悪い視線が少なくなったおかげで快適に歩ける。
一回目ではわからなかったけど入学式会場の案内が至る所にあった。これなら余裕で会場に行けそうだ。入学式が始まるまで校内を散策することにした。
人が集まる場所を避けたら薄暗い場所にたどり着いた。
校舎裏の庭は不気味なくらい人がいない。古いベンチがあったので、慎重に腰掛ける。肌寒いくらいだが、煮詰まった頭にはちょうどいい。
いったい何が起こっているのか。ループに気づいているのは世界で俺だけなのか。凄まじい孤独感に押し潰されそうになる。
「げ、先客かよ」
明らかに嫌そうな声。顔を上げて声の正体を確認すると、疲れ切った顔の男が立っていた。背が高い男で、手には火がついた煙草を持っている。あの形状は紙巻き煙草かな。けっこう近代的だ。
黒目黒髪が前世のサラリーマンを思わせるが、鋭い視線と無造作に緩んだネクタイが妙に目を引く。
「座ります?」
「……座る」
「ここ吸っていいんですか?」
「禁止はされてない。だが生徒の前で吸うと怒られる」
おそらく教師であろうその男は、ベンチに腰掛けると断りもなく煙草を吸い始めた。吸うのかよ。これは令和で生き残れないタイプの人間だ。
「ここって人来ないんですか?」
「そう。ここが俺の定位置。言いふらすなよ?」
「知り合いすらいないから大丈夫です」
あの感じだと友達もできる気がしない。せっかくもう一度学生時代を過ごせるというのに味気ない。
「ああ、そうか。お前ネーグルント伯爵家の……」
「え、今何と?」
「悪い。忘れてくれ」
「違います、違います。そういう大人な対応ではなくて、さっきの言葉をもう一回言ってください」
「ネーグルント伯爵家?」
「それです! よっしゃ、情報コンプ!」
よかったー。名前、家名、年齢がわかれば最低限の自己紹介ができる。これで迷子になっても安心だ。
「家名も覚えてないのか」
気の抜けた顔から一変、男が険しい顔になった。急な変化に驚いて声が出せなかった。
「最低限の教育すら受けさせず学院に入学させたか。まったく、反吐が出るね。ネーグルント伯爵閣下は何を考えていらっしゃるのか」
嫌悪を通り越して軽蔑したような、怒りのこもった声だ。
「庶子を入学させたって噂を聞いた時点でろくでもないことは想像できたが、これはちょっと……」
「違う! 違います!」
まさか俺のアホみたいな発言が、伯爵批判に繋がるなんて。これが上流階級の社会ってやつなのか。
「別に俺はお前に怒っているわけじゃない。悪かったな、怖がらせて」
「本当に違くて、伯爵は悪くないんです!」
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あ、煙草が地面に落ちた。半分以上残ってたのに、もったいない。
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「厳しい」
「これでも優しく言ってるわ。感謝しろ」
男が落ちた吸い殻を拾い、携帯灰皿のようなものに突っ込む。
「帰ったほうがいいですかね? これから入学式なんですけど」
「入学式より医者を優先してくれ」
「では失礼します。あ、俺はキース・ネーグルントっていいます。先生の名前を聞いてもいいですか?」
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「いや、ただのオリヴァーだよ」
「貴族じゃないってことですか?」
「……まあ、そういうこと」
含みがある間だった。貴族が通う学院の教師だし、いろいろ事情があるのかもしれない。
「また来ますね、オリヴァー先生」
「俺は静かに過ごしたいんだが。気をつけて帰れよ」
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なんか、嬉しかった。俺のことを本気で気にかけてくれたことが伝わったから。
それにオリヴァー先生からは嫌な視線が感じられなかった。あの裏庭にいた時、俺は自然に息ができた気がした。
もうすぐあの大きな門に着く。帰りたいけど伯爵家の馬車ってどうやって呼び出せばいいんだろう。最悪歩いて帰るか。
「あの、どこに行くんですか?」
いきなり手首を掴まれた。振り返ると同学年だろうか。俺と同じくらいの身長で、糸目が可愛らしい、癒し系の見た目の男の子がいた。茶色の髪の毛はふわふわのパーマを当てたような感じだ。
「えっと、帰ろうかと思って」
「なぜ?」
「なぜって……それより君、名前は?」
「キース・ネーグルント――あなたは」
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「え? どうした?」
「お願いします!! いい加減、入学式に出てください! もう限界なんです!」
「わかった! わかったから落ち着いて! 目立ってるから、ねっ! ゆっくり呼吸しよ!」
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