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はじめての秋

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「あ、私眠って!」

 そう言ってオードちゃんが飛び起きたのは、あれから一時間ほど経ってからのことだった。
 三十分と思ったけれども、寝顔を見ていたらいつの間にかそんなに経っていたらしい。
「おはよう、オードちゃん」
「え、え! やだ、寝顔見られて……っ!」
 そうして赤くなる顔をじっくり見つめていたいけれども、そろそろ山登りをするには良い時間で。

「じゃ、行こうか」
 そう言ってバスケットとシートを持って、立ち上がる。
「あ、私が!」
「大丈夫だよ、これくらい。僕、こう見えて体力があるんだ」
 そういてむんっと力こぶを見せてみたら、オードちゃんは笑ってくれて。
 ほんわかした空気になったところで、山へと出発する。

「あ、温泉卵どうする?」
「今日はやめておこう? お昼も準備してあるし、余計な時間使いたくないし……って、寝てた私が言うのも何だけど」
「体力回復、大事大事。じゃあ、登っていこうか」

 そうして僕らは山登りを始める。
 いつも握られている手は今日は両方共僕の手がふさがっているのでお休みで、ちょっとだけ寂しい気持ちになる。
「……やっぱりシートは私が持つよ」
「え? でも少しでも体力を……」
「手を! 繋いでもいいですか?」
「へ?」
「だ、だから……ノルズくんと手をつなぎたいから、その……片手、空けてほしくって」
「……うん! 僕も繋ぎたいって思ってたよ。オードちゃんが疲れたら引っ張れるし、ちょうどいいね」
「うん!」
 そう言って嬉しそうにシートを受け取って、僕らはいつものように手を繋ぐ。
 しうして二人で笑い合って、山の八合目を目指すのだった。

 それから一時間後、無事に八合目についた僕たちは、荷物をおろしてシートの準備をする。
「ちょうどお昼頃についてよかったー。お腹ペコペコだよ」
「そんなに? やっぱり疲れたんじゃ……」
「違う違う! 私は登り慣れてるけど今日は朝が早かったからお腹が減っちゃって……って、あ」
 その言葉に赤面するオードちゃんにプット吹き出して、思わず笑ってしまう。
「大丈夫、早起きしてくれてたのは知ってたから。さ、食べよう? せっかくのピクニックだし」
「うん、そうだね!」
 そう言ってお弁当を広げてみれば、今日はおにぎりが並んでいて。
 その他のおかずは唐揚げとかたまご焼きのいつものおかずに、今日はハンバークやプチメトでかざりつけしたうずらの卵等が並んでいた。
「す、少しいつもより気持ち豪勢にしてみたんだけど……苦手なものとかないかな?」
「大丈夫、僕の苦手なのはピーマだから!」
「ピーマ、苦手なんだ」
 そういってくすくすと笑われて、思わずツンと顔を背ける。
「どうせ子供舌だよ。ピーマは作れても自分では絶対食べないんだ」
「それじゃあ味の善し悪し、わからなくない?」
「出荷するから問題なし!」
 そんな会話をしながらお弁当を平らげて、シートの上に横になる。
 今日はきれいな秋空で、素晴らしいピクニック日和だ。

「そんなにすぐに横になったら牛になちゃうよ?」
「でもすごく空が綺麗だから。ほら、あのくもなんてチーかまに見える」
「え、どれどれ?」
「あ、崩れちゃった」
「もう、言うのが遅いよ!」
「ごめんごめん」
 パシパシと胸のあたりをたt枯れて、クスクスと笑い合う。
 幸せな時間だった。

 でも、本題はこれからで。
 ノールとの話ってやつを、きちんと聞かなきゃいけないのだ。

「…………」
 ころんと、オードちゃんも僕の横に並んで寝転がる。
 雰囲気的にそろそろ来るなと思った時に、オードちゃんは口を開いた。
「ノールと私とキョウはね、幼馴染なんだ」
「うん」
 とうとう始まった話に気を引き締めて、オードちゃんの声に耳を傾ける。
「それこそ物心ついた頃にはもう一緒に遊んでて、ずっとずっと一緒で。そんな中でうちのお母さんがいなくなった時に、ノールが言ったんだ。俺は町長の息子だから、この町からは出ないから結婚しようって」
 幼い頃の約束ってやつかな。僕に覚えはないけれど、あるところにhあるんだな、そう言う話。
「それに嫌だって答えたんだけど、それからずっとノールは私にこだわり続けてる。私の怖がってることを全部知ってて、それでずっと言い続けてくれてるんだと思う。……優しい人なんだよ、口は悪いけど」
「……そっか」
 なんだ、ノールのやつふられてるんじゃないかと内心でほくそ笑んだのは秘密である。
「そんな中、私には外から来たノルズくんって彼氏ができて。いつかいなくなるかもしれないだろうって、心配してくれてるんだと思う。だからこの間、あんなことを……」
「……急に抱きしめられたの?」
「ううん。私がよろけたところを抱きとめてくれただけ。だからノルズくんが殴ろうとしたとき必死で止めたんだ」
「……じゃあ、あれは僕の勘違いか。悪いことをしたかな」
「でも、あれは私がすぐに状況を言わなかったから。ごめんなさい」
「ううん、僕も早とちりしてごめんね。止めてくれて、ありがとう」

「……言いたいことは、あともう一つだけあってね」
「うん?」
「キョウが抱きついてる時、デレデレした顔がすごく嫌だった」
「だからあれは……! ていうかデレデレしてないよ!?」
「キョウとだけじゃなく、他の女の子と一緒にいるのを見ると胸が痛くなる。ノルズくんは私のなのにって思っちゃう。いけないことだって思うんだけど、どうしても思っちゃう」
「……そんなの、僕もだよ。何なら酒場で働いてる時に注文取ってるときにさえ僕嫉妬してるからね?」
「そこまで!?」
「そこまで。あんまり僕のオードちゃんを好きな気持ちを舐めないほうが良いよ? 超重いから」
「確かに、それはちょっと重いかなぁ」
 そういってクスクス笑うのに、ちっともオードちゃんは嫌そうじゃなくて。
 むしろ嬉しそうにしていてくれて、こちらも嬉しくなる。

「オードちゃんは、僕に聞きたいこととかないの?」
「うーん……誕生日?」
「ああ、それなら丁度一週間後くらいかな。僕、秋産まれなんだ」
「え!? どうしてもっと早く言ってくれないの?」
「え、だってそんなに大事なことでもないかなって……」
「大事だよ! すごく大事なこと!」
「そうかなぁ?」
 生まれてこの方、誕生日ってもんをしっかり祝ってもらったことがないから正直あんまり自覚がないんだけれども。
「……じゃあ、誕生日は二人ですごしたいな」
「僕と? いいけど、お店は?」
「お休みとって、いっぱい料理準備して。飾り付けもやっちゃったりして……だめかな?」
「良いけど、あんまり休むとテッドさん怒らない?」
「……今日なんてむしろ泊まらなくていいのか? って聞かれたよ」
「……テッドさん」
 娘にまであけすけなのは勘弁していただきたいところである。

「ノルズくん」
「うん?」
「私ね、もしもいなくなるかもしれない人でもいいやって思えたよ。ノルズくんがもしもどこかへ帰っちゃっても、きっと私はあなたを好きです」
 そう言って、きゅっと握られる手。
 それをきゅっと握り返して、僕も言う。
「僕はどこにも行くつもりはないよ。でもね、運命の人だなんて思ったのは君が初めてです。もしも振られちゃっても、きっとずっと君が好きだよ」
 なんだか照れくさくなって、握った手をするりとくすぐる。
 そうすれば、オードちゃんもそれを返してきて、二人で笑い合う。
 めちゃくちゃになった手をキュッと握れば指と指が絡まって、そのままぎゅっと、前よりもずっと強く強く握り合う。

 もし運命の赤い糸が見えるのなら、君と繋がっていて欲しいと切に願う。
 それほどまでにこの人が愛おしいと、僕はそう思うから。
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