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3、織田信長
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「どうした。早うここへ来い」
低く通る声が広間に響いた。
奥に座す男が、鋭い眼光をこちらへと突き刺してくる。蛇に睨まれた蛙、という言葉があるが、まさに今の俺のことだ。足が竦み、膝が勝手に震えて動けない。
それでも、小姓に続いて膳を持つ手元を追い、ぎこちなく歩を進める。
両脇には武士たちが並び、無言のまま俺を値踏みするように見ていた。視線の圧力が重い。まるで背中に石を積まれているみたいに息苦しい。
やがて一番奥に座る男の前に膳が置かれ、小姓は恭しく下がった。
え? 俺は? また置いて行かれるの!?
つい小姓の袖を掴もうと手を伸ばすが、するりとかわされてしまう
心細さが急に押し寄せ、鉄や彦助が居ないことを呪いたくなる。主人のピンチに家来がいないってどういうこと!?
斎賀の広間に連れて行かれた時よりも、ここはずっと圧が強い。
誰一人声を発さず、それでも視線は鋭く突き刺さる。空気が張り詰め、耳の奥がじんじんする。座るべきか立つべきかもわからず、おろおろと立ち尽くすしかなかった。
(彦助さん……どこが「身体が悪くて動けない人」なんですか!? 奥に座ってる人なんて戦国版チンピラ親分にしか見えないんですけど!)
俺が勝手に想像していたのは、よぼよぼのお爺ちゃん豪商。
なのに実際は――背筋は伸び、眼光は鋭く、声だけで場を支配する武人そのものだった。
鉄に聞かれたら「ちゃんと確認しなかったお前が悪い」と一蹴されそうだ。でも、あんな言い方されたら普通勘違いするだろ!
そう内心で抗議していると、低い声が飛んできた。
「おい、これはなんだ?」
「へ?」
「たわけ。この飯はなんだと聞いておる」
気づけば、奥の男が膳の飯を食べ始めていた。
すでに毒味は済んでいるらしい。
茶碗を片手に、半分ほどを食べ進めて俺の返答を待っている。
「こ、これは……チャーハンといって、炊いた米をさらに調理したものです。米に味をつけ、野菜や肉を混ぜて炒めて……」
「ほう。あの商人が言った通り、今までにない味だ。貴様が考えたのか?」
「いえ……あの、俺の故郷で食べられていたもので……」
「村の料理か?」
「いや……村というより、その……」
「ふん。まあよい。米を麦や粟にすれば百姓でも食えるかもしれぬな」
「は、はい……」
(だったら聞かないでくれ……!)
ひきつった笑顔を無理やり張り付けながら、必死に愛想を繕う。胃がきゅっと縮まる。俺の人生、ここで終わりか?
そこへ、広間の入り口から声がした。
「鉄! 彦助さん!」
助かったああああああ!
顔中に喜びが溢れ、走り寄りそうになる。だがそれより早く彦助さんが進み出て、にこやかに頭を下げた。
「もう食事を運ばれたと聞いて急ぎました。お口に合いましたでしょうか?」
「うむ。今までにない味であった。どこで見つけた?」
「はい、領内の宿屋の前で偶然見つけました」
二人は楽しげにやり取りを始める。
真人はその陰に隠れるように鉄の隣へと腰を下ろした。俯いて動かない鉄に声をかける。
「鉄、顔あげなよ」
「だめだ。今は俺に話しかけるな」
「なんで? 彦助さんが相手してるんだから少しくらい――」
「馬鹿! お前も頭を下げろ! 勝手な真似をすれば斬られるぞ!」
「えっ!? 嘘!?」
鉄の声に慌てて同じ姿勢をとる。けど、混乱は収まらない。
「でも俺、さっきまで立って普通に話してたよ?」
「あほか! あのお方に上から物を言う者などおらん! ここに来た時点で引き返すべきだった。身元がばれたら首が飛ぶぞ」
「……はぁ!?」
声が裏返る。マジで? そんな偉い人なの?
まさかとは思うけど、武将クラスとか……?
考えた瞬間、嫌な予感が背筋を走った。
そのとき、彦助さんがこちらを振り返り、手招きをする。
「こちらが真人と鉄です。鉄は真人の家来だと言っておりましてな」
「い、いや、それは鉄が勝手に……!」
「はっはっは、この間も命令してたじゃないか」
笑って誤魔化す彦助さん。その横で、男がじっと俺たちを見据える。
「鉄とやら。鍛えているな。百姓ではあるまい」
「いえ、元は百姓ですが、今は真人と共に商いをしております」
「家来とはどういうことだ?」
「真人殿に誘っていただいた恩を返したく、自らそう称しております」
全く、よくもまあさらっと嘘を言えるもんだ。真人は笑いそうになるのを必死に堪えた。
男は再び黙って飯を口に運ぶ。その隙に、俺は彦助さんへ尋ねる。
「ところで、この人は……?」
問いかけた瞬間、彦助さんがぎょっと目を見開いた。
「ま、真人……本当に知らなかったのか? このお方は――尾張の大名、織田上総介三郎信長様だ」
「……え?」
頭が真っ白になる。
その名を理解するのに数秒かかった。
「お、織田……信長!?」
反射的に叫んだ俺の声が、広間に木霊する。
「無礼者! 殿を呼び捨てとは何事だ!」
「控えろ、命が惜しくば口を慎め!」
一斉に怒声が上がり、刀の柄に手が掛かる。ぞわりと全身に冷や汗が噴き出す。
(ちょ、待て待て待て! 教科書で見た超有名人が目の前にいるってどういう状況!? ラスボスじゃん!)
俺が狼狽していると、信長は口元をわずかに吊り上げた。
「……面白い」
低く響く一言。
その瞬間、広間を覆っていた怒声がぴたりと止まる。
信長ただ一人の声が、空気を完全に支配していた。
俺はというと、目を見開いたまま呆然と信長を見つめるしかなかった。
……やっばい。ラスボス、引き当てちゃいました。敏之……!
『鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス』
誰もが一度は耳にしたことのある句だ。織田信長を表すとされる、有名すぎる一節。
言うことを聞かぬなら、容赦なく殺してしまえ――その短い言葉に、冷酷で苛烈なイメージが凝縮されている。
実際、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスはこう記していた。
「傲慢で神をも恐れぬ人物。決断を軽々しく口にせず、戦術においても他者の意見をほとんど聞き入れぬ」と。
恐ろしくも、並外れた才覚を持つ人物。
真人が教科書で読んできた「冷酷無比の戦国武将」が、今まさに目の前にいる。
(先生、歴史の授業は真面目に聞いててよかったです……でもできれば“信長攻略本”も欲しいです。使いどころ満載なんですけど!?)
未来の日本史教師に、心の中で本気のSOSを飛ばす。もちろん届くはずもない。
「して、あれはなんだ?」
現実逃避していた真人の頭に、声が響きわたった。
騒がしかった広間も信長の発した一声によって静まり返る。
家臣達が怖かったけど、反射的にうつむき、目を合わせないようにした。
怖すぎる。だって普通、教科書の中の人物と面と向かって話す機会なんてないんだから!
「こちらは沢山作られていたので、お待ちしたちゃあはんでございます」
小姓が説明する声もわずかに震えていた。
「こちらは、沢山作られていたのでお待ちしたちゃあはんです」
「ほう……面白い。ではこやつらにも味見をさせよ」
その一言で家臣たちが動き出す。残ったチャーハンが分けられ、膳の上に並んでいった。
一口、二口。武将たちの口に運ばれていく。
「……これは」
「今までにない……」
小さな声ながら、驚きと興味を含んだ囁きが耳に届く。どうやら悪い反応ではなさそうだ。
考え込んでいる俺をよそに、また彦助さんと信長で会話を始めていた。
談笑してるけど彦助さんも度胸あるよね。
「いい息抜きと食事になった。褒めて使わす」
「望外の喜びでございます。ぜひとも、今後ともご贔屓に」
「また何か見つけたら知らせよ」
「はい」
おおう、抜け目ないな彦助さん。
さすが商人と言ったところか。でもその言葉に気を悪くすることもなく、信長は楽しそうだ。
そしてそのまま、今度は俺へと視線を向けた。
「貴様、百姓の出にしては肝が据わっておるな」
「ブフッ」
いや、全くそんなことないです。
しかし、騒がしい真人の心中など知らない信長は尚も言い募ってくる。
それに加えて、小さかったが横から吹き出す音が聞こえた。
いかにもな真顔を必死に保ちながら、どう見ても笑いを堪えている。
おいコラ。
何をしたのか知らないけど鉄はここに来てから明らかに大人しい。
自分は農民だったとまで嘘をついている。
一体何をやらかしたんだ。
おかげで真人までも元百姓認定である。
訂正する機会をなくしたおかげでそのまま受け入れるしかなくなった。鉄の嘘がばれても面倒くさいことになりそうだ。まあ完全に嘘というわけでないし、もうそれでいいか。
「そ、そのようなことは……。まさか本物の織田信長様だとは思わず……」
「ふん。肝が据わっておるのか、ただの阿呆か……。これだけの武将に囲まれて平然とする奴は珍しい」
いや、全然平然じゃないから! でも突っ込めるわけがない。
その時、信長が箸を置き、低く呟いた。
「ところで、だ。……味が薄い」
「え?」
「これでは物足りん。もっと濃くして参れ。今すぐだ」
ズシンと胃に響くような声。俺は思わず気の抜けた返事をしてしまった。
「は、はぁ……」
本音を言えば、帰れると思って気を抜いていた。まさか二度目の注文が入るとは。
だがふと頭にひらめいた。――ならば、厨房で見つけた“あれ”を使えばいい。
「すみません、確認なんですが……厨房にある物は何でも使ってよろしいのですね?」
「うむ。保管してある物もあるが、好きにするがよい」
「ありがとうございます!」
にっこり笑って礼を言い、足取りも軽く厨房へ駆け戻る。鉄が呆れた顔をしていたが構っていられない。
急にやる気になって自分でも現金だと思うが作戦があるのだ。
その名も、『料理人の特権』
名の通り、料理人は合法的に試食ができる特権を持つ。
多少食べ過ぎても食材で溢れているこの屋敷は多分大丈夫(ばれない)だろう。
ウキウキしながら二度目の厨房に入り、準備を始める。
味付けは少し濃い目にするが、ほぼ手順は同じだ。
ただ、今回は肉もごろごろと入れる。大きめに切って噛みごたえのある食感にするつもりだ。野菜は……ネギだけでいいや。
肉の焼けるいい匂いが漂ってからご飯を投入する。
一人分だけしか作らないからすぐに出来あがりそうだ。
そして炒めている間に大切な隠し味を入れる。
包丁でスライスしてご飯の上にのせて温める。
俺が狙ったのは――蘇。
戦国時代に細々と作られていた、日本最古のチーズとも言える食材。
スライスしてチャーハンに混ぜれば、コクが出て肉と相性抜群。現代なら「チーズ入り炒飯」と言って立派な一品になるやつだ。
その合間合間に俺の口の中に消えていくのはご愛嬌である。……うん、うまい。
最後にほどよく温めたチャーハンを盛り付け、完成である。
入れすぎてもはや隠し味ではないが、これは美味しいだろう。
いつのまにか控えていた小姓さんにまた持ってもらいながら広間へ戻る。
さあ、俺の自信作だ。これなら満足できるはず。
「来たか」
「はい。自信作です」
堂々と差し出す。内心ドキドキだが、ここは自信ありげに振る舞うしかない。
信長が箸を取り、ひと口。――その瞬間、空気が変わった。
殿……?と言う声が聞こえた。
真横からも「おい、何やったんだ?」という言葉をかけられる。
「え? 何が?」
「動き止まってるぞ」
「誰のだよ?」
「前見ろ前」
鉄に言われて前を見ると、信長がチャーハンを食べる手を止めていた。
なんだ? じろじろと観察しているようにも見える。
「殿、いかがいたしましたか?」
一番手前にいた武将が恐る恐る声をかけた。
食べる動きを完全に止め、皿をじっと見つめている。
やばい。何か気に障った?真人の足が震え始める。
「貴様、何を使った?」
「え? チャーハンにですか?」
「え、えっと……ご飯と肉とネギと……あと、蘇を……」
「これが蘇……」
信長の声に、広間が再びざわめいた。
「蘇を……温めて……」
「そんな調理法は聞いたことがないぞ」
家臣たちが小声で交わす言葉に、俺はますます冷や汗をかく。
「……どこで知った」
「え?」
「蘇を温めて調理するなど、この屋敷の料理番ですら思いつかぬ。貴様、どこでその方法を知ったのだ」
信長の眼光が突き刺さる。まるで胸の奥まで覗かれているようだ。
や、やばい。適当な理由を……!
「えっと……チーズと同じように考えて……チーズは温めると美味しいので……」
言った瞬間、しまったと思った。
――チーズなんて、この時代に知られてるのか!?
「チーズ……だと?」
信長が立ち上がる。衣擦れの音に合わせ、家臣たちの視線が一斉に俺に突き刺さる。
(やばいやばいやばい! これ完全に命かかってるやつだ!)
心の中で神様に全力で祈る。初詣しか縁のない神様に。
信長の鋭い瞳と目が合った瞬間、背筋に冷たい刃が走る。
低く通る声が広間に響いた。
奥に座す男が、鋭い眼光をこちらへと突き刺してくる。蛇に睨まれた蛙、という言葉があるが、まさに今の俺のことだ。足が竦み、膝が勝手に震えて動けない。
それでも、小姓に続いて膳を持つ手元を追い、ぎこちなく歩を進める。
両脇には武士たちが並び、無言のまま俺を値踏みするように見ていた。視線の圧力が重い。まるで背中に石を積まれているみたいに息苦しい。
やがて一番奥に座る男の前に膳が置かれ、小姓は恭しく下がった。
え? 俺は? また置いて行かれるの!?
つい小姓の袖を掴もうと手を伸ばすが、するりとかわされてしまう
心細さが急に押し寄せ、鉄や彦助が居ないことを呪いたくなる。主人のピンチに家来がいないってどういうこと!?
斎賀の広間に連れて行かれた時よりも、ここはずっと圧が強い。
誰一人声を発さず、それでも視線は鋭く突き刺さる。空気が張り詰め、耳の奥がじんじんする。座るべきか立つべきかもわからず、おろおろと立ち尽くすしかなかった。
(彦助さん……どこが「身体が悪くて動けない人」なんですか!? 奥に座ってる人なんて戦国版チンピラ親分にしか見えないんですけど!)
俺が勝手に想像していたのは、よぼよぼのお爺ちゃん豪商。
なのに実際は――背筋は伸び、眼光は鋭く、声だけで場を支配する武人そのものだった。
鉄に聞かれたら「ちゃんと確認しなかったお前が悪い」と一蹴されそうだ。でも、あんな言い方されたら普通勘違いするだろ!
そう内心で抗議していると、低い声が飛んできた。
「おい、これはなんだ?」
「へ?」
「たわけ。この飯はなんだと聞いておる」
気づけば、奥の男が膳の飯を食べ始めていた。
すでに毒味は済んでいるらしい。
茶碗を片手に、半分ほどを食べ進めて俺の返答を待っている。
「こ、これは……チャーハンといって、炊いた米をさらに調理したものです。米に味をつけ、野菜や肉を混ぜて炒めて……」
「ほう。あの商人が言った通り、今までにない味だ。貴様が考えたのか?」
「いえ……あの、俺の故郷で食べられていたもので……」
「村の料理か?」
「いや……村というより、その……」
「ふん。まあよい。米を麦や粟にすれば百姓でも食えるかもしれぬな」
「は、はい……」
(だったら聞かないでくれ……!)
ひきつった笑顔を無理やり張り付けながら、必死に愛想を繕う。胃がきゅっと縮まる。俺の人生、ここで終わりか?
そこへ、広間の入り口から声がした。
「鉄! 彦助さん!」
助かったああああああ!
顔中に喜びが溢れ、走り寄りそうになる。だがそれより早く彦助さんが進み出て、にこやかに頭を下げた。
「もう食事を運ばれたと聞いて急ぎました。お口に合いましたでしょうか?」
「うむ。今までにない味であった。どこで見つけた?」
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真人はその陰に隠れるように鉄の隣へと腰を下ろした。俯いて動かない鉄に声をかける。
「鉄、顔あげなよ」
「だめだ。今は俺に話しかけるな」
「なんで? 彦助さんが相手してるんだから少しくらい――」
「馬鹿! お前も頭を下げろ! 勝手な真似をすれば斬られるぞ!」
「えっ!? 嘘!?」
鉄の声に慌てて同じ姿勢をとる。けど、混乱は収まらない。
「でも俺、さっきまで立って普通に話してたよ?」
「あほか! あのお方に上から物を言う者などおらん! ここに来た時点で引き返すべきだった。身元がばれたら首が飛ぶぞ」
「……はぁ!?」
声が裏返る。マジで? そんな偉い人なの?
まさかとは思うけど、武将クラスとか……?
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そのとき、彦助さんがこちらを振り返り、手招きをする。
「こちらが真人と鉄です。鉄は真人の家来だと言っておりましてな」
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「はっはっは、この間も命令してたじゃないか」
笑って誤魔化す彦助さん。その横で、男がじっと俺たちを見据える。
「鉄とやら。鍛えているな。百姓ではあるまい」
「いえ、元は百姓ですが、今は真人と共に商いをしております」
「家来とはどういうことだ?」
「真人殿に誘っていただいた恩を返したく、自らそう称しております」
全く、よくもまあさらっと嘘を言えるもんだ。真人は笑いそうになるのを必死に堪えた。
男は再び黙って飯を口に運ぶ。その隙に、俺は彦助さんへ尋ねる。
「ところで、この人は……?」
問いかけた瞬間、彦助さんがぎょっと目を見開いた。
「ま、真人……本当に知らなかったのか? このお方は――尾張の大名、織田上総介三郎信長様だ」
「……え?」
頭が真っ白になる。
その名を理解するのに数秒かかった。
「お、織田……信長!?」
反射的に叫んだ俺の声が、広間に木霊する。
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「控えろ、命が惜しくば口を慎め!」
一斉に怒声が上がり、刀の柄に手が掛かる。ぞわりと全身に冷や汗が噴き出す。
(ちょ、待て待て待て! 教科書で見た超有名人が目の前にいるってどういう状況!? ラスボスじゃん!)
俺が狼狽していると、信長は口元をわずかに吊り上げた。
「……面白い」
低く響く一言。
その瞬間、広間を覆っていた怒声がぴたりと止まる。
信長ただ一人の声が、空気を完全に支配していた。
俺はというと、目を見開いたまま呆然と信長を見つめるしかなかった。
……やっばい。ラスボス、引き当てちゃいました。敏之……!
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言うことを聞かぬなら、容赦なく殺してしまえ――その短い言葉に、冷酷で苛烈なイメージが凝縮されている。
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現実逃避していた真人の頭に、声が響きわたった。
騒がしかった広間も信長の発した一声によって静まり返る。
家臣達が怖かったけど、反射的にうつむき、目を合わせないようにした。
怖すぎる。だって普通、教科書の中の人物と面と向かって話す機会なんてないんだから!
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小姓が説明する声もわずかに震えていた。
「こちらは、沢山作られていたのでお待ちしたちゃあはんです」
「ほう……面白い。ではこやつらにも味見をさせよ」
その一言で家臣たちが動き出す。残ったチャーハンが分けられ、膳の上に並んでいった。
一口、二口。武将たちの口に運ばれていく。
「……これは」
「今までにない……」
小さな声ながら、驚きと興味を含んだ囁きが耳に届く。どうやら悪い反応ではなさそうだ。
考え込んでいる俺をよそに、また彦助さんと信長で会話を始めていた。
談笑してるけど彦助さんも度胸あるよね。
「いい息抜きと食事になった。褒めて使わす」
「望外の喜びでございます。ぜひとも、今後ともご贔屓に」
「また何か見つけたら知らせよ」
「はい」
おおう、抜け目ないな彦助さん。
さすが商人と言ったところか。でもその言葉に気を悪くすることもなく、信長は楽しそうだ。
そしてそのまま、今度は俺へと視線を向けた。
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「ブフッ」
いや、全くそんなことないです。
しかし、騒がしい真人の心中など知らない信長は尚も言い募ってくる。
それに加えて、小さかったが横から吹き出す音が聞こえた。
いかにもな真顔を必死に保ちながら、どう見ても笑いを堪えている。
おいコラ。
何をしたのか知らないけど鉄はここに来てから明らかに大人しい。
自分は農民だったとまで嘘をついている。
一体何をやらかしたんだ。
おかげで真人までも元百姓認定である。
訂正する機会をなくしたおかげでそのまま受け入れるしかなくなった。鉄の嘘がばれても面倒くさいことになりそうだ。まあ完全に嘘というわけでないし、もうそれでいいか。
「そ、そのようなことは……。まさか本物の織田信長様だとは思わず……」
「ふん。肝が据わっておるのか、ただの阿呆か……。これだけの武将に囲まれて平然とする奴は珍しい」
いや、全然平然じゃないから! でも突っ込めるわけがない。
その時、信長が箸を置き、低く呟いた。
「ところで、だ。……味が薄い」
「え?」
「これでは物足りん。もっと濃くして参れ。今すぐだ」
ズシンと胃に響くような声。俺は思わず気の抜けた返事をしてしまった。
「は、はぁ……」
本音を言えば、帰れると思って気を抜いていた。まさか二度目の注文が入るとは。
だがふと頭にひらめいた。――ならば、厨房で見つけた“あれ”を使えばいい。
「すみません、確認なんですが……厨房にある物は何でも使ってよろしいのですね?」
「うむ。保管してある物もあるが、好きにするがよい」
「ありがとうございます!」
にっこり笑って礼を言い、足取りも軽く厨房へ駆け戻る。鉄が呆れた顔をしていたが構っていられない。
急にやる気になって自分でも現金だと思うが作戦があるのだ。
その名も、『料理人の特権』
名の通り、料理人は合法的に試食ができる特権を持つ。
多少食べ過ぎても食材で溢れているこの屋敷は多分大丈夫(ばれない)だろう。
ウキウキしながら二度目の厨房に入り、準備を始める。
味付けは少し濃い目にするが、ほぼ手順は同じだ。
ただ、今回は肉もごろごろと入れる。大きめに切って噛みごたえのある食感にするつもりだ。野菜は……ネギだけでいいや。
肉の焼けるいい匂いが漂ってからご飯を投入する。
一人分だけしか作らないからすぐに出来あがりそうだ。
そして炒めている間に大切な隠し味を入れる。
包丁でスライスしてご飯の上にのせて温める。
俺が狙ったのは――蘇。
戦国時代に細々と作られていた、日本最古のチーズとも言える食材。
スライスしてチャーハンに混ぜれば、コクが出て肉と相性抜群。現代なら「チーズ入り炒飯」と言って立派な一品になるやつだ。
その合間合間に俺の口の中に消えていくのはご愛嬌である。……うん、うまい。
最後にほどよく温めたチャーハンを盛り付け、完成である。
入れすぎてもはや隠し味ではないが、これは美味しいだろう。
いつのまにか控えていた小姓さんにまた持ってもらいながら広間へ戻る。
さあ、俺の自信作だ。これなら満足できるはず。
「来たか」
「はい。自信作です」
堂々と差し出す。内心ドキドキだが、ここは自信ありげに振る舞うしかない。
信長が箸を取り、ひと口。――その瞬間、空気が変わった。
殿……?と言う声が聞こえた。
真横からも「おい、何やったんだ?」という言葉をかけられる。
「え? 何が?」
「動き止まってるぞ」
「誰のだよ?」
「前見ろ前」
鉄に言われて前を見ると、信長がチャーハンを食べる手を止めていた。
なんだ? じろじろと観察しているようにも見える。
「殿、いかがいたしましたか?」
一番手前にいた武将が恐る恐る声をかけた。
食べる動きを完全に止め、皿をじっと見つめている。
やばい。何か気に障った?真人の足が震え始める。
「貴様、何を使った?」
「え? チャーハンにですか?」
「え、えっと……ご飯と肉とネギと……あと、蘇を……」
「これが蘇……」
信長の声に、広間が再びざわめいた。
「蘇を……温めて……」
「そんな調理法は聞いたことがないぞ」
家臣たちが小声で交わす言葉に、俺はますます冷や汗をかく。
「……どこで知った」
「え?」
「蘇を温めて調理するなど、この屋敷の料理番ですら思いつかぬ。貴様、どこでその方法を知ったのだ」
信長の眼光が突き刺さる。まるで胸の奥まで覗かれているようだ。
や、やばい。適当な理由を……!
「えっと……チーズと同じように考えて……チーズは温めると美味しいので……」
言った瞬間、しまったと思った。
――チーズなんて、この時代に知られてるのか!?
「チーズ……だと?」
信長が立ち上がる。衣擦れの音に合わせ、家臣たちの視線が一斉に俺に突き刺さる。
(やばいやばいやばい! これ完全に命かかってるやつだ!)
心の中で神様に全力で祈る。初詣しか縁のない神様に。
信長の鋭い瞳と目が合った瞬間、背筋に冷たい刃が走る。
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それもその筈…上に、二人の兄と姉がいるからだ。
なので、兄や姉が後継を拒まない限り、跡目争いに巻き込まれるわけではないのだ。
そんなわけで、厳しく育てられては来たが…抜け道を探しては良く遊んでいた。
…という、日頃の行いが悪い事をしていた所為か…
まさか、あんな事に巻き込まれるなんてなぁ?
この物語はフィクションです。
実在の人物や団体とは一切関係がありません。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
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断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
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これは、
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支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
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日本の企業で総務として働く星野明日虎(32歳)は、ある日突然、見知らぬ宇宙の帝国へと転移してしまう。彼が配属されたのは、整理整頓もままならない「銀河最弱」の補給艦隊だった!
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※この作品は、「小説家になろう」「カクヨム」でも連載しています
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