一途な刺客 〜暗殺者の恋路〜

神谷アキ

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1、ナンパ男

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「いただきます」

 軽く手を合わせて目の前に置かれた冷やし中華に箸をつける。口に入れると、きゅうりのさっぱりとした味に少し酸味のあるタレと麺が絡まって本当に美味しい。
 朝目覚まし時計がなった時、起きられなくてあと五分だけ寝ようとしたら、その後三十分も寝てしまったのだ。おかげで、これが今日の一食目だ。

「そういえば夏美、今朝のニュース見た?」

「いや、今日はちょっと寝坊しちゃって見る暇なかった。何のニュース?」

 ずるずるっと麺をすすっているとさゆりがスマホを見せて来た。
 今私達は大学の学食でお昼ご飯を食べている。さゆりが頼んだご飯も食べずに、スマホをいじっていたのはこの画面を見つけるためだったようだ。

「見て、これ。この間話してたやつだよね。亀広組って」

「亀広組? ああ、前ニュースになってたあの組ね。しばらく一人の時は気を付けていたけど、そこがどうかしたの?」

「それがね、亀広組が運営している貸金会社があるんだけど、そこが襲撃されたんだって! しかも、中にいた人は皆怪我してたんだけど机の上にね、今までの悪事を書いた紙が置いてあったらしいの! そこにいた人は逮捕されたらしいよ」

「じゃあ、誰かわからないけどその人達を襲ってわざわざ警察に捕まるようにした人がいるってこと?」

「そうなの! すごくない? 誰だかわからないけど強くてかっこいい人だよぉ」

 さゆりが両手を組んでうっとりした顔をする。けれど、組が運営する事務所に入るなんて怖い人だと思うけれど……。
 でも楽しそうなさゆりに水を刺すような真似はせず、ちゅるっと次の麺を口に含んだ。



 これはどうすべきなのだろうか?
 俺は今、外で食事を済まそうと家を出てきたところだ。そこで、隣の玄関に倒れている傘を見つけてしまった。

 外を見ると、ザァザァと音を立てながら雨が降り注いでいる。さっき降り始めたばかりなのにかなりの勢いだ。道ゆく人も突然降って来た雨に、早足になりながら雨宿りできる場所へと走っていく。それを眺めてからまた視線を傘へと移した。
 まあ、ある程度の予想はつく。大方、天気予報で雨が降るのを知って傘を持ってきたが、家の鍵を閉めるときに一瞬置いてそのまま忘れて行ってしまったのだろう。

 多分今頃は大学にいるから、もし帰ろうとしていたなら困っていると思う。でも、誰か仲の良い友達に傘を借りているかもしれない。地面に倒れている傘を手に取り、どうするべきなのか迷ってしまう。

 どこの大学かも聞いているし、自分自身はそこそこ夏美ちゃんと仲良くなれていると思っている。しかし相手からしたらどうだろうか?
 バーでナンパしてきて、いつも夕食だけ食べに来る面倒な男。絶対にろくでもない印象しか持たれていない。そんな男が急に大学までやって来て傘を届けに来たら、いくら俺でもストーカーとして通報されるんじゃないだろうか。

 あれだけ一緒に居たんだから連絡先くらい交換しておけばよかった。でもプライベート用の携帯でも、もし俺が仕事でヘマをした時に着信履歴から仲間だと勘違いされても困る。もしものことを考えるとなかなか言い出せない。
 正直、夏美ちゃんの電話番号はわかっている。酔って帰って来た日にソファに寝かせた後、少々携帯をいじらせてもらった。悪いとは思うが通話履歴から簡単な交流関係を、持ってきたパソコンにデータを移して調べさせてもらった。その際、夏美ちゃんの番号も暗記していた。

 その中で一人だけ、偽名で登録したスマホを使っている奴がいたが他の人は普通の友達だろう。特にさゆりという人物と仲良くしているらしい。大学生活を満喫しているようで何よりだ。
 偽名を使っている奴は時間が空き次第調べることにするか。この間は普段の仕事とは別口で亀広組の依頼を受けたから忙しかった。でもそれにかこつけて、木崎をムショに入れることができたから良しとしよう。これでバイト中に困ることもなるなるはず。

 ここまで考えたところで、ふと空が暗くなっているのに気がついた。雨雲が空を覆って本格的に降り始めそうだ。遠くでゴロゴロと唸るような音も聞こえてくる。
 うだうだ悩んでいてもしょうがない。夏美ちゃんを迎えに行くか。右手で傘をさし、左手で夏美ちゃんの傘を持つ。パチャパチャと雨音を立てる水たまりを避けながら歩き続けていると、大学の入り口が見えてきた。 
 帰り支度の学生もいるかと思っていたが、まだ授業中らしく歩いている学生はほぼ見当たらない。

「えーと、夏美ちゃんはどこかな」

 雨で人通りの少ないキャンパス内を見学しながら移動する。建物の中に入るとすれ違いになる可能性があるから外を散歩するしかない。しばらくうろうろとふらついていたが、夏美ちゃんが何限まであるかわからないため一旦座って待つことにした。
 自動販売機の横に屋根付きのベンチがある。傘を閉じてベンチの背もたれ部分にかけ、飲み物を買った。このぬるくてジメジメとした気温には冷たい炭酸が一番だ。キャップを回した時のシャワッという爽快な音が耳に残る。飲んだ時の弾けるような刺激が喉を通っていくのが気持ちいい。
 ゴクゴクッと三分の一くらい飲んでひとまずキャップを閉める。そのタイミングで、見知らぬ男に話しかけられた。

「すいません、そこどいてもらっていいですか」

 少し目つきの鋭い茶髪の学生に言われ横にずれる。立ったまま飲んでいたから俺が邪魔で買えなかったのか。すぐ後ろで止まったけど何も言わないから無視していたのに。そう言うことは早く言いなよ。

「ごめんごめん。ところで学生くん、今授業終わったの?」

「ああはい、ちょうど終わったところですけど……。ここの生徒じゃないんですか?」

 お釣りを取りながら訝しげに目を向けられる。部外者でもちゃんとした用事があるならセーフだろ。

「そうそう、雨がすごいけど家に傘忘れちゃった子がいてさ。届けに来たんだよ」

 話をしながらベンチにかけてある傘を指差して教える。そうすると「なるほど」と納得したように頷いた。そして同時にこの男も傘を持っていないことに気がつく。

「あれ、君の傘は?」

「家に忘れたので、どうせなら課題をして時間を潰そうかと思ってて」

「ほお、真面目だなあ今時の学生は。夏美ちゃんも宿題はちゃんとやりそうなタイプだしすごいね」

「あんまり年齢変わらない気が……あの、夏美ちゃんって長谷川のことですか?」

「あ、知ってるの? じゃあさ、ちょっと教えてくれない? 俺その子探してるんだよね」

 あと授業いくつ取ってるか知ってる?、と尋ねると驚いた表情をして俺を見てきた。

「傘を渡しにきた相手ってーーーーーー」

「あ! 智也なんでここにいるのよ!?」

 途中まで何か言いかけたが、突如横から割り込んできた声にかき消された。見ると夏美ちゃんが小走りでこっちに近づいてくる。「今度は何やったの」と小言を言いながらそばに来ると、眉をしかめながら詰め寄ってきた。

「ちょっと、大学まで来るなんてどうしたの。まさか料理失敗して火事でも起こしたの!? それか家に鍵をなくして家に入れなくなったとか?」

「さすがにそこまでしたことはないよ、夏美ちゃん。俺ってそんな風に思われてたの?」

 唇を突き出してしょんぼりとした雰囲気を出す。横から「えぇ……」と言う声が聞こえたがガン無視だ。

「だって智也ならあり得そうじゃない。そうじゃないなら何でここに来たの?」

「大したことはなくて、ただ夏美ちゃんに傘を届けにきただけだから! 玄関に忘れていったでしょ? 家を出た時にドアの脇に倒れてるの見つけて持ってきたのにぃ。ひどくなぁい?」

「え、じゃあ傘を届けるためだけにここに?」

「うん、そう。夏美ちゃんが傘なくて困ってるかもと思って暇だったし持ってきた」

 ほら、と言いながら持ってきた傘で証拠を見せる。手に持って自分の物だと確認すると、目を丸くしながらも「私のだ」と呟いていた。

「今日寝坊して朝急いでいたからすっかり忘れてた。ちゃんと傘を持って家を出たと思っていたのに無かったからどうしようかと思ってたの。ちょうどよかった」

 ほっと安心した顔で言われて嬉しくなる。調子にのって「ご褒美は……」と言い出したところで影になっていた人物が声を出した。

「えっと、口を挟んじゃって悪いんだけど。二人って同棲してるの?」

「なっ、た、高橋君!?」

 突然の爆弾発言に夏美ちゃんが大慌てしている。違うんだからそんなに慌てなくても良いのに。
 両手を振って一生懸命違うって説明していたから、ちょっとだけからかってみたくなった。

「だから智也とは隣人なの! 私同棲なんて誰ともしていないから!」

「そうそう! 俺達、半同棲状態だもんねえ」

 夏美ちゃんの肩に腕を回して言うとすごい顔で睨まれてしまった。「うわ、こわぁい」と言って苦笑いしながら手を離すと、高橋、と呼ばれた男が遠慮気味に尋ねてくる。

「それじゃ、結局のところ仲のいい隣人ってこと?」

「そうよ! 紛らわしいことばっかり言ってるけど、料理を失敗したときだけ夕食を食べに来てるんだから。きっと私なんて都合のいい奴にしか思われてない」

「ええ、そんなこと思ってないよ。ちゃんと初めて会ったときに言ったじゃん、夏美ちゃんタイプなんだって。だから都合のいい奴なんて思ったことないのにー」

 やっぱりロクでもない印象しか持たれてなかった。「ねえねえ、勘違いだから機嫌直して」と纏わりついても素っ気なく「どうだか」と言って鼻で笑われてしまう。
 これは俺の話は聞いてくれそうにない。くるっと方向転換をして小声で指示を出した。

「君、出番だ!」

「はい? えっと俺、ですか?」

「そう、君だよ君! 夏美ちゃんに俺が雨の中どれだけ待っていたか、とくと説明してあげて!」

 目で早く早くと急かしながら、無理やり背中を押して夏美ちゃんのそばまで行かせる。急な役目に驚いていたが、「あー」と髪をくしゃくしゃっと手でかくと辿々しくも説得してくれた。

「あー、その、長谷川。普段はそうかもしれないけど雨の中お前を待ってたのは本当だぞ? 俺が来た時にはここに居たからな。わざわざ傘を持って来てくれるなんて優しい人だと思うけど」

「それは、そうかもしれないけど……」

「本当に都合のいい奴としか思っていなかったら、わざわざここまで来て待ったりしないって。そもそも、長谷川がいつ授業終わるのか分からなくて俺に聞いてきたくらいだし。もしまだ授業が終わらなくても、ここで待つつもりだったんじゃないか?」

 これを聞いて、予想もしていなかったとでも言うように少しだけ目を見開く。うんうんと頷く俺を見て小さく呟いた。

「そうだったんだ……。気まぐれに傘を渡すついでに遊び来たとしか思わなかった。ありがと、智也」

「どーいたしまして! 君、説得力あるね。やるじゃん。それでなんだけど、俺の傘あげるからそれで帰りなよ。これだけ暗いと雨もいつ止むかわからないでしょ? はいこれ」

 ずいっと自分用の傘を高橋という男に手渡す。訳がわからない感じでも、しっかり受け取ったのを見てうんうんと頷いた。

「あの、そしたら自分の傘は?」

「そうよ、智也はどうするの?」

 二人して同じ疑問を口にする。それもそうだ、そしたら自分は濡れてしまう。不思議そうな二人に口角をにんまりと上げると、思いついた名案を口にした。

「ああ大丈夫。俺夏美ちゃんの傘に入れてもらうから。せっかくの相合傘できる機会なんだからさ、ね?」

「ね? って言われても、そんなこと聞いてないわよ。私は嫌。ここ大学なのに周りに勘違いされちゃうじゃない。既に目立ってるみたいだし」

 言葉通り、見知らぬ男がいるからかこっちを見てひそひそと話されている雰囲気がある。怪しい人じゃないよっと軽く手を振ると、何人かの女子学生はきゃあっと声を挙げて振り返してくれた。

「皆かわいい子ばっかりだね。でもさ、夏美ちゃんと相合傘をしないと高橋君が帰れないよ? 傘忘れたっぽいけど雨止みそうにないし」

「何をやってるのよ全く。ナンパしに来たんならすぐに帰って」

「あの、俺は別に大丈夫なんで。そんな気にして貰わなくても……」

「いいや、雨止みそうにないよ。それあげるから帰れるうちに帰っといたほうがいいんじゃない? ザーザーじゃん、ちょー勢いあるよ」

「でも確かにこれじゃ止みそうにないよね。……わかった、今回だけだからね」

 外と俺の顔を見比べて、仕方がないというのを前面に押し出して了承してもらった。でも言質は取れた。早速とばかりに夏美ちゃん手から代わりに傘を持って広げる。

「じゃあ早く帰ろう。あ、君も早く帰った方がいいよ。じゃあねん」

「あの、ありがとうございます。長谷川もサンキュな」

「ううん、気にしないで。またね高橋君」

「ああ、またな」

 にこやかな顔をして二人が軽く挨拶をする。なんかムッとするな。そこで、高橋君とやらに見せつけるように夏美ちゃんの肩をぐっと引き寄せた。

「夏美ちゃん近寄らないと肩濡れるよ? ほらほら、もっとこっち来て」

「きゃっ、ちょ、こんなに近寄る必要あるの?」

「あるに決まってるじゃん、傘小さいんだし、
あ、ねえ、俺食べ物買いに行こうと思ってたんだけど、夏美ちゃんもどっか食べに行かない?」

「この天気で? お店についてもびしょ濡れだよ」

「でもきっと雨でお客さん居ないだろうから空いてるはずだよ。それに俺が傘持ってるから濡れないって。傘持ちうまいから、俺」

「上手も下手もないと思うけど。ま、いっか。じゃあ、私行きたいお店あるんだけど」

「いいよ、何処? 美味しいの?」

「うん、すっごく! 雰囲気も良くて気に入ってるの」

「へえ、そんなに? じゃ、お腹空いたし早く行こ。はいレッツゴー!」

「あ、待って速い!」

 雨音に負けない声で掛け声をかけた。どんどん勝手に行く俺に置いて行かれないように、夏美ちゃんが早足で着いてくる。
 その時に微かに傘の位置をずらす。そっと横目で見ると「歩くのが速い」って文句を言っていて気付いていない。そのまま進んでいくと、夏美ちゃんが感心したように声を上げた。

「あ、ほんとに濡れないかも。傘さすのが上手いって嘘じゃなかったんだ」

「でしょでしょ? 俺ね、背があるから上からしっかりカバー出来るの」

「そこまで高くないじゃん」

 冗談も交えると笑いながら答えてくれる。「他の人から見たらカップルだね」ってからかうとバシッと背中を叩かれた。

「痛っ」

 いつもの調子でふざけながらも、足取り軽くお店まで歩く。肩から伝わる冷たさも、全く気にせずに笑い声を上げた。
 



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