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CASE 05:SNSの足跡 野上瑞穂(36)仮名
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野上瑞穂(36)にとって、インスタグラムは「理想の自分」を維持するための欠かせない舞台だった。夫の健吾(39)は真面目で無機質なエンジニア。娘の紬(5)を連れて行く公園や、手作りの弁当、そうした幸せの断片を投稿し、見知らぬ誰かから「いいね」を貰うことで、瑞穂は何とか日々の退屈を凌いでいた。
その舞台に、ある時、一人の「共演者」が現れた。同じ幼稚園に通うママ友の夫、伊沢(38)だ。広告代理店で働く彼は、瑞穂の投稿に気の利いたコメントを寄せ、二人は次第にダイレクトメッセージで言葉を交わすようになった。
「瑞穂さんの写真、いつもセンスがいいね。今度、もっと綺麗な景色を見に行かない?」
二人の密会は、いつも慎重だった。健吾(39)には「実家の母の調子が悪い」と嘘をつき、紬(5)を延長保育に預けて、隣町のホテルや海辺の隠れ家レストランへ向かった。
「私たち、うまくやってるよね」
そう笑い合う伊沢の横顔を見ながら、瑞穂はスリルと背徳感に酔いしれた。しかし、彼女の「誰かに見てほしい」という性分は、不倫という秘め事の中でも消えることはなかった。
ある初夏の日、伊沢とのドライブで訪れた海辺のカフェ。真っ青な空と海が広がる絶景を前に、瑞穂は抗えなかった。スマホを構え、美しいテラス席の風景を撮影する。
(自分も伊沢さんも写っていない。風景だけなら大丈夫……)
瑞穂は「一人でリフレッシュ」という言葉を添えて、その写真をアップした。
それが破滅の引き金になるとは、夢にも思わずに。
その夜、ママ友たちのグループラインが、かつてない速さで通知を刻み始めた。
《瑞穂さんの今日の投稿、見た?》
《あのカフェの窓ガラス……拡大してみて。伊沢さんのあの派手なキャリアの車が写り込んでない?》
《それに、窓に反射してるこの男の人、伊沢さんだよね。瑞穂さん、一人じゃなかったんだ》
現代のママ友たちの観察眼は、FBIの捜査官並みに鋭かった。彼女たちは、瑞穂が過去にアップした「夫からもらった」というプレゼントの時期と、伊沢の出張の時期まで照らし合わせ、瞬く間に二人の関係を特定していった。
翌朝、幼稚園の門をくぐった瞬間、空気の温度が下がったのを瑞穂は肌で感じた。それまで親しげに笑っていたママ友たちが、一斉に視線を逸らし、ひそひそと耳打ちを始める。
「瑞穂さん、話があるんだけど」
待ち構えていたのは、伊沢の妻だった。彼女の目には、憎しみと軽蔑が煮えたぎっていた。
「私の夫と、どんな景色を見てたの? 紬ちゃんと私の娘が親友なのも知ってて、よくそんな写真を上げられたわね!」
園庭に響き渡る怒号。集まった保護者たちの好奇の目。その中心で、瑞穂はただ立ち尽くすしかなかった。噂はすぐに健吾(39)の耳にも入り、彼は無言でスマホを瑞穂の前に置いた。画面には、ママ友たちが保存し、赤丸で「証拠」を囲ったあの写真が映し出されていた。
「母さんの手伝いじゃなかったんだな。……もう、お前を信じることはできない」
結局、瑞穂たちは逃げるように遠方の町へ引っ越した。しかし、一度ネットの海に流れた噂や写真は消えない。新しい幼稚園でも、瑞穂は常に誰かの視線に怯え、SNSのアカウントは二度と開けなくなった。
何より辛いのは、大好きだった友達と引き離された紬(5)の涙だった。
「どうしてお友達とバイバイなの? 私、何か悪いことした?」
娘にそう聞かれるたび、瑞穂は胸を掻きむしりたくなる。自分が求めた「いいね」の代償は、娘の笑顔と、家族の平穏な未来をすべて焼き尽くしてしまった。窓ガラスに写ったあの一筋の光が、自分の人生を暗闇に突き落とす呪いになるとは、思いもしなかったのだ。
その舞台に、ある時、一人の「共演者」が現れた。同じ幼稚園に通うママ友の夫、伊沢(38)だ。広告代理店で働く彼は、瑞穂の投稿に気の利いたコメントを寄せ、二人は次第にダイレクトメッセージで言葉を交わすようになった。
「瑞穂さんの写真、いつもセンスがいいね。今度、もっと綺麗な景色を見に行かない?」
二人の密会は、いつも慎重だった。健吾(39)には「実家の母の調子が悪い」と嘘をつき、紬(5)を延長保育に預けて、隣町のホテルや海辺の隠れ家レストランへ向かった。
「私たち、うまくやってるよね」
そう笑い合う伊沢の横顔を見ながら、瑞穂はスリルと背徳感に酔いしれた。しかし、彼女の「誰かに見てほしい」という性分は、不倫という秘め事の中でも消えることはなかった。
ある初夏の日、伊沢とのドライブで訪れた海辺のカフェ。真っ青な空と海が広がる絶景を前に、瑞穂は抗えなかった。スマホを構え、美しいテラス席の風景を撮影する。
(自分も伊沢さんも写っていない。風景だけなら大丈夫……)
瑞穂は「一人でリフレッシュ」という言葉を添えて、その写真をアップした。
それが破滅の引き金になるとは、夢にも思わずに。
その夜、ママ友たちのグループラインが、かつてない速さで通知を刻み始めた。
《瑞穂さんの今日の投稿、見た?》
《あのカフェの窓ガラス……拡大してみて。伊沢さんのあの派手なキャリアの車が写り込んでない?》
《それに、窓に反射してるこの男の人、伊沢さんだよね。瑞穂さん、一人じゃなかったんだ》
現代のママ友たちの観察眼は、FBIの捜査官並みに鋭かった。彼女たちは、瑞穂が過去にアップした「夫からもらった」というプレゼントの時期と、伊沢の出張の時期まで照らし合わせ、瞬く間に二人の関係を特定していった。
翌朝、幼稚園の門をくぐった瞬間、空気の温度が下がったのを瑞穂は肌で感じた。それまで親しげに笑っていたママ友たちが、一斉に視線を逸らし、ひそひそと耳打ちを始める。
「瑞穂さん、話があるんだけど」
待ち構えていたのは、伊沢の妻だった。彼女の目には、憎しみと軽蔑が煮えたぎっていた。
「私の夫と、どんな景色を見てたの? 紬ちゃんと私の娘が親友なのも知ってて、よくそんな写真を上げられたわね!」
園庭に響き渡る怒号。集まった保護者たちの好奇の目。その中心で、瑞穂はただ立ち尽くすしかなかった。噂はすぐに健吾(39)の耳にも入り、彼は無言でスマホを瑞穂の前に置いた。画面には、ママ友たちが保存し、赤丸で「証拠」を囲ったあの写真が映し出されていた。
「母さんの手伝いじゃなかったんだな。……もう、お前を信じることはできない」
結局、瑞穂たちは逃げるように遠方の町へ引っ越した。しかし、一度ネットの海に流れた噂や写真は消えない。新しい幼稚園でも、瑞穂は常に誰かの視線に怯え、SNSのアカウントは二度と開けなくなった。
何より辛いのは、大好きだった友達と引き離された紬(5)の涙だった。
「どうしてお友達とバイバイなの? 私、何か悪いことした?」
娘にそう聞かれるたび、瑞穂は胸を掻きむしりたくなる。自分が求めた「いいね」の代償は、娘の笑顔と、家族の平穏な未来をすべて焼き尽くしてしまった。窓ガラスに写ったあの一筋の光が、自分の人生を暗闇に突き落とす呪いになるとは、思いもしなかったのだ。
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