La Roue de Fortune〜秘蜜の味〜

深緋莉楓

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第4話 守護者現る

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 律はワンコールで通話状態になったスマホに向かって冷静な口調で話し出した。
 それを聞いた相手も律に対しては穏やかに怪我の有無を聞き出しながら、忙しく指示を出す音がガサゴソと漏れ聞こえてくる。

「学校だね? 十五分くらいで到着するとは思うけど……どうにか烈くんを抑えられないかな? 電話越しでも呻き声やら悲鳴がすごいんだけど」
「ムリですね。俺のことだけじゃなく、俺含むオメガにしてきたことに対しての怒りなんで」
「わかった。こっちはもう車出したから、着いたらもう一回詳しく聞かせて。ボイスレコーダーは……」
「もちろん絡まれた瞬間から録音済みです。カメラも回ってるみたいだし、証拠は盛りだくさんって感じですね」
「カメラ? うーん、詳細は現場で確認させてもらう感じになるみたいだね。あと十分で到着予定。現場は……」
「校内奥の倉庫なんですけど……あ、俺の緊急連絡アプリのGPSで確認してもらっても良いですか? さすがにこの状態の烈を一人にして迎えに出るのは不安なので」
「あぁ、そうしてもらえると助かる。烈くんが腕力に訴えかけるのだけは止めてね」

 了解、と短く答えて通話を終えた律はスマホにインストール済みのアプリの位置情報を確認する。普段はなんとなく見張られているような縛られているような気がしていたのだが、こういう状況になってはそうも言ってはいられない。なんと便利でありがたいものかとさえ思えてしまう。

「烈? あと十分以内に山岡さん達が来るからね」

 白眼を剥いて口から泡を拭いてのたうっているアルファの男達にはフェロモンの残香がわずかにまとわりついているだけだった。
 筒井は自分を奴隷のように使っていた男達が涙と涎で顔を汚し、失禁すらしている者を認めると愕然とした。
 苦労して入った大学で社会のカーストの上位のアルファのグループに取り入ることに成功した自分はベータの中でも勝ち組だと思っていた。オイタが過ぎても署長の息子が一言二言言えばあっさりとなかったことにされたし、都合良く使われていると感じていても金や女などの恩恵があったからこそ、アルファとは傲慢で生まれつき人を使う立場だから仕方がないのだと今日まで自分を納得させてきたのだ。

「十分か……ねぇ、律。十分でベータって壊せると思う?」
「ひっ!」

 つう、と自分に向けられた烈の眼差しの冷たさに、悲鳴を喉にはりつけて腰を抜かした筒井を鼻で嘲笑わらう烈は今までに見たこともない恐ろしいオメガだった。

「お前みたいなベータがいるから安心して暮らせないんだよ。なんだっけ? 権威主義だっけ……アルファの言いなりになって甘い蜜吸っていつの間にか自分も力があると思い込んだバカ。お前みたいなのがいるから」
「お、お前らオメガにだっているだろ? 俺だけが悪いんじゃない! そうだ、アルファが悪いんだ! ベータには金を、オメガにはフェロモンを投げつけて言うことを聞かせるアルファが──」
「バカじゃねーの? あ、バカだった。俺の話、聞いてた? パニクってて聞こえてなかった? 俺に律が連れて行かれたのを教えてくれたのもアンタと同じベータ性のヤツだったよ……助けられなくてごめんって。アンタ、助けるどころかしこしこ準備してさぁ……それでアルファが全部悪いって、都合良すぎだって」

 烈が一歩踏み出せば筒井はずりっと尻で床を滑り距離を取ろうとする。
 しかし、大股で踏み出す烈の一歩と、萎縮して上手く床を蹴れない筒井の逃げの幅の差は一目瞭然で、あっという間に烈は筒井の前にしゃがみ込み、うっそりと笑うと大きく開いた掌で額を掴むと微かに首を傾けた。
 
「ベータ壊すの初めてだから、やり過ぎちゃったらゴメンね? ま、手加減する気もないけどね?」

 揶揄うようなこの口調を今までにも聞いたことがある──いや、何度も聞いてきた。怯え、拒絶するオメガに対して自分達が言っていたのと同じ、なんら罪悪感を含んでいない無意味な謝罪の言葉と言い回しだった。

「や、やめ……」

 やめてくれと懇願する前に眼球の裏が赤く熱くなり、チカチカと無数の星が散った。それと同時に始まった激しい頭痛から逃れようと必死に頭を振り烈の手を払おうとするも、食い込む爪の痛みが加わっただけの徒労に終わった。

「いだ……痛い……お願い、しま、す……助けてくださ……ぐぇえ……助けて……」
「おんなじ言葉言ったオメガ、何人助けた? 助けてないよな? ヘラヘラ媚びへつらって、チャンスもらえたら喜んで犯したんだよな? じゃあ解るでしょ? これは因果応報だって。足りないけど」

 そうか、自分が保身のために犠牲にしてきたあの子達はこれ以上の痛みと恐怖を味わったのか……いなくなっちゃったねーなどと茶化してきたあの子達は、今、どうしているのだろう? 富豪のアルファに見初められ少しでも幸せでいてくれたら。いや、幸せなはずはない。攫われたのだ。もしくは自分達が売ったのだ。どこにもあの子達の意志などなかったではないか──だから、これほど痛くともと言われているのか。
 自業自得だ、とそう思い至った筒井は烈の手首を掴むと、思いつく最大の願いを口にした。

「ころして、ください」

 ベータの自分は何を壊されるのだろうか? アルファのように特別なフェロモンを出せるわけでもなく、もちろんそんな器官は持ち合わせていない。それでも烈の掌から放たれる熱に呼応して体内組織が焼き切れてゆくのを感じるのだ。
 筒井はひたすら自分の身に起きている変化が恐ろしかった。烈が手を離したあとの自分自身が怖かった。それならばいっそ安直と言われようと死んでしまいたかったのだが──。

「やだよ、めんどくさい」
「それはそれは、こちらとしては大助かりだ。烈くん、もう良いだろう? その男から手を離して」
「良くはないけど……山岡さんが到着したら続きはできないね」
「素直でよろしい。しかし、これは一体どういう惨状?」

 山岡と呼ばれた男は引き連れた数名の部下に指示を出し、床に伸びている男達から財布を抜き取り身元の確認や倉庫のあちこちに隠されたオメガ用の強制発情剤の写真を撮らせ始めた。

「山岡さん、はいこれ。多分ここに連れ込まれてからの発言は全部録れてると思います。中庭であの赤毛に弟がって声をかけられたところが始まりで、真っ直ぐここに連れ込まれたから前から計画しいていたんだと思います。口振りからして常習犯。詳しくはあの人が壊れきっていなければ話してくれるかもしれませんね」

 律は冷静に状況を伝えながら、ボイスレコーダーを山岡へと手渡す。受け取った山岡は同型の新しいボイスレコーダーを律に差し出すと、再び倉庫に目を向けた。

「で、これは……」
「なんの騒ぎなんだ!」

 山岡の言葉をかき消すように轟くダミ声に烈はワザと大きな音で舌打ちをし、目で抑えるようにと訴えかけてきた律に肩を竦めてみせた。

「なんなんだ! 表の車は! 許可も取らずにゾロゾロと。しかも校内に規制線まで貼るなんて一体どういう了見だ!」
「律くん、こちらは?」
「貴様らか菅原兄弟! お前ら何をやらかした? おい待て、彼は井上署長の御子息じゃないか? なんてこと……お前達、アルファに対してなんてことを! どうせ美人局つつもたせの真似事でもしたんだろう? やはりお前らはどう取りつくろっても汚らわしいオメガなんだしな!」
 
 一方的に捲したて、顔を赤くして怒鳴っている聞く耳を持たない中年の男に山岡は名刺を押しつけ、胸ポケットから身分証明証を取り出して、嫌でも視界に入るように見せつけた。

「どうも。内閣府第二性管理局緊急特務対策室、室長の山岡です。ここに来て数分に満たない短時間になかなか見事なオメガ性に対する侮蔑発言でした。貴方にも対策室へお越しいただく必要がありますね」
「は? え? ない、かくふ? そんな特務機関が何故この学園へ?」
「非常に緊急性の高い犯罪に巻き込まれているとの連絡を受けたからですが?」

 言い終えると同時に律から回収したボイスレコーダーを再生する。下劣な言葉の嵐に山岡はすぐに再生を止めた。
 赤から青へと見事に色を変えた男は、握らされた山岡の名刺の肩書を一文字ずつ目で追い脳に刻み付け、脳が文字を組み上げ理解するとヨロヨロと倉庫から出て、行く先も告げずに消えようとしたが山岡は部下の一人に合図を送り、監視下に置くことに難なく成功した。

「学園長、見事な自爆したね。ま、上辺じゃ平等だのなんだの偉そうに言ってるけど本心じゃオメガのこと見下してんの、モロバレだったんだよなぁ……ていうか、さっきのボイレコ、何? また腹立ってきた」
「まぁ落ち着いて。学園長にもしっかり侮辱罪を償ってもらおうじゃないか。署長の息子だとすぐに解ったってことは彼自身にも余罪アリかもしれないしね」

 ポケットから電子タバコを取り出し一息つこうとした山岡を律が穏やかに止めた。

「あぁ、どこもかしこも禁煙禁煙、おじさん泣けてくるよ」
「泣いてもいいけど、律の胸は貸せない」
「なんで俺のって決まってんの?」

 張りつめた空気が解れてゆく。
 談笑を始めた三人の横を筒井が両脇を抱えられ外へと運び出された。
 
「一応聞いておくけど、今日のこれは……?」
「複数のアルファに暴行されそうになったので、まぁ、正当防衛ですよね」
「兄が暴行されそうだって知らされて、慌てて助けに来て……だから俺も正当防衛だよね」

 当然ワザとです、と言わんばかりの表情カオをして、人差し指で下唇を押さえるというあざとい仕草で首を同時にこてんと傾けた双子に山岡はやれやれと緩く首を振って見せた。

「そう言うと思ってたよ……今日は色んな意味で大変だっただろうから送らせる。後日局へ顔を出してくれ。日時はまた明日にでも連絡するよ」

 すっかり日の暮れた街を双子を乗せた黒塗りの高級車が静かに走り出した。

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