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第1章 聖女を巡る策謀
第10話 逃亡の夜明け
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王都の地下牢は、昼も夜も見分けのつかぬ闇に包まれていた。
湿った石壁からは水が滴り、苔の匂いが漂う。
そこに、白衣の裾を汚したセシリア・アルディナが、静かに膝を抱えていた。
昨夜、大聖堂で下された宣告――
「聖女の称号剥奪」と「神への冒涜罪による裁判」。
それは、死刑を意味する判決への前奏であった。
(私は神に見捨てられた……?)
冷たい石の上に手を置く。
その手は、祈りを捧げ続けたにもかかわらず、今はただ、震えるばかりだった。
夜明け前の静寂。
遠くで鐘の音が低く響いた。
それは昨日と同じはずなのに、今日はまるで、別れを告げる鎮魂の鐘のように聞こえた。
――その時、足音が聞こえた。
衛兵の巡回ではない。
もっと軽く、一定の間を保った音。
セシリアが顔を上げた瞬間、扉の前に黒い外套を纏った人影が現れた。
灯火に照らされたその瞳――レオンハルトだった。
「……殿下の命令を受け、囚人の移送を行います」
レオンハルトの忠誠ぶりを知っている衛兵たちは、怪しむことなく頷き、鍵を渡した。
レオンハルトが牢を開け、セシリアの前に膝をつき、小声で囁いた。
「時間がありません。急ぎましょう」
「……レオンハルト、あなた……」
セシリアは、レオンハルトが何をしようとしているのかすでに悟っていた。
「今は説明している暇はありません。北門の警備が交代するまで、あと十五分です」
レオンハルトの声はいつものように落ち着いていたが、その奥に決意の炎が宿っていた。
セシリアは一瞬だけためらった。
ここを出ることは、王命への反逆――そして、レオンハルトを巻き込むこと。
「私は、逃げてはならないのです。逃げれば本当に罪人になってしまう……」
「罪人にしたのは、あなたではなくこの国です」
低い声がセシリアの耳の中に響く。
「このままあなたが無実の罪を着せられ、処刑されるのを見ていられない」
その言葉に、セシリアの胸が締めつけられる。
迷いが、わずかに晴れた。
「……わかりました。行きましょう。今、あなたが来てくれたのは神の思し召しだと思います」
レオンハルトが頷き、外套を差し出す。
フードを深く被ったセシリアの腰に縄をかけ、静かに牢を出た。
通路には湿った空気が漂い、遠くで松明がゆらめいている。
二人は足音を殺しながら、地下牢の奥へと進む。
やがて、裏門へ続く細い石段にたどり着いた。
外の空気がわずかに流れ込み、夜明け前の冷たい風が頬を撫でた。
レオンハルトは一度だけ振り返り、深く息を吐いた。
「……ここから先は、一緒に行くと目立ちすぎます。セシリア様はこの通路を抜けたら、北門の外へ向かってください。古い修道院の跡地があります。そこで落ち合いましょう」
「……レオンハルト?」
セシリアの瞳が不安に揺れる。
「私は別の道から出ます。追手を引きつけるために」
「そんな……あなたまで罪人になってしまう!」
「構いません。あなたを救うためなら、何を失っても」
その言葉は、剣よりも鋭く、祈りよりも深かった。
レオンハルトはセシリアの手を取り、静かにその甲に唇を寄せた。
「修道院で必ず――」
「……ええ、必ず」
短い言葉に、無数の想いが詰まっていた。
セシリアはうなずき、闇の通路へと身を投じる。
外の風が、かすかに夜明けの匂いを運んでいた。
レオンハルトがセシリアを馬の背に乗せると、馬は走り出した。背後で扉が閉じる音がする。
それは、聖女としての人生に別れを告げる音でもあった。
やがて、遠くで鐘が鳴った。
新たな一日を告げるその音は――皮肉にも、「逃亡者セシリア・アルディナ」の始まりを告げていた。
湿った石壁からは水が滴り、苔の匂いが漂う。
そこに、白衣の裾を汚したセシリア・アルディナが、静かに膝を抱えていた。
昨夜、大聖堂で下された宣告――
「聖女の称号剥奪」と「神への冒涜罪による裁判」。
それは、死刑を意味する判決への前奏であった。
(私は神に見捨てられた……?)
冷たい石の上に手を置く。
その手は、祈りを捧げ続けたにもかかわらず、今はただ、震えるばかりだった。
夜明け前の静寂。
遠くで鐘の音が低く響いた。
それは昨日と同じはずなのに、今日はまるで、別れを告げる鎮魂の鐘のように聞こえた。
――その時、足音が聞こえた。
衛兵の巡回ではない。
もっと軽く、一定の間を保った音。
セシリアが顔を上げた瞬間、扉の前に黒い外套を纏った人影が現れた。
灯火に照らされたその瞳――レオンハルトだった。
「……殿下の命令を受け、囚人の移送を行います」
レオンハルトの忠誠ぶりを知っている衛兵たちは、怪しむことなく頷き、鍵を渡した。
レオンハルトが牢を開け、セシリアの前に膝をつき、小声で囁いた。
「時間がありません。急ぎましょう」
「……レオンハルト、あなた……」
セシリアは、レオンハルトが何をしようとしているのかすでに悟っていた。
「今は説明している暇はありません。北門の警備が交代するまで、あと十五分です」
レオンハルトの声はいつものように落ち着いていたが、その奥に決意の炎が宿っていた。
セシリアは一瞬だけためらった。
ここを出ることは、王命への反逆――そして、レオンハルトを巻き込むこと。
「私は、逃げてはならないのです。逃げれば本当に罪人になってしまう……」
「罪人にしたのは、あなたではなくこの国です」
低い声がセシリアの耳の中に響く。
「このままあなたが無実の罪を着せられ、処刑されるのを見ていられない」
その言葉に、セシリアの胸が締めつけられる。
迷いが、わずかに晴れた。
「……わかりました。行きましょう。今、あなたが来てくれたのは神の思し召しだと思います」
レオンハルトが頷き、外套を差し出す。
フードを深く被ったセシリアの腰に縄をかけ、静かに牢を出た。
通路には湿った空気が漂い、遠くで松明がゆらめいている。
二人は足音を殺しながら、地下牢の奥へと進む。
やがて、裏門へ続く細い石段にたどり着いた。
外の空気がわずかに流れ込み、夜明け前の冷たい風が頬を撫でた。
レオンハルトは一度だけ振り返り、深く息を吐いた。
「……ここから先は、一緒に行くと目立ちすぎます。セシリア様はこの通路を抜けたら、北門の外へ向かってください。古い修道院の跡地があります。そこで落ち合いましょう」
「……レオンハルト?」
セシリアの瞳が不安に揺れる。
「私は別の道から出ます。追手を引きつけるために」
「そんな……あなたまで罪人になってしまう!」
「構いません。あなたを救うためなら、何を失っても」
その言葉は、剣よりも鋭く、祈りよりも深かった。
レオンハルトはセシリアの手を取り、静かにその甲に唇を寄せた。
「修道院で必ず――」
「……ええ、必ず」
短い言葉に、無数の想いが詰まっていた。
セシリアはうなずき、闇の通路へと身を投じる。
外の風が、かすかに夜明けの匂いを運んでいた。
レオンハルトがセシリアを馬の背に乗せると、馬は走り出した。背後で扉が閉じる音がする。
それは、聖女としての人生に別れを告げる音でもあった。
やがて、遠くで鐘が鳴った。
新たな一日を告げるその音は――皮肉にも、「逃亡者セシリア・アルディナ」の始まりを告げていた。
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