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〈三〉ADHDと診断されるまで

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 父親が営む、『菓子処ゆずや』に29歳の時に、ぼくは戻ってきた。それまでぼくは、新聞社に勤めていた。編集局ではなく、販売局の社員として販売店との交渉等、営業の仕事をしていた。

 元々文章を書くのが大好きだったので、ぼくは新聞記者になりたかった。しかし、残念ながら就職活動のときに記者職ではどこにも受からなかった。そんな中、営業職で志望していた新聞社から内定をいただき、そこへ入社した。

 ぼくは昔から数字を扱うのが極端に苦手だった。例えば、0が1桁違っていても気がつかないことがあるのだ。これは、営業の仕事をしていて致命的だった。他の人ならしないようなミスを何度も繰り返し、度々上司に叱られていた。

 ある日、たまたま読んでいた雑誌の中に発達障害に関する記事を見かけた。ADHD、日本語では注意欠陥多動性障害と呼ばれる障害があるそうだ。この障害の人は、何度も同じような間違いを犯すということを知った。

「もしかして、ぼくはADHDなのか……?」

 ぼくはメンタルクリニックへ行くことにした。クリニックで、医師の診察・臨床心理士とのカウンセリング・知能テストを受けた。診断の結果、やはりぼくはADHDだった。

 ADHDの人はそうでない人と脳の働きが少し異なるそうだ。目の前のことに集中しているつもりでも、ふと違うことが頭に思い浮かび、どんどん連想をしてしまう。そのために、目の前のことがおろそかになり、度々間違いを犯してしまう。ぼくはたしかにその傾向が強かった。小さい頃から、いつも何かを妄想して一人で楽しんでいた。

 今は、不注意を改善するのに効果的な薬もあるそうだ。ぼくは、医師の勧めで薬を飲み始めた。

 薬を飲むことで、目の前のことだけに集中できるようになった。それに伴い、仕事でのミスが減り、そつ無く業務をこなせるようになってきた。

 一般就労だったので、精神障害者保健福祉手帳を持つ必要はそれほど感じなかったが、映画を安く鑑賞できたり、博物館へ無料で入場できたりすると聞いて、申請をすることにした。審査に時間が少しかかったが、3級の手帳を取得した。

 なりたかった記者職ではなかったが、薬のおかげでなかなか充実した社会人生活を送れるようになった。
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