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〈十ニ〉「久兵衛作戦」始動!

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 ぼくは、スマートホンを取り出した。インストールだけはしておいたSNSのアプリを開き、初期設定を始めた。日本全国にたくさんの利用者がいる実名登録制のSNSだ。

 実名登録だと中学や高校の同級生を見つけやすいと思いこのSNSを選んだ。山に囲まれた赤橋は典型的な過疎地だ。ほとんどの若者は学校を卒業すると都会で就職する。

 ぼくは久兵衛さんのように口コミを広げて販売につなげようと思った。今は、当時なかったインターネットがあるので、それを使って口コミを広げる作戦だ。ぼくはその作戦を「久兵衛作戦」と名付けた。そこでまずは同級生とつながることにした。

 ぼくは、姓名欄に「鈴木健太」と書いた後、ニックネーム欄に「赤橋のゆべ氏」と書いた。

「タミさん、ぼくの写真撮って」

 タミさんに店の前でプロフィール用の写真を撮ってもらうことにした。ぼくは撮ってもらった画像をプロフィール画像に設定した。

 同級生の多くがSNSを利用していた。名前を検索したら、たくさんの懐かしい名前と顔が出てきた。

【久しぶりだね。ぼくも始めたよ。友達申請したから、承認してね。今後ともよろしく】

 ぼくは、同級生を見つける度に、メッセージと友達申請を送った。SNS上で、「友達」になると、その「友達」の投稿が表示されるようになる。

【ポー君、久しぶり。ゆずやに戻って仕事を手伝っているんだね。プロフィール写真を見て笑った!(笑) 柚子の被り物を被って柚餅子ユベシを売ってるんだ! 帰省したときはゆずやに遊びに行くよ。友達申請、ありがとう。これからもよろしくね】

 中学校の同級生の平田君が、最初にメッセージに返信してくれた。平田君は、今は高校の先生になっているそうだ。その後も続々と同級生からメッセージが届いた。10年以上会っていない友達がほとんどだった。

 SNSに赤橋の様子を投稿すると、同級生が【懐かしい!】等とコメントを書き込んでくれた。コメントはせずに、「いいね!」ボタンを押してくれる同級生もたくさんいた。

 ぼくは、もともと新聞記者になりたかったくらいだから、書くことが好きだった。だから投稿をすることはまったく苦ではなかった。

 赤橋を訪れる観光客が少なくなったとはいえ、週末はそれなりににぎわう。ぼくはゆずやの軒先に机を出し、ゆべ氏の姿で観光客に柚餅子ユベシの試食販売を始めた。お土産に、柚餅子ユベシを買って帰る観光客も増えてきた。

【まいどー! 赤橋のゆべ氏です。今日も、ゆずやの軒先で、柚餅子ユベシを売ってます。皆様、楽しい週末を過ごすべし!】

 週末には、ゆずやの前で、笑顔で写ったゆべ氏の画像とともに、このような文章を投稿するようになった。投稿を続けるうちに、同級生以外の知らない人からも「いいね!」が押されるようになった。

【はじめまして。赤橋のゆべ氏こと、鈴木健太と申します。ぼくの投稿に「いいね!」して下さって、どうもありがとうございました。せっかくのご縁ですから、友達になっていただけたら有り難いです。友達申請をお送り致しますので、ご迷惑でなければ承認して下さい。よろしくお願い致します。 赤橋のゆべ氏より】

 ぼくは「いいね!」を押して下さった方に、このようなメッセージをお送りするようになった。

 ぼくがメッセージをお送りした方のほとんどが、快く「友達」になって下さり、どんどん「いいね!」が押されるようになった。

「すみません。一緒に写真を撮って下さい」

 毎週末、ゆずやの軒先で、販売をしていたら観光客に声をかけられるようになった。

「タミさーん! ちょっと写真撮って」

 店の中のタミさんを呼んで、写真を撮ってもらった。タミさんは、ニコニコといつも楽しそうに写真を撮ってくれた。

「撮りますよ。はい、ゆべしっ!」

 タミさんもノリノリで、「チーズ」ではなく、「ゆべし」と声をかける。写真を週末に観光客と撮る機会が多くなった。

「ぼくの写真はフリー画像ですから、撮った写真は遠慮せずにSNSやブログ、ホームページに載せて下さいね」

 ぼくは、一緒に写真を撮るたびに観光客に冗談交じりに投稿依頼をした。徐々に、赤橋のゆべ氏の画像がネット上に増えていき、知名度が上がっていった。

「いつもゆべ氏さんの投稿見てますよ。ゆずやの柚餅子ユベシを食べてみたくて車を走らせて赤橋に来ました」

 SNS上で「友達」が増えていくにつれ、インターネット上でしか交流が無かった「友達」が会いに来てくれるようになった。そして、その「友達」が、ぼくと一緒に写真を撮って投稿することで、その「友達」の「友達」も、柚餅子ユベシに興味を持ってくれるようになった。
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