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第一章

魂霊になるには

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 前回私が出勤してから三日が経った。
 カーリンのアンブロシア酒ができるまではもう少しかかりそうなので、今のうちに一度出勤することにした。
 アンブロシア酒ができるまで待つと八日を超えそうだからだ。

 「アーベルさま、新刊は入っていそうですか?」
 出発しようとするとリーゼが離れたところから声をかけてきた。
 そういえば前回ユーリに確認したときは、そろそろかなと言われていたっけ。

 「そろそろ入るんじゃないかってユーリが言っていたな。あったら持って帰ってくるよ」
 「いえ、その……ご一緒してもいいですか?」
 リーゼがこちらに近寄ってきて上目遣いでチラチラと私を見る。
 彼女は私のパートナーの中で一番背が低いせいか、私に近づくとどうしても上目遣いになってしまうのだ。

 「構わない。相談を受けているときは席にいないけど、それでもいいかい?」
 「大丈夫です。本を読んで待っていますので」
 どうやら私が新刊を持って帰るのを待ちきれないようだ。なら、連れていくのも手だ。

 家に残る三体にリーゼを連れていくことを伝えてから一体と一人? で「ケルークス」に向けて出発した。
 精霊界では精霊は「体」、魂霊と人間は「人」で数えるのが正式らしく、移住相談などで提出する書類はすべてそう書かれている。私が書くことはほとんどないけど。
 ただ、精霊たちや私のような魂霊の中でも数え方は混乱していて「人」「体」「名」などをごっちゃにしている。助数詞は難しい。

 話がそれた。
 「ケルークス」に到着して確認したところ、幸い新刊は入荷しており、リーゼはカウンターの私の隣の席で新刊を読み始めた。
 この様子なら心配いらないだろう。

 「さっき、フランシスとドナートが帰ってアイリスしかいなかったからちょうどよかったわ」
 ユーリが私とリーゼの分の飲み物を運んでくると、カウンターの向こう側に椅子を持ってきて腰かけた。
 店内を見回したが、アイリスの席には空になったグラスがあるだけで、アイリスの姿はない。

 「あ、アイリスならアーベルが来る直前にお客さんが来て上に行ったわ。もうちょっとしたらアーベルが呼ばれるかも」
 ユーリがアイリスの行方を教えてくれた。
 「そうか、ならちょうど良かった。エリシアあたりが来ていると思ったけど」
 エリシアというのは私と同じ存在界からの移住者で、「ケルークス」の相談員だ。
 「彼女、パートナーが昨日存在界への出張から帰ってきたばかりだから、今頃家で話し込んでいるわよ。二、三日は出勤してこないかな」
 「……」
 他人のことは言えないが、アイリス以外の相談員の出勤率が悪すぎやしないだろうか?
 相談員がどこまで役に立っているかは疑わしい部分もあるのだが。

 「そうだ、アーベル。私、アイリスからそろそろ契約相手を決めろって言われているのだけど、私の属性が珍しいらしくって困っているんだ。何かいいアイデアないかな?」
 ユーリは未だ契約した精霊がいないから、そろそろせっつかれても仕方のない時期だ。
 私も属性のことは詳しくはわからないのだけど、ユーリの場合は合わせる精霊が難しいそうだ。
 「そうだな……相性の悪い精霊と契約してやっぱり合わない、ということになったらお互い悲劇だからな……アイリスに言っておくよ」
 「うん、ありがと……」
 一瞬ユーリが残念そうな表情を見せた気がしたが、気のせいだっただろうか?
 私も彼女の期待に添える答えを持っていれば良かったのだけど、残念ながら答えを出すのに必要な知識がない。

 「ユーリぃ、誰か相談員来ている?」
 上からアイリスの声が聞こえてきた。
 「あ、私が行きましょうか?」
 「その声はアーベルね、よかった、上ってきて」
 どうやら私の出番が来たようだ。

 上の応接室に入ると、アイリスと相談客と思われる初老の男性の姿があった。
 「魂霊になる方法については説明したわ。実際にアーベルがどうやって魂霊になったか説明して」
 「承知しました」
 今回の相談客は初めて相談に来たそうだ。
 魂霊についての基本的な知識は一通り説明しているようなので、私がどのようにして魂霊になったか説明すればよいらしい。

 「アーベルと言います。私がどのようにして魂霊になったのか、その経緯をお話しする、ということでよろしいでしょうか?」
 「よろしくお願いします」
 相談客からのオーケーも出たので、早速説明を開始する。

 「私の場合ですが、最初に相談に訪れたのは五四のときでした。ネットで精霊界の情報を見て、移住に興味を持ったのです……」
 存在界に出張している精霊たちは、ネットや口コミなどで精霊界への移住に関する情報を発信している。
 私もそうした情報を見て、精霊界への移住に興味を持った。
 そこで苦労して相談所、すなわち今の「ケルークス」を探し出して相談に来た。

 最初に相談に来たときは意識もしていなかったが、三度目の相談に行く直前あたりから体調が優れない日が続くようになった。

 「そういう状況でしたので、三度目の相談の後、近くのクリニックに行ったらすぐに検査を受ける羽目になりました。悪いところが見つかってすぐに手術をしたのでしばらくは大丈夫だと思っていたのですが……」
 実際、手術はうまくいったようだった。リハビリに少し時間を要したものの、三度目の相談から四ヶ月後には仕事に完全復帰できたのだ。

 「三度目の相談から四度目までは半年くらい開いたのですが、このときはまだ迷っていました。一度精霊界に移住してしまえば、存在界に戻ることはできません。遊びに行く友人たちも健在でしたし、移住はかなり先の話になるだろうな、と思っていたのです……」
 しかし、そうは問屋が卸してくれなかった。
 四度目の相談から一年後、病院での検査で前回治したところとは別の悪いところが見つかり、即入院となったのだ。

 「しばらく様子を見た上で手術をすることになったのですが、手の施しようがなかったそうです。私は独り者でしたので、身内と言えば弟とその家族だけなのですが、医師から弟に私は長くは持たないと告げられたそうです」
 「……」
 今となってはそんなこともあったな、という程度の話なのだが目の前の相談客にとっては深刻な話に聞こえたらしい。
 医師から私の余命宣告を受けた弟も相当迷ったと言っていたから、そう思われても仕方ないのだが。

 「私は気が小さいので弟も一ヶ月くらい迷ったそうですが、私に事実を伝えてきました。私に残された時間はそのときで半年程度だったようです。私はここで精霊界への移住を決めました」
 「入院されていた訳ですよね? どのようにして移住を?」
 「はい、医師に『できるところまで自宅で過ごしたい』と希望を伝え、入院から二ケ月後に退院しました。週二回病院には通っていましたが、残された時間で身辺整理していました。親しい知人には事実を告げて、生前葬の形で食事会をしましたね」
 「なるほど……身辺整理は必要ですね……」
 相談客がはっとした表情を見せた。
 存在界に未練を残したくなければ必要なことだと私は思うのだが、そこまで気が回らないというのも理解できる。

 「はい。仕事は退院時に辞めてしまいましたので心配事は概ね片付いたと思ったのですが、大きな問題がありました。弟に精霊界への移住をどうやって伝えるかです……」
 「……」
 相談客が額に手をやった。これはかなり難しい問題だから悩むのも無理はないと思う。
 実際私もかなり悩んだ。
 「まず、それとなく精霊界のことを知っているか尋ねましたが、知らないようでした。というのも死期か近づいて私の頭がどうかしてしまったのではないかと疑われたので」
 「それはそう思われても仕方ないでしょう」
 「はい。これは何か手を打たないとならないな、と思いました。何しろこの時点で私に残された時間は一ヶ月半を切っていました。魂霊になるためにはここへ来る必要がありますが、この頃には果たしてここへたどり着けるだけの体力が残されているのかどうかもわからない状態だったのですから」
 「……」
 そう、この時期が私にとって最大のピンチだった。

 「……実際にどうされたのでしょうか?」
 相談客が身を乗り出してきた。続きが気になるのだろう。

 私は当時のことを思い出しながら、目の前の相談客に話す内容を整理した。
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