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第二章

競合視察

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 という訳で相談所の増築から約一ヶ月後、カフェを設置したという別の相談所の視察に行くことになった。
 メンバーはユーリ、アイリス、私の三人だ。
「ケルークス」はブリスと新たに店員に加わったピアとクアンで営業する。
 ニーナに頼んでピアとクアンに接客の指導をしてもらったのでこちらの方は大丈夫だろう。
 ちなみに相談所の業務そのものは本日お休みだ。
 存在界で活動しているメンバーにその旨を伝えてあるので、存在界のネットなどでも情報は流れているとは思うのだが……

「風の緑の二レイヤだったっけ? ここからだとどのくらいかかるの?」
 ユーリが周囲をキョロキョロと見回している。
 彼女は「精霊界移住相談所」の建物の外に出る機会が滅多にない。
 寝泊まりも建物二階の自室だから、建物の外に出る必要性がまるでないのだ。

「私だけならあっという間だけど、ユーリやアーベルはそうもいかないものね……でもゲートを使うから一時間もかからないんじゃないかしら」
 空を飛べるアイリスは気楽だが、さすがに一人で先に行くわけにもいかないだろう。
 今回は我々空を飛べない魂霊のペースに付き合うことになる。

「ゲート」というのは精霊界のいくつかの場所を結ぶワープゾーンのようなものだ。
 私はパートナーとの旅行で何度か利用したことがあるが、原理はよくわからない。

 相談所からだと一番近いゲートまでは十数分といったところだろう。
 ゲートから目的地へ最も近いゲートまで移動し、目的地へと向かう。
 ゲートから他のゲートまでの移動は行きたい場所を選択すれば一瞬なのでお手軽だ。

 ゲートまでは歩いて移動する。といってもアイリスだけは地面から少し浮いてふわふわと飛んでいるのだが。
「うーん、外を歩くって新鮮だなぁ!」
 ユーリがはしゃいでいる。
 いつもは「ケルークス」の店内でパタパタ動いているから、たまには休んだ方がよいと思うのだが、あまりじっとしていられない性質なのかもしれない。
 ユーリの勢いに乗せられたのか、ゲートにはあっという間に到着した。
 そこで風の緑の二のレイヤにあるゲートへと移動し、アイリスの案内で目的の相談所へと向かう。
 というのも私とユーリは目的の相談所の場所を知らない。

「今回の相談所、存在界だとどのあたりにつながっているのですか?」
「うーんトウナンアジアとかいった場所らしいけど。存在界側からだと無人島にある建物だったはずよ」
 アイリスは存在界の地理に詳しい訳じゃないから、正確な場所がわからないのは仕方ないだろう。

「無人島って、相談する人はどうやって行くの?」
「前に調べたところじゃないか? 船を借りるんじゃなかったっけ?」
 以前、他の相談所がどのような場所にあるか調べていたことを思い出して、頭を抱えたい気分になった。
 もっとも、今回の目的はカフェの視察だ。
 カフェなら精霊を相手にすればよいという考え方もあるので、この立地は問題ないはずだ。

「まぶしいと思ったら、下の砂が真っ白なのね! こんなの見たことなかった!」
 ユーリがしゃがんで砂をすくい上げた。
 私は存在界に住んでいた時代に国内の南の離島には何度か行っているが、その景色とよく似ている。

 目的となる相談所は海に面した砂浜に建っている二棟のコテージのような建物であった。
 一棟は真っ白で、もう一頭はガラス張りのように見える。
 建物の大きさは二棟を合わせても我々が勤務する相談所の半分にも満たない。

「相談所はこっちね」
 真っ白の壁を持つ建物に向かってアイリスが進んでいった。
 扉を開けてアイリスが中に入ったので、私とユーリもそれに続く。

「アイリス、来たか」
 中にいたのは予想通りというか何というか、水着姿の日焼けしたマッチョな男性型の精霊だった。
 大地の精霊タイタンだろう。きわどい水着でないのが救いだ。

「ゴードン、相変わらずヒマそうね」
「がはは、それを言われると否定できん。まあ、こんな場所だから相談客も近寄りにくいみたいでな」
 そう言うとゴードンは豪快に笑った。彼はこの相談所の所長である。

「で、カフェを見たいのだけど、いいかしら?」
「カフェ? ああ、海の家のことか。ここではそう呼んでいるのでな。隣のガラス張りの建物だ。案内しよう」
 ゴードンはカフェのことを「海の家」という言い方をした。
 嫌な予感がして、ユーリと顔を見合わせた。

「ここだ。おーい、ハロルド! 悪いがこの三人を案内してやってくれ!」
 ガラス張りのコテージへは相談所の建物から屋内の通路を通って入ることができるようになっていた。
「海の家」の中はビールケースを積んだ台の上に大きな板を置いたテーブルと、これを囲うようにベンチが六つ置かれていた。

「アーベル、あのプラスチックの箱は何?」
 ユーリが尋ねてきた。
「あれは瓶ビールを運ぶためのケースだが……私も飲食店でしか見たことないぞ。どこから持ってきたんだ?」

 よく見るとビールケースには日本の銘柄名が書かれていたから、日本から運んできたに違いない。
 精霊界ではプラスチックなど作ることはできないからだ。

「ずいぶん繁盛しているじゃない。飲み物や食べ物は存在界から仕入れているのかしら?」
 アイリスが店内を見回した。
 六つあるベンチのうち、五つは精霊たちで満席だ。
 残りの一つにはご丁寧に「予約席」と書かれた札が置かれている。アイリスが事前に連絡したので気を利かせてくれたのだろう。

「アイリスのところの相談員か? ありがたいねぇ。まあ、ゆっくりしていってくれよ」
 ハロルドと呼ばれたこちらもマッチョな男性型の精霊が握手を求めてきた。
 ハロルドはゴードンよりもやや細めで、細マッチョ、という方が合っているような気がする。
 Tシャツに短パン姿だが、何故か色白なのが気になる。

「ハロルドは相変わらず日焼けしないな、不健康そうに見えるぞ」
 私の心を読み取ったのか、ゴードンがハロルドをからかった。
「しょうがないだろう! ネプチューンは日焼けしねえんだから!」
 ハロルドは形だけ怒っているが、表情は笑っている。基本的に人の好い性質のようだ。
 ネプチューンというのは海を司る精霊で、属性は水になる。
 水属性の精霊は私のパートナーの三体もそうなのだが、色白になる傾向があるようだ。

「私、存在界に住んでいたときに海の家に行ったことがないのだけど、メニューを見ると思いっきり海の家、なんですけど……」
 ユーリが「おしながき」と書かれたプレートを手にして固まっていた。
「どれどれ、ビール、焼きそば、焼きトウモロコシ、かき氷、フランクフルト……存在界のものばかりだな」
 私はユーリから手渡されたメニューを見たが、存在界の「海の家」のメニューそのもののようにしか思えなかった。
 辛うじて下の方に小さく「グラネトエール酒、アムリタあります」と書いてある。
 精霊界のものはこの二つだけだ。

「ちょっとちょっと! これってユーリやアーベルの出身地のものばかりじゃない? ここにつながっている存在界の品物は?!」
 アイリスがメニュー片手にハロルドに怒鳴った。
「ビールと焼きそばはこのあたりの存在界のタイプもある。ただ、ここでは日本式がウケているのだ」
「「「へっ……」」」
 ハロルドの答えに私たちは言葉を失った。

 客席に目をやると、精霊たちがジョッキ片手に焼きそばやフランクフルトをつまんでいる。

「あ、アーベル……あれ……」
 ユーリがテーブルの一角を指し示した。
「かき氷かな……?」
 その先にはかき氷をビールで流し込んで談笑している精霊たちの姿があった。
 かき氷とビールの組み合わせというのは考えたこともなかったが……

「へぇー、かき氷って色々な味があるのね。あのグリーンのは何かしら? 私は無理だけどね」
 アイリスの視線の先には黄緑色の何かがかかったかき氷があった。やはりビールとかき氷というにはちょっと理解しがたい組み合わせだ。
 しかし、アイリスの言う「無理」はちょっと意味が違う。
 アイリスは極端に冷たい飲み物や氷が大の苦手なのだ。

「あー、あれはバジル。ウチだとマーラーという辛いのも人気がある。甘いのはレモンとコーラだな」
 ハロルドの答えに私とユーリがメニューを取ってかき氷のところを確認する。
「イチゴ、抹茶あずき、メロンって普通のものもあるのに……」
「カレー、トムヤンクン、醤油あたりはさすがに理解を超えているな……」
「?? そういうものなの?」
 ユーりと私が微妙な表情になっているのに対して、アイリスだけは平然としている。
 このあたりがもと人間の感覚と精霊の感覚の違いなのだろう。

「ビールと枝豆をください。ところでハロルドさん、こちらには人間のお客さんはどのくらい来ています?」
 私は注文を入れながらさり気なくハロルドに尋ねてみた。
 
「あー、相談客が年に一〇人いるかいないかだからな。こっちにはまだ人間の客は来ていないぞ。魂霊の客には常連もいるけどな。わっはっは」
 どうやらこの「海の家」は精霊界の客を対象とした店ということになるらしい。
 これも一つのやり方だと思う。精霊界の娯楽を増やすという観点では有効だと思えるからだ。

「私にはビールと焼きトウモロコシをお願い。ビールはぬるめで。ユーリはどうする?」
 アイリスは精霊のためかこの空間に完全に馴染んでいる。
「わ、私は……クリームソーダと焼きトウモロコシ。それと……コーラのかき氷を」
 ユーリは少し腰が引けているようだが存在界の食べ物の誘惑には勝てないようだ。これなら大丈夫だろう。

「魔力で代金を支払うのは『ケルークスウチ』と同じなのね。さすがに存在界の品物は安くないけど……」
「『ケルークス』で出すならビールやかき氷はもう少し安くできると思いますけど、保管のための魔力が全然足りないですよ!」
 アイリスとユーリがメニューを手にしながらヒソヒソ話をしている。もともと「ケルークス」の運営の参考にするための偵察だから、このような話が出るのは自然だ。

「注文の品はこれで全部だ。どうだ?」
 ハロルドがコーラのかき氷をテーブルに置いた。
 全部の品物が出そろうまで三〇分近くかかったが、精霊の仕事としては早いと思う。
「私が昔住んでいた日本と同じ味で正直驚きました」
 枝豆でビールを飲むという体験は何十年ぶりだろうか?
 食の問題で移住を断念する人間も少なくないから、この手の店があるのは移住を促進することにつながるのではないかと私は思った。
 ただ、何故この場所なのか? というのは気になるが。
「わははは、そうか。それは良かった。魂霊の楽しみが増えるのはいいだろう」
 ハロルドはご機嫌で、自分も手にしたジョッキでビールあおっている。

「私はなかなか職場を空けられないからなぁ……精霊の相談員を寄越してもらうように上を説得してもらえないかしら?」
「気に入ってもらったようで何よりだ。残念ながら俺は相談員のことはよくわからないが……」
 アイリスもここを気に入ったようだ。
 ユーリは感心した様子で何やらメモを取っている。色々と気付いたことがあるのだろう。

 一時間ほど滞在した後、私たちは店を出た。
 魔力を持たないユーリと私は代金を支払えないので、今回はアイリスの奢りだ。

「……」
「ユーリ、アンタ何難しい顔しているのよ? さっきからほとんど何も話してないし」
「海の家」からの帰り道、ユーリはずっと難しい顔をして何かを考えていた。
 それに気づいたアイリスが見かねて声をかけた。
「……敢えて避けていたんだけど、やらなきゃダメだってのを思い知らされたわ……」
 ユーリはそれだけ言うと黙り込んでしまった。

 アイリスは私の耳を軽く引いて
「アーベル。悪いけどこのままじゃユーリが息詰まるから、戻ったら家に帰らずに『ケルークス』の店内に待機していて」
 と告げた。
 確かにその心配はある。
 ここはアイリスの指示に従った方が無難だろう。
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