最後の君へ

海花

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微かに耳に届いた声と、身近で動き回る人の気配で直斗は目を開けた。
微かな消毒液の匂いが鼻につき、初めて見る狭い天井に眉を顰めると戸惑う様に身体を起こした。

───なんだここ………。

腕に違和感を感じ視線を移すと細い管が腕から点滴へと繋がっている。

───そっか……俺…入院したんだ……。

零に連れられ病院に来て、時々目を開ける度に検査だ何だと周りで言っていたのを思い出した。

それと……必ず見えた零の不安そうな顔……。

カーテンの向こうの、人の話し声に耳を傾けると検温がどうの、体調がどうのと話している。
そしていきなり目の前のカーテンが開けられ看護師らしき若い女が入ってきた。

「あら、目が覚めたんだね。体調どう?あ、これ…お熱計ってね」

若い看護師はにこやかに、しかし困惑している直斗に何の躊躇も見せず、どんどん仕事を進めていく…。

「37.8か……大分熱下がったね。点滴……は…もう少しだね……。終わったらまた変えますからねぇ。ちゃんと大人しく横になっててね」

そう言って忙しなさそうに背中を向けカーテンを閉めるのを呆然と見送ると、直斗はベッドへと倒れ込んだ。

───結局零に迷惑掛けてんな……。

意図せず、大きなため息が口から漏れた。

───あいつ…………飯食ってるかな……。

零に会いたい衝動に駆られ、一瞬点滴を抜いて帰ってしまおうか………と頭を過ぎる。
しかしそれをやれば零に怒られる事が容易に想像できて止めた。これ以上零に迷惑を掛ける訳にはいかない…。


ポタポタと落ちる点滴をぼんやりと見ているうちに、直斗は急に尿意に襲われ起き上がりカーテンを開け周りを見回した。
しかしさっきまでいたはずの看護師の姿が見当たらない。

「トイレ……勝手に行っていいんだよな……」

そう呟いた途端、隣との境になっているカーテンが『シャーッ』と音をたて勢い良く開いた。

「どうした?」

どう見ても直斗の何倍も生きていそうな男が顔を覗かせる。

「え⁉︎……あ……トイレ…行きてえなって……」

男の突然の参上に戸惑いながら口にすると

「行きゃいいじゃねえか」

男が眉を顰めモットもな事を言う。

「いや…そうなんだけど……点滴どうすんのかなって……」

そこで初めて男は直斗の点滴に気付いた様で

「ああ……そんなもん抜いちまえ」

自信満々に教えてくれた。

───ぜってー嘘だ………。

いくら入院が初めてでもそれくらいは直斗にだって分かる。

「あれ?藤井さんどうしたの?」

そこでやっと看護師が部屋に入ってきた……。


点滴台を引き摺りながらトイレから部屋までの廊下をゆっくり歩く。まだ怠さも残っていたが部屋に戻ったところでやる事も無い。
トイレの場所を教わりながら、さっきの老人の『助言』を確認すると

「絶対ダメダメ!点滴なんて勝手に抜かないで!もう…坂下さんたら…」

看護師が呆れた様にため息をつきながら「でもわざとじゃないから怒らないでね。あのお爺ちゃん少し認知症あるから……ごめんね」と教えてくれた……。

談話室や自動販売機を見て回り、のんびり自分の病室に戻りカーテンを開けると、目の前に人が立っていて驚いた直斗は声を上げそうになった。
しかし、その人が振り返ると本当に驚いた様に目を見開き

「───母さん⁉︎何でいんの⁉︎」

思わず声を上げた。


「じゃあ…零に会ったんだ」

直斗は自動販売機で買ったいちごミルクを飲みながら母にチラッと視線を向けた。
実は昨日、美愛もずっと一緒だった事を今初めて聞かされた。

「………まぁね……」

少し気まずく感じるのは、やはり……好きな相手が男だというコトをちゃんと説明しておかなかった罪悪感からだろうか……。

「体調はどうなの?」

その事には触れず美愛が直斗の様子を窺う。

「別に……。全然普通だけど」

素っ気なく答える直斗に

「嘘つけ。あんた、顔まだ真っ青だからね」

とデコピンして軽く睨んだ。

「いてぇな…………」

「一週間位だって」

「何が…」

「入院」

「───はぁ!?ふざけんなよ!嘘だろ!?」

直斗がありえないと言いたげに声を上げた。そんなに入院してる訳にはいかない。

───あいつの事だから……俺がいなきゃろくなもん食わねぇよ……。それにきっと…………。

「残念ながら本当です。学校にもノブのとこにも言っといたから」

美愛が再び直斗を睨んだ。

「あ……」

思わず美愛の顔を上目遣いで見る。学校の補習の事も、ノブの店でバイトを始めた事も美愛には言っていなかったからだ。

「あんた……バイトしてるの私が知らないと思ってたんでしょ?」

その言葉と声に視線を逸らす。
やはり……幾つになっても母は怖い……。

「ノブんとこでバイトして、私にバレない訳ないじゃん。相変わらずバカだね?」

呆れた様に直斗の頭を小突いた。

「うるせぇな……」

「それで……」

美愛は大きくため息をついてから

「あの紡木って子とは、どういう関係なの?」

いきなり核心を突いてきた美愛に、しかし直斗は面倒臭そうに頭を搔き

「付き合ってるよ」

躊躇うことなく答えた。
別に隠すつもりは無かったからだ。

「………あんたが言ってた『好きな子』って……」

「零だよ」

美愛は再び大きなため息をついた。

「……何で…選りに選って……相手が男って……」

「───何だよそれ……そんなん関係ねぇじゃんっ!」

つい声が大きくなった。
確かにちゃんと話しておくべきだったとは思う。
しかし“相手が男だから”と言う理由でどうこう言われるのは気にいらない。
男だから好きになったのでは無い。
『零だから』好きになったのだ。

「関係ないこと無いでしょ。親からすりゃショックだよ」

自分を睨みつける直斗を美愛は切なそうに見つめ

「まぁ……好きになったもんは仕方ないけどさ……」

そう続けた。

「あの子……昨日相当心配してたから連絡してあげなね。多分寝てなかったんじゃないかな…」

美愛が苦笑いする。
そう言われれば熱を出した日、苦しくて目が覚める度に零がいて水分を摂らせてくれていたのを思い出した。

───あいつ………大丈夫かな……

「けど……、連絡しろって…どうやって…」

突然の入院だし、連れてこられた時も部屋着のまま何も持たずに来ている。

「あの子…紡木くん?直斗のスマホ取りに戻ってたよ。引き出し開けてごらん?」

そう言われ慌てて床頭台の引き出しを開けると、スマホとサイフが並べて置いてあり、ちゃんと充電器も丸まって入っている。その隣にはイヤホンも……。

───気が利きすぎだろ……。

零らしくてつい笑ってしまう。
スマホを手に取ると、何件かの通知の中から零のものを拾いだす。

───『出来るようになったら連絡ください。』

短い文章が零らしくて少し切なくなった。

──多分……俺からの連絡…ずっと待ってんな……。

そう思うと会いたくて堪らなくなり

──『会いたい』

思ったままを送信した。

「へぇー。あんた……そんなこと言うんだァ」

スマホを覗き込んでいた美愛がニヤニヤ笑っている。
目の前に美愛がいることが頭からすっかり抜けていた…。

「──お前!?──見んなよ!」

慌てて画面を隠すが直ぐに返信が届いて、ついまたスマホに目をやる。

──『すぐ行く』

零からの返信に胸が熱くなる。
きっと本当に直斗からの連絡を待っていて……。
きっと……本当に……直ぐに来るつもりだと解る。

「仲の良いことで」

美愛がまた覗き込んで揶揄った。

「お前!見んなって!!」

直斗が顔を真っ赤にして怒鳴ると、美愛がケラケラ笑って

「じゃぁ、私はこれで帰るからね」

と、立ち上がった。

「帰んのかよ」

「…いてもいいならいるけど?」

「………………帰れよ」

その会話に美愛がまたケラケラと笑った。

「お前、病室で変なことすんなよ」

「しねーわ!」

「また何かあったら連絡して。私はそうそう来ない方がいいだろうから。それと!ちゃんと治してから退院しろよ!じゃなきゃ、また紡木くんに迷惑掛けることになるからな!」

「…………解ってるよ…」

───それは…………

それだけ言うと美愛は病室を後にした。
最後の言葉は……おそらく……

───零と一緒にいる事、認めてくれたんだよな……。


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