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第伍章 冥界

生と死、現在と過去の狭間

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 ――――

 門をくぐったその瞬間、視界は一気にホワイトアウトし、何も見えなくなる。
 ……しかしすぐに、それはなくなり、今いる場所が分かるようになった。

 ――ここは――

 そこは……全くの異空間。
 ルーフェが立っている場所は、白く輝く、丸い足場の上。
 足場は漆黒の空間にぽつりと浮かび、辺りには何もない、ただ無が広がっているのみだ。
 後ろを振り返ると、先ほどくぐった筈の門の姿はない。
 ――彼は、ただ一人何もない闇の中に、取り残されていた。
 恐ろしい程までに寂しく、閑散とした、普通の世界では考えられないくらいに…………冷たい場所。
 
 ――さっきまで雪山にいたはずなのに、一体どこだ?―― 
 門を通った際、潜り抜けたと言うよりは、むしろ別の場所へと転送されたと言った方が良いだろう。
 ここは世界のどこかですらも、ない場所……。

 ――何もない。とても寂しく、冷たい世界……。やはりここが――  

 ルーフェは考えたくもない答えを、思い浮かべたその時――

《残念ながらそれは違う。ここは現世と冥界の狭間、つまり境界にすぎない。君が目指す場所はもっと先の、神門の向こう側さ》

 突如どこからか、透き通るかのような声が聞こえた。深い慈愛と大いなる意思を感じさせるその声は、まるでルーフェの心そのものに響いているようだ。
 
 ――この声は、誰だ? 神門は先ほど通過した、門ではないのか? それに……俺の心が読めるのか? ――

 次々とルーフェの心に浮かぶ疑問、声の主はそれに答える。

《ああ、その通り。そして私は、冥界を統べる管理者――つまり、君たちで言う冥王さ。最も、現世の王よりも遥かに、全知全能だがね》

 冥界、それはルーフェが目指す場所であった。そしてそこに君臨する王――いや、本人の言葉で言うなら『管理人』だろうか。
 それこそが冥王、今彼に話しかけている存在の、正体らしい。
 冥王と名乗る声は続ける。

《君の旅路も、全て知っている。君の意思そして信念……、冥界へと招き入れるに、十分に相応しいものだ。現世の門はただの通過点、神門はこの道の先にある。
 さぁ、もはや君を邪魔するものはない。この道を登り、私の元へ進むと良い》

 そして声は止んだ。
 するとさっきまで何もなかった、目の前の闇に、光で構成された階段が、出現する。
 上へ、上へと階段は出現し、その先は――見えないほどだ。

 ――あの先に、俺の目指す場所が。……なら――

 ルーフェの答えは、決まっていた。
 先に続くのは、宙に浮かぶ白い光の階段。彼は一歩足を動かし、階段を進んで行く。



 ――――

 ルーフェは長い時間をかけて、この階段を登り進んだ。
 しかし周囲の光景は変化せず、辺りは闇に包まれたまま……。
 闇の中で、いつ終わるかもしれない階段。
 一歩、また一歩と着実に歩んで行く中、彼はこれまでの記憶が、走馬灯のように思い返される。



 かつて立派な貴族である事のみを求められ、親からですらも愛情が与えられずに、孤独だった幼少期。
 そんな中で出会ったのが、エディアだった。
 一人ぼっちの少女と、少年、それは互いの孤独を埋め、かけがえのない存在へとなった。
 貴族と召使と言う、身分違いの許されない絆――。
 そして、友情から――愛情へ。


 だが、その絆は彼女との死別により、無惨にも絶たれた。
 悲嘆に打ちひしがれたルーフェは、家の書庫に籠り……そして、ある知識を知った。
 それは、『冥界に関する伝承』。
 この世界には過去、冥界に行き、死者と再会し、また、現世へと連れて戻って来たとされる、伝承が多く存在した。
 最初は根拠のない絵空事かと考えたが、魔法や精霊が存在する世界……それに、他の文献を見ると、大半は絵空事に近いものの、中には実際の出来事と思われる内容もあった。

 ……もし、この話が真実なら、もしかしたらエディアを――

 そう考えた瞬間、ルーフェの心は決まった。
 彼は旅に出た。……どことも知らない、冥界への行く術を探しに。
 家も、地位も、そして自分自身さえも犠牲にした、旅路。
 何年も、何年もかかった長い旅。
 世界の様々な場所を渡り歩き、多くの悲惨な戦いも繰り広げ、多くの血さえも流しもした。
 すべてはエディアを取り戻すため、その為には邪魔になる物は全て排除。
 ルーフェは戦いを重ねる度に強くなったが、過酷な旅は彼の心を摩耗させ、冷たく、人間性を失くして行った。


 かつては大人しく心優しい少年は……いつしか、冷酷かつ孤独な、流浪の青年剣士へと変容した。
 だが……結局は本当に、その心は失われたわけでは、なかった。
 

 旅路の最後、一度冥界の番人、常世の守り主に敗北を喫したルーフェがたどり着いた屋敷と、そこに住む魔術師トリウスとその娘であり――常世の守り主の正体でもあった少女、ラキサ。
 二人との出会いと、そして生まれたルーフェの葛藤と苦しみは、彼の奥底に眠っていた人間性を呼び起こした証でさえあった。
 再び、常世の守り主と相まみえ……そしてルーフェがとった選択もまた、旅路で得た結果そのもの。
 

 ――そして、この旅の結末はどうなるか……。
 その答えは、もうすぐ出ることだろう。
 
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