わがままシュガー

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一章

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目が覚めた時、窓の外に見える空は茜色に染まっていた。 

窓の、外……? 



「授業……」 



現状が把握できないけれど、一つだけわかることがある。 

授業前に起こされることなく、夕方になってしまっていたということ。 



「あー、のど起きたぁ!!」 



その聴き慣れた大きな声に、体がビクッとなる。 

鞠……鞠の声だ、びっくりした。 



「アンタ、寝起きにいきなり大きな声聞いたらびっくりするでしょうが」 

「ごめんのど~、起きて一番にマリが見つけたのが嬉しくってぇ」 

「ガキか」 



見渡すと白い天井に白いカーテン……医務室の中、か? 



「……佐藤、は?」 



けれど、寝落ちる直前まで見かけていた佐藤の姿は、そこになかった。 



「佐藤? 教員棟行くとか言って入れ違いに出てったけど」 

「それまではここにいたってこと?」 

「和香、佐藤にここに連れてこられたんじゃないの?」 



連れて、来られたんだっけ……? 



眠りに付く直前、確かに私は池の前のベンチに寝転んでいたはずで。 

そのままずっと寝ている予定ではなかった。 

 

ひとまず起き上がって医務室を三人で出てから、校内にあるファーストフード店で佐藤を待つことにした。 





「医務室には、佐藤の肩に担がれた和香が連れてこられたって、先生に聞いたけど。和香そんなに軽かったっけ?」 



何気なく気になっただろう、その緑の疑問にすらも、一瞬ぎくりとしてしまう。 

いや、私がそんなに気を遣う必要もないはずなんだけれど……全く、佐藤のせいで変に気を使ってしまいそうになるじゃないの。 



恐らく、それは男女の筋力差によって、見た目と違って佐藤自身が力強いおかげで、私くらい運べてしまったんだろう。 

というか肩に担ぐって、私は荷物か。 



「……私軽いっけ」 

「アンタ何キロ?」 

「……四十二」 

「それは軽いわ」 



買ったシェイクをジュコーっと吸い込み、佐藤の体型を思い出す。 



男を基準とすると少し低めの背は、百六十センチもない私より十センチ程高い。 

ヒールや厚底の靴を履いていたと思うから、実際には5センチ前後しか違わないのかもしれないけれど、それでも小さいんじゃないだろうか。 

佐藤に言ったら怒られるかな。 



中性的な顔をしているし、よく見たら可愛い顔をしているかもしれない。 



「のど、まだ眠い?」 



首を傾げて心配してくれる鞠に、私は「少しね」と答えると、スマホのバイブ音が長めに鳴り響く。 



「佐藤?」 

「うん」 



医務室を出る時、『移動する』とだけ連絡を入れて、場所を伝え忘れていた。 

スライドして電話に出ると、すぐに『どこ?』という声が聞こえて来る。 



「ファーストフード」 

『りょ。すぐ行くー』 



いつもは何気なく聞いていたその声も、昨日のことを思い出すとなんだかムズムズとした気持ちが胸に広がってくるので、自分の気持ちがわからなくなってくる。 

こんなに気にしてしまっているのに、この先も今までと変わらずに仲良くして行けるんだろうか。 



そう考え込んでしまっていると、息の上がっているような音に、電話がまだ繋がっていることに気付く。 

切り忘れ? いや、だったら息遣いなんて聞こえるのはおかしい。 



「……佐藤?」 

『……二人、今も一緒?』 

「え、うん」 



まだ何か話があるのだろうか。 

『じゃあさ』と聞こえ、その後続く言葉を待っていると。 



『あーしがそっちに着いたらもう帰ろっつっといて』 

「え?」 



いつもならもう少し四人でだべってから帰る所だ。 

後から佐藤が来るといっても、一緒にポテト食べてだべる時間くらいはあると思ってた。 



『よろ~』と、それだけ言うと、プツリと今度こそ電話が切れた。 



「佐藤なんて?」 



そう聞いてくる緑に、じっとこちらを見て無言でポテトを頬張っている鞠。 



「佐藤来たら帰るって」 

「え、佐藤なんも買わないで帰る気? あのよく食べる佐藤が?」 

「さとちん用に、持ち帰りでなんか先に買っといてあげよーか?」 

「ていうか佐藤今日バイトとかなんか言ってたっけ?」 

「ないはずだよー?」 



私も、佐藤が今日バイトだとかは聞いていない。 

週3程度でバイトに行っているらしい佐藤は、遊ぶときは全力で遊ぶし、バイトの時はキッチリすぐに帰る。 

たまにバイトがないのに早く帰るという日があるけれど、理由は聞いていないし、今日はそこまで早い時間ではないから、このままだべって遊ぶものだと思っていた。 



「さとちんが帰るっていうならこの後解散だねぇ。お菓子買ってかーえろっ」 

「マリモはよくそれで太らないでいられるよね」 

「ふふん、マリは神様にたくさん食べていいように作られたのだっ」 

「そのうち三十代くらいになって来てから太りやすくなったりして」 

「そしたらマリ、みんな道連れにしてダイエットに励むからいーの!」 

「巻き込むなし」 



そんな言い合いを聞いていると、すぐお店の自動ドアから佐藤が現れた。 



「ごめーん、ちょっとコンビニも寄ってたぁ」 

「佐藤なんかテイクアウトして帰る?」 

「えー? うーん、今日はいーや」 



そう言ってするりとその細い手が伸びた先にあるのは、私の飲んでいた期間限定のシェイク。 



「あ……」 



我が物顔でチューっと飲み込むと「うっま、今度買お」なんて呟いている。 

待って、無言で人のシェイク飲むな? 



「ねぇ、それ私の」 

「和香なら期間限定の飲んでると思ってたんだよね~! ごち」 



手元に戻って来たシェイクを眺めて、これまでには考えもしなかったことが脳裏に浮かぶ。 



『間接キス』 



今更だ、私たちはこれまでも散々食べ物も飲み物も共有してきた間柄で。 

昨日だってお酒を飲みまわしていたし。 



こんなことを考えるのなんて今更過ぎるくらいなんだけれど。 



「和香?」 

「え、ううん、もう帰る?」 

「そうね。マリモがそのポテト食べ終わったら出よう」 



鞠がぎょっとした目で緑を見て、私を見て、それからその視線が佐藤に向けられる。 



「マリリン、手伝ってあげるー!」 



鞠のポテトにまで手を付け始める佐藤に、鞠も急いで残りのポテトを頬張っていて、緑は鞠に「飲みな、詰まるよ」と飲み物を渡していた。 



佐藤は、私にそれを打ち明けた後でも、これまでの佐藤のままだった。 

ただ私の認識が以前と変わって、佐藤をただのギャルだと思えなくなったことしか変化は起きていない。 



「佐藤」 

「なに? 和香」 

「今日、この後なんかあるの?」 



ポテトを食べる手を止めてゆっくりとこちらを向いた佐藤が、ふっと笑う。 



「なんもー。気分だよ気分」 



そんな佐藤から読み取れることは、何もなかった。 

佐藤は一年の頃から緩くバイトをしていて、それ以外の日は大体私たちと日が落ちるまでだべっている。 

鞠は、佐藤が自分のテンションに付いてきてくれるのが嬉しくて、佐藤に懐いている。 

だから佐藤を除いた三人で遊ぶのは、鞠が寂しがってしまうのだ。 



この四人じゃなければ物足りない。 

せめて大学の間くらいは、四人での思い出をたくさんつくっておきたい。 

そんな思いで、佐藤がいない日は解散となるのだ。 

鞠のテンションに合わせられるのは佐藤しかいないしね。 

 



家に帰ると、溜まった疲れがどっと押し寄せてきた。 

一人暮らしの私は、誰の目も気にすることなく床に倒れ込む。 



ベッドまで行って休むの、たるい。 

すぐそこにあるクッションに手を伸ばして引き寄せると、頭の下に置いて顔を埋めた。 



そういえばこのクッション……佐藤が誕生日プレゼントでくれたんだったな…………。 

それを思い出し、思い出してしまったことを後悔する。 

なんで私が、佐藤のことでこんなにも悩まなきゃいけないんだ。 



「あぁ、もう」 



眠ってしまいそうな頭を起こして、スマホで時間を確認する。 

まだ十八時を少し過ぎたところだった。 



このまま少し寝てしまおうか、いや明日まで寝てしまいそうだ、せめてベッドに乗りたい。 

そのまま数分床で休んでいると、ピンポーン、なんて聴き慣れない音がこの部屋いっぱいに響き渡った。 



正直、一人暮らしの女の部屋で身に覚えのないチャイムになんて出たくない。 

まぁ、部屋に明かりを点けてしまっているので、部屋に居るのはどうしてもバレるだろうけど。 



出たくない、めんどい……わけではない、身の危険を回避するためだ、決して面倒くさいわけじゃない。 

そう言い訳じみたことを頭の中で思っていると、今度はスマホが鳴り出した。 



バットタイミングすぎるでしょう、これで確実に私が部屋の中にいることが今のでバレたじゃ……そう考えながらスマホの画面をのぞき込むと、そこには『佐藤蜜』その名前が表示されていた。 



「……」 

「なんだ、やっぱ帰って来てるじゃん」 



扉の奥から、その聴き慣れた声がする。 

アンタ、さっき解散したんじゃなかったの……いや、さっきといっても私が床に突っ伏している間にどれだけの時間が過ぎていたのかは不明だけれど。 

声を上げるのも面倒くさい私は、その電話を通話に切り替える。 



「なに」 



佐藤の家は、確かに私の家の方面にあるから、近いと言えば近い、他の二人に比べれば。 

けれど、これまで解散した後に個人的に会いに来るなんてことはなくて、帰り道が一緒だから家も知っているだけだったり、四人で遊ぶときに迎えに来るくらいしか来なかった。 



「『あーけーて』」 



電話と扉越しの両方から、そんな声が聞こえる。 



「佐藤帰ったんじゃなかったの」 

「『用事済んだから、ついでに動けなくなってそうな和香の様子見に来たのー。まさか床に寝転んでなんてないよねぇー?』」 



……よくわかってらっしゃる。 



「『ほら、ご飯買ってきたから食べよー。和香がどれだけ店で食べてたかは知んないけどー。明日の朝ごはんも必要でしょー?』」 



朝ごはん……それは、助かるかもしれない。 



「『あ、そーだ。そしたらあーしの子供の頃の写真見せたげるよー! そしたらモヤってること解決すんじゃーん??』」 



写真……確かに、写真に男としての佐藤が映っていたなら……私も納得するかもしれない。 



「『のどかぁー? 寝てないよねぇ?』」 

「……わかったから」 



それは、好奇心と朝ごはんに私の心が負けたのだと思う。 

頭が働かなすぎて、なんで今日に限って、どうして私の部屋に入ろうとしたのかなんて疑問すら浮かんでこなくて。 

慣れ親しんだ、いつもの佐藤のままだと思ったから。 

重たい体を起こして、私は玄関の扉を開いて、佐藤をこの部屋に招き入れていた。 



「おっじゃましまーす」 

「……テキトーに座って、必要ならテキトーに冷蔵庫使っていい。何も入ってないけど」 

「何も入ってないって……いつも何食べてんの和香ってば」 



冷蔵庫を遠慮なく開けて「マジでお茶しか入ってない」なんて呟きを聞きながら、私はベッドを背にして床に座る。 

そしてふと疑問が浮かぶ。 



「佐藤って元の口調もそうなの?」 



いつからギャルをやっているのか、私は知らない。 

少なくとも大学一年の時には既にギャルだった。 

今より少しだけおとなしめだった気もしないでもないけれど。 



「口調?」 

「……言いたくなければ、言わなくていいんだけど」 

「聞きたい?」 



聞きたい……? 

……再現してくれるということだろうか。 



「気になっただけ、だけど」 

「この姿で……和香が抵抗なければ、いーよ?」 

「いーの?」 



スマホをスクロールさせていじっていた佐藤が、その画面を私に向けて来る。 



画面の中には、三人の学ランを着ている男子が机や床に座って煙草を……いや、待て、煙草? 

その中の一人、舌を出してこちらにべーっとしている男子。 



すぐにわかった。 

その手元にも、煙草。 



「和香」 



その昔の佐藤の顔を認識した直後、これまでよりもずっと低いその声が、耳元で響く。 

急なことで、グッと胸元が締め付けられるような痛みが、じわじわと頭や体を支配した。 



「俺、どれだかわかる?」 



低く響く声が、耳元で鼓膜を震わせた。 

スマホの画面から、顔を上げられない。 

顔が熱い、なんだ、なんでだ、相手は佐藤なのに。 



急に、この部屋に二人きりだということに意識が向いて来て、失敗したんじゃないだろうか、と考えが浮かぶ。 

友達とはいえ、簡単に家に上げてよかったのか……? 

私は、考えを振り払うようにして、小さく震える指先をスマホの画面に置く。 



「……これ、佐藤」 

「ぴんぽーん」 



声は静かで低くとも、それは確かに佐藤の面影が残っているような、おどけるような口調で。 

私の頭の中は、酷く混乱した。 



「これ、高校ん時の俺」 

「……俺、っていうの」 

「そだね。今でも言うよ、バイトの時とか」 



え、と顔を見上げて佐藤を見ると、それはいつも通りの佐藤の顔をしていて。 



「バイト、男として行ってるの?」 

「夜は絡まれやすいからさ」 



いつもの見慣れた佐藤の顔が、いつものように近くにあって、けれどその声も一人称も馴染みのないもので、また混乱する。 

確かに、夜の時間帯に佐藤みたいな軽い感じのギャルなんかが働いていたら、すぐに絡まれそうだし……佐藤のバイト姿を見たことがない。 



それは、私たちが佐藤を『女』だと認識していたから、もしすれ違っていたとしても気付かなそうだ。 



「そんな、絡まれやすそうな所でバイト、してるの」 

「酒扱うところは、そーいうやつ多いんだよ」 

「お酒ね」 



店の名前や業種を避けた言い方をしたということは、ここから先は聞いてほしくない話なのかもしれない。 

そう思い、私は視線を再びスマホの画面に戻した。 



佐藤には、こちらが聞くと避ける話がある。 

それは、家族のことや、自分の深い所や……名前、まで。 



佐藤は名前で……蜜と呼ばれることを嫌がり、最初会った頃には既にそうお願いされていた。 

『蜜』という名前が、自分には合わないからだと。 

だから私も、緑も、鞠も、佐藤のことは名前で呼ばない。 



佐藤だけが苗字を好むから、佐藤を佐藤と呼ぶ私たち。 



「佐藤、ほんとは今日何しに来たの」 



学生時代の佐藤を眺めながら、そんなことを聞く。 

正直、全然頭は働いてないから、佐藤がなんか難しい話をし始めた所で、私はちゃんと話せる余裕はないと思う。 



佐藤が勝手にレンジでチンして温まり終わった軽い音が、狭い一人暮らしの部屋に響き渡る。 

いつの間にレンジを使っていたのか、自由人だなほんと。 



「和香に、消化のいいもの食べさせたげよと思ってー!」 



急にギャルモードに切り替えた佐藤がルンルンとレンジから何か取り出して来る。 

どうやらうどんを買ってきてくれていたらしい。 

え、おいしそう。 



「のどかが心配だったから、ってだけじゃ、来ちゃダメ?」 

「……元凶が何をほざいているのか」 



とはいうものの、佐藤の気遣いは二年も友達をしていたおかげで、かなり的を得た対応になっていた。 

だしの利いたあたたかなうどんが、つるりと体に染み渡る。 

これだけで佐藤の昨日今日の問題発言を許せてしまえそうになっているのだから、私はちょろいのかもしれない。 



「佐藤、ありがとう」 

「どーいたしましてぇ」 



佐藤も同じものを買っていたようで、二人で小さな机に向かい合ってのんびりとうどんを食べていた。 

いや、佐藤はうどんに留まらず、パスタやゆで卵なんかも食べていたけれど。太るぞ。 



食べ終えてベッドを背にしてぼーっとしていると、いつの間にやら佐藤が片付けてくれていた。 

正直もう眠くて、意識を保つのでやっとなんだ。 



「ほら和香、お風呂も入って着替えもしないとだよ~?」 

「そんな余裕ない、落ちそう」 

「和香がちゃあんと支度してから寝られるようにってあーしが来たんだから、和香はちゃあんと支度しないとぉ!」 

「んー……」 



ふとその気配が、すぐ正面へと移動したような気がして、閉じていた瞼をうっすらと開く。 

目の前には、ベッドに両手をかけて私を囲うようにして見下ろす佐藤がいて……え、何? 



グッと近付く佐藤に頭が少し覚醒すると、その顔が私の横に……耳元へと移って、小さな緊張が生まれる。 



「のどかが支度できねーなら、風呂も着替えも俺がさせてやるけど」 



低く、耳一杯に響く擦れたその声に、体全体がビクッと跳ねた。 

くすくすと笑っている佐藤を、信じられないという目で私は見るけれど、佐藤はそれでも楽しそうに肩を震わせて顔を合わせると小首を傾げた。 



「起きたっしょ?」 

「それ、心臓に悪い」 



急に男を出されてしまったら、いくら相手が佐藤だからといっても体が勝手に構えてしまう。 

まさか眠気覚ましに使われるとは思わなかったけれど。 

遅れて、言葉の内容が頭の中に届く。 

風呂も着替えもさせてやるとか言ったかコイツ。 



「ヘンタイ」 

「介護でしょ」 

「病気でもなんでもないから。自分でする」 

「ざんね~ん」 



今日はとりあえず佐藤のせいでこうなってるんだから、眠るギリギリまで佐藤のことを使い倒してから家に帰そう。 

眠ってしまいそうだから湯船は張ることなく、シャワーだけ済ませてから着替えて出た。 



すると出迎えた佐藤が勝手にベッドに座っていた。 

まぁ確かに床は痛いだろうけれど。 



そんなことより、さっきまであった髪の毛がバッサリ無くなって、スウェット姿になっていたことの方に全ての注意が奪われた。 

あの髪、ウィッグだったのか。 

ウィッグとっても赤いのかお前。 



「上がった。褒めて佐藤」 

「えー、ノーリアクション? まぁいいやドライヤー持ってきてよ、ここ座って」 

「違和感が凄まじいからもう男モードでいいよ」 



佐藤が自分の足の間にある床にクッションを移動させていたようで、どうやらそこへ座ったら髪を乾かしてくれるらしい。 



「着替えあったの?」 

「持ってきたの」 

「ねぇ、一応聞くけど、泊ってく気じゃないよね?」 

「泊ってってほしい?」 

「いや、寝る時には帰ってほしい」 

「今日は帰る気でいるけど、ただちょっと頭が鬱陶しいままなのが嫌だったからついでに着替えただけ」 



なぜ着替えをわざわざ持ってきたのかは謎なんだけど。 

まぁいい、佐藤が乾かしてくれるというなら私は楽が出来るから。 



「のどかお前、ちゃんと化粧水と乳液付けた?」 

「その顔でそれ聞かれるのも違和感すごいな」 



ドライヤーを手渡す時に、男の顔をした佐藤に頬をふにふにとつつかれる。 

なにすんの。 

というか佐藤、この短時間で化粧まで落としているじゃないか。 

化粧落とし持ち歩いてんのか。 



「あー付けてないな、まったく」 

「若いからまだいける」 

「乾燥は美容の大敵なんですー」 



そう言うと、ベッド近くに持ってきていたらしい自分のポーチから化粧水と乳液と美容液まで取り出すから、女子力が私より遥か上であることにショックを受けた。 

なるほど、可愛い女子……いや、男であっても、美容にこんなにも気遣っているから肌がきれいなのかもしれない。 



コットンに染み込められた化粧水をトントンと肌に優しく乗せられること数分、美容液まできっちり塗り終えられた私の肌は、ぷにぷにもちもち肌へと化していた。 

そうかこれが女子の肌。 



「なんで女子より女子に詳しいのか」 

「普段から気遣ってるからに決まってんでしょー」 



そう言ってドライヤーをコンセントに刺した佐藤は、私を自分の座るベッドの下に座らせる。 

ドライヤーの音で聞こえにくいけれど、柔らかく動くその手を、誰よりも優しいものに感じた。 



元の髪が短いんだから、ドライヤーとか慣れてなさそうなのに、全然慣れている。 

けれど、雑なんかではない、美容院の時のような心地よさがあった。 



「寝るなよー?」 



そんな声だけは、ドライヤーの向こう側から聞こえて来たから。 



「寝てないし」 



そう答えたら、柔らかく、頭の上を撫でられたような気がした。
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