不可侵領域

千木

文字の大きさ
10 / 21

9

 微睡の中、セイは目を開ける。大好きな匂いとあたたかい体温を感じて、再び閉じかけた瞼の向こうにレンの顔が見えた。穏やかな笑みを携えて、頬を撫でてくれる。その手に擦り寄ると、いつもより彼の指先があたたかい気がした。

「夢じゃ、ないのですね」
「うん」

 腕の中に包まれている。夜空のような紺色の髪の向こうに、消えかけた暖炉が見えた。小窓から差し込む陽の光が線になって、燃え尽きた灰を照らしている。

「寝ていないのですか?」
「火を焚いていたから、一応ね。それより、体調はどう?」
「……ふふ、貴方はいつも心配してくれる。大丈夫ですよ。それなりに怠さや痛みはありますが、許容範囲です。むしろ、実感できる大切な材料ですから」

 違和感の残る下腹部に触れた。それから、自分が一糸纏わぬ姿であることに気づき、僅かにたじろぐ。彼の前では今更だが、いつの間に?いくら半分程度溶かされていたと言っても、肌に密着するあの素材の衣服が勝手に脱げるほどではない。

「身体を拭くのに、脱がせてしまったんだ。だいぶぐしゃぐしゃになってしまっていたから」

 察したらしいレンが口を開く。自分があのまま意識を飛ばしてしまった後も、彼は傍にいるだけでなく世話をしてくれていたらしい。慣れていなかったとはいえ、申し訳なくなって胸元に埋まる。

「すみません、何から何までさせてしまったのですね」
「それは問題ないけれど、……寒い?」
「いえ。ですが私、着る服が……」
「それは大丈夫。此処には替えがある。ただ、シスターの衣服を、君を起こさずに着せることが難しくて」

 ごめんね、と眉を下げるレンにふるふると首を振って、そっと胸板を叩く。そうすれば腕から解放されて、名残惜しさに何回かキスをして、セイは自分の身体に被さっていた上着を軽く羽織った。確かにこれからレンの匂いはしない。そもそも彼の上着は、自分が汚してぐしゃぐしゃにした筈だし……。
 小屋の中を見回す。暗くてよく見えていなかった室内は、日光が入り込んだことで視認出来るようになっていた。建物や家具は各々古く使用感があるが、さほど汚さは感じない。壁沿いに暖炉と、木箱がいくつかと、薪の束。壁に年季の入った麻布がいくつか掛かっている。人が住むには足りず、倉庫にしては整然としていた。

「今更なのですが、此処は何処なのですか?」
「森の奥の小屋だよ。避難所といったところかな。君がいた場所から近くて、雨の中森を抜けるより良いと思ったから」
「こんな場所があるなんて、知りませんでした」
「そうだろうね。まず、こんなところまで任務で来る人はそう居ないし。そもそもは昼に林業に携わる人たちが使っている場所だから。そこに、万が一を考えて教会が物資を置かせてもらっているというだけで」
「なるほど」

 木箱を漁る。保存のきく食料、水、布や工具。様々ある中で、見慣れた修道服を見つけた。取り出して眺める。サイズも、おそらく問題ない。足を通そうとしたところで、はた、と止まる。下腹部をさすりながら振り向くと、レンは器用に火の後処理をしていた。

「……神父様、」
「どうしたの?サイズが違った?」
「いえ、あの……」
「それとも、やはり体調が、」
「違います。……、番、では、ないようです。私たち」

 指の下に、印は無かった。セイはきゅ、と唇を噛む。これだけ惹かれているのに、心も身体も満足するような関係なのに、うっすらとも現れていない。番を重んじてはいないし、そんな都合の良い話は無いとわかっている。けれど……。
 レンは少しだけ目を丸くして、しかしすぐに穏やかな顔に戻ると、火バサミを端に立て掛けながら返した。

「まぁ、そんな簡単に番が見つかることはないだろうし。番でなくても交際は可能でしょう?」
「はい。でも貴方は、番を見つけないといけない立場ではないですか。私が番であったなら、貴方の負担も減らすことが出来たのに」

 番でないことを咎められる世界ではない。番であることを、大切にされるだけで。けれど教会の者には通じない話だ。自分が番でないならば、たとえ交際を公言したとて、レンは変わらず今後とも、主任に女を押しつけられるだろう。それを拒めば、彼の立場はより危うくなる。しかし彼が他の女を抱くのはもちろん嫌だ。上着の裾をぎゅっと握りしめる。そんなセイを、レンは近づいて抱き締める。

「気にしなくて良いんだよ」
「でも、」
「君を悲しませるようなことはしない。今以上に、のらりくらり躱してみせるよ。大丈夫」
「……」
「それに、俺だって君がいるのに他の女性を抱きたくなんてない。だから、信じて」

 目を合わせて伝えられる言葉は、実直で信念を帯びていて、セイはゆっくりと頷いて背に手を回した。愛情で満たされる感覚に、不安が薄れていく。完全には消えきらないけれど、だからと言って、もう離れたくはない。離れることは、出来ない。

「ただ、公言はしない方が良いかもしれない。上の人たちに躍起になられても困るし、君にもきっと迷惑が掛かる」
「私?」

 セイは首を傾げる。彼を追い込むつもりはないから、言いふらすつもりはなかった。けれど自分へのデメリットはよくわからない。レンを好いた女からの嫉妬などだろうか。確かに多そうだ、と考えていると、レンは少しだけ言い淀んでから言葉を続けた。

「君は、神父たちの間では本当に人気なんだよ。純潔を掲げていた君が、誰かに身体を許したとなれば、自分もと驕る人間はきっと出てくるだろう。今までよりしつこく言い寄られても嫌でしょう?」
「……、嫌です」

 思い出して、あれがよりエスカレートすることを考えれば、自然と口がへの字に曲がった。たまったものではない。レンだから良いのだ。今他の男性に触られたら、鳥肌だけでは済まないかもしれない。短く直接的に答えると、レンも苦笑する。

「他の男に君が触れられるのは嫌だけれど、四六時中一緒にいることは、流石に出来ないからね。歯痒いかもしれないけれど、当分の間、教会内では黙っていた方がいいと思う」
「はい」
「ごめんね。俺が面倒な立場にいるばかりに」
「神父様の所為ではありません。此処は"そういう"場所なのです。一緒にいてくれるだけで、私は嬉しいから。だから、謝るのはやめてください」
「……そう。ありがとう、セイ」

 そっと額に口づけられる。それだけで笑みが溢れた。たとえ明言していなくとも、今まで通りに一緒にいる時間はとれるのだ。彼と二人だけの秘密。他を許さない不可侵領域の構築。そう思えば、悪くはない。
 幸せな時間。しかし一枚羽織るだけの身体は空気を読まずに冷えを感じて、小さなくしゃみとなって現れる。レンが慌てて離れて、そっと壁まで移動すると、今度こそセイは着替え始めた。それから隅に置かれた元の服だったものと、石の入った袋を拾い上げる。そういえば、最後に斃した異形の石を拾っていないことを思い出す。そんな余裕はまるで無かったので仕方ないことだが、結構な量を吐いていただろうに勿体ない。おそらく十字架もあの場所に置いて来てしまったから、帰りがけに寄った方が良さそうだ。
 袋から時計を取り出すと、思っていたより日の出から大した時間は経っていなかった。それでも起床の時間は近づいていて、おそらく二人の外出札が元に戻っていないことには誰かが気づいてしまうだろう。

「セイ、帰る前にいいかな」
「なんですか?」

 水の入ったボトルを一つ拝借して、口をつける。カラカラだった喉が潤い、胃に落ちる感触が伝う。呼びかけられてレンの方を向くと、彼はガンベルトを腰に巻き、すっかり乾いた包帯を巻き直していた。

「俺と、正式に任務のバディになってほしい。その方がきっと、動きやすいと思う」
「えっ……あぁ、そういえば、申請は出していませんでしたね」

 何度も一緒にいた所為で忘れていたが、レンはあくまでセイの任務を"手伝っていた"に過ぎない。だから石も全てセイに渡していた。頷いてからレンは続ける。

「もっと効率よく石を集めて、貯蓄を貯めたいと思うんだ。そうしたら、君と一緒に此処を出たい」
「……!!」
「散々横着と怠惰を繰り返していた所為で、今すぐにと言えないのが情けないのだけれど……。君との関係を隠さなくてはいけない場所に、いつまでも居座るつもりはなくなったから。……どうだろう?」

 自分はこれほど涙脆かっただろうか。此処で生きていく未来を妥協していた彼が、自分の為に前に進もうとしてくれる。そんな幸せなことがあるだろうか。選択肢は、もちろんない。

「……断るとお思いですか?一緒に、番に縛られない場所へ行きましょう」
「うん。ありがとう。……はぁ、本当に、少しでも努力しておくべきだったな」

 過去を悔やんでも仕方ないけれど、とレンは溜息を吐く。確かに以前、石の為に任務を行っているわけではないと聞いた。その時の彼の答えは、確かーー。

「現実逃避、って……もしかして、女性を抱くタイミングから逃げていたということですか?」
「そう。主任に捕まらないようにそっと抜け出して、朝になるまで帰らない。石の殆どを教会の資金として渡していれば、渋い顔はされても強く咎められなかったから」
「な、なかなかなことをしていらっしゃったのですね……」
「逃げきれずに、昨日のように捕まることもあったけれどね。これからはより気をつけて、上手いことやり過ごす。当面はこれでいくしかないかな」

 レンの言葉に、セイは頷く。そもそも風習に従順でなく悪目立ちしている二人なのに、今後更におかしな動きをしていくのだ。言動共に注意するしかない。結局アクシデントの所為でセイも十分に石を貯めきることは出来なかった。元々、無謀な挑戦ではあったが。
 今はあのように余裕が無い状況ではない。なんとか切り抜けるのだ、二人で。
 セイはボトルに蓋をして、レンと一緒に小屋を出た。朝日が眩しい。だが、嫌ではない。漠然としていた未来が、はっきり見えた気がした。
 二人の影が歩き出す。どちらかが前でなく、隣に立って。

「神父様、」
「もちろん。君の武器と石は回収しようね」

 二人で笑って、鳥の囀りを聞いて。
 新しい一歩を踏み出した。
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった

くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。 血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。 夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。 「……涼介くん」 薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。 逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。 夜、来て。 その一言が——涼介の、全部を壊した。 甘くて、苦しくて、止まれない。 これは、ある夏の、秘密の話。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。