ホットレモネード

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ホットレモネード

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 明日香は、都内の女子高に通う高校二年生、江戸時代から鳶職をしていたという鳶の組頭の家に生まれた。父はその家督を継いで昔気質、元小学校教員の母も厳格な教育者という謂わゆる下町の箱入り娘だ。

 父と明日香は夕食の時間がすれ違うことが多いがたまに食卓を同じくすると、
「最近の学校生活はどうだ?悪い虫が寄って来ないか?」と好物のサバの味噌煮をつつきながら聴いてくる。「女ばかりで肝心な虫がいないよ」、「世の中にはな、変な男がいっぱいいるんだ。狼男だけじゃない、吸血鬼にゲジゲジ男•••」、「花やしきじゃあるまいし、見てみたいわ」とお決まりの会話となる。

 学校では、ソフトボール部に所属し、明日香はエースで四番、特にピンチの時に唸りを上げる快速球がチームを何度も救ってきた。

 今年の秋から明日香は、キャプテンに就任した。三年生が大学受験の準備で退部したからなのだが、チームは全国大会でベスト4まで進み、そのたびにスタンドまで応援に駆けつけた父は、「おまえが男だったらな」と息子のいない境遇を悔しがった。

 そんな文武両道で充実した学園生活を送る明日香にも欠けているものが一つあった。恋である。日常生活で会う男性は、家庭内の父と鳶職の年配者、還暦近い国語の教師だけで、昼下がりの教室で「井戸の裏 柿のみ一つ 秋の暮れ」と詠まれても胸のときめきがあろうはずもなかった。

 「最近、学園生活はどう?」と朝食後、母は明日香にミルクセーキを作ってから聴くのが日課になっているのだが、
 「リア充よ」とそっけない答えしかせずに学校へと急ぐ明日香であった。

 女子高の同級生も大概は同じ境遇で、「あの漫画に出て来る彼、素敵だよね」、「あのドラマの主人公イケメンだよね」と休み時間の踊り場で輪になって騒ぐたびにそれが疑似恋愛のバーチャルなものだと気付かされ、その空想が無限大に広がる明日香であった。

 明日香は、同級生とゲームに興じている時にクエストという概念に気が付いた。すなわち冒険である。その冒険とは、自宅と学校との中間地点の駅で降りて、その駅前のハンバーガー店でバイトをする事であった。

 「おっ、ソフトボール部なのか、健康的で良いね。俺も高校の時は野球部だったんだ」と、父の同世代かそれより少し年輩であろう店長の小暮は、小太りの巨漢で鷹揚な人柄に見え、判断も早かった。
 「早速、来週から来てもらおうかな」

 顧問の国語の教師は、「なんだ休部するのか」とエースの明日香がいなくなる事を惜しく残念に思ったが、バイトの時間を捻出するためには仕方がなかった。

 「最近、帰りが遅いのでお母さん心配だわ」、母が体力の増強の為に出してくれるミルクセーキを飲むたびに、「部活でソフトボールの練習が忙しいの。国体が近いし」と嘘をついていたが、生来根が正直な明日香はついに我慢が出来なくなりカミングアウトしてしまった。
 
 「実は私、南千住の駅前でハンバーガー店のバイトをしてるのよ」
 両親の猛反対に遭うと覚悟をしていた明日香だったが、「おっ、そりゃいい。金を稼ぐことがどれだけ大変なことか実体験することだな」と父は意外にも賛成してくれ、「社会勉強の一環ね」と母も大筋で合意した。

 店に入ってすぐ、明日香にも後輩が出来た。

 「一億総活性化の方針に従って、弊社もまた73才の人を再雇用することにした」と店長に紹介された老婦人は蔵前さんという快活で気のよくきく人だった。掃除係りということだったが、たまに客の応対に出てもそつなくこなし、(この人には勝てない。それにしても古希を過ぎてもまだ働くなんて)と内心戸惑い理解に苦む明日香であった。

  「蔵前さんの他、もうすぐ新米がもう一人入って来るからね。新米っていったって、三十近いニートみたいな役者志望の分弱野郎なんだけどね」
 明日香のバイト生活も三週間が過ぎた頃、店内をモップ掛けしている時に店長の小暮からまた声を掛けられた。

 「吉田善雄です。よろしくお願いします」と名乗りでた明日香の二人目の後輩は、身長180cm近い細身細面でイケメン、気の弱そうな分弱然とした青年であった。
 「私の方が先輩のバイトリーダーだから、私の指示には従ってもらうから」
 体育会系の明日香は気丈に振る舞ったが、見た瞬間から明日香の身体に稲妻が走った。
 「これが恋?始めての感覚だわ」

 「僕はね、W大の文学部出身なんです。まともに就職して会社員になる道もあったんだけど役者になる夢が捨て切れず、もう二十九にもなってしまいました。でも今度のオーディションに落ちたらもう辞めるつもりです」
 明日香は、善雄が好むホットレモネードに付き合って彼の話をボンヤリ聴いていたが、彼のダメンズ振りを知れば知るほど彼にのめり込んだ。

 ほどなくして善雄の元にオーディションの合格通知が舞い込んだ。善雄は店での最終勤務日を終え、店が引けた後明日香とともに言問橋のたもとに居た。

 スカイツリーのブルーライトが晩秋の夜気に映え、道行く人はマフラーに首をすくめて家路を急いでいる。

 (いや、いかないで。ずっと私の傍にいて私を強く抱きしめて)と明日香は善雄の瞳を見つめながら、すんでの所でこの言葉を呑み込み、裏腹に冷めた言葉を投げ掛けた。
 「どうしても辞めちゃうの?」

 「ああ、ようやくバイトの掛け持ち生活ともおさらば、メジャーへの道が開たんだ」と善雄は、スカイツリーを見上げて微笑んだ、「これも明日香さんのお陰だね」。

「あんたみたいな駄目な後輩、居なくなって肩の荷が降りたわ」と噛み合わない話を装いながら、明日香は残念を振り払うかのようにわざと彼に背を向けた。
 明日香には長く感じたが少し経ってから振り返ってみた。彼の姿が言問橋の向こうに消えた時、明日香の目から涙がとめどなく流れ出た。
「そんなはずないだろ、馬鹿で鈍感な奴、文弱野朗」

 明日香は、彼と別れた後の道すがら深夜営業の喫茶店でホットレモネードを頼んだ。晩秋の枯れ葉が舞い落ちる窓外では、コートを着た会社帰りのカップルが仲睦まじく腕を組んで歩いている。
 
(あーあ、いなくなっちゃった)
 明日香が口にしたホットレモネードは、暖かくて甘酸っぱい、だけど少しほろ苦い大人の失恋の味であった。
 
 明日香が蕭然の想いで深夜の店に戻ると、掃除係りの蔵前さんが一人モップを持ってさめざめと泣いていた。
 「実は、昨日ガンで入院していた夫を看取りまして、夫婦でやっていた小さな出版社も債務で整理したんです。私には何も残っていなくて。いいですね、若い人はまだまだ時間があって」

 蔵前さんの泣くのを見て、「今日はもういいですから、家に帰って休んで下さい。大丈夫、私がいるから」と明日香のどこかにスイッチが入った。
 明日香は、モップをひったくると一人掃除を始め、蔵前さんが店を出た後、明日香はシャドーピッチングをしてみた。
 「よし、まだまだいけるわ」

 店外の雑踏を見遣りながらまた一人、店内の清掃に黙々と精出す明日香だった。
 
 
 

 
 

 
 

 

 

 

 











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