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序章 伝説のはじまりは出会いから

第29話 二人の覚悟

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「では、こちらからで悪いのだが、至高の御方とはどういう意味なのだ?」

 アレックスからそう問われ、ハッとしたシルファは、つい緩めてしまった意識から舞い戻った。

(そ、そうでした。つい、気安く接してくださるから気が緩んでしまいましたわ。ああ、わたくしはなんて愚かなんでしょう。しっかりしなさい、シルファ!)

 心の中で自分を叱咤激励し、シルファがゆっくりと語り出す。

「――と、言う訳でございます。それだけを信じ、わたくしとラヴィーナは二人でこの地を目指し、こうして貴方様に出会うことが叶いました」

 最後までシルファの話を遮ることなく聞いてから、アレックスがポツリと呟いた。

「つまりは、力を貸してほしいと?」

 アレックスの言葉にシルファがびくりと肩を震わせる。

「そ、それは……」

 力を貸してほしいです――そう言いたかった。それでも、シルファは言い淀む。

 伝承では、『力を証明し、身を捧げることで神の力を得る』とされていた。それ故に、シルファは力を証明しようと全力で挑んだ。シルファが行使した、『インペリアルフレイム』は、猛炎の魔皇帝の異名を誇るイフィゲニア家が代々受け継いできた必殺魔法。

 伝説を信じ、いつかイフィゲニア王国が再び帝国と呼ばれる日を夢見ていたシルファは、それを体得するために厳しい訓練を自分へと課し、やっとの思いで自分のものにした。その必殺魔法で挑んだにも拘らず、アレックスに傷一つ付けられず、呼び出しが掛かったことで期待をすれども、思い違いだった。

(わたくしは……本当にダメですね……)

 シルファは、すっかり自信を喪失していた。

 すると、頭上にやさしい感触を感じてシルファが顔を上げると、アレックスがシルファの頭を優しく撫で微笑んでいた。

「何を悩んでいるのかは知らんが、取り合えず言ってみろよ。もしかしたらもしかするかもしれんぞ。お前は、どうしたいんだ」

 アレックスの大きく温かい手の感触をその頭上に感じ、アレックスの優しい声音が耳に心地よく響く。それでも、シルファは混乱していた。

(なぜ……なぜ、そのようなことを仰るのですか!
 わたくしには資格などないのに……なぜ、なぜなんですか!
 そんな言葉を聞いたら期待してしまうではないですか!
 どうせなら、お前では足りないと、その器ではないと、はっきり仰ってくださればいいものを!)

 シルファの心は、崩壊寸前だった。

 身内に裏切られ、幼き頃から信じて来たことを最後まで信じ抜いて聖域へと至った。そして、念願の、「至高の御方」に出会えたというのに、隔絶した力を持ったその伝説にどうすることもできずに敗れてしまった。シルファは、意識を失う間際に己の愚かさを悔やみ、そして、全てを諦めていた。

 それなのに、アレックスの言葉を聞いては、諦めて捨てたはずの希望が蘇る。


――――――


 シルファは言い淀んだが、アレックスとしては、どのみちヴェルダ王国から攻撃を受けるのなら、その相手に対して容赦するつもりはない。それがシルファの敵であるならば、結果的に彼女を助けることにもなるだろう。それでも、この流れのまま助けるのではなく、シルファの口から直接聞きたい。

 助けてください! 一緒に戦ってください! と、それを聞きたいのだ。

 そうすれば、一方的な押し付けではなく、相互協力という関係を築ける、と。

 この異界の地でも最強を目指すなら、その足掛かりとしてヴェルダ王国から支配するのも悪くないだろうと考えるようになっていた。

 ただそれも、アレックスたちだけでは簡単なことではない。この世界のことをほとんど知らないのだから。

 どうせ目指すなら最強――そのような考えの元にリバフロをプレイしてきたアレックスは、未だ二日目にして異世界だろうとやることは変わらないと、決心していた。

 理由は簡単だった。かつては人格のない単なるNPCにすぎなかった彼らは、既に人格を宿している。大切な彼らを守るために必要ならばと、この地でも最強を目指す。ただ、それだけだった。 

 そこで、共通の敵を持つシルファの存在は、今後の計画に於いて無視できない。なんせ、彼女は王族なのだ。そんな彼女と懇意にすることで、ヴェルダ王国を撃退した暁には、彼女の国をよきパートナーとして取り込めるかもしれない。

 そもそも、力で無理やり支配するつもりは毛頭ない。敵対せず、協力し合える存在は大いに大歓迎である。

 独裁は支配にあらず! 恐怖による圧政は脆く儚い――
 なれど、協和を伴う支配は強固なり!

 そんな思想を持っているのが、アレックスという男だ。

 そんなことを考えながら、シルファの返事を辛抱強く待っていると。

 どうすべきなのか、どうしたいのか、わからないとでも言うように、シルファの表情が一途に悲しげとなり、その双眸そうぼうに涙が滲みはじめた。

 その表情を見たアレックスは、悲しい響きが心に伝わり、どう声を掛けるのが正解か必死に模索する。そして、アレックスが出した答えは――

「お前は何を望む、シルファよ! もう、我慢するのはよせ!」

 けしかけるように、単純に今考えていることをさらけ出せと、言い放った。

 シンプルイズベスト! それが、アレックスが出した答え。 

 アレックスのその言葉が功を奏したのか、今にも泣き出してしまいそうな表情から一転、シルファは悲壮な決意で顔を上げ、口を開いた。
 
「助けてください! 至高の御方の力をわたくしにお貸しください!」

 そう言い切ったシルファが、唇を真一文字に引き結んでじいっとアレックスを見つめた。

 その期待に応えるべくアレックスが言い放つ。

「いいだろう。そのシルファの願い。このアレックス・シュテルクスト・ベヘアシャーが全力で支援することをここに誓おう!」

 伝説の魔神らしさを演出するために、仰々しくフルネームを言い、アレックスがシルファの願いを聞き入れることを約束した。

 それを聞いたシルファは、嬉しさというよりも、緊張の糸が切れたように脱力し、アレックスの胸にそのまま倒れこむように前のめりになった。

 それをアレックスが受け止め、まるで子供をあやすようにシルファを労った。

「偉いぞ、よく頑張ったな。もう安心していいんだ。俺がいるから」

 先の約束も然り、ヴェルダ王国の戦力も知らぬままにそう断言するのは、大言壮語も甚だしい。それでも、アレックスは、自分を頼ってきた目の前の幼気な少女の願いを無下に断ることなどできなかった。

 それが例え、勘違いから生じたことであったとしても。

 アレックスの胸に顔を埋めたシルファは、その言葉を聞き、堰を切るように泣き出してしまう。アレックスの静まり返った私室に、すすり上げ泣き伏す痛ましい彼女の声だけが響く。

 それから程なくして、泣き疲れたのか、アレックスに抱かれた体勢のままシルファが眠りに落ちた。

「ふうー、ああは言ったもののどうするかね」

 後悔とはまた違う悩みのように呟いてから、アレックスがシルファの寝顔を見下ろす。

「これで魔王っていうんだからな。人は見掛けに依らないというか……」

 その魔王は、俗に言う魔を統べる王という訳ではないが、その秘めたる力は本物だった。それに、シルファの年齢を聞く限りでは、まだまだ子供だ。本人は成人していると言ったものの、アレックスからしたら全然子供だ。

 それでアノ攻撃魔法を扱えるのだから、大したものだと感心した。ただそれは、新たな問題ともなる。

 この世界の魔人族たちの社会は、国にもよるらしいが、基本的には力がものを言うようだ。八天魔王が治める大国は、特にその傾向が強いらしい。絶対的な力を持った魔王を頂点として、長年繁栄しているという。
 シルファはその八天魔王の一人の娘であり、それよりも確実に強いハズのその父である魔王は呆気なく戦死した。

 とどのつまり、最低でも彼女と同等、或いはそれ以上の魔人族が少なくとも七人は存在することになる。ほとんど間違いなく、さらに多くの魔人族がシルファよりも強いだろう。

 一度に全てを相手するほど無計画に戦争をするつもりは微塵もないが、アレックスと七人の従者が居れば何とかできそうな気もしていた。それでも、国対国という戦争で考えると、レベル固定がなくなった兵士たちの戦力強化を図る必要がある。

「まあ、シルファの国がどんな状況かわからんし、正式に魔王と言っていいのかわからんな」

 その実、シルファやラヴィーナからは、魔王であるとは聞いていない。イフィゲニア王国で第一位継承権を有していると、イザベルの報告で知っただけだ。

「となると、兵士たちのレベル上げを優先しつつ、先ずはヴェルダ王国の戦力評価を早急に済ませないとだな。シルファの国の現状調査は、ヴェルダ王国を調べていればおのずとわかることだろうし。明日にでもアニエスに相談することにしよう」

 従者たちの意見を聞かずにアレックスの独断でシルファのことを助けると約束をしてしまったが、どのみちついでだしな、とアレックスは割り切ることにした。

「うーん、しかし困ったな」

 アレックスの腕の中には、気持ちよさそうに寝息を立ててすやすやと眠っているシルファがいる。そんな彼女を見てどうしようかとアレックスが唸る。

「さすがに俺もベッドで寝たいし……覚悟してるとか言ってたからべつに構わんよな」

 ふつうならベッドにシルファを寝かせ、アレックスがソファーで寝ればいいだけなのだが、彼はそんな無駄なことはしない。それに、一旦シルファを下ろそうとすると、ギュッとアレックスの服を掴んで離さないのである。

 他の誰かが居ることもないのに、アレックスは独り言つ。

「ほら、こうなっては仕方ない。これは仕方なくだ、仕方なく……」

 その言い訳だけが、真夜中のしんと静まり返った部屋に虚しく響くのだった。
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