後宮に潜む黒薔薇は吸血鬼の番となりて

緋村燐

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儀国の膿②

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 洗礼という碌でもないことは、その日の夕餉のとき早々に起こった。
 翠玉の食事に毒が盛られていたのだ。
 膳を持ってきた尚食局しょうしょくきょくの者がいつもと違っていた時点でおかしいとは思った。
 とはいえその時点では確証がないため一応毒味したが、盛られていた毒も口に含めばすぐに分かるようなもので、念のためと医局で調合してもらっておいた解毒薬のおかげで大事には至らなかった。

「分かってはいたけれど、やはり儀国の後宮ではこのようなことが“よくあること”なのね」
「蘭国では本当にたまーにしかありませんでしたからね」

 一騒動あったためいつもより遅くなった食事を終え、翠玉は人払いをした房でうなだれながら明凜に愚痴っていた。
 可愛らしく美しい翠玉が意気消沈している姿は儚さが倍増していて慰めたくなる。
 だが、翠玉のことをよく知る明凜は彼女がそこまで弱くはないことも理解していた。

「残念ね。これでは私、ただの“愛らしく儚げな公主”ではいられないじゃない」
「そうですね。ここでなら翠玉様の“悪戯いたずら”も受け入れられるでしょう」

 落ち込むどころかどこか楽しげな翠玉に、明凜は口角を上げて答える。
 互いに顔を見合わせて、フフフと笑った。

「では、相手の特定をお願いできるかしら?」
「もちろんです」

 翠玉の頼み事に当然のように頷く。
 だが、続けられた言葉にはしっかり苦言を呈した。

「頼りにしてるわ、お姐様」
「ですから、姐呼びは駄目だと言ったでしょう?」

***

 日が落ちても、後宮内はそれほど暗くはない。
 贅を尽くした煌びやかな装飾は、篝火の明かりを反射し辺りに光を撒き散らしている。
 今は寝静まる時刻にも早く、それぞれの房で明かりが使われているため尚更だ。

 明凜は明かりを持ち、侍女姿のままで尚食局へと向かっていた。
 翠玉の膳に毒を盛るよう命じた相手を特定するには、膳を持ってきた者を追えばいい。
 わざわざいつもとは別の者が持ってきたのだ。あの者が直接盛ったのは間違いないだろう。
 とはいえ本人の意思ということもないはずだ。
 妃でもない一宮女が貴妃に毒を盛るなど、処刑してくれと言っているようなものだ。
 それを平然と行うのは、何らかの理由でもっと上の立場の者に命じられたから。

 命じられて請け負う理由としては、何か弱みを握られているか、金銭か。はたまた媚びを売るためか。
 なんにせよ、ことが済んだ今夜のうちに動きはあるだろう。

(とりあえず、片付けが終わってしまう前に尚食局へ急がないと)

 顔は覚えていても名など分からないのだ。仕事が終わり、早々に尚食局からいなくなられては毒を盛るよう命じた相手を特定することが難しくなる。
 そのため少々急いでいると、角のところで誰かとぶつかりそうになった。
 とはいえ身のこなしの良い明凜はすぐに相手を避けようと動く。
 だというのに、なぜかぶつかってしまった。

「きゃっ」
「うわっ」

 互いに驚きの声を上げる。
 少々独特な低めの声と、ぶつかってしまった相手の体つきで宦官だと分かる。
 ほうの色やつくりを見ると高官ではないようでひとまず安心した。

「大丈夫ですか?」

 明凜を受け止めるような形でぶつかりつつ支えてくれた宦官は、少し慌てた様子で問いかけてくる。
 互いに避けようとしてぶつかってしまった状態なのだ。思わぬ怪我をさせていないかと気にしてくれているのだろう。

「大丈夫です。すみません、急いでいたものですから」

 相手を見上げ、謝罪する。
 武官上がりの宦官なのか、全体的に丸みを帯びている宦官たちと比べるとたくましさを感じた。
 だが、目尻が下がっている顔はどこか柔和な雰囲気がある。

「翡翠の目? ああ、申し訳ありません。……紫水宮の侍女殿ですね。私こそよそ見をしてしまっていましたので」

 謝罪し合い、身体を離す。
 目の色を見ただけで蘭貴妃の侍女だと分かるとは……。
 確かに珍しい色ではあるが、蘭から来た公主の侍女の目が翡翠色だということがどこまで広がっているのだろうと心配になる。

(あまり広がりすぎていると隠密するには不便だわ)

 今後黒装束で行動するときは目の色を見られないようにしなくては、と明凜は苦い気持ちになった。

「あの、私は晋以しんいと申します。侍女殿の名を伺ってもよろしいでしょうか?」
「え?」

 そのまま「では」と去りたかったが、なぜかぶつかった宦官・晋以は明凜をじっと見て名を聞いてきた。
 なぜ? と思う。
 自分の名を聞いてどうするというのだろうか。

(私を通じて翠玉に取り入りたい? でも見た感じ、そこまで権力欲が強そうにも見えないけれど……)

 他の理由も思いつかず、少し困惑する。
 だが名を教えるだけならば大きな問題はないだろう。
 何より、これ以上足止めされたくはなかった。

「私は明凜と申します。ぶつかってしまい申し訳ありません。先を急ぎますので、失礼致しますね」
「あ、お待ちください」

 名を告げ、早々に去ろうとしたのに腕をつかまれ引き留められる。

(もう何よ!? 急いでるって言ったでしょうが!)

 内心悪態をつきたかったが、なんとか抑える。

「何でしょう? 私、急いでいるのですけれど」

 少々引きつったかもしれないが、笑みを浮かべて離して欲しいと訴えた。
 だが捕まれている腕は離されず、晋以の焦げ茶の目が熱を持ったように潤み明凜を見つめる。

「あの、またお会い出来ませんか? 出来れば二人だけで……」
「はい?」

 これはどういう状況なのか。
 二人だけで会って、蘭貴妃に面会させてくれと頼むつもりなのだろうか?
 だが、こちらを見る目は権力欲よりも情欲に近いものを感じる。
 まさかとは思うが、逢い引きを願われているのだろうか?

 ふざけるなと思う。
 宦官も、宮女である侍女も皇帝のものだ。
 段取りを持って仲を深め対食たいしょくといわれる宦官の婚姻に持って行くならともかく、このように許可なく逢い引きを誘うなどどうかしている。
 内密に会い仲を深めようものなら、場合によっては処刑の対象にもなり得るというのに。

「あの、そういうことには順序というものが――」
「順序など、待っていられません」

(待ちなさいよ! 死にたいの!?)

 思わず内心突っ込んだが、そのまま言葉にするわけにもいかないだろう。
 早く尚食局へ向かわねばならないというのに。

「そこで何をしている?」
「っ!?」

 困り果てていると、聞き覚えのある声がその場に響く。
 明かりの届かない闇から姿を現したのは、冴えた美しさを伴った令劉だった。
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