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第12話 迫り来る黄金の天秤と、泥の道(リクイディティ・クライシス)
しおりを挟む海水淡水化プラントが稼働し、職業訓練校で学んだ領民たちが工場で働き始めたことで、ベルナ領の生産能力は飛躍的に向上していた。
倉庫には、銀鱗商会を通じて出荷を待つ「冷凍魚」や「雪塩」、そして新製品である「海産物のオイル漬け(瓶詰め)」が山のように積まれている。
帳簿上の資産は増えている。
だが、現実はそう甘くなかった。
「……足りません」
執務室で、家令のガルシアが悲痛な声を上げた。
彼の目の前には、一通の羊皮紙が置かれている。
差出人の紋章は『黄金の天秤』。
王国の経済を支配する、メディシス侯爵家からの督促状だ。
「当家の借金総額、金貨五千枚のうち、三千枚がメディシス家からの借り入れです。彼らは『ベルナ領の急激な変化はリスクである』として、契約書の特約条項を発動しました」
「……『期限の利益喪失』か」
「はい。一ヶ月以内に全額、現金での一括返済を求めています。もし払えなければ、担保である『港の運営権』を差し押さえると」
私は舌打ちをした。
リスクなど口実だ。彼らはベルナ港が「金のなる木」に化けたことに気づき、実を収穫する前に木ごと奪いに来たのだ。
完全に、敵対的買収(テイクオーバー)だ。
「現在の金庫には?」
「八百枚しかありません。……来月の売上予測を足しても、千五百枚。半分です」
資産はある。だが、現金(キャッシュ)がない。
いわゆる黒字倒産の危機だ。
「売るしかないわね」
同席していたエレナが、冷静に指摘した。
「倉庫に眠っている在庫を全て売り捌けば、計算上は三千枚に届きます。問題は『どこで』売るかです」
「この近隣じゃ無理だ。値崩れするし、そもそもそんな大金を持っている商人がいない」
「ええ。王都しかありません。王都の巨大市場なら、この量を消化できます」
王都。
ここから馬車で片道一週間の距離だ。
往復で二週間。荷降ろしや商談を含めれば、一ヶ月で一往復半が限界だ。
今の輸送力では、期限内に商品を現金化するのは物理的に不可能だった。
◇
私はすぐに銀鱗商会のメリッサを呼び出した。
彼女は事情を聞くと、頭を抱えた。
「無理だよ、若旦那。ウチの馬車をフル稼働させても、その量の半分も運べない」
「なぜだ? 馬車の数は足りているはずだ」
「『道』だよ。この季節、街道は雨でぬかるんでる。無理にスピードを出せば車軸が折れるし、何より……」
メリッサは、新製品の「瓶詰め」を手に取った。
訓練校の卒業生たちが作った、ガラス瓶に入った高級珍味だ。一個で銀貨数枚はする高付加価値商品。
「こいつは振動に弱い。今のガタガタ道じゃ、王都に着く頃には三割は割れてる。……中身が漏れれば、他の荷物もダメになる。ゆっくり運ぶしかないんだよ」
歩留まり(破損率)と速度のジレンマ。
これがボトルネックだった。
メディシス家は計算高い。我々の生産能力は評価しても、この「輸送の限界」を見抜いて、一ヶ月という期限を設定したのだ。
詰んでいる、と誰もが思った。
「……振動か」
私は窓の外、泥だらけの馬車を見下ろした。
車輪は木製、車軸は鉄製。サスペンション(懸架装置)などなく、路面の衝撃がダイレクトに荷台へ伝わる構造だ。
これでは、どんなに良い馬を使っても速度は出せない。
「メリッサ。もし……」
「ん?」
「ガラス瓶を一つも割らずに、今の倍の速度で、泥道を走れる馬車があったら?」
メリッサが呆れたように笑った。
「そんな魔法の絨毯みたいな馬車があれば、苦労はしないよ」
「絨毯じゃない。『バネ』だ」
私は工廠長のゴーディを呼ぶよう指示した。
この世界にはまだ存在しない、足回りの革命を起こす。
◇
工廠に、カーン、カーンという音が響く。
私はゴーディに、特殊な鋼材の作成を命じていた。
「若様、こいつは……剣にするには柔らかすぎるぞ?」
「それでいい。炭素量を調整して、粘りを持たせるんだ。折れずに曲がり、元に戻る性質……『弾性』が必要だ」
私が作らせたのは、長さの違う数枚の鉄板を重ね合わせたもの。
**『重ね板バネ(リーフスプリング)』**だ。
現代のトラックや旧式自動車に使われている、最も堅牢で基本的なサスペンション。
「これを車軸と荷台の間に噛ませる。そうすれば、路面のデコボコを鉄板がしなって吸収し、荷台は水平を保つ」
さらに、私はもう一つの部品を錬金術で精製した。
ドーナツ型の金属の間に、小さな鉄球を敷き詰めたもの。
**『ボールベアリング』**だ。
「こいつを車輪の軸受けに入れる。摩擦が減り、驚くほど軽く回るようになる」
ゴーディは半信半疑だったが、言われた通りに銀鱗商会の馬車を改造した。
そして翌日。
泥のぬかるむ試験コースで、試走が行われた。
荷台には、水を入れたコップと、大量の生卵が積まれている。
御者が鞭を入れる。
「ハイッ!」
馬車が泥道に突っ込む。
通常ならガタン! と跳ね上がり、コップの水がこぼれる場面だ。
だが――
ググッ。
板バネが大きくしなり、衝撃をいなした。
荷台はフワリと揺れただけで、コップの水は一滴もこぼれていない。
「な……っ!?」
見ていたメリッサが目を剥いた。
馬車は速度を落とさず、滑るように悪路を駆け抜けていく。ベアリングの効果で車輪の回転もスムーズだ。
「嘘だろ……。あの道で、減速しないのかい?」
「これが『サスペンション』だ。衝撃を吸収するから、積荷も傷まないし、馬への負担も減る。……これなら王都まで何日だ?」
メリッサは計算した。
馬の疲労が減れば、休憩時間を短縮できる。悪路でも速度を維持できる。
「……三日。いや、馬を宿場で乗り継げば二日半で着く! 往復五日だ!」
「それなら一ヶ月で六往復できるな」
「十分だ! 在庫の山どころか、生産が追いつかないくらい運んでやるよ!」
メリッサの目に、商人の炎が宿った。
◇
翌日から、ベルナ領と王都を結ぶ街道に、伝説が生まれた。
銀の魚の紋章をつけた馬車隊が、泥飛沫を上げながら、信じられない速度で爆走していくのだ。
王都の市場には、傷一つないベルナ産の高級瓶詰めや、新鮮なままの魚が次々と運び込まれた。
「おい、またベルナの馬車が来たぞ!」
「あいつら、車輪に魔法でもかけてるのか!?」
他領の商人が呆然とする中、銀鱗商会は商品を現金(ゴールド)に変え、その金を積んで再び猛スピードで帰っていく。
ピストン輸送。
それはまさに、物流の革命だった。
そして、運命の期限前日。
ベルナ子爵邸の金庫室。
ガルシアが、震える手で最後の金貨袋を積み上げた。
「……三千、二百枚。……揃いました」
彼はその場に崩れ落ち、男泣きした。
間に合った。
ギリギリの戦いだったが、技術(サスペンション)が経済(借金)を追い越した瞬間だった。
「泣くのは早いよ、ガルシア。……明日は、お客様に最高の『お返し』をしてやらないとな」
私は金貨の山を見つめ、静かに闘志を燃やした。
メディシス家。
彼らは敵に回すと恐ろしいが、もし手を組めれば、これほど頼もしい相手はいない。
明日の会見は、ただの返済ではない。
彼らに「ベルナ領の技術力」を認めさせ、対等なパートナーとして認めさせるためのプレゼンテーション(交渉)の場なのだ。
リリアーナ・メディシス。
まだ見ぬ「黄金の令嬢」との対決が、幕を開けようとしていた。
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