美貌の御曹司は、夜ごとの獣を飼い慣らせない ~現代源氏の溺愛、あるいは規格外の楔(くさび)~

namisan

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第2話 雨に打たれた白花

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 六月の雨は、アスファルトに染み付いた都市の熱を奪い去るように、冷たく降り注いでいた。
 深夜零時。源煌(みなもと・こう)を乗せた漆黒のマイバッハは、港区の幹線道路を滑るように走っている。
 車内は静寂に包まれていた。運転手が流すクラシック音楽さえ、煌の耳にはノイズに過ぎない。
 彼は窓ガラスに額を押し当て、流れる街灯の光をぼんやりと眺めていた。
(……空しいな)
 今夜の会食も退屈だった。
 財界の大物たちが集うパーティー。煌の周りには、常に煌びやかな女性たちが群がってくる。彼女たちは煌の顔を見て、スーツの仕立てを見て、そして「源グループ総帥」という肩書きに熱視線を送る。
 だが、誰一人として煌という「人間」を見てはいなかった。
 もし仮に、煌がズボンを脱ぎ、その異形とも呼べる巨大な楔(くさび)を晒したとしたら、彼女たちはどう反応するだろうか。
 悲鳴を上げて逃げ出すか。それとも、希少な野獣を見るような目で嘲笑うか。
 想像するだけで、胃の腑が冷たくなる。
「社長、少し雨脚が強くなってきましたね」
「ああ……」
 運転手の言葉に生返事を返した、その時だった。
 信号待ちで停車した車の窓越しに、奇妙な光景が目に入った。
 路地裏の雑居ビルの軒下。
 ゴミ集積所のカラス除けネットの脇に、ひとつの小さな影がうずくまっている。
 捨てられた犬か猫かと思った。だが、街灯の逆光に照らし出されたそのシルエットは、紛れもなく人間だった。
 華奢な少女だ。傘もささず、ずぶ濡れのまま、膝を抱えて震えている。
「……車を止めろ」
「は? しかし社長、ここは」
「いいから止めろと言っている」
 煌の低い声には、有無を言わせぬ強制力があった。運転手は慌ててハザードランプを点滅させ、車を路肩に寄せる。
 煌は傘も持たずにドアを開け、雨の中へと飛び出した。
 なぜ自分がそんな衝動に駆られたのか、彼自身にも分からなかった。ただ、その小さく震える背中が、今の自分の空虚な心と奇妙に共鳴したような気がしたのだ。
 激しい雨が、煌の高価なスーツを一瞬で濡らす。
 彼は少女の前に立ち、その肩に触れた。
「おい。こんなところで何をしている」
 少女の肩がびくりと跳ねた。
 ゆっくりと、顔が上がる。
 その瞬間、煌は息を呑んだ。
 雷に打たれたような衝撃が、脊髄を駆け抜ける。
(……華蓮、義姉(ねえ)さん……?)
 濡れた黒髪が張り付いた白い頬。恐怖と警戒心に揺れる大きな瞳。
 その顔立ちは、かつて煌が狂おしいほどに恋焦がれ、そして決して手に入らなかった初恋の人――義母であり義姉でもある西園寺華蓮(さいおんじ・かれん)の若き日に、瓜二つだったのだ。
 いや、違う。よく見れば年齢が違う。
 目の前の少女はまだ十代だろう。幼さが残る輪郭は、華蓮よりもさらに儚く、今にも壊れてしまいそうな危うさを秘めている。
 薄汚れた白いワンピースは雨で透け、未発達ながらも女性らしい曲線を頼りなげに浮かび上がらせていた。
「あ……ぅ……」
 少女の唇は紫色に震え、言葉にならない声を漏らす。
 高熱があるのだろうか、その瞳は潤み、焦点が定まっていない。
「立てるか?」
 煌が手を差し伸べると、少女は怯えたように身を引こうとした。しかし、体力が限界だったのか、そのまま糸が切れたように前のめりに倒れ込んでくる。
 とっさに煌は、その体を抱き留めた。
 軽い。
 あまりにも軽かった。
 煌の腕の中に収まった彼女は、まるで羽毛か、小さな雛鳥のようだ。
 その華奢な体躯を感じた瞬間、煌の心の中に、今まで感じたことのない昏い情熱が灯った。
 この子は、まだ誰の色にも染まっていない。
 この白紙のような少女ならば。
 俺の、この呪われた巨躯も、歪んだ愛情も、すべてを受け入れる「器」になり得るのではないか?
 それは傲慢で、一方的で、身勝手な直感だった。
 だが、煌にとってそれは、暗闇に差した一筋の蜘蛛の糸だった。
「社長! 何事ですか!」
 傘を持った運転手が駆け寄ってくる。
 煌は自身のジャケットを脱ぎ、腕の中の少女を包み込むように隠した。まるで、獲物を誰にも見せまいとする野獣のように。
「車に出せ。連れて帰る」
「は……? 警察か病院へ……」
「俺のマンションだ。主治医を呼べ」
 煌は少女を軽々と横抱きにする。
 彼の胸元で、少女が苦しげに「……おばあ、ちゃん……」と譫言(うわごと)のように呟いたのが聞こえた。身寄りはそれだけか。あるいは、その祖母ももういないのか。
 都合がいい、と煌は冷徹に思う。
 もし彼女が孤独ならば、俺が彼女の世界のすべてになればいい。
 マイバッハの後部座席に少女を乗せ、煌もその隣に座る。
 濡れた服から伝わる彼女の微かな体温が、煌の冷え切った渇きを癒やすように広がっていく。
 彼は少女の濡れた髪を指で梳きながら、眠るような顔を見つめた。
「……見つけたぞ、俺の紫(ゆかり)」
 源氏物語の光源氏は、幼い紫の上を連れ去り、自分好みの理想の女性へと育て上げた。
 ならば現代の光源氏たる自分が、同じことをして何が悪い。
 
 車は雨を切り裂き、都心の超高層マンション――煌の城へと向かって加速した。
 それが、藤村紫苑(ふじむら・しおん)にとっての、甘く危険な監禁生活(愛の日々)の幕開けだった。
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