蝶と共に

珈琲きの子

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第一部 第一章

出会いと解放

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 怒号、というのだろうか。
 悲鳴、というのだろうか。


 その声を聞いたそいつらは俺の口の中と腹の奥に精液を放つと、性器をしまい、その声の方に向かっていた。
 
 なにが起きたのかなんて、興味がなかった。
 
 誰もいなくなった部屋の堅い床に体を横たえて、ぼーっとその喧騒を遠くに聞いていた。




 いつの間にか、眠っていたらしく、慌てて身体を起こした。
 ずいぶん長く眠ったような気がした。たたき起こされることなく、こんなに深く眠れたのはいつぶりだろう。

 さらっと肌に布が触れる感触があり、自分の体を見遣ると、服を着ていた。チュニックのようなゆったりとしたもの。
 しかも俺が寝ているのは清潔感のあるベッド。


 また夢を見てるのかもしれない。
 あちらが夢か、こちらが夢か。


 夢だとしても気持ちいいベッドで寝れるならいい、と俺はもう一度寝転んだ。
 
 首に違和感を感じて触ると、そこに首輪はなかった。

 
 やはり夢?

 
 また襲ってきた眠気に目を閉じようとすると、ドアがガチャリと音を立てた。
 
 俺は体を急いで起こし、床に降りて、這いつくばるように身を伏せた。もうそれは体に馴染んだ癖だった。
 こうしていれば、入ってきた途端に暴力を振るわれることはなかったから。

 部屋に入って来た男が何か言っていたけれど、頭を掴まれて起こされるまではこのままにしておかないといけない。上げた途端に蹴りが飛んで来るから。

 何かを言いながら体を揺すってくる。こんな事は今までなくて、俺は戸惑った。
 また何かの遊びを思いついたのかもしれない。


 そんな事を思っていると、腕を掴まれて、体を起こされた。その力の強さに身が竦んだ。次に来るだろう痛みに勝手に体が震えだし、カチカチと奥歯が鳴った。

 パッと手が離れたかと思うと、その手が背中に触れ、驚きに体が跳ねた。予想していた痛みはなかった。
 その手は一瞬離れたけれど、俺の背中を擦り始め、それと同時に優しく語り掛けるような声が聞こえてくる。
 
 殴られるわけじゃない?

 そろそろと上げた視線の先にある整った顔、輝くような銀色の髪と燃えるように赤い瞳、元の世界ではありえない色に息を飲んだ。
 盗賊の一味には見えない風格漂う男。
 その男はスーツのような服を着ていて、清潔感がありしっかりとした役職に就いていそうな人物だった。

 ここはあのアジトではないのだろうか。

 ひたすら何か話しかけてくるけれど、何を言っているかわからないから答えようがない。

 首輪がない今なら声が出るとは思うけれど、声を発することで何かされるかもしれない。その恐怖に声は出なかった。

 
 男は俺の耳が聞こえないとでも理解したのか、ジェスチャーを使って、ベッドに寝ろと言ってきた。
 
 この男の目的は何だろう。
 
 俺は逆らうべきではないと、ベッドへ腰かけた。
 
 すると、男は嬉しそうに微笑み、頷いた。
 話が通じたことを喜んでいるように見えた。

 男は何か思いついたように、部屋を出て行くと、皿とコップの乗ったトレイを運んできて、飲む仕草をする。
 皿にはスープらしきもの、コップには水が入っていた。

 俺は言われるままに、水を飲み、スプーンでスープを口に運んだ。
 毒が入っていても別に構わないと思って口を付けたけれど、スープは温かく、体に染み渡った。

 おいしい。

 温かいものと言えば、元の世界で飲んだコーヒーが最後だった。あの小川に流れついてからどのぐらいの時が経っているのだろう。温かいものを口にしたのは何年か振りのように感じた。

 またその男は嬉しそうに笑い、空になった皿を指さして、スプーンで掬う真似をする。
 おかわりの事だろうか。
 薄い塩味のする冷たいスープと硬いパンをひと切れしか与えられていなかった俺にはその皿一杯が十分で、首を振った。

 男は頷いて、トレーを持つと部屋を出て行った。

 
 あの人はもしかして、あの場所から俺を助けてくれたのだろうか。

 
 その男は次の日も変わらず甲斐甲斐しく俺の世話を焼き、徐々に食べれる量が増えるのを見て、とても喜んだ。それを見ていると、男に対する恐怖心と警戒心は自然と薄れて行った。
 
 男は自分を指さして『アル』と言い、俺を『ティ』と呼んだ。俺が男を呼ぶことはなかったけれど。

 ある朝、俺は初めて部屋の外に連れ出された。連れていかれたのはその家の芝が整えられた庭。いや、お屋敷と言った方が良いかもしれない。
 その屋敷は少し高い位置に立てられているらしく、街を一望できた。
 
 そこから見えるのは石やレンガ造りの建物ばかりのポストカードに映っているような可愛らしい欧風な街並み。
 やはりここは『異世界』か『パラレルワールド』と呼ばれるところだと確信に近い思いを抱いた。


 アルは俺に歩くよう勧めた。
 ずっとあの部屋に籠り、四つん這いになるか寝転ぶかしかしてこなかったため、足の筋力は衰え、この庭に出てくるのさえ一苦労だった。 
 その日からそれは数日続き、またアルは俺は日々歩ける距離が長くなるごとに喜んだ。
 歩き始めの幼児に対する感情に似ているのだろうか。
 
  
 十分とは言えないけれど、比較的楽に庭を歩き回れるようになると、次は街に連れ出された。
 初めて乗る馬車に少し興奮してしまった。顔には出ていないと思う。
 アルは軍の制服のようなものを着ていたため、何となく職場にいくのではないかと予想が付いた。
 
 俺はただ椅子に座り、ひたすらアルが何かの手続きをしているのを待っていた。
 アルが働いているところなのかは分からないけれど、顔見知りは多くいるようで、挨拶されたり、手を振ったりと忙しくしていた。そのどの人物も西洋人顔であり、俺の容姿は逆に浮いていたと思う。
 
 人の行き交う様子をぼんやりと眺めていると、アルと共に俺の元に来た事務員に奥にある部屋へと通され、その一角のカーテンで囲われたところで服を脱ぐように言われた。

 ドキリと心臓が音を立てた。

 俺が固まっていると、その事務員は淡々と俺の上着を脱がせ、後ろを向かせた。
 何をされるのか。恐怖心が沸き起こって体が竦んだ。死に対しては何も思わないけれど、痛みは恐ろしくて堪らなかった。
 アルが傍にいてくれれば、少しは安心できたかもしれないが、今はいない。

 もしかして俺はまた…?

 そう思った時、カーテンが少し開きその隙間からアルが入って来た。
 アルに売られたわけではなかったと安堵していると、アルは俺の背中をその事務員と二人で観察し、頷いた。

 背中に何かあるのだろうか。
 
 その何かを確認するためだったようで、すぐに服を着せられ、内心ほっとした。

 その確認が終わると、すぐに部屋まで連れ戻され、また屋敷での生活が始まった。


 
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