旦那様に浮気をされたので応援してみました

珈琲きの子

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本編

沼に嵌る瞬間

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「これが焜炉で、そちらが保冷庫だ。水はこの石に触れれば出てくる」

一階の居間の奥にあるキッチンに入ると、騎士様が指差ししながら教えてくれる。それを聞きながらも、僕は魔道具を見られた感動で一言も発せられずにいた。そこかしこに書かれた幾何学的な文字。おそらく魔法を表す文字だと思うけど、その形からひしひしと異世界を感じて、よだれが出そうだった。

「触ってみるか?」
「はい!」

促されるまま石に触れると、蛇口から水がちゃんと出てくる。もう一度触れると止まるように設計されていて、何とも画期的な作りだ。何度も出したり止めたりしていると、隣からふっと短く息を吐いた音が聞こえた。
わ、笑われた!?
興奮のあまり自分を制御できていなかったことに気付いて、「すみません!」と手を離してぺこぺこしながら振り向いた。
すると騎士様が、ふわ、と眦を緩めた。

ズッギャアアァン

そんな効果音が僕の中で響いた。
柔らかな笑顔と悪戯っぽさが垣間見える眼差し。さっきまでの能面のような無表情はどこへ行ったの!?
人を殺せるほどのギャップに、僕は呼吸困難に陥った。こんな心臓を突かれるような衝撃は受けたことがない。

「気に入ったか?」
「あ、あ、き、気に入りました……」
「では次は焜炉だな」

騎士様は続けて説明してくれるけど、さっぱり頭に入ってこない。
なんとか要点だけは押さえて記憶したけど、とても失礼な態度になっていたんじゃないだろうか。
それでも気にすることなく僕のテンポに合わせて話してくれる。
この人は根っからのいい人なんだ。彼の優しさが身に沁みる。こちらに来て初めて感じた人の温かさであり、男の僕でもコロッと惚れてしまいそうだった。

ただ、そんな温かな時間も街に響く鐘の音で終わりを告げる。

「もうこんな時間か……悪い、これから神殿に戻らなければならない。明日こちらに顔を出せたら出すが、そのまま発つ可能性の方が高い」
「そのまま……わかりました」
「この家にあるものはすべて――食料も衣類も気にせずに使ってくれ。もちろん納戸にあるものもな」
「はい! ありがとうございます!」
「それと、外に出るときは十分気を付けるように。急なことですまないが、よろしく頼む」
「もちろんです! 任せてください!」

僕は何度も「ありがとうございます」と頭を下げ、飛び出すように家を出る騎士様を見送った。

玄関扉が閉まると一気に静けさが広がって、安心するような寂しいような、よくわからない感覚が胸を占める。

「騎士様に会えてよかった……」

僕は恋する乙女みたいに胸に手を当てて、ドキドキと高鳴る気持ちに浸った。
宿にも食糧にも困らないというありがたさもあるが、この世界で一人でも味方がいてくれるということが一番ありがたい。

「じゃあ、早速使ってみようかな」

明日騎士様が帰ってこないのならもう頼ることはできない。しっかりと使えるか確認しておかないと。
僕はキッチンに戻り、早速湯を沸かしてみる。
薬缶に水を汲んで、焜炉口に置く。焜炉の魔道具は石に触れて点火してから、つまみを回して火力を調節するというものだ。操作としては殆どあちらのものと変わりない。
無事に火が点いたのを確認してから、食品棚を開けた。珈琲から紅茶、ココアまでそろえてある。あと気になったのはシリアルらしきもの。瓶を開けて一枚齧ってみると、トウモロコシを潰したものと同じような味がする。

「朝食はこれで決定かな。牛乳と砂糖があればいいんだけど……」

保冷庫を開けると、お肉と野菜が少々。缶入りのミルクと、瓶入りのスパイスが数種類入っていた。流石にめんつゆや焼き肉のたれといったお手軽な調味料はなさそうだけど、神子を召喚しているだけあって、あちらの世界の食品に似たものも多くあるのかもしれない。

「明日は市場を覗いてみるのもいいかも。っていうか、これ全部未開封? お肉も野菜も使ってないし……もしかして騎士様、僕をここに連れてくるつもりで準備してくれてたの?」

どれだけ面倒見のいい人なんだろう。
ジンと胸が温かくなる。彼のおかげでどれだけこの世界で生きるハードルが下がったか。

「ありがとうございます」

届かないけど、お礼を言わずにはいられなかった。

「あ、そうだ。明日買いたいもの書き出しておいた方がいいよね。メモとペン……っと」

家のものはなんでも使っていいという言葉を信じて、居間の棚に置いてあったペンとインク、それから紙を拝借する。

「この紙……羊皮紙じゃなくて普通の紙だ。これも歴代神子様のおかげなのかも。しかもこれってつけペンでは……」

羽ペンを使ってるのかと思ってたけど、金属加工の技術が意外と進んでる?
神子様の得意分野が違うせいで、技術的にも発展するところとしていないところの差が大きいのかもしれない。
僕が伝えられるような技術はないけどね……

紅茶にたっぷりミルクを注いでからダイニングテーブルに着き、早速ペンをインクに浸した。
ミミズ線で試し書きしてから花を散らし、ぽっちゃりとした鳥を描く。

「悪くない」

一週間ぶりにペンを握ったし、お気に入りのペンでもないからちょっと違和感はあるけど、とにもかくにも嬉しい。
いつも暇があれば絵を描いていたから、こんなにあいたのは久しぶりだった。
まぁ本当のところ絵とはいっても絵画とかじゃなく漫画で、しかもジャンルはBLという、芸術とはかけ離れたところのものなんだけど……
僕はいわゆる腐男子というもので、男同士の恋愛やどろどろとしたセッ〇スを楽しむという嗜好があった。
召喚された日に参加していた即売会でも同人誌を頒布していたし、僕の半分はBLでできているといっても過言ではない。
こっちでも同人誌が売れたらそれ以上嬉しいことはないんだけど。

「印刷技術はどうなんだろう。コピー本ぐらいならなんとかなる? 考えられるのは転写だけど、同じのを二冊作るだけでどれだけ労力がかかるか……」

うーんと考えつつも手は勝手に動き、きゅぴんと可愛い騎士様の二頭身デフォルメキャラができあがる。

「それこそコピー機でもあれば……あぁあ、プリンターが欲しい!」

即売会前日に無配ペーパーを刷ったのを思い出しながら、こつんと頭を机にぶつけるように突っ伏した。
すると目の前に「コピーしますか?」という文字が出てきた。

「え……?」

上体を起こして目を擦ってみる。でもその文字は消えることなく宙に浮いていた。それはまるでチート系主人公が『ステータスオープン!』と言ったら出てくるあの画面のようで……

「……はい、コピーしてみます……?」

答えてみると、騎士様を描いていた紙の隣にすっと紙が現れ、全く同じ姿をした騎士様のデフォルメキャラが二人並んだ。

「う、う、うそおおおお!」

ま、まって。
ということは……

「同人誌が作れるっっ……!!!!」

自分には何のスキルもないのかと思っていたのに、見放されてなかった……!
これは同人誌を作って生きろということですよね!?
騎士様神様女神様、本当にありがとうございます!
この力を使って騎士様のすばらしさを世に伝えて行こうと思います!

僕は床に両膝をついて天井を仰ぎ見る。胸の前で指を組み、湧き出る喜びを祈りに乗せて天へぶつけた。

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