人間の少年に恋をした吸血鬼のお話

珈琲きの子

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5話

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公爵はいよいよ体が重くなるのを感じていました。まるで全身が石に変わってしまったかのように柔軟性を失い動かすことも困難でした。

「なぁ、起きないのか?」
「……ああ、もう少し眠りたい」

既に日が高く上がっているようですが、天蓋は落とされたままです。きっと公爵が日の光が眩しいとこぼしてしまったからでしょう。ベッドに頬杖をつく少年の顔がうっすらと闇の中に見えました。

「日が沈んだ後、おまえを引き取りに来るだろう。昔なじみの貴族だ。心配することはない」
「……今日で最後?」
「ああ……」

その返事を受けて少年はシーツに顔を埋めました。将来を憂う気持ちが伝わってきます。公爵は腕を伸ばし、小さな頭に手を乗せました。公爵は期待に応えてやることはできません。それをわかっているのでしょう。少年も覚悟を決めたように顔を上げました。

「会えるといいな」
「ああ」

そしてそれ以降会話を交わすことなく、時を迎えました。
配下も忙しなく客人を迎える準備をしているようです。少年は売り物ですから、特別にあつらえた服で着飾られます。応接間に行くというので公爵の後ろをついて行きました。屋敷の中を歩くのは最初で最後になるでしょう。

「やぁやぁ、ひさしぶりじゃないかゾンブール公」

ピカピカに磨かれた革靴の踵を鳴らし派手なスーツに身を包んだ男が入ってきました。外見は青年のように見えますが、公爵と同じぐらいの年月を生きる古の吸血鬼です。
ゾンブールとはみすぼらしいという意味ですが、公爵は特に腹を立てることはありませんでした。

「……おまえは変わらずだな」

彼がお調子者なのは昔からです。
挨拶もそこそこにジャケットの内ポケットから小切手を取り出します。それを公爵の配下が受け取ってそそくさとその場を後にしました。

「はーい、これで取引成立。……君、ホントに死ぬつもりかい?」
「ああ。あの時から変わってない、私の意志は」
「ふーん。まあいいや。んで、そっち?」

目配せを受けて公爵が少年の背中を押しました。大人しくしておけば待遇も良くなると公爵から説得されていましたから、顔を近づけられても足蹴にすることはありません。肩を引き寄せられ、首元に鼻を近づけられます。

「間違いなく」

公爵に少年の縋るような眼差しが向けられますがもう庇護する対象ではありません。そう、例え少年が目の前で首に噛みつかれ吸血されたとしても。

吸血鬼として当然の行動。
少年の細い首には躊躇なく牙が突き立てられ、ズズズと血を啜る音が部屋に響きます。痛みを快感に変える作用がありますから、驚きに見開かれた少年の目はあっという間に焦点を失います。吸血鬼の腕に体重を預けるように少年の体からは力が抜けていきました。

「行儀が悪い。屋敷に戻ってからにしろ」
「ごめんごめん、ついおいしそうな匂いだったから。そんな顔しないって、昔沢山人間を殺してまわった仲じゃないか。最近さー、人間も従順になってきてほんっとつまんない。血を血で洗う感覚サイコーだったよねー。僕欲求不満でさ。君とももっと遊びたいなーって。――だからさ、飲もうよ?」

吸血鬼は表情を一切変えずに少年を公爵に向けて突き飛ばしました。慌てて公爵はフラフラの少年に手を伸ばします。
しかし、抱き留める直前、少年から血飛沫があがったのです。

「な……!」
「そんなはした金で君が本来の姿に戻ってくれるのなら安いものさ」
「まさか」

最初からこのために。公爵は顔を歪めます。

少年の背中はばっくりと裂けており、瞬く間に服を赤く染めていきます。当の本人は気付いていないようで、公爵の顔をぼんやりと見つめていました。

「どした、の?」

ぽたりぽたりと血の雫が落ち、床の血溜まりを大きくしていきます。

「え……なに、俺……」

公爵はぐらりと傾いた少年の体を支えるとそのまま床に横たえました。もう助かる傷ではありません。そして応接間に満ちるむせ返るような血の匂い。吸血鬼にとって欲望を掻き立てるものでしかありませんでした。

少年に覆いかぶさった公爵の目は充血し、こめかみには青筋が浮き上がっています。食いしばった歯の隙間から低くカサついた息が漏れ出していました。少年はその姿を虚ろな目で見上げます。息は浅くすぐにでも止まってしまいそうです。
そして、禁断症状に耐え切れず公爵が唸り声を上げて牙を剥いた時でした。

「トゥラ、ハ」

か細い音が戒句を紡いだのです。
公爵の動きがぴたりと止まりました。

「……こい、び……と……あ、ぅ……」

その掠れた声を聞いた瞬間、公爵は目の前が真っ赤になるのを感じました。
吸血行為を止められた憤りでしょうか。それとも少年を傷つけられた憎しみでしょうか。いえ、違いました。公爵はただ少年を死なせたくないという一心に駆られていたのです。

少年と公爵の力差が大きいため、戒句の拘束時間は一分足らず。ですが、その時間の長さが途方もないものに感じられます。拘束に抗おうとする公爵の体は軋みを上げました。
ゆっくりゆっくりと少年の瞼は落ちていきます。

己の代わりに泣いてくれた心優しき少年。
この愛しい存在が消えてしまう。


「生きろ」


公爵は全てをかなぐり捨て、少年の喉元に喰らいついたのでした。



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