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終章
シャーラの後悔
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「…………」
シャーラは、無言で森の中を歩いていた。
その横には、俯きがちにとぼとぼと歩くマァルの姿。
そして、
「…………」
そんなふたりの背後を、同じく無言のまま歩む、ひとりの女。
────昨夜、テントの外から剣を突き込んだにも関わらず、シャーラの喉元すれすれでその切っ先を止めるという神業を示した、黒い鎧を身に付けた女だ。
シャーラは歩きながら、軽く首を横に傾け、背後に視線を送った。
黒鎧の女が、前を歩くシャーラとマァルを警戒している様子はない。
腰に差した剣を抜いてすら────いや、その柄に手にかけてすら、いない。
だがそれは、その状態からでも確実にふたりを制圧できるという自信の現れだろう。
実際、もしシャーラとマァルが二人がかりで襲いかかったとしても、おそらく善戦すらできずに打ち倒されてしまうに違いない。
戦闘能力を売りにしている訳ではないとはいえ、シャーラもB級冒険者だ。
決して戦えないわけではないし、並みの戦士には引けを取らない程度の自信もある。
加えて、獣人並みの怪力を誇るドワーフ族のマァルもいる。
……だがそれでも敵わない。
はぐれ者たちの家を監視していた時ほどの圧迫感は感じないものの、この黒鎧の女は自分とは明らかに格が違う。
そう、シャーラの勘が告げているのだ。
「……それでいい。これから先も、妙な気は起こさないことだ。自分と相棒の命が惜しければな」
まるでシャーラの心の動きを悟ったかのように、黒鎧が声をかけてきた。
シャーラはチッ、と軽く舌打ちをすると、前を向く前に一瞬だけその視線を黒鎧の背後に向ける。
そこには、何か薬でも嗅がされているのか、穏やかな表情で眠り続ける少年の姿があった。
夜が明けて出立するとき、シャーラは「せめて少年は自分に背負わせて欲しい」と懇願したのだが、とうぜん黒鎧がそれを受け入れることはなかった。
そして自らの背に少年を背負うと、シャーラとマァルに向かう方向を指示し、前を歩かせたのである
少年の身柄を押さえられた時点で、状況はすでに詰んでいた。
もしシャーラが少年を背負っていたなら、最悪少年だけは逃がすことができたかもしれない。
だが、もはやそれも不可能だ。
それでも……
(それでも……例えこの命に代えてでも……あの子だけはなんとかあいつらに会わせてやらなきゃねぇ……)
さすがにシャーラも、一夜明けて冷静になれば、この依頼がおかしいということに気づいていた。
少年は、王国共通語を一切喋っていなかったのだ。
これは、少年が本当に攫われた貴族の子息だとするならば、ありえないことだった。
そしてその前提が嘘ならば、依頼主から聞かされた話の土台となる部分が嘘だ、ということになる。
もしかしたら細かい部分には、いくらかの真実が含まれていたのかもしれない。
だが、そんなことは問題ではなかった。
シャーラにとって最も重要なのは、少年とはぐれ者たちの関係が、本当に『性奴隷とその主人』という関係だったのか、ということだ。
昨夜少年は、こんなにも醜いシャーラのことを抱いてくれた。
それが、マァルが誤って少年に『ウォックの実』を食べさせてしまったせいだということは、黒鎧に監視されながらの短いやりとりで聞いている。
だがあれは幻覚作用を及ぼすような、強力なものではない。
あくまでも泥酔したような状態になってしまい、理性が飛んで開放的な気分になり、そのふわふわとした感覚から自分が『夢の中にいるのではないか』と錯覚する程度のものだ。
だとするならば、少年はマァルとシャーラの容姿を認識し、その上でふたりと『夢の中で情を交わした』ということになる。
つまり、全くもって信じがたいことではあるが、マァルとシャーラの容姿は、少なくとも少年にとって『劣情を抱く程度には好ましいものだった』としか考えられないのだ。
シャーラは、醜い。
マァルも、その素顔は醜い。
そしてはぐれ者たちもまた、自分たちと同じように醜い容姿を持つ者たちだ。
もし、少年の美醜感が自分たちとは異なっているのだとしたら────
その考えにたどり着いたとき、シャーラは冷たい手で心臓を握り締められたかのような恐怖を感じた。
家族や親子といった関係に、強い憧れを抱いてきた自分が。
それが叶わぬ願いだと知っていたから、身寄りのない子供達に『家』を与えることで心の隙間を埋めてきた自分が。
よりにもよって、少年から、はぐれ者たちから、家族を奪い去ってしまった可能性に気づいたのだ。
(…………アタシは、まだ死ねない)
なぜ、すでに用済みとなった自分たちが殺されていないのかは、分からない。
連れて行かれた先に何が待ち受けているのかも、そこで自分たちにどのような役目が与えられるのかも、分からない。
だがシャーラは、例えどのような目に遭おうとも、耐え続ける覚悟を決めていた。
そして、例え自分の全てと引き換えにしても、命ある限りは必ず少年をはぐれ者たちに会わせるのだと決意していた。
「……くくっ」
背後で、またも黒鎧がシャーラの心を見透かしたかのように嗤う。
「……好きなだけ嗤えばいいさ」
それに対してシャーラは、振り返ることもなく言葉を返した。
その声には、どのような感情も乗ってはいない。
怒りも、侮蔑も、そして後悔も。
その全ては自分に対して向けるべきものだと考えていたからだ。
自らの感情で自らの心を傷つけながら、シャーラは黙々と歩を進めた。
その痛みだけが、現時点では自分を罰することのできる唯一の方法だった。
シャーラは、無言で森の中を歩いていた。
その横には、俯きがちにとぼとぼと歩くマァルの姿。
そして、
「…………」
そんなふたりの背後を、同じく無言のまま歩む、ひとりの女。
────昨夜、テントの外から剣を突き込んだにも関わらず、シャーラの喉元すれすれでその切っ先を止めるという神業を示した、黒い鎧を身に付けた女だ。
シャーラは歩きながら、軽く首を横に傾け、背後に視線を送った。
黒鎧の女が、前を歩くシャーラとマァルを警戒している様子はない。
腰に差した剣を抜いてすら────いや、その柄に手にかけてすら、いない。
だがそれは、その状態からでも確実にふたりを制圧できるという自信の現れだろう。
実際、もしシャーラとマァルが二人がかりで襲いかかったとしても、おそらく善戦すらできずに打ち倒されてしまうに違いない。
戦闘能力を売りにしている訳ではないとはいえ、シャーラもB級冒険者だ。
決して戦えないわけではないし、並みの戦士には引けを取らない程度の自信もある。
加えて、獣人並みの怪力を誇るドワーフ族のマァルもいる。
……だがそれでも敵わない。
はぐれ者たちの家を監視していた時ほどの圧迫感は感じないものの、この黒鎧の女は自分とは明らかに格が違う。
そう、シャーラの勘が告げているのだ。
「……それでいい。これから先も、妙な気は起こさないことだ。自分と相棒の命が惜しければな」
まるでシャーラの心の動きを悟ったかのように、黒鎧が声をかけてきた。
シャーラはチッ、と軽く舌打ちをすると、前を向く前に一瞬だけその視線を黒鎧の背後に向ける。
そこには、何か薬でも嗅がされているのか、穏やかな表情で眠り続ける少年の姿があった。
夜が明けて出立するとき、シャーラは「せめて少年は自分に背負わせて欲しい」と懇願したのだが、とうぜん黒鎧がそれを受け入れることはなかった。
そして自らの背に少年を背負うと、シャーラとマァルに向かう方向を指示し、前を歩かせたのである
少年の身柄を押さえられた時点で、状況はすでに詰んでいた。
もしシャーラが少年を背負っていたなら、最悪少年だけは逃がすことができたかもしれない。
だが、もはやそれも不可能だ。
それでも……
(それでも……例えこの命に代えてでも……あの子だけはなんとかあいつらに会わせてやらなきゃねぇ……)
さすがにシャーラも、一夜明けて冷静になれば、この依頼がおかしいということに気づいていた。
少年は、王国共通語を一切喋っていなかったのだ。
これは、少年が本当に攫われた貴族の子息だとするならば、ありえないことだった。
そしてその前提が嘘ならば、依頼主から聞かされた話の土台となる部分が嘘だ、ということになる。
もしかしたら細かい部分には、いくらかの真実が含まれていたのかもしれない。
だが、そんなことは問題ではなかった。
シャーラにとって最も重要なのは、少年とはぐれ者たちの関係が、本当に『性奴隷とその主人』という関係だったのか、ということだ。
昨夜少年は、こんなにも醜いシャーラのことを抱いてくれた。
それが、マァルが誤って少年に『ウォックの実』を食べさせてしまったせいだということは、黒鎧に監視されながらの短いやりとりで聞いている。
だがあれは幻覚作用を及ぼすような、強力なものではない。
あくまでも泥酔したような状態になってしまい、理性が飛んで開放的な気分になり、そのふわふわとした感覚から自分が『夢の中にいるのではないか』と錯覚する程度のものだ。
だとするならば、少年はマァルとシャーラの容姿を認識し、その上でふたりと『夢の中で情を交わした』ということになる。
つまり、全くもって信じがたいことではあるが、マァルとシャーラの容姿は、少なくとも少年にとって『劣情を抱く程度には好ましいものだった』としか考えられないのだ。
シャーラは、醜い。
マァルも、その素顔は醜い。
そしてはぐれ者たちもまた、自分たちと同じように醜い容姿を持つ者たちだ。
もし、少年の美醜感が自分たちとは異なっているのだとしたら────
その考えにたどり着いたとき、シャーラは冷たい手で心臓を握り締められたかのような恐怖を感じた。
家族や親子といった関係に、強い憧れを抱いてきた自分が。
それが叶わぬ願いだと知っていたから、身寄りのない子供達に『家』を与えることで心の隙間を埋めてきた自分が。
よりにもよって、少年から、はぐれ者たちから、家族を奪い去ってしまった可能性に気づいたのだ。
(…………アタシは、まだ死ねない)
なぜ、すでに用済みとなった自分たちが殺されていないのかは、分からない。
連れて行かれた先に何が待ち受けているのかも、そこで自分たちにどのような役目が与えられるのかも、分からない。
だがシャーラは、例えどのような目に遭おうとも、耐え続ける覚悟を決めていた。
そして、例え自分の全てと引き換えにしても、命ある限りは必ず少年をはぐれ者たちに会わせるのだと決意していた。
「……くくっ」
背後で、またも黒鎧がシャーラの心を見透かしたかのように嗤う。
「……好きなだけ嗤えばいいさ」
それに対してシャーラは、振り返ることもなく言葉を返した。
その声には、どのような感情も乗ってはいない。
怒りも、侮蔑も、そして後悔も。
その全ては自分に対して向けるべきものだと考えていたからだ。
自らの感情で自らの心を傷つけながら、シャーラは黙々と歩を進めた。
その痛みだけが、現時点では自分を罰することのできる唯一の方法だった。
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