【R18】陰陽の聖婚 Ⅳ:永遠への回帰

無憂

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4,ミカエラの恋

拒まれた心

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「これを返して欲しいと、シウリンから頼まれました」

 執務机の上に置かれた黒い天鵞絨ビロードのリボンを見下ろして、ミカエラは蒼白な顔で唇を噛みしめた。リボンはミカエラが手ずから黄色と白の薔薇の刺繍を施したもので、あの日、シウリンに手渡して受け取ってもらえたはずだった。

「彼は、リボンの意味を知らずに受け取って、誤解を招いたことに詫びていました。――今の奥方以外と、結婚するつもりもない、と」

 ユーリの言葉に、同席していた重鎮の老騎士が反論する。

「リボンの意味を知らなかったなどと、今更、そんな言い訳が通用するとでも?」

 しかし、シュテファンがユーリを庇うように言う。

「彼は十二歳までの記憶しかないと言っていました。それに、リボンの受け渡しで男女の恋情を表すなんて風習、もしかしたらこの周辺だけのものかもしれない。東の女はストゥーパのように髪を高々と結い上げるそうですし、リボンなんか使わないかもしれません」
「彼は右耳に翡翠の耳飾りをしています。……男性が片方だけに耳飾りをするのは、本当に愛する女性はただひとりだという印で、正妻を重んずる東方の流行だと、聞いたことがあります。女王家の女性は代々、翡翠色の瞳をしているとか。リボンの意味を知っていたら、そして、ミカエラ様がきちんと説明していたら、彼はリボンを受け取らなかったと思いますよ?」

 ユーリが、気の毒そうにミカエラを見て言った。
 何も言わずにリボンを渡すのは、ガルシア領の界隈では普通のこと――余計な告白の手間を省くために、リボンを渡すのだから、当然である――だが、風習自体知らない相手には、それでは思いは通じない。恋に不慣れなミカエラが先走ったのは憐れではあるが、シウリンはそんなつもりはなかったと、リボンを返してきたのだ。

「彼は、東の皇族なのであろう。ならば、妻が一人きりということはあるまい。女王の夫になるのであれば、なおさら、あと四、五人は妻が必要となる。エイロニア侯爵が、娘の一人を嫁がせる約束をしていると、聞いているぞ。うちの姫様だって、アデライード姫と同じ辺境伯の令嬢だ。あちらを娶り、こちらを娶らぬという、話があるか」
 
 重鎮が不愉快そうに吐き捨てるのを、ユーリが言う。

「十二歳までの記憶しかない状態で、結婚のような重大な判断は下せないと言いました。まず、彼がソリスティアに帰って記憶を取り戻してから、改めて交渉するべきでは――」
「ここまで姫様を虚仮こけにされて、おめおめ帰すことなどできるわけないわっ!」

 シウリンとミカエラの件は、すでに城中の噂になっている。ここでシウリンが誤解だったなどと言えば、嘲笑されるのはミカエラである。
 
「是が非でも結婚の了承を取り付けねば、姫様の評判にも関わる。何としても説得せよ!」
 
 重鎮の言葉に、シュテファンが無茶なことを、と顔を顰める。

「お待ちください。シウリンが安易に決められることではない、と言うのももっともです。彼の話に依れば、ソリスティアに帰れば記憶は戻すことが可能だと。記憶が戻ってから、もう一度結婚について交渉すれば、女王の夫として冷静に判断を下し、ガルシア領の危機的状況を回避するべく、結婚を了承してくれるかもしれない。今、無理強いしても、シウリンは首を縦に振らないでしょう」

 ミカエラの気持ちはシウリンにあるようだが、シウリンの方にはない。だが、二十三歳の彼であれば、政治的な状況に鑑みて結婚を受け入れるかもしれないし、最悪、ガルシア伯に相応しい婿を紹介してくれるだろう。

「そのような話、信用できるか! 我らガルシア領の者が、今までどれだけ、ナキアの中央から蔑ろにされてきたと思っておる! とにかく、我らに必要なのは、ガルシア伯家の血を引く跡取りだ。御館様亡き後、もう、ガルシア家の血を伝えることができるのは、ミカエラ様ただお一人なのだぞ!」

 ダン、と重鎮が黒檀の執務机に拳を叩きつけ、ミカエラがびくりと身を固くする。

「姫様も姫様だ! もっと形振り構わず、あの男の心をつかみに行かねば、いつまでも結婚などできはせぬ! 何のために御館様が姫様を城でご養育したか、その恩をもっとお考えになるべきだ」

 まるでお前の魅力が足りないから、リボンを突っ返されたのだ、と言わんばわかりの言い草に、ミカエラはさらに蒼白になる。ユーリもシュテファンもさすがにひどいとは思うが、ここで変にミカエラを庇ったところで、ミカエラをより一層、惨めな気分にさせるに違いない。
 
「……ミカエラ様は、あの、シウリンを愛しておられるのですか?」

 話を変えるように、シュテファンがミカエラに向き合う。ミカエラが青い瞳を見開き、真っ青な顔で、だがこくんと頷いた。

「お慕い……しておりました。たとえ、本当に愛するのはソリスティアの姫君だけだとしても、二番目でも、それ以下でも構わないと……」

 ミカエラの青い瞳には涙が滲み、今にも目じりから溢れんばかりに揺れている。

「そのこと、シウリンに伝えたのですか?」
  
 シュテファンはミカエラをじっと見る。

「いえ……そこまで、はっきりとは……」
「たとえ愛されずとも、あるいは、ガルシア領を継ぐ跡取りを生むためだけの関係でも、それでもいいとの覚悟はおありになるのですか?」

 ミカエラがはっとして、シュテファンを見る。

「それは……」
「姫様が恋した、あるいは、姫様に恋した方に嫁ぎ、子をされるのが、一番、いい。初めはただの政略でも、長く連れ添ううちに心が通うこともありましょう。だが、彼はこの土地に根付くつもりがなく、またそれが許される立場にはないようだ。いずれソリスティアか、ナキアか、ここから遠く離れた場所に最愛の妻とともに住むことになる。彼を選べば、名目的な妻にはなれても、彼の隣で愛されて過ごすことは、たぶんできない」

 シュテファンの言葉は残酷であった。今現在、シウリンの心はアデライードで占められている。〈聖婚〉の皇子にして女王の夫となるべき彼は、生涯、アデライード第一の姿勢を崩すことはないだろう。
 
「それでも、彼がいいというのであれば、その覚悟をはっきりとお告げになるべきです。その上で、彼がどうでるか――」
 
 ミカエラは机の上のリボンを見下ろし、それを握り締めて頷いた。
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