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5、女王家の神器

メイローズ枢機卿

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 恭親王がソリスティアに到着した翌日、陰陽宮の枢機卿であるメイローズが総督府を訪れた。
 黄金の髪と紺碧の瞳を持つ美貌の宦官は、恭親王の居間に通されると両膝をついて主従の礼を取った。

 「久しぶりだな、メイローズ。五年ぶりか?……全く、こんな形でお前に会うことになろうとはな」

 正面の肘掛椅子に長い脚を組んで優雅に腰かけた恭親王は、懐かしさにやや皮肉を交えた表情で、かつての側仕えを出迎えた。
 メイローズは恭親王の背後に控える侍従のトルフィンやゾラにもにこやかに微笑みかける。彼らとも五年ぶりだ。そして壁際の書き物机の脇に置かれた専用のヤドリギの上で羽を休める黒い鷹をも、懐かしい目で見つめる。

 メイローズは五年前まで、恭親王の側仕えとして皇宮に仕えていた宦官だ。恭親王が結婚によって帝都に邸を構えるに及び、皇宮に残るか、恭親王にそのまま仕えるか尋ねた際、彼は陰陽宮の聖職者になることを希望したため、恭親王は紹介状も書いてやったのだ。東の帝国は太陽宮の守護者であるが、帝国の皇宮と聖地の陰陽宮は転移門(ゲート)を通して繋がっており、宦官同士の連絡も密で、人員の融通なども行われているらしい。メイローズは〈王気〉が視えるという特殊能力もあって、陰陽宮で順調に頭角を現し、わずか五年で枢機卿の末席に連なるまで出世した。

 「わが主もお元気そうで何よりです。最後にお会いしたときから、さらに背が伸びたようですね」

 メイローズが離れたとき十七歳だった恭親王は、今は二十二歳になり、身長はメイローズを追い越した。
身体つきは相変わらず細身だったが、以前のような少年っぽさは影を潜め、大人の男性の体形が完成されつつある。
 
 「もうお前は私の側仕えではなく、陰陽宮の枢機卿なのだ。わが主などと言うのはよせ」
 「いいえ、わが主はいついかなる時でも、私の唯一の主にございます」

 メイローズが愛情の籠った眼差しで見つめるのを、恭親王は困惑したように見返す。

 「そんなに愛情深いのなら、私に〈聖婚〉などという、無理難題を要求しないでもらいたかったな」

 トルフィンが銀の盆に乗せた葡萄酒の入った錫のデキャンタとゴブレットを運んできて、それをソファの前の卓に置くと、恭親王は優雅な仕草で、メイローズに対面の木製のソファを勧める。メイローズは五年ぶりの主の姿を、紺碧の瞳を細めて改めて見る。

 背が高く、痩せ型ながら筋肉はきちんとついたしなやかな身体つき、黒い髪はあくまで艶やかで、黒曜石のように光る鋭い瞳、精悍な眉、通った鼻筋、やや薄めの唇と、完璧な顔の造形に、鋭さと甘い雰囲気が同居する美青年だ。
 さらに、彼の周囲は黄金色に輝くオーラがふんわりと取り巻いて、わずかな感情の動きにつれて黄金の龍の形をとって立ち昇り、飛び交う。彼がこの世界で最も高貴な血を受けていることの証だ。陽の〈王気〉――この世界を〈混沌〉の闇から救った英雄、龍騎士のまごうかたなき子孫。メイローズは主の依然変わらぬ、いやなお一層増した美貌とその威に見惚れて、立ったままでいた。

 「もうお前は側付きではない、今日は客人だ。遠慮なく座れ」

 再度薦められ、仕方なく向かい合わせに座る。トルフィンがゴブレットに葡萄酒を注ぎ、メイローズと恭親王の前に置く。

 「ゾーイ殿とゲル殿はこちらにはいらっしゃらないのですか?」

 メイローズがかつての仲間たちの近況を尋ねると、恭親王は葡萄酒を一口飲んで、答えた。

 「ゲルは今、使用人たちや輜重しちょうを指揮して、こちらに向かっているところだ。あと十日以上はかかると思う。……ゾーイは、父親のメイガンの服喪中で、一旦離職中だ。いずれ近いうちに召喚することになるだろうが、少しの間、休暇だな」
 「そうでしたか」
 
 メイローズも遠慮がちに葡萄酒を口にした。
 ゲルは恭親王の副傅ふくふ、六年前、北方辺境での戦いで正傅せいふを失った恭親王の現在唯一の傅役である。ゾーイは筆頭侍従武官で、恭親王の剣の師でもあった。

 「今回こちらに参りましたのは、此度の〈聖婚〉につきまして、私が連絡役と儀式次第を司ることになりましたので、まずはご挨拶にまかりこしました」

 メイローズは丁寧に礼をする。恭親王は肘掛に左肘をつき、左手で頬杖をついて、そっけなく言う。

 「そうか、それはご苦労なことだ」
 「このたびは栄えある〈聖婚〉が整いまして、まことにおめでとうございます」
 「別にめでたくもなんともない。もう結婚はこりごりだと言い張ったが、またもや聞いてもらえなかった」

 五年前、恭親王は全く意に染まない結婚を強いられ、その妻を二年前に失くしている。恵まれた容姿と才能に溢れた彼には、その後もひっきりなしに縁談が持ち込まれたが、彼は全て謝絶してきたという。今回、皇后腹の彼が〈聖婚〉の皇子に選ばれたが、それはつまり、皇帝はようやく、この愛子に御位を譲ることを諦めたということなのだろう。もとより、彼が帝位に興味を持たないことは、かつて側近く仕えたメイローズが最もよく知っている。

 「アデライード姫には、私は昨日、初めてお目通りしましたが……本当に目も眩むばかりにお美しい方で……何より、あの姫を覆う〈王気〉がまた素晴らしく……私は実は陰の「王気」を初めて拝見したのですが、何と申しますか、まるで月の光に覆われているかのような、銀色の清々しい光でございまして、その〈王気〉の美しさと言ったら喩えるならば……」
 「もういい、わかった……」

 心なし頬を染め、早口で〈王気〉について語り始めるメイローズに、恭親王は半ば呆れ顔で長広舌を制した。実際、恭親王の興味は別の事にある。

 「姫の異母兄の、レイノークス伯には会ったか?」

 恭親王の問いに、メイローズが珍しくほんの少しだけ顔を顰めた。

 「あれはまあ……いわゆる妹狂ですな。ユリウス卿がどうされました?」

 二十人以上姉がいるらしいが、一人も会ったことがない恭親王には、世間に一定数存在するらしい、妹に対し異常な執着を示す男たちの心情は理解できない。

 「いや、こちらに挨拶に来たいと連絡を寄こしたので、近々会うことになると思うのだが、どんな奴かと思ってな。年はいくつくらいだ?」

 メイローズが顎に指をあてて考えながら言う。

 「たしか二十四歳だとかうかがっております。こちらも大層な美形で……身丈はわが主より少し低いでしょうか?痩せ型で、剣技などはあまりお得意ではなさそうな雰囲気ですが、お若いのになかなかの切れ者との評判でございます」
 「いったい何しにくるのかな……」

 首を傾げる恭親王に、メイローズが思い出したように言う。

 「まあ何しろ妹狂ですからね、妹の夫となる者の顔は拝んでおきたいと思うでしょうし……そう言えば、狂王ユエリンの噂を大層気にしておられるようでした。悪魔のような男に妹君を嫁に出さねばならぬと、本気で心配しておられるのかもしれません。殿下のお名前を聞いて、この世の終わりのような表情をしておられましたから」

 恭親王は思わず額に手を置いて頭を抱える。

 「メイローズ……せめてお前は、その噂を否定してくれたのだろうな?」

 恐る恐る尋ねる恭親王に、メイローズが明るく笑った。

 「ジュルチ阿闍梨あじゃりがいろいろと言っておられましたし、あまり口を出しても逆効果かと思い、私は黙っておきました」
 「お前……」
 「それに、ユリウス卿は殿下がソリスティア総督に就任するという点を特に気にしておられましたから、わが主の動向から帝国の軍事的野心を読み取られたのかもしれませんね」

 恭親王がぴくり、としてメイローズを見る。

 「〈禁苑〉がアデライード姫の女王即位も諦めていないと聞き、絶句しておられました。東の皇子を夫君に持つ女王など、元老院が支持するはずはない、と。その後で〈聖婚〉の相手がわが主でいらっしゃること、わが主がソリスティア総督を拝命することを知り、みるみる顔が青ざめられましたので」
 「それにもかかわらず、レイノークス伯は〈禁苑〉の言い分を飲んだのか?」
 「あの場で反対できる方はいらっしゃらないでしょう。ただ、妹君の〈聖婚〉については、かなり抵抗しておられました。愛しい妹の結婚に、もれなく戦争のオマケつきでは、逡巡するのも当然と言えば、当然ですな」

 恭親王はユリウスという男の苦悩に同情した。中央政界とは距離を取っているとはいえ、レイノークス辺境伯は始祖女王ディアーヌ以来、女王国の辺境を護る由緒ある一族だ。東の帝国に祖国を売り渡したと言われかねない結婚話に躊躇するのは当たり前だ。しかし、言うなればユリウスは〈禁苑〉に異母妹アデライードを人質に取られているようなもので、〈禁苑〉の要求を飲まざるを得ない。何となくレイノークス伯が会いに来る理由がわかった恭親王は、ふと、目の前の男――宦官だが――が何を考えてこの結婚を押し進めようとしているのか、知りたくなった。

 「メイローズ、お前はどう思うのだ?この結婚の背後に、帝国の軍事的野心が隠れていても、お前はそれでいいのか?」
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