174 / 191
番外編
年越しの宴
しおりを挟む
冬至にアデライードと〈聖婚〉を成して、最初の年越しである。
帝都では爆竹、銅鑼などがかしましく、騒々しいのを嫌う恭親王は毎年不愉快でたまらなかったが、西方は火薬を用いた花火などは一般的ではなく、せいぜい船の汽笛が鳴る程度の、静かな年越しなのも気分がよい。
大晦日の夜、恭親王は側近とその家族を総督府〈奥〉の応接室に招いて、年越しの宴を張った。突然のソリスティア赴任でこの半年、てんやわんやだった配下をせめて労おうという、彼の気遣いである。
恭親王とアデライードの新婚夫婦、正傅のゲルとその妻ミラ、副傅のゾーイとアリナ夫妻、エンロンと側室のミアとアウローラ、トルフィンとその許嫁のミハル、ミハルの従弟であるランパ。そして、リリアとバランシュの兄妹。アンジェリカが親の家に帰っているため、妙に静かであった。
ちなみに、ゾラはなじみの娼館の年越しイベントをはしごする予定だとかで、欠席。いい加減、あの馬鹿にも家庭を持たせて落ち着かせなければならないのだが、あまりに素行が悪すぎて、嫁のなり手がいないのだ。
「家柄がいいだけに、厄介だ。純情な初婚の令嬢などを宛てがっては、あまりに相手が気の毒だし……」
と恭親王がゾラについて口に出せば、周囲は皆、「お前が言うな」と心の中で大合唱であった。
ユリウスが持ち込んだ発泡白葡萄酒を全員の杯に注ぎながら、恭親王は弾けそうな大きな腹を抱えたゲルの妻を、心配そうに見る。
「大丈夫なのか、突然、生まれたりしないだろうな?」
「予定は今月の末ですもの。三人目ですから、多少は早まるかもしれませんね。でも、せいぜい十五日のお披露目前後ですわ」
おっとりとミラが微笑むが、さすがに大儀そうである。体が辛かったら無理しないで帰るように言い、酒を控えている妊婦のために果汁水を取り寄せて、全員で杯を掲げて乾杯する。
「今年は皆に苦労をかけた。来年もよろしく頼む」
「非才をもちましても全力でお仕えいたす所存です」
「命に代えましても」
生真面目に答えるゲルとゾーイを見て、せめてこの真面目さの半分でもゾラにあれば、と思う。
「お前たちは例年、交代で私の護衛に付くほかは、家族と過ごしていたのだろう?」
「そうですねぇ。……たいてい、一族総出で餃子を食べるくらいですけど」
年越しの餃子は縁起物でもあるので、宴会のテーブルにも水餃子が山と積まれていた。
「私の家族は年越しと言えば蕎麦でした。今夜もお持ちしたので、後で食べましょう!」
「さすがだな、エンロン!お前は本当に私の趣味がわかっている」
エンロンの言葉に恭親王だけが目を輝かす。恭親王の育った聖地の僧院は、毎年、年越しの最後の食事は蕎麦と決まっていた。貧しい土地でも育つ蕎麦を食べ、大地の実りと陰陽の加護に感謝し、また蕎麦にも飽くことのない貧しき者たちに思いを致すのである。
「アデライード姫様は、毎年、どんな風に年を越していらしたの?」
エンロンの側室であるアウローラがおっとりと尋ねると、アデライードは食事の手を止めて答えた。
「写経です」
「はひっ?」
エンロンとトルフィンが思わず、口に含んだ発泡白葡萄酒を吹きそうになって噎せる。
「写経って、『聖典』を書き写す、あの写経?」
「そうです。『聖典』を、無言で、書き写します」
〈光の花〉修道院では、恒例行事として年越しの大写経を行う。この大晦日ばかりは魔力灯の魔石もケチらないで煌々と写字室を照らし、暖炉には薪を燃やして、一晩中黙々と、『聖典』を書き写すのだ。一ページ書き写すたびに陰陽に感謝の祈りをささげ、過ぎ去った年のわが身を振り返り、また来るべき年の平安を祈念する。割り当てられた部分を書き写す間、絶対に口をきいてはならないというなかなかの苦行であり、普段から口をきかないアデライード独り勝ちの行事でもあった。
「聖地では年越しは陰陽の入れ替わる重要な節目だ。それぞれ天と陰陽に感謝して祈りの夜を過ごすのだから、アデライードの修道院ではそれが写経だったのだろう。暖房を効かせてくれただけでも、優しい方だと思うぞ」
恭親王の言葉に、アデライードがてらいなく頷く。恭親王のいた〈静脩〉僧院では、見習い僧侶の年越しは冷え切った聖堂の雑巾がけだったのだから。その後、葱すら入っていない汁蕎麦をいただく。その日々を思えば、今、こうして年越しのご馳走を並べて酒なんて飲んでいる自分は、ずいぶんと堕落したものだ。
「アデライードも後で蕎麦を食べるか?」
「……もう、だいぶんとお腹はいっぱいなのですけれど、少しなら」
小食のアデライードは、餃子を二、三個と野菜の酢漬けを摘まんだくらいで、すでに箸を置いていた。
「いくらなんでも食が細すぎるぞ。もう少し食べた方がいい」
恭親王は並ぶ料理の中から、アデライードが食べやすそうな薄切りの火腿と野菜を取り分ける。そのかいがいしい様子を、ゾーイは複雑な気分で眺める。新婚の妻に首ったけなのはいいことだ。主の幸福は喜ぶべきことだと思う。思うがしかし。
(……小箱の中身の人はどうなったんだ?唯一の相手に心を捧げるんじゃないのか? 結局、ただの面食いだったのか? それとも〈王気〉の誘惑に、何もかも吹っ飛んだのか?)
かつての不幸な結婚生活を間近に見てきただけに、デレデレに甘い主をどこか冷たい目で見てしまうゾーイであった。
帝都では爆竹、銅鑼などがかしましく、騒々しいのを嫌う恭親王は毎年不愉快でたまらなかったが、西方は火薬を用いた花火などは一般的ではなく、せいぜい船の汽笛が鳴る程度の、静かな年越しなのも気分がよい。
大晦日の夜、恭親王は側近とその家族を総督府〈奥〉の応接室に招いて、年越しの宴を張った。突然のソリスティア赴任でこの半年、てんやわんやだった配下をせめて労おうという、彼の気遣いである。
恭親王とアデライードの新婚夫婦、正傅のゲルとその妻ミラ、副傅のゾーイとアリナ夫妻、エンロンと側室のミアとアウローラ、トルフィンとその許嫁のミハル、ミハルの従弟であるランパ。そして、リリアとバランシュの兄妹。アンジェリカが親の家に帰っているため、妙に静かであった。
ちなみに、ゾラはなじみの娼館の年越しイベントをはしごする予定だとかで、欠席。いい加減、あの馬鹿にも家庭を持たせて落ち着かせなければならないのだが、あまりに素行が悪すぎて、嫁のなり手がいないのだ。
「家柄がいいだけに、厄介だ。純情な初婚の令嬢などを宛てがっては、あまりに相手が気の毒だし……」
と恭親王がゾラについて口に出せば、周囲は皆、「お前が言うな」と心の中で大合唱であった。
ユリウスが持ち込んだ発泡白葡萄酒を全員の杯に注ぎながら、恭親王は弾けそうな大きな腹を抱えたゲルの妻を、心配そうに見る。
「大丈夫なのか、突然、生まれたりしないだろうな?」
「予定は今月の末ですもの。三人目ですから、多少は早まるかもしれませんね。でも、せいぜい十五日のお披露目前後ですわ」
おっとりとミラが微笑むが、さすがに大儀そうである。体が辛かったら無理しないで帰るように言い、酒を控えている妊婦のために果汁水を取り寄せて、全員で杯を掲げて乾杯する。
「今年は皆に苦労をかけた。来年もよろしく頼む」
「非才をもちましても全力でお仕えいたす所存です」
「命に代えましても」
生真面目に答えるゲルとゾーイを見て、せめてこの真面目さの半分でもゾラにあれば、と思う。
「お前たちは例年、交代で私の護衛に付くほかは、家族と過ごしていたのだろう?」
「そうですねぇ。……たいてい、一族総出で餃子を食べるくらいですけど」
年越しの餃子は縁起物でもあるので、宴会のテーブルにも水餃子が山と積まれていた。
「私の家族は年越しと言えば蕎麦でした。今夜もお持ちしたので、後で食べましょう!」
「さすがだな、エンロン!お前は本当に私の趣味がわかっている」
エンロンの言葉に恭親王だけが目を輝かす。恭親王の育った聖地の僧院は、毎年、年越しの最後の食事は蕎麦と決まっていた。貧しい土地でも育つ蕎麦を食べ、大地の実りと陰陽の加護に感謝し、また蕎麦にも飽くことのない貧しき者たちに思いを致すのである。
「アデライード姫様は、毎年、どんな風に年を越していらしたの?」
エンロンの側室であるアウローラがおっとりと尋ねると、アデライードは食事の手を止めて答えた。
「写経です」
「はひっ?」
エンロンとトルフィンが思わず、口に含んだ発泡白葡萄酒を吹きそうになって噎せる。
「写経って、『聖典』を書き写す、あの写経?」
「そうです。『聖典』を、無言で、書き写します」
〈光の花〉修道院では、恒例行事として年越しの大写経を行う。この大晦日ばかりは魔力灯の魔石もケチらないで煌々と写字室を照らし、暖炉には薪を燃やして、一晩中黙々と、『聖典』を書き写すのだ。一ページ書き写すたびに陰陽に感謝の祈りをささげ、過ぎ去った年のわが身を振り返り、また来るべき年の平安を祈念する。割り当てられた部分を書き写す間、絶対に口をきいてはならないというなかなかの苦行であり、普段から口をきかないアデライード独り勝ちの行事でもあった。
「聖地では年越しは陰陽の入れ替わる重要な節目だ。それぞれ天と陰陽に感謝して祈りの夜を過ごすのだから、アデライードの修道院ではそれが写経だったのだろう。暖房を効かせてくれただけでも、優しい方だと思うぞ」
恭親王の言葉に、アデライードがてらいなく頷く。恭親王のいた〈静脩〉僧院では、見習い僧侶の年越しは冷え切った聖堂の雑巾がけだったのだから。その後、葱すら入っていない汁蕎麦をいただく。その日々を思えば、今、こうして年越しのご馳走を並べて酒なんて飲んでいる自分は、ずいぶんと堕落したものだ。
「アデライードも後で蕎麦を食べるか?」
「……もう、だいぶんとお腹はいっぱいなのですけれど、少しなら」
小食のアデライードは、餃子を二、三個と野菜の酢漬けを摘まんだくらいで、すでに箸を置いていた。
「いくらなんでも食が細すぎるぞ。もう少し食べた方がいい」
恭親王は並ぶ料理の中から、アデライードが食べやすそうな薄切りの火腿と野菜を取り分ける。そのかいがいしい様子を、ゾーイは複雑な気分で眺める。新婚の妻に首ったけなのはいいことだ。主の幸福は喜ぶべきことだと思う。思うがしかし。
(……小箱の中身の人はどうなったんだ?唯一の相手に心を捧げるんじゃないのか? 結局、ただの面食いだったのか? それとも〈王気〉の誘惑に、何もかも吹っ飛んだのか?)
かつての不幸な結婚生活を間近に見てきただけに、デレデレに甘い主をどこか冷たい目で見てしまうゾーイであった。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
481
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる