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Act.2 アンブロワーズ視点
焔の饗宴
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アニエスは知らないことだが、私は六年前の春、彼女に出会い、恋に落ちた。色とりどりの花が咲き乱れる神の庭のように美しい花園の、木漏れ日に輝く噴水のほとりだった。
聖マルガリータ修道院は国王の姉――つまり私の伯母――が院長を務める尼僧院で、俗人の男は立ち入ることは許されない。十六歳だった私が見習い修道士として女子修道院を訪れたのは、心を壊した母を見舞うためだ。
私の祖父は若くして崩御し、父は幼くして即位した。祖母の王太后と宰相は薄氷を履むように国政運営を強いられた。宰相が死に、王が成長すると、祖母は功労者である宰相の一人娘を王妃に迎える。王妃は広大な所領を、持参金として王領にもたらした。
王国は存亡の危機を脱し、王太后は政権を返上した。
王太后の頸木を外された国王は、それまでの欝憤を晴らすように暴走を始める。年上の王妃を遠ざけ、何人もの寵姫を囲い、素行のよくない側近と後宮で乱痴気騒ぎに明け暮れた。良識のある者は去り、悪ふざけはエスカレートした。
もちろん、王妃は苦言を呈したが、地上における神のごとく振る舞ってきた国王は怒り狂った。
――王妃との離婚はできない。王領の半ばは王妃の持参金だからだ。
八つ当たりのような国王の振る舞いに、それでも王妃は気丈に耐えていた。
王が、淫らな宴の余興に、王妃の最愛の末の王子を引き出さなければ。
十二歳だった私は、父の命令で後宮に引き出された。酷薄な父の隣には、蒼白な顔色で取り乱す母の姿。酒の匂いと、怪しげな香の煙が充満する異様な雰囲気。松明の光の下、欲望に目をギラギラさせた男たちと、豊満な体つきを惜しげもなくさらした裸の女たち。あちこちで絡み合う男女。淫らな嬌声。私は混乱して、母に救けを求めるが、複数の女たちに身体を弄られ、母の目の前で凌辱される。必死に止めようと懇願する、母の絶叫。
おかしな薬の影響なのか、あるいは嗜虐心をさらに刺激されたせいなのか。
父はなんと、自ら私を犯そうと立ち上がり、私の両脚首を掴んで――。
そこから先の記憶が、私には曖昧だ。ただ、すさまじい絶叫と血と煙の匂いが充満し、広間が阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのは、おぼろげながら覚えている。女たちの金切り声と、怒号、母の狂気の笑い声が、いまだに私の耳にこだまする。
息子を犯そうとする夫の姿に、母の心は限界を超えて弾け飛んだのだろう。信じられない力で周囲を振り切り、父に向かって松明を投げつける。炎に巻かれて絶叫する父と、狂気のまま松明を振り回す母。広間は炎に包まれた。
異常な事態を察知し、騎士たちが広間に踏み込んで、私や父を救い出したが、父は下半身に大火傷を負っていた。
ずっと沈黙を守っていた王太后が動き、重傷を負った父は幽閉。王太后の後見の上、長兄が王太子として国政を代行することになり、宴の松明が倒れた事故として処理された。
完全に壊れた王妃は、表向き、事故で死亡したとされ、聖マルガリータ修道院に預けられた。軽い火傷を負った程度で済んだ私は、王都から離れた修道院に入った。――凄惨な事件の記憶をぬぐい去るために、私は地方に追いやられた。そのまま聖職者になり、神の家で朽ち果てるはずだった。
しかし、運命はどこまでも皮肉だった。二人の兄が立て続けに亡くなり――下の兄は狩りの最中に流れ矢に射貫かれ、王太子であった上の兄もまた、ある日おびただしく血を吐いて、死んだ――私は修道院から王都へと呼び戻される。
母が壊れたあの日から四年。途中、見習い修道士のなりで母を見舞った。すでに王妃としての母は死んだことになっている。この機会を逃せば、二度と会うことはできないだろうから。
――四年ぶりの親子の再会。しかし母は、私を我が子として認識できなかった。
母は事件の後、小さな人形を赤子の時の私だと思い込み、私を拒絶した。――凌辱され、汚された息子は、母の中で存在していなかった。
静謐な女子修道院に響く、か細い母の歌声。王妃の時には得られなかった、平穏がそこにあった。
「アンブロワーズは難産だったから、しばらくゆっくりするといいと、お義母様が仰ったから」
私の方を見ることもなく、人形を抱えて優しく揺らす。その手に巻かれた包帯と頬に薄っすら残る火傷の痕だけが、あの日、命がけで私を救おうとした母の僅かな痕跡だった。愛おし気な眼差しで人形を覗き込み、子守り唄を歌う母を私は正視できず、僧衣を握り締めて震えるしかなかった。
伯母の修道院長ジョセフィーヌ様が、気遣って私に声をかける。
「見習いの方、あなたはハーブ園で花をもらってきてください。マドレーヌは花が好きなのよ」
窓辺の素焼きの壺に活けられた素朴な花束を指して言われ、私は一礼してその部屋を逃げ出した。
――母は私を愛したが故に狂い、そして私を忘れた。
私はそそくさと塔の螺旋階段を降りる。薄暗く湿っぽい塔の外には、光溢れる神の庭が広がっていた。
聖マルガリータ修道院は国王の姉――つまり私の伯母――が院長を務める尼僧院で、俗人の男は立ち入ることは許されない。十六歳だった私が見習い修道士として女子修道院を訪れたのは、心を壊した母を見舞うためだ。
私の祖父は若くして崩御し、父は幼くして即位した。祖母の王太后と宰相は薄氷を履むように国政運営を強いられた。宰相が死に、王が成長すると、祖母は功労者である宰相の一人娘を王妃に迎える。王妃は広大な所領を、持参金として王領にもたらした。
王国は存亡の危機を脱し、王太后は政権を返上した。
王太后の頸木を外された国王は、それまでの欝憤を晴らすように暴走を始める。年上の王妃を遠ざけ、何人もの寵姫を囲い、素行のよくない側近と後宮で乱痴気騒ぎに明け暮れた。良識のある者は去り、悪ふざけはエスカレートした。
もちろん、王妃は苦言を呈したが、地上における神のごとく振る舞ってきた国王は怒り狂った。
――王妃との離婚はできない。王領の半ばは王妃の持参金だからだ。
八つ当たりのような国王の振る舞いに、それでも王妃は気丈に耐えていた。
王が、淫らな宴の余興に、王妃の最愛の末の王子を引き出さなければ。
十二歳だった私は、父の命令で後宮に引き出された。酷薄な父の隣には、蒼白な顔色で取り乱す母の姿。酒の匂いと、怪しげな香の煙が充満する異様な雰囲気。松明の光の下、欲望に目をギラギラさせた男たちと、豊満な体つきを惜しげもなくさらした裸の女たち。あちこちで絡み合う男女。淫らな嬌声。私は混乱して、母に救けを求めるが、複数の女たちに身体を弄られ、母の目の前で凌辱される。必死に止めようと懇願する、母の絶叫。
おかしな薬の影響なのか、あるいは嗜虐心をさらに刺激されたせいなのか。
父はなんと、自ら私を犯そうと立ち上がり、私の両脚首を掴んで――。
そこから先の記憶が、私には曖昧だ。ただ、すさまじい絶叫と血と煙の匂いが充満し、広間が阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのは、おぼろげながら覚えている。女たちの金切り声と、怒号、母の狂気の笑い声が、いまだに私の耳にこだまする。
息子を犯そうとする夫の姿に、母の心は限界を超えて弾け飛んだのだろう。信じられない力で周囲を振り切り、父に向かって松明を投げつける。炎に巻かれて絶叫する父と、狂気のまま松明を振り回す母。広間は炎に包まれた。
異常な事態を察知し、騎士たちが広間に踏み込んで、私や父を救い出したが、父は下半身に大火傷を負っていた。
ずっと沈黙を守っていた王太后が動き、重傷を負った父は幽閉。王太后の後見の上、長兄が王太子として国政を代行することになり、宴の松明が倒れた事故として処理された。
完全に壊れた王妃は、表向き、事故で死亡したとされ、聖マルガリータ修道院に預けられた。軽い火傷を負った程度で済んだ私は、王都から離れた修道院に入った。――凄惨な事件の記憶をぬぐい去るために、私は地方に追いやられた。そのまま聖職者になり、神の家で朽ち果てるはずだった。
しかし、運命はどこまでも皮肉だった。二人の兄が立て続けに亡くなり――下の兄は狩りの最中に流れ矢に射貫かれ、王太子であった上の兄もまた、ある日おびただしく血を吐いて、死んだ――私は修道院から王都へと呼び戻される。
母が壊れたあの日から四年。途中、見習い修道士のなりで母を見舞った。すでに王妃としての母は死んだことになっている。この機会を逃せば、二度と会うことはできないだろうから。
――四年ぶりの親子の再会。しかし母は、私を我が子として認識できなかった。
母は事件の後、小さな人形を赤子の時の私だと思い込み、私を拒絶した。――凌辱され、汚された息子は、母の中で存在していなかった。
静謐な女子修道院に響く、か細い母の歌声。王妃の時には得られなかった、平穏がそこにあった。
「アンブロワーズは難産だったから、しばらくゆっくりするといいと、お義母様が仰ったから」
私の方を見ることもなく、人形を抱えて優しく揺らす。その手に巻かれた包帯と頬に薄っすら残る火傷の痕だけが、あの日、命がけで私を救おうとした母の僅かな痕跡だった。愛おし気な眼差しで人形を覗き込み、子守り唄を歌う母を私は正視できず、僧衣を握り締めて震えるしかなかった。
伯母の修道院長ジョセフィーヌ様が、気遣って私に声をかける。
「見習いの方、あなたはハーブ園で花をもらってきてください。マドレーヌは花が好きなのよ」
窓辺の素焼きの壺に活けられた素朴な花束を指して言われ、私は一礼してその部屋を逃げ出した。
――母は私を愛したが故に狂い、そして私を忘れた。
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