白薔薇の花嫁は王太子の執愛に堕ちる

無憂

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Act.2  アンブロワーズ視点

再会

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 無理矢理還俗させられたアニエスは、何と、修道院からまっすぐに、ギュネ侯爵邸に連れ込まれてしまった。
 この報告を聞いた時は背筋に冷たい汗をかいた。なんとしてでも彼女を狒々爺ひひじじいの手から取り戻さなければ――
 私はジルベールらとギュネ侯爵邸に急行した。屋敷に踏み込みたいのを堪え、ジリジリと馬車の中で待った。待ちくたびれてようやく戻ってきたジルベールが、毛布にくるまれたアニエスを抱きかかえてきたのを目にして、私は息が止まるかと思った。

 毛布から零れる金茶色の髪。閉じた長い睫毛。発熱しているのか、赤みを帯びた頬。少し開いた唇から、苦し気な息を吐いて。

 ――薬を飲まされて、意識がない――

 微かに漂う、あの、匂い。忘れるはずもなかった。
 十年前、十二歳だった私は、父に無理矢理に飲まされ、苦しさでのたうち回ったのだ。身体の内から焼けるように火照り、未知の感覚に震えた。その後にわが身を襲った屈辱も、全て憶えている。私を苦しめ、母の心を打ち砕いた、あの許しがたい、薬。

 薬の出所がギュネ侯爵だとは、噂はされていた。だが、証拠を掴むことはできないでいる。

 半身不随の父を生かしているのは、私がまだ、権力を掌握するには未熟な点もあるが、ギュネ侯爵とその一派をも一網打尽にするためだ。今、彼らの不正の証拠が掴めぬうちに父が死ねば、ギュネ派の根は残ってしまうかもしれない。――密かに王都ではびこる、この忌まわしい薬とともに。

 だがその判断の遅れが、アニエスを巻き込んだ。
 私はそのことに衝撃を受けていた。あのまま何も知らせずに、神の庭に隠しておきたかった。
 その彼女に、まさか――

 ジルベールの話では、強い酒に混ぜて飲ませ、そのせいで意識がないのだろうと。
 暴れられることを厭い、本人の知らぬうちに純潔を奪い、既成事実を作って強引に婚姻を結ぶつもりだったのだ。

 年老い、醜く太ったギュネ侯爵に、アニエスが汚される姿を想像して、私は怒りで気が遠くなりそうだった。
 意識はなくとも、媚薬の効果で感覚は鋭くなる。あの男は私の神聖なアニエスを弄び、薬のためにさらす媚態を楽しむつもりだった。憎しみが溶岩のように胸から溢れ、全身を焼き尽くしそうになる。

 ――冷静になれ、アンブロワーズ。

 私は腕の中のアニエスを抱きしめて、深く息を吸う。
 性的に達しない限り、媚薬の効果は抜けない。だが、酒の方がいずれ醒め、アニエスは意識を取り戻す。
 
 十年前に体験した苦痛を思い出し、私は決意を固める。毛布の中に手を入れ、薄い絹の夜着の下の、滑らかな肌を弄る。私は彼女に生涯触れるつもりなどなかった。でも、ロクサーヌを介して手に入れたアニエスのハンカチを握りしめ、密かに夢の中の彼女を、私は何度も汚した。どんな肌なのか、どんな香がするのか、どんな風に応えるのか。

 私は――

 私の愛撫に反応して、絶頂に身を奮わせるアニエスを抱きしめて、もう、引き返せないと悟る。

 この肌を、このぬくもりを、この声を。他の男に委ねることなど、絶対にできない――




 王太后宮に至った時は、すでに深更に及んでいた。おばあ様の手前、その夜はアニエスを女官長補佐のジョアナ・ルグランに託し、私は自分の部屋に戻る。
 翌日もアニエスのことで頭はいっぱいだったが、彼女を取り戻そうと押し掛けるラングレー伯爵やギュネ侯爵をあしらい、午後の遅くに王太后宮を訪ねる。

 アニエスは昨夜のことは憶えていないだろう。でも私は、とにかく、彼女の姿を見たかったのだ。
 
 おばあ様のサロンには、聖典を読む細い声が響いていた。どこか儚く頼りないのに、しっかりと芯の通った声。聞きやすく美しい発音。物陰で立ち止まり、そっと覗き見れば、六年前よりもうんと大人になった彼女が、白い手で金文字の入った革表紙の聖典を捧げ持ち、静かに読み上げていた。

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである……」

 華奢な細い身体、俯いた横顔のラインも美しくて、私は目を逸らすことができない。
 長い髪は未婚令嬢の証。ゆるいウェーブのかかった金茶色の髪は半ばを結い上げ、下半分を背中に垂らして。

 ――あとひと月もすれば、あの美しい髪を下ろし、正式に修道女になるはずだった。
 灰色の僧衣ではなく、宮廷に上がるにふさわしいドレスを身に着けているが、フリルも袖口のレースもやや控えめだ。ただ、紫色のドレスがあまり似合わなくて、少しひっかかる。

 紫のドレスはロクサーヌが好んで着ていた。瞳の色に合わせてあつらえたのだろう。――ロクサーヌのお古を着せられているのだと気づき、私は不快感に唇を噛む。

 もちろん、お古のドレスだからと言って、アニエスの美しさは損なわれたりはしない。だが、妹のロクサーヌにあれだけの金をつぎ込む家が、アニエスの支度についえを惜しむのが不愉快だった。
 
 私は、意を決して部屋に足を踏み入れる。

 気づいた侍女たちが立ち上がり、ドレスを摘まんで礼を執る。先に祖母の王太后が私を見て、扇をパチンと鳴らし、ようやくアニエスが私を振り向いた。

 まっすぐに私に向けられる、若草色の瞳。しばらく呆然とした後で、アニエスは慌てて立ち上がり、他の侍女たちと同様、スカートを摘まんで頭を垂れる。

「よい、直れ」

 私が声をかけると、侍女たちがざざっと衣擦れの音をたてながら、一斉に姿勢を正す。アニエスはその音に驚いて周囲を見回し、それから姿勢をもどした。

「ロクサーヌの姉を侍女に招いたとか」
「そうじゃ、アンブロワーズ。ジョセフィーヌの弟子でもある」
  
 私はアニエスのすぐそばまで歩み寄り、顎に手をかけて顔を上向けさせ、正面から見つめた。アニエスが息を飲む。
 男性に触れられたことなどない彼女は、身を固くし、かすかに震えている。だが、私は彼女に興味を持ったと、周囲の侍女たちに信じさせなければならない。

「名は何と申す」
「……あ、……その……お、お初にお目にかかります。ラングレー伯爵が娘、アニエスと申します」
「王太子のアンブロワーズだ。……おばあ様によくお仕えするように」
「承知いたしました。……王太子殿下」

 アニエスの若草色の瞳が、不安げに揺れる。
 今、私の金色の髪は長く、緩く波打って肩を過ぎ、背中を覆っている。金糸刺繍の入った豪華な白いジュストコールにジレ。レースのクラヴァット。

 六年前の修道士が私だと、気づくはずはない。――いや、そもそも、一度逢っただけの見習い修道士など、憶えていないだろう。
  
 神妙に頭を下げるアニエスの見えないところで、私と祖母とは目を合わせ、ついで祖母は女官長に目配せする。

「今宵は久しぶりに夕食を共に。アンブロワーズ」
「ええ、お言葉に甘えてそういたします、おばあ様」

 すっと音もなく女官長が下がっていく。神の園で花開くべき神聖な花を摘み取り、踏みにじる、準備を整えるために。



 ――卑怯な私は、祖母の教唆に乗った。
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