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無能生産者編

第34話 おばさんからのお願い

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「ん?ここは?」





 ベルシュタインがようやく長い眠りから目覚めた。まず彼の目に飛び込んできたのは、木で囲まれた広い部屋だった。いつの間にやら誰かの手によって、このソファーで寝かしつけられていたようだ。あたりにはダイニングテーブルにキッチンがあった。そしてソファーの傍らにある窓からは日が差し込んでいる。外を覗くと一面草原だった。丈の短い青草の中に牛とヒツジらが何頭もいる。放牧された牛や羊たちは、おいしそうに草をほおばっていた。





「本物の牛とヒツジなんて、初めて見るな~」





 そんなのどかな牧場風景に見とれていたベルシュタインでだった。





「あれ?自分はたしかあの酒場でテキーラを悪飲みして、それから歌を歌って・・・・それからどうしてたっけ?」





 昨日までの記憶が抜け落ちていたベルシュタインは必死にそのことを思いだそうとしていた。彼自身大将によって、この家に連れられたことを全く覚えていなかった。ここに連れられるまでの記憶をなんとか呼び起こそうとするが、全く思い出せないでいた。



 ズキ―――ン!!



 あれこれ記憶を呼び起こしていると、突然ベルシュタインは激しい頭痛に襲われた。





「うわあああ!なんか頭が痛いんですけど!それに胸やけまで!ひゃーー!」





 彼は昨夜にテキーラを飲みすぎたことによる二日酔いの症状に見舞われた。





「吐き気に頭痛に動悸に胃もたれ・・・・二日酔いの典型的な症状だ!ぐはあ!!」





 ベルシュタインは、その突如やってきた二日酔いの症状のオンパレードに苦しみだした。





「やばい・・・おえおえおえ・・・吐きそうだ・・・おっ?ここにタライが!」





 ベルシュタインはソファーの前にあったミニテーブルの上に、金属製のタライがあったのを見つけた。吐き気が急に催してきて、それももう限界というところで、勢いそのままにタライに顔面を近づけていった。





「オェェェェェ!!」





 ベルシュタインは盛大に吐き散らした。そして吐き気は一度で終わることなく、立て続けに2度、3度到来した。そこまで吐き散らしたところで、吐き気はようやくおさまる兆候を見せてきた。





 グゥゥ・・・





「ううう・・・腹が減ってきた。だけど胃がなにもかも受け付けない・・・」







 空腹感は感じるものの、何かを食べようとする気が起きなかった。胃がむかむかしていて、仮に目の前に食べ物があっても、取って食うことなど想像できない。





 嘔吐の音を聞きつけたのだろうか?ここに住まう人のものと思われる足音がこの部屋に向かって近づいていた。少ししたのちに、その家の主ぬしと思われる人たちが自分の今いる部屋に入ってきた。





「大丈夫!?ベル坊やくん!?なんかさっきものすごくオエオエ言ってたけど・・・」





「あちゃー、こりゃ完全に二日酔いだわな」





「おはようございます・・・・ううぅぅ・・・」





 すると出てきたのはペトラルカとミーヤーの2人だった。ということはここはペトラルカさんとミーヤーの住まいの中っていうことだろうか?彼女たちが自分をわざわざこの家まで引き上げてくれたのだろう。面目ない・・・





「大丈夫?ベル坊やくん・・・」





 ペトラルカさんは自分の体調がすぐれないのを心配し、背中をさすってくれた。その手は優しさを感じた。患者に寄り添い、看病してくれる天使さまさまのように思えた。





「そうだ!お水」





 ペトラルカさんはそう言って、キッチンの方に向かった。そこに置いてあったペットボトルと紙コップを取り出し、そこに水を入れ、自分の元にまた戻ってきた。





「ありがとうございます・・・・うえええ・・」





 ペトラルカさんから手渡されたその紙コップに入った聖水をありがたく頂戴した。ちょびちょびとゆっくりめなペースでその紙コップの水を飲んでいたためか、ペトラルカさんはそんな自分の様子を心配そうに見つめていた。





「あっ、ここに酔い止めの薬っぽいものがあるから、ついでにこれも飲んどきな」





 ミーヤーにその錠剤を手渡され、一言お礼を言ってから、それを受け取った。そしてその錠剤をさっそく口に放り込むとともに、水を飲んで胃に流していった。





「ふーーー、薬も飲んだこともあって、気分がさっきよりもましになりましたよ。どうもありがとうございます」





 ベルシュタインはソファーに横たわったまま、感謝を伝えた。





「礼ならわたしたちじゃなくて、カステラおばさんに言うべきね。わたしたちをここに泊まらせてくれたのもカステラおばさんだし」





「カステラおばさんって、あのクッキーバカな婆さんのことですか?昨日会った・・・」





「ちょっとベル坊やくん!カステラおばさんに対してそんなこと言ったらだめ!口が悪いよ!あなたの命の恩人なんだから、ちょっとは礼節と言うものをわきまえなさい!」





 ペトラルカさんはびしっと自分に指差し、そのクッキーバカな婆さんといった軽率な発言を戒めた。それに対してすいませんとの一言を言って詫びた。





「そうだ、朝飯まだ食ってないだろ?ベル坊。ちょいと持ってきてやるよ。ペトラルカはベル坊の横で看病してあげなよ~」





 そういうと、ミーヤーは足早にキッチンへ向かった。キッチンでなにやらやっているなぁと思っていると、少ししてからオニオンスープとパン2切れを自分の元に持ってきた。





「はいよベル坊。カステラおばさんが言うには、このオニオンスープと食べごたえのあるパン2切れが、二日酔いに効果てきめんらしいぜ」





「あ・・・ありがとうございます」





 ミーヤーによって運び込まれた二日酔い対策にうってつけらしい朝食を自分はさっそく口にしてみた。すると予想に反して、なんなくその朝食が喉を通った。口にするまでは、胃がこの食べ物を受け付けないのではないかと言った不安があったが、いざ口にしてみるとそんなことは全くなかった。オニオンスープすげえ!





 それらを口にしたおかげで、空腹感をわずかばかりではあるが和らげることができた。





 やがてその部屋にカステラおばさんもやってきて、その朝食の感想を求めてきた。おいしかったと率直な感想を述べた。それに対しカステラおばさんも満足げな表情を見せた。





 そしてそのおばさんの口から、今後しばらくの間は自分とペトラルカさん、ミーヤーと共に一緒に牧場の手伝いをしてほしいとのことが伝えられた。無能生産者の仕事からは完全に足を洗って、こっちに転職してほしいとのことも言われた。1日16時間労働をさせられてきた忌々しき豚小屋生活からおさらばできるということだ。もちろん2つ返事で引き受けた。





 彼女らもしばらくここの牧場にて、泊まり込みで働くらしい。彼女たちと顔を合わすのは、あの酒場で生涯最後だと思っていた自分に取って、それも朗報の中の1つだった。しかし心配なこともあった。





「でも無能生産者の自分が牧場のお手伝いなんてしてもいいんでしょうか?」





 ベルシュタインはカステラおばさんにそう述べると、





「大丈夫よ。今日直接セバスティアーノさんに、わたしがあなたを牧場で働かせる旨を伝えるから。あなたは何も心配することはないわ」





 ということで自分は無能生産者の強制労働から解放されることになりそうだ。ただ自分の事を「まごうことなき無能生産者じゃ」と言っていたあの統領セバスティアーノがすんなりと無能生産者からの鞍替くらがえを認めてくれるとは思えないが。



 だがカステラおばさんが言うには、強引にも認めさせると。どんな卑劣な手段を使ってでもということらしい。大丈夫なのか・・・・。まあともあれ、その件に関してはこのカステラおばさんに任せるしかなさそうだ。それにしても自分の気の知らないうちに、このような話が進んでいたことには驚かされた。



 牧場には1日16時間労働もない。自由に休憩はとれるし、自由意思を尊重してくれるそうだ。約1年間、豚小屋にて日々強制労働につかわされた身としては、この牧場のお手伝いは天職だ。ペトラルカさんに、ちょっぴりがさつでキャピキャピしているミーヤー。彼女らと再びこうして、あの酒場の時のようにまた同じ空間を共有できることは、願ったり叶ったりだった。





「ええええ!!その牧場のお手伝いの中に牛の乳しぼりがあるの!?ちょっと!そこまでやらないといけないの!」





 自分が牧場で働くことを決めた後、カステラおばさんからその牧場での仕事内容が明かされた。まずはじめのうちは、牛の乳しぼりとヒツジの毛刈りをやってほしいとのことだった。ペトラルカさんとミーヤーも初めて牧場での具体的な仕事内容を知らされていた。その話がなされている中、カステラおばさんが牛の乳しぼりをしてほしいと言った矢先で、ミーヤーは素っ頓狂な声を上げていた。





「まあいいじゃない。わたしは賛成。だって牛さん、ヒツジさんと一緒の時間を過ごせるんだよ?」





「そ・・・そんなのどうだっていいわい!」





 ミーヤーの先程までのウキウキした顔が牛の乳しぼりなり、ヒツジの毛刈りなりをしなければならないとの話の流れになってから、表情がみるみるうちに怪しくなっていた。





「ん~でもわたし、動物苦手なんだよな~特に牛とかヒツジとか」





 ミーヤーはどうやら動物が苦手らしい。動物がどーのこーのとあれこれ言っていた。





「ミーヤーってば嘘ばっかり。牛さん、ヒツジさんに限らず全般的に動物苦手でしょ?だってこの前、あの子の飼っているワンちゃんですらびびってたじゃん」





「び・・・びびってないわい!ただいきなりあいつのワンコがわたしに近づいてきたから、それにびっくりしただけだって!」





「嘘ばっかり。あの時に限らず、この前だって・・・・」





「あああ!!その話は今ここで言わなくていいってば!」





 牧場でのお手伝いの一環とはいえ、動物と触れ合うことができるとなり、ペトラルカのテンションは上がっていた。一方のミーヤーに至っては、いつもの調子はくずれ、ペトラルカとは対照的だった。



 ちなみに自分はというと、元々動物に対して全くと言っていいほど興味がなかったので、テンションの上がり下がりもなかった。眉1つですらピクリとも動かなかった。





「じゃあまず仕事の割り振りを決めたいところなんだけど・・・ペトラルカはまず何がしたいの?」





 カステラおばさんはまずペトラルカに、乳しぼりか毛刈りのどちらがしたいのかを聞いてきた。





「はいはーい!わたしはミーヤーと一緒に牛さんの乳しぼりをしたい!」





 この場にいる誰よりも元気よく手を挙げながら、ペトラルカはミーヤーと同伴で牛の乳しぼりがしたいと言った。





「わかったわ。じゃあペトラルカとミーヤーは乳しぼりの方をお願いするわ」





「えええ!!いやだよ!牛の乳しぼりって。・・・乳しぼりってことは、あの牛の突起物に触れなきゃなんだよね!?」





「そうだよミーヤー。ワクワク!ワクワク!」





「ってか、そもそもわたしの希望はどうした!まだ何にも聞かされてないぞ!わたしをすっとばすな!」





「大丈夫!わたしやり方知ってるから、ミーヤーがちゃんと牛さんの乳を搾れるように、頑張って横でレクチャーしてあげるから!」





「やだやだやだ!別にレクチャーなんかしてもらわなくてもいいから!それだったらわたしは、ヒツジの毛刈りの方をやりたいよ」





「ダメダメダメ!牛の乳しぼりはまずミーヤーと一緒にやるってわたしの中で決めてるの!だからこれで決定!ミーヤーと一緒に牛さんの乳しぼりぃ~♪」





 ミーヤーが牛の乳しぼりを嫌がっているのをよそに、ペトラルカはもうその気になっていて、鼻歌交じりでテンションが上がっていた。





「なら決まりね。じゃあベルシュタイン君はおばさんと一緒にヒツジの毛刈りってことでいいわよね?」





「はい。異論はございません」





「ちょっと!ベル坊!わたしにその毛刈り代わってよ!」





 ミーヤーはどうしてもヒツジの毛刈りの方がしたいらしく、ベルシュタインの襟首めがけて突然つかみかかってきた。





「ぐふっ!」





「まあまあ落ち着いてミーヤー」





 カステラおばさんがそれをなだめてくれた。





「どうしてもミーヤーがヒツジの毛刈りをやりたいというなら、また後日に目一杯めいっぱいやらせてあげるから、今日のところはペトラルカと一緒に牛の乳しぼりで勘弁してくれないかしら?」





「えええ!うそ~ん!わたしそれを1日中やらされるの!?」





「ごめんねミーヤー。1日だけの辛抱だから。じゃあペトラルカ、ミーヤーをよろしく頼むわね」





「はーーい!頼まれました!」





 ペトラルカはカステラおばさんにむかってビシッと敬礼のポーズを取った。彼女は完全にノリノリだ。





「さあ!ミーヤー!一緒に牛さんの乳を搾りにいこう!」





 そしてペトラルカはミーヤーの首根っこをつかんで、いやがるミーヤーをよそに外に出て、牧場の方へと向かっていった。







「うし、うし、うっしっし~♪うし、うし、うっしっし~♪」







 ペトラルカはひたすら牛の名前を連呼しながら、ミーヤーを引き連れてずんずんと牧場の方へと向かった。



 自分とカステラおばさんはその彼女らの後ろ姿を見届け、





「じゃあベルシュタイン君もおばさんについてきてらっしゃい」





 自分はカステラおばさんに言われるがまま、ヒツジの毛を刈る用のバリカンを手に、おばさんのあとをついていったのである。
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