【完結】みなしごは不器用な海の神から愛を知る

伊藤あまね

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*二十 言葉にならない気持ちが滴っても

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 翌日も、渡津海は帰ってくる様子がなかった。
 海璃は中庭で海睡蓮の花を愛でつつも、その表情は浮かない。それは単純に渡津海の不在に心細さや寂しさを覚えているだけではないからだ。
 昨日、海璃は人魚に関する記載のある書物を手にして読んだ。そこには図説付きの人魚の項目があり、人魚の肉を食することでの効用などが書かれていた。
 そして、脳裏に過ぎるのはアザから聞いた、渡津海が人魚を好物としていること、そのために鎮圧という名目で狩りに出向いているのでは、という話だ。

(……やっぱり俺は、食べられるためにここにいるの?)

 渡津海は、海璃を自分のような神様の仲間にするとかつて言っていた。その為には、まぐわいを行わなくてはならない、とも。

(でも……そうするには、俺が成熟しなきゃだっていう……成熟ってしたら、俺……渡津海とまぐわうの……?)

 そもそも、神様の仲間になる方法自体、文献が見当たらないのだ。その方法であると聞いたまぐわいの詳しい方法が見当たらないのも無理はないのかもしれない。
 口付け合う、体に触れる、性器を合わせる。おおよそこのようなことが書かれているところまでは辿り着けたが、それが具体的にどうするのかまではわからない。

(仲間にしてやるって……食べてやるぞってことだったのかな……俺、渡津海のご飯になるためにここに来たのかな……)

 解らないことは渡津海に訊けば教えてくれる。それがいつものことだった。
 でも今わからないのは渡津海についてだ。渡津海に訊いて、すんなり教えてくれるのだろうか?
 それとも、渡津海は何か隠し事をしたり、嘘をついたりしている? そんな疑いを一瞬抱き、海璃は慌てて首を横に振る。

「そんなことない……渡津海は、嘘なんてつくわけない……」

 そう自分に言い聞かせるように言葉にしてみても、何か胸に引っ掛かりを覚える。もやのようでいて、棘があり、海璃の胸を内側からついてくる。チクチクとした陰湿な傷みが、ひとり残された竜宮では余計にひどく痛む。

「ずいぶん海璃は渡津海がいないのが寂しいようだねぇ。オレが来たってのに、上の空なんだから」
「そ、そんなことないよ!」

 アザに見透かされた気がしてバツが悪く、海璃は努めて明るい声で返したが、アザは納得しているようではない。片眉をあげ、こちらを窺うような眼差しを向けてくる。

「そうかい? さっきから書物の端っこをいじっては溜め息ばかりじゃないか」
「……退屈なだけだよ。渡津海から、竜宮から出るなって言われてるから」
「なぁんだ、まだあいつはそんな頭の固いことを言ってるのか」

 とんだ偏屈だなぁ、と、アザは呆れたように大袈裟に溜め息をつくので、海璃は渡津海がわからず屋だと言われたようで腹立たしく感じ、「そんなことないよ!」と、思わず言い返していた。

「渡津海は、俺が、すぐ迷子になっちゃうから、心配してるだけだよ」
「そうは言っても、海璃だってもう十七だろう? 成人してると言ってもいいくらいじゃないか。そんな、来たばかりのガキの頃じゃあるまいし」
「それは……」
「いまじゃこんな小難しい書物も読めるほど賢くなってるってのに。迷子になるわけないだろうになぁ」

 それは、海璃も思ってはいる所である。もう大人と言っても差し支えない年頃なのに、渡津海はいっかな海璃をひとりで外に出そうとしない。海璃が竜宮以外の世間を知らないから心配なのはわかるが、それならば余計に外に出したほうがいいだろう。アザも同じように言う。

「でも、俺は知らないこといっぱいあるから……」

 まるで渡津海のいないところで渡津海を批判しているようで気が引けて来たのか、取り繕うに海璃がそう言葉を付け加えてはみたものの、アザはそれこそ何もわかっていない、と言いたげに首を横に振ってこう言い返してくる。

「いいかい、海璃。渡津海は確かに海の神だ。あいつの力はものすごいものがある。だがね、あいつだって全知全能じゃない。神だってしくじったり知らなかったりすることだってあるのさ」

 それは、渡津海自身も言っていた。自分は、全知全能ではない、と。だから、神通力だけでの鎮圧は難しいという話もしていたし、そのために今回は現地に赴いている。アザの言葉に海璃はとても納得がいき、大きくうなずく。
 アザの言葉を聞きながら、ふと、先程考えていたことに辿り着く。渡津海が全知全能でないのなら、それを補うために、自分はいるのだろうか、と。補佐という意味ではなく、力の源になるもの、例えば、食料として。

「……ねえ、アザ。渡津海って、神通力で何でもできるの?」
「そうだなぁ、そうだという話は聞いたことはあるけれど、全知全能とは言い切れないだろうよ。だからこそ、あいつはいまわざわざ出向いてるんだろう?」
「うん、そうなんだけれど……」

 どう、問えばよいのか言葉が上手く見つからない。気がかりなことがあり、だけど渡津海はいないし、居ても利けるかわからない。だからこそ、第三者である誰か――例えば、アザのような者に、自分がどうしてここで養われているのか、その理由を訊ねてみたい。
だけど、どう訊けば自分が知りたい答えを知れるのかがわからない。そもそも話、渡津海を疑うようなことを、よその誰かに訊いていいものかもわからない。
どうしよう……迷いで沈んでいく表情を、正面で見据えているアザが覗き込んでくる。

「どうした? えらく深刻な顔をしてるじゃないか」
「そ、そうかな……」

 海璃はまたもやアザに胸中を見透かされる気がして、慌てて顔をあげて笑おうとするも、上手くできているかわからなかった。顔をあげてかち合ったアザの目は、いつになく心配そうにこちらを見ていた。

「何がお前にそんな顔をさせるんだい? オレじゃあ何も力になれないか?」
「アザ……」
「ちっこいガキの頃から見てきた海璃が、無理して笑わなきゃならないってどんなことなんだい? 何がそんなにお前を悲しませるんだい?」

 悲しくなんかない、と言いたいのに、言葉が出てこない。それどころか、口を開けば声が詰まって苦しくなる。まるで、昔折檻を受けて痛くて泣いた時のように、悲しくて仕方ないのと似た思いが押し寄せてくる。
 泣いてはいけない。泣いたら、時化を起こしてみんなに迷惑をかけてしまう。何より、それを止められる渡津海は、いまはいないのだ。
 海璃が目許を潤ませて声を詰まらせて俯くと、その頭をアザがそっと抱きしめてきた。ふわりと香る海の香りに、海璃の涙腺が刺激される。

「少しくらいなら泣いても構わんだろうよ。なぁに、オレだって伊達にお前と付き合いがないわけじゃないさ」

 上から降ってくるアザの声が、妙にやさしく響き、ますます視界が滲んでいく。悲しい、寂しい、そういうものとは違う何かが、視界を揺らして潤ませていくのだ。

「……ごめんなさい」

 振り絞るようにそう呟く海璃の背中や肩を、アザがポンポンとやさしく叩く。昔、寝入りばなに渡津海がしてくれたように。
 その仕草が、いまはやけに海璃の胸に沁みて痛い。痛いけれど、嬉しいとも思っている。言葉にならない感情が、雫になってあふれても叱られない、迷惑にならないと言う状況が、何より海璃を安堵させているからだ。

「謝らなくていいよ、海璃。ちょっとだけ泣いたら、すっきりするさ」

 そう囁くアザの声に海璃は小さくうなずく。その様を、アザは薄く笑って眺めていたのを、海璃は知る由もなかった。


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